ヤマネコ目線

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国葬が終わって

 安倍元総理の国葬が終わった。日本人の悪いところと言うか国民性というか、「無事に終わったら良かったことにする」というのが出て来ないか心配している。岸田政権は国葬の日程などを拙速に決めて批判を浴びたが、結局「終わってしまえばこっちのもの。テレビの報道でも一般献花の列などを映してもらって国民はそれで落ち着くだろう」、そう思っているに違いない。

国会での時間が浪費されるという批判について

 一部では国葬に関する議論・追及に国会の時間を費やすことに批判的な人間がいるが、ここまで国民が分断され、批判的な意見が高まったのはひとえに岸田総理の不手際、拙速さゆえである。国会の時間がムダになるというが、その責任は野党ばかりにある訳ではない。一番の原因は岸田政権、自民党にある。

 もっとも、事前に国会を通そうとしても野党がゴネてグダグダしたであろう事は否定しない。その辺りは統一教会問題も絡んで来るだろうから、岸田政権の動きはそういう追及から逃げるためとも取れる。

国葬そのものへの是非について

 私は消極的賛成派だったというか、岸田政権が早々に日程を決めて他国への連絡までしてしまったので、やるならやるで仕方ないが勝手なことをした事への追及はすべき、という立場。今もそれは変わらない。何にせよ国葬決定までのプロセスに問題が無かったとは言わせないし、費用も最初から2.5億円だのと嘘をついていた不誠実さ。統一教会問題への不誠実さが許せない。不信感しか無い。他国へ迷惑がかかるのを嫌う日本人の性質を利用し、さっさと「連絡まで済ませたから」と言う小賢しさ、心の底から軽蔑する。肝心なことは検討検討また検討の検討使なくせによくそういう事だけはさっと決められるのな。

 法的根拠が無いことについて「国葬」ではなく「国葬」として逃げた点も感心しない。法的根拠が無いと批判を受けたので、内閣府設置法における「儀式」の範囲内ですよ、というロジックで逃げるために名称を変えたに過ぎない。実質的にその内容や費用の出どころが変わった訳でも何でもない。その辺りを無条件に肯定している人間はどういうつもりなのか。まあ、出来なくも無いかも知れないが苦しい言い訳だと思う。最高裁違憲判決を出していないが具体的な理由を明らかにせず原告側の申し立てを棄却しており、私から見ればただの逃げ。

 弔問外交としての意義は無かったとは言わないが、直前には国連総会もあったしG7の現役指導者は呼べなかった。インドのモディ首相が来てくれて助かったな、という感じ。無意味ではないにせよ、それって国葬でしか出来ないことでしたか?

 一般献花に約2万人が訪れたことは良かったのかも知れない。長く首相を務めた人物だけのことはある。どんな人物でも「死ねば仏」として弔うのが日本人の精神であり、純粋な追悼の意をもって訪れた人は多かっただろう。

 ただし一部のエセ保守が使う世論調査では反対が6割だったのに当日は反対派より献花する人の方が圧倒的に多かった(だから世論調査なんて嘘っぱち、賛成派が多数だったに違いない)」というようなバカの戯言はいい加減にして欲しい。国葬当日は9月27日(火)、平日である。反対であってもわざわざ休みを取って現地まで行くほどパッションのある人間は少ない。と言うか、たとえ休日でも現地まで行ってデモに参加する人間は少数派だろう。一部の過激派は顰蹙を買っているレベルだし、そういう連中と同じに見られたくないという人もいる。

 世論調査は全国区なので、全国区で反対が多くても当日に現地まで駆けつける反対派の人間が少ないのは当然。逆に平日の昼間から3kmの長さ、2万人の一般献花の列の方が私には異様に思える。先述したように純粋に追悼の意をもって並んだ人もいるだろうが、テレビでの見栄えを重視するために統一教会パソナの動員があったのでは無いかと思ってしまう。実際はどうか知らないが、そういう事をするのが彼らだと私は思っている。でもデマ拡散はダメ、ゼッタイ。

権力の暴走はこういう所から始まる

 「多少好き勝手にやっても終わってしまえば許してもらえる」、そういう所から権力の暴走は始まるのだろう。今までもそういう事はあったが、安全保障において必要な範囲、あるいは慣例的にしていた部分の見直しに留まっていた。それを許して来たから今回、こういう事が起こっているのかも知れない。何だかんだ言っても最後は許してくれる、忘れて支持してくれる、そういう国民がいれば権力者は甘える。

 「終わった事にごちゃごちゃ言うな」、そう言って政府が勝手なことをしても許してしまっていては今後、このような事がどこで出てくるか分からない。もっと酷い形で出てくるかも知れない。何だかんだ言ってなあなあで済ませる、許してくれる国民は人は良いかも知れないが愚かであり、権力者にとっては好都合。それで苦しめられるのは他でもない国民自身だと言うのに。

国葬は勝手に決められるのに解散命令は出せない政府

 統一教会問題までも国葬で葬ることは出来ない。させてはならない。エセ保守は「いつまで言ってるんだ」などと言って批判を封殺にかかっているがそんなもの、いつまでも言われるに決まっているしいつまでも言い続けてやる。

 岸田政権は国葬は早々に勝手に決めてしまった一方で、統一教会への解散命令は出していない。文化庁はいろいろと言い訳を並べて解散命令は出せないと言う。カルト団体でも信教の自由が~幹部が逮捕されていないから~、私から言わせればそれはただ「やる気が無いだけ」にすぎない。自民党は結局、これだけ誤魔化しきれない状況になっても統一教会と手を切るつもりは無いのである。萩生田がまだのうのうと内閣に在籍し、国葬が終わってからも謎の上から目線でコメントしているのを見るとそう思う。それもある種、すぐ忘れる、終わったら許す愚かな国民だから舐められている訳だ。バカな国民は次の衆院選挙までにはころっと忘れる。そう思われている。

 統一教会問題は反社会的勢力と同レベルの厳しさをもって対応すべきであり、少しでも関わりのある人間は許すべきではない。あるいは厳しく監視しておくべきである。もちろん与野党を問わず、徹底的にやるべきだ。統一教会の幹部が逮捕されておらずとも、あるいは「統一教会」としてのトラブルが減っていようとカルトはカルト。九州大学の非公認サークルが問題になったように名前をころころ変えて、組織の形態を変えてあらゆる場所に韓国発祥のカルト団体が潜んでいる。良い機会なので徹底的に洗い出して叩かなければならない。信教の自由が適用されるべきなのはまともな宗教についてのみ。

何にせよ

 終わってしまったのでそれで気勢を殺がれる人は多いだろう。しかしこうした好き勝手を許していてはろくな事がない。これで「統一教会問題も終わり」とはいかない。インボイス制度やAV新法といった悪法が次々と登場し、アベノミクスは振り返ってみれば効果なし、少子高齢化は止まらない。世の中はどんどん悪くなって来ている。次の選挙は自民党の葬式にすべきだ。

 私は右寄りでこれまで「サヨクが反対しているならその逆を行くのが正解だろう」、という安直な流され方をした時もあった。実際それで良かった面もあるが、いよいよそれでは済まされないレベルまで来ている感じがする。右左関係なくしっかりと自分の頭で考え、眼で見てダメなものはダメ、斬るべきものは斬る姿勢を取って行きたい。