ヤマネコ目線

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安倍氏国葬で何を得られるのか

 書き散らし。政府は安倍氏国葬を意地でもやる気でいる。各国から要人が来る以上、警備費がかかるのは致し方ないとは思う。一方でその費用に関しては正直納得がいかない。死んだ人間に、それももう、家族による弔いも済んだ人間にどこまで金を使えば気が済むのか。別に死者の弔いをするな、追悼するなとは言うまい。しかしその形やかかる費用は問題視されて当然。

アクロバティック擁護への反論

 Twitterで次のような擁護論を見かけたのでまず最初に反論しておく。

  • 国葬の費用2.5億円を国会(1日の運営費3億円)で追求するのはお釣りが来るレベルのムダ

 はい、政府がやる事に対する正当性を政府の代わりに必死で考えて擁護する典型例ですね。一見それっぽい事を言っているように思えるものの、その実、説得力が無い。これで騙されるようなチョロい国民だから、統一教会なんて韓国発祥のカルト団体が政府中枢にまで入り込んでしまうのだ。

 まず国葬の費用2.5億円は警備費抜きの費用と判明しており、実際にいくら掛かるのかは国民に明らかにされていない。それこそTwitterで「国がぼったくりバー」と揶揄されていたように全貌が見えず、その費用が不透明極まりない。なので国葬の費用は数字として比較しようがないし、「2.5億円ポッキリで済む」という前提で話を進めるのはあまりに都合が良い。

www.nikkei.com

 そもそも政府与党がここまで拙速に国葬の実施と日程を決め各国に連絡までした事が問題なのであって、その点を追及される非は他ならぬ政府与党にある。1日平均3億かかろうがその1日を浪費する責任は野党でも国民でもなく政府与党、自民党公明党にあるのであって、いかにアクロバティックなロジックを駆使しようとも、その非を野党などに転嫁することは出来ない。

 第一に国葬をしなければ、国葬とそれにかかる国会のための費用も発生しなかった筈。1日3億円という数字は365日平均の数字だが、それを国葬の費用と単純比較すべきか、して良いのかも疑問がある。

ふざけた予算執行

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 都合の悪いことはいつも後出し、そういう感じが否めない。安倍元総理の国葬にかかる費用、当初は2.5億円という話だったがそれは警備費用を除いた数字であることが分かっている。警備費込みで2.5億じゃねえのかよ!死んだ人間にどこまで金使えば気が済むんだコイツら。松野官房長官はかかった費用は後から公表すると言う。日本の予算執行のあり方とはそういうものだったか。予備費なら内閣府の好きな時に好きなようにつかって良いと言うのか。

 一部の報道で出ている100億円を超えるという話はソースが政治部記者の憶測なので信憑性に欠けるが、これが実際有り得そうとも思えるのがこの国の怖いところ。何をするにつけても中抜き中抜き中抜き、予算をムダに増やし続ける。日本政府は税金のムダ遣いにかけてはおそらく今、世界一長けている。今回の国葬も最終的にどれだけ掛かるか分からない。絶対に2.5億円では済まない。大喪の礼を上回るのではないか。不敬不遜な輩どもだ。

news.yahoo.co.jp

 岸田総理は国会で説明すると言い出したが、順番が明らかに逆ではないのか。本来であれば国会で承認を得てからだろう。安倍元総理の葬儀自体は既に終わっているのに、今回の国葬の予定はどう考えても決定が早過ぎる。いつもは検討使と揶揄されるくらいなのに。そういえば東京五輪の予算の検証は済んだのだろうか。国葬の予算も終わってしまえば有耶無耶になるのだろう。幸い「終わったことをぐちぐち言うな」、などとフォローに回ってくれるバカな保守モドキもたくさん居ることだしな。

国葬をする意味とは

 正直、もはや私自身は国葬をすることに意義を見いだせていない。外交の場として利用することが大儀名分ではあったが現役の指導者はほとんど来ないし、何も国葬しか外交の場が無い訳ではない。それどころか、各国からはカルト宗教政権と距離を起きたがっているような意図さえ感じられる。それは私の憶測ではあるが、旧統一教会(家庭連合)との密接な関係が明らかになった安倍元総理の国葬に出席すれば、自分もカルト団体と関わりがあると疑われかねないと思うのは当然ではないか。

 安倍元総理の最期は確かに気の毒ではあるし、安全保障や外交の面では確かに優れた政治家であったかも知れないが、一方でここ十数年で日本経済は上向いただろうか。社会は、世の中は良くなっただろうか。長く政権を握ったというだけで、実際は偉大なる指導者様でも何でも無いと感じる。そればかりか保守を標榜しながらも利害関係が一致していると言うだけで韓国発祥カルトと手を組み、優遇し、広告塔になって被害を拡大させて来た人間を、なぜ既に家族が弔った後に国民の税金をふんだんにつかって追悼しなければならないのか。「偉大な指導者」として担ぎ上げなければならないのか。

 それで国民が得るものは何なのだろうか。ただの自民党の政治家連中の自己満足ではないのか。こんな国家規模のクソみたいな自慰行為を見せられるのは甚だ不愉快だ。強い言い方になるが、自民党がここ十数年でして来た事はゆるやかな売国・亡国政策でしかない。旧民主党はまた別のベクトルかつ直球過ぎた(特に外国人参政権)せいで分かりやすく嫌われたが、自民党旧民主党よりもずっと長く、かつ分かりづらいように国益を損なってきた分より一層タチが悪い。安全保障は良かったが逆に言えば安全保障以外(特に経済政策)は壊滅的。少子高齢化は一向に止まる気配が無く、まともに働いてる人間が重い社会保険料・税金で苦しむ一方で虚業が幅を利かせている。何が「美しい国」だ。何が「神の国」だ。

 追悼することは否定しないし止めはしない。しかし安倍元総理の国葬は億単位の税金をかけるほどの意義があるのか。国民は、日本はそれで何を得るのか。先の選挙で岸田政権に黄金の3年間を与えてしまった愚かな国民だが、この先、日本はどうなってしまうのか。プラトンは「理想の国家とは理想の国民で構成されている」と記したが、現状はその正反対だ。