ヤマネコ目線

大体独り言、たまに写真その他、レビュー等

ナザレンコ・アンドリー氏の”左翼観”

  Xで見かけたナザレンコ・アンドリー氏の投稿があまりに酷かったので書いておく。

https://x.com/nippon_ukuraina/status/2096727897293664357
程度の低いファシズム的で一方的な価値観

 もはや呆れて何かを言う気力も起きない程度の低さだが、言わないと分からないだろうと思うのであえて書く。
 まず文章全体から「左翼」という概念についての歪んだ見識がうかがえる。この人にとって左翼とはそういう解釈なのだな、と。日本のいわゆるリベラル、左翼を見ているとこういった見方に陥るのも正直分からんでもない(というか実際私も同じように見ていた時期はある)が、正しい意味での左翼、リベラルとその意見に対する見方としては甚だ不適当であり、国家権力から個人の権利と自由を保護することの重要性を見失えば社会の退化を招く。

 個人と国家が争えば確実に個人が負ける、なので憲法で基本的人権、個人の権利と自由を保障して国家による不当な扱いを防ぎ、社会の健全性を維持しようと発展して来たのが近代民主主義である。それを「個人のわがまま、人間のネガティブな感情(妬み、責任転嫁、自己正当化)」と捉え、「左翼思想」と定義して否定することは、それこそ
倫理観や道徳心を著しく欠く行為ではないか。政治における倫理や道徳の歴史的変遷について甚だ無知であり、「倫理観、道徳心、感謝の心」を「国家に対する服従」と捉えているであろう物言いは稚拙なファシズムに過ぎない。

 偏った考えから必要なものまで「左翼的」と切り捨てる乱暴さはあまりに愚かである。

 日本で政治を語る上で長らく左翼という概念は誤用されてきた。誤用される期間が長すぎた。それゆえもはや「左翼」というのが単に「自分たちと意見が合わない人間の総称」のようになってしまっている。私も(自戒するところだが)それを承知でそういう書き方をしてきた面があるし、実際、時としてそう書く以外に適当な表現が見つけられない。

 しかして「左翼思想=抑えきれなかった道徳心の欠如」という認識と、その対極に「右翼や保守=道徳的である」という認識を置く二項対立は明確な間違いであろう。あまりに認識が大雑把過ぎ。アホに合わせ過ぎるがあまり全体の程度が下がっている。

 右翼・保守的な主張であっても過剰になれば「他者排除」「権力への盲従」「不寛容」といった別の形の「人間の悪さ(エゴ)」が露呈する。というか、現に露呈している。

 「(左翼は)自分の失敗を全て社会のせいにしたい」と言うが、それを言えば「(自称)右翼は自分たちの失敗を全て左翼や外国人のせいにしたい」と思っていまいか。

 「金持ちが羨ましいから金を奪いたい」と言うが、「(自称)右翼は精神論で無限大に搾取を正当化している」ではないか。

 「気に入らない人を差別したいが良い人のフリも続けたい」と言うが、では今のエセ愛国右翼のように堂々と差別をして「差別をすることも多様性の1つ」などと開き直るのが良いのか。よくそれで他人にとやかく言えたものだ。
 「人は自分が言われて嫌なことを他人に悪口として言う」説があるが、「『あんたはただのクズじゃん』と言われて終わりだから、自分の怠慢•憎悪•無能さを正当化するために、最もらしい理屈をさがしているだけ。」とはまさしくこういうことを書く人間のことだろう。自己紹介にしか聞こえない。「もっともらしい理屈を探しているだけ」はお互い様で、時として左翼の方が理屈として筋が通っていることもある。「左翼の嫌がることや真逆のことをすれば正解に違いない」、などと思考停止をしている人間こそ怠慢・憎悪・無能の権化。

 そもそも論として人間は右翼だ左翼だ関係なく善と悪の混沌である。不満や妬みが政治活動の原動力になることは何も左翼だけの話ではない。事実として右翼側の主張も負の感情に根ざしたものが山ほどある。その自覚がないのがおかしい。
 もっともらしい理屈をこねて「国家に盲従する人間こそが善であり道徳的」などと言うのは善悪についての価値観が根本的に狂っている。「その真逆こそが善」とも言うまいがあまりにバランスというものを知らん。
 自分たちには左翼のような綺麗事を唱える余裕すら無いから、複雑な政治理論や権利主張に「ただの嫉妬や怠慢」とレッテルを貼って思考停止で冷笑しているのが楽だから、自分自身の無力さを正当化して国家や民族といった大きな枠組みに自尊心を依存し、愛国心に酔っていたいから、そういった観点に都合の良い姿勢や価値観を「倫理観や道徳心、感謝の心」などと呼んでいるのだろ。その対極を悪と定義したいだけなのだろう。

 お花畑な思想に酔って自分たちそこ正義であり善と疑わない連中と程度として何ら変わらない。見方、価値観が違うだけで右翼的倫理観・道徳観も十二分にお花畑である。

個人的な価値観の変遷

 私は保守を自認しているが、最近はいわゆる左翼、リベラル側に意見が寄ってきた自覚もある。それについて改めて考えると私自身が極端な左側の思考に振れた訳では無い。世の保守、愛国右翼を自認する人間の今回取り上げたような主張についていけなくなったからだ。あまりに程度が低い位置で思考が停止しており、自己批判に欠け、歴史に学ばず善悪の判断も道徳観もなっていない。「左翼でも右翼でもなく下翼」と誹られているがそれも当然だ。保守を自認する側として一緒にされたくない。私が左翼だと言うならそれで結構。今の保守、愛国右翼を自称する人間たちと、彼らが支持する高市政権、自民党よりはまだいわゆる左翼、リベラル勢力の方が信用できる。

 安倍政権が「悪夢の民主党政権」から政権を奪取してはや十数年、今の今までずっと右翼が優勢、リベラル勢力、野党などもはや風前の灯な訳だが、それでもまだ「サヨクは責任転嫁をしている」などと責任転嫁をするのか。右翼を自認する側はみずからの選択の過ちと責任を認め、道を正していくべきではないのか。

沖縄県知事選について思うこと

 すでに沖縄県知事選が告知され、投票日は9月13日となっている。連合や立憲・共産・社会などに推薦されている玉城デニー氏と、自民・維新・参政・国民民主・公明・日本保守に推薦されている古謝玄太氏の対決の様相を呈しているように見られる。

www.pref.okinawa.lg.jp

 この選挙について東京新聞の以下の記事が話題になっていた。ソースが東京新聞なのも心もと無いが、以下の記事ではSNS分析ツール「Meltwater」を使用し5万9,000件の投稿を分析したと書かれているので一定の信用は出来るだろう。

www.tokyo-np.co.jp

(記事題:沖縄県知事選挙の関連X投稿の発信地は「東京」が最多、沖縄を上回る デマ、候補者攻撃…選挙への影響は)

上記記事より

 その中でも「極左暴力集団」というワードが含まれる投稿は沖縄以外から発信されたものが(東京+大阪+神奈川)で沖縄発信の3.5倍にのぼっている。「その他」は発信地が不明なのか何なのか分からないので含めない、調査件数のうち何件がこれに該当するのかも分からないので解釈が難しいが、高市政権、自民党によるスマホ農場での世論工作を疑われるのも無理はない。

沖縄県外の人間が不可視可しているもの

 沖縄に暮らす人々と本土人との認識の乖離について今さらながら気づかされたことがある。それは「沖縄県民の犠牲の不可視化」である。

 県外から沖縄批判、デニー批判をしている人々は、たとえば先日の辺野古沖転覆事故で無くなった高校生、活動家をトラックから守ろうとして亡くなった警備員の犠牲を材料に苛烈に沖縄県政を批判している。「警備員が犠牲になった時点で活動家を一網打尽に排除していれば辺野古の事故は防げたはずだ」などと。

 しかし、そういうことを言う人々は「米軍が墜落事故を起こして県民に死者を出したり性的暴行を働いている。米軍基地を無くすべきだ」とは言わないのである。沖縄県民がどれだけ犠牲になろうとも、私も含め本州の人間は「でも安全保障上の要衝なので米軍基地があることは仕方ない」で済まして来た。

 ところが本州の人間が1人亡くなると大騒ぎ。活動家を一掃しろと県外からネットを通じて好き放題言う。これが沖縄県民の犠牲の不可視化、沖縄県民に対する差別でなくて何なのか。あまりに不公平ではないか。そこで反基地活動を一掃しろなどと土台、無理な話。差別というのは無意識に行われるものなのだ。

「活動家を一掃しろ」という感情論

 現実問題として、トラック事故で警備員が1人亡くなったからといって「活動家を一掃」などということは難しい。個別責任の原則、結社の自由などがあるので、1人の責任をもってしてある組織全体を排除することは出来ない。

 もちろんヤクザのような例外もあるが、そもそも反基地活動家というのは反基地という主張に共感した個人の集まりであって、具体的に誰をどうすれば良いなどというまとまった組織的実体はない。たとえ既存の反基地活動を一掃したとしても、沖縄県民に犠牲が出る限りまた新たな組織が立ち上がるだろう。

 こうした「活動家を一掃しろ」に限らず、「犯罪者に人権なんかいらない」、「さっさと死刑にしろ」といった意見は単なる感情論でしかない。犯罪者にも(制限されるとはいえ)人権はあるし、どんな犯罪者でも裁判を受ける権利はある。ではなぜ人はこうした感情論に走ってしまうのか。

 私もそういうことを言ったことがあるので理解できるが、これは真面目に「人権がない」とか何だとかを真面目に考えて言っている訳ではない。その本質は「日ごろの鬱憤、フラストレーションを他罰感情に変換して発散している」だけ。

 犯罪者はやっている事がやっている事なのでどんな言葉で侮辱しようが、どんな扱いを望もうが世間一般にそれを言う側、望む側が非難されることがない。社会的に承認された状態で誰かを攻撃できる。自分の日ごろの鬱憤を誰かを攻撃することで発散している。

 加えて世の中であまりに正義がなされない、不公平だと感じているので文句を言うことで少しでもその是正に貢献した気になる。被害者に感情移入、同情するがゆえに加害者に対して敵意を持つ。これらが合わさって感情的な攻撃が生まれて来る。誰かを叩いて気持ちよくなるのは仕方ないにしても、その感情の根底を理解するべきだ。

 残念ながら、なぜかこの攻撃は正当性のある政治批判としてあまり出て来ない。同じ国民同士で殴り合うことに使われる。同じ国民同士のほうが「自分と同じ土俵なのに不正をしている」という意識を持ちやすく、なおかつ「政治なんて誰がやってもどうせ一緒」という学習性無力感が関係しているのだろう。「誰がやっても一緒」とは到底思えないが。

 選挙と反基地に話を戻せば、そのような他罰感情の発散のために沖縄県民の選択を批判するのはあまりにおこがましい。お門違いである。

 「あんな事故を起こした人間の所属する組織はまとめて排除するべき」などと感情論にまかせた乱暴なことを言うのであれば、裏金問題と壺カルトその他で自民党も、国保逃れと万博建設費未払い問題その他で日本維新の会も「一掃するべき」だろう。それを言わないのはダブルスタンダードではないか。

 なお、「政党は個別責任を超えて組織として責任を問われる」。なぜか。政党交付金という公金を受け取っている政治団体である以上、その活動の公益性や影響について社会的責任を問われるのは当然である。反基地活動家が公金を受け取っているならいざ知らず、民間組織である以上そこまでの責任は問えまい。

沖縄県民の判断の重さ

 警備員が亡くなっても、本州の女子高生が亡くなっても、沖縄県民が玉城氏を選ぶというのであればそれまでの話。彼らはこれまでにそれ以上の犠牲を払っており、そこに「人が死んでいるんだから」などと言って本州から口を出す隙など無い。

 私も本土人なのであまり口出しするのも何だが、私は沖縄県民に自民・維新・参政・国民民主・公明・日本保守が推薦する古謝氏を選んで欲しくない。

 まず第一に、アメリカに媚びを売ることに全力をささげる自民党、高市政権下で県知事まで与党系になれば、沖縄県もどこまでアメリカに売られるか分からない。米どころにイスラエルのデータセンターを誘致する、自衛隊の指揮はアメリカのAIに任せるetc、野党が中国に国を売る売国奴というなら自民党は全力でアメリカに国を売っている売国奴である。それも力があるばかり野党よりよほど質が悪い。沖縄はこれまで以上に苦しむかも知れない。私は沖縄県民を同じ国の国民同士と思いたいので、彼ら自身がそれを避ける道を選ぶことが良いと考える。

 第二に、古謝氏は「誰かのせいにしない沖縄」を演説で訴えたが、他でもないこの国を衰退させ続けて来た自民党の推薦を受けながら何を言っているのか。沖縄のこれまでの歴史は自己責任とでもいうのか。政治家が「誰かのせいにするな」と言って憚らない愚かさ、それを自覚できない人間には知事どころか誰の上に立つ資格も無い。たとえ県政をどれだけ無茶苦茶にしても「俺を選んだお前らの自己責任」で済まされる。それで済ませて良いのか?これは本土人にも無関係な話ではない。「古謝が知事になれば予算を増やす」などと予算を人質にとる日本政府のやり方も気に入らない。控えめに言って人間の屑。

news.yahoo.co.jp

余談:アメリカからのジャガイモ輸入解禁

 高市政権になってから報じられはじめたアメリカからの生鮮ジャガイモの輸入解禁論だが、実情は2020年から協議が行われている。2020年の総理大臣は9月まで安倍氏、それ以降が菅氏であった。最近になって大々的に報じられたので高市政権からいきなりそういうことを言い出したと勘違いしやすい。一時は「ナフサ不足を煽ったカルビーへの嫌がらせ」説も出たがそれは誤りだった。

 ただし、高市政権でこれが本当に解禁まで進んでしまうのではないかとの危惧も理解できる。アメリカとしては「高市政権だから押せば行ける」と踏んでいるのだろう。これからどう転ぶか、どっちに事を運ぼうとしているのか国民が監視しなければならない。

 なお、もし輸入を解禁してシストセンチュウが全国に広がってしまえば比較的高い自給率(約70%)を誇るジャガイモのみならず、同じナス科の作物が確実に被害を受ける。アメリカでは徹底した輪作管理と抵抗性品種の育成で対応しているが、それは日本より圧倒的に広い国土で手間も金もかけて行われていることであって、国土が狭く農家も減る一方の日本では確実に食料自給率が下がる。寄生虫の対応が新たに必要となれば価格も上がるだろう。

 わざわざ寄生虫付きの農作物をそのまま輸入して良い理由などない。シスト(寄生虫の卵を包む殻)は20年以上残存しかなりの耐性を持つので、下手をすれば20年以上アメリカの寄生虫に日本の国土が汚染される。

 安全保障上では食料自給率も重要なはず、その中で輸入解禁は「断る」の一択である。残念ながら、SPS協定(衛生植物検疫措置に関する協定)によって相手国が協議を求めれば応じなければいけない、輸入規制をかけられる権利と同時に科学的根拠に基づいた交渉を行うべきというルールになっているため門前払いすることは出来ないらしい。

クールジャパン機構の後継関連での炎上ほか

 税金を投じて電通やNTT、吉本興行を儲けさせただけで赤字により廃止される見込みのクールジャパン機構。ようやく廃止かと思えば経済産業省はまだまだやる気というか、後継の話が決まったからクールジャパン機構の廃止を言い出したようで、税金が国民のためにもクリエイターのためにもならない所で再び無駄に、大手企業を儲けさせるために使われようとしている。

 その旗振り役で経産省の資料でも一番上に名前があるのが中村伊知哉。彼のXでのポストは現在進行系で炎上している。

https://www.meti.go.jp/shingikai/mono_info_service/entertainment_creative/pdf/20260820_1.pdf

こっち見んな

 この手の人間がどうしてここまで嫌われているかと言うと、「何らかサポートできることはありませんかね」などと良い顔をしてクリエイターを山車にし、政府から金を引っ張るだけ引っ張って一切クリエイターには還元しないからである。「俺達が作品を世界で売るための手伝いをしてあげるよ」と言いながら大金をかけて下らないものを作っては中抜きで儲けるだけ。実際のアニメやマンガ産業発展・維持には一切貢献しない。「地獄への道は善意で舗装されている」とはよく言ったものである。

businessnetwork.jp

 具体例を1つ出せば、NTTと吉本興行が一丁噛みしてクールジャパン機構から100億円もの資金を引っ張ったラフ&ピースマザーなるアプリは会員数が延びず廃止となった。NetflixやAmazonPrimeVideoに対抗する国内動画配信サービスなどと大口を叩いたは良いが、中身は吉本のコンテンツを垂れ流すだけの何ら優位性のないアプリ。このアプリ1つ取っても100億円の損失を誰か補填したのか?

 それ以外にも事実として、クールジャパン機構が出来てからアニメ制作会社の労働環境が改善したという話は一切聞かない。何なら海外に委託しているシーンも多いので原作は日本製でもアニメは海外製が多い。「鬼滅の刃」の制作会社はその辺をうまくやっているが、それはufotableの企業努力であってクールジャパン機構とは無関係。

 中村伊知哉は「コミケはインフラ」などと訳のわからん事を言い出しているが、厳密にはコミケを支える印刷業者こそがインフラである。政府行政がやるべきは口が上手い奴にカネをやることではなく、文化が醸成・発展・維持されるような土壌を整えることだろう。”こんな人たち”にカネをやるばかりでは何にもならない。

 そもそもこの年代の人間はマンガやアニメを小馬鹿にして来た世代だろう。それが「NARUTO」や「ONE PIECE」、「鬼滅の刃」、「進撃の巨人」が世界的コンテンツに成長し、カネになると見るや否や良い顔をして「俺達にも一枚噛ませろ」と言い出す。逆に恥ずかしくないのか。

 何が「ものがたり大国」だ。中抜き大国かピンハネ大国の間違いだろう。今すぐクールジャパン機構もその後継も取りやめてその分の財源を消費税減税の財源に回せ。そうすればちっとは国債発行額も減って円安圧力も弱まるだろう。どうせそんなこと自民党、高市政権、麻生太郎の傀儡内閣には出来ないだろうが。

 マンガ、アニメに限らず「政府が金を出す」と言い出すのがまず間違い。そこでは実際に役立つ者より「自分できます!」アピールが出来るものだけが得をする。政治家や官僚はお友達の大手を儲けさせるだけ。何の利益にもならない。損するだけ。

「学芸員はがん」

 自民党、山本幸三地方創生相が地方のセミナーで文化財観光の振興をめぐり、「一番がんなのは学芸員。普通の観光マインドが全くない。この連中を一掃しないと」と発言した。

www.asahi.com

 これについてどう思うだろうか。私は文化財の価値を「観光資源としてカネになるかどうか」程度の尺度でしか量れないこんな人間こそ癌だと思う。日本国民も政治家も拝金主義的になりつつあると思っていたが、まさしくこれもその一例。

 じゃあ金にならない文化財には価値が無いの?金にならないなら捨てて良いし取り壊しても良いの?

 価値とは相対的なものなので、「金になるかどうか」という価値観も一概に否定はするまい。しかしそれだけで物事の価値を量るのはあまりに人間らしさが無い。それも「一掃しないと」と来た。つまり「価値観が違う者は排除していく」ということ。「金になるかどうか」以外の視点を邪魔だと排除することは専門家を排除することに等しい。

 文化財の価値とは何か。たとえば「過去にそこで暮らしていた人々の価値観や努力、暮らし、芸術活動が物品として今に残っていること」。それを通じて当時の暮らしや価値観を伺い知ることが出来る。専門家を排除するとこうした物の見方が出来なくなる。これで「日本の文化を大切にしよう」などと言うのだろう?お笑いにもならん。

 歴史的価値、学術的価値、芸術的価値、地域の歴史における価値、宗教的価値、技術的価値、教育的価値、希少性、真正性、将来にそれを残す価値、見方によっていくらでも価値は見いだせる。観光資源としての価値、金になるかどうかなど数ある価値の中のわずかな一部分でしかない。

 さて、それを言えば我々国民にとっては「失われた30年」をもたらし、国家を衰退させ続けてはかり知れない金銭的損害をもたらしている自民党こそ「一番の癌」であり「公僕マインドがない」、「普通の国益マインドがない」、「一掃するべき存在」ではないだろうか。癌がまともな仕事をしている人々を指して癌と言うのだから滑稽だ。

東京の警察官が足りない

 警視庁において警察官の応募者が少なく、都の条例における基準を満たしていないらしい。実に約3,000人足りないと。これについてどう見るか。

news.yahoo.co.jp

 単純に今の若い世代の価値観がシビアになっており、警察官の職務が敬遠されている節はあるだろう。加えてそこに政府行政への不信感も加わっているのでは、と私は思う。格差拡大、貧困が広がる中で政治家やクールジャパン機構のゴミどものような大人が「法の抜け穴を突いて得をするものが賢い」と示してしまった以上、若者がまともに正義を守る、ましてや法律を守らせる側につくことに価値を見出すのは難しい。

 一見関係ないように見えるが、失政と経済界由来の拝金主義は確実にこの国を腐敗させつつある。誰もが金になるかどうか、損か得かで物を見始めている。そこで「損な役回り」の担い手が減るのは当然である。

備蓄米の買い戻しをようやく言い出した

 政府は備蓄米の買い戻しを今頃になって決めたようだ。判断が遅い。米の価格が落ち着いたのだから放出してしまった米を安く買い戻すチャンスなのに一体何をグズグズしているのか。

www.nikkei.com

 備蓄米の倉庫業者にも放出によって損害を与えたことは記憶に新しい。「文化の日を明治の日に」などと下らないことは手が早いくせに肝心の判断は遅い。

日本会議という胡乱な組織の願望がまた1つ叶えられた

 自民党は文化の日に「明治の日」を併記することを了承した。山田宏参院議員が「日本のあらゆる文化、制度は明治に作られた。近代化を乗り越え、今ここに来ていることを思い起こす」と述べたことに対して異論が広がっている。

www.47news.jp

 まず「日本のあらゆる文化、制度は明治に作られた」は明確な誤りである。すぐに「今は皇紀2,600年」だの何だのと言う割にはずいぶんと浅い歴史観をお持ちのようで。明治維新は確かに転換点の1つであったかも知れないが、同時に廃仏毀釈が進んだ時期でもあった。近代化のために文化の一部を捨て去って新しい価値観を(悪い言い方をすれば)捏造した時期でもある。

 結局こいつらは何をしたいのだろうか。おおかた明治時代からやり直して大日本帝国の再建でも目指しているのだろう。それが自称保守、自称愛国者としての正しい道と思っているらしい。付き合ってられん。そういう連中だけでどこぞ誰の支配も受けていない島にでも渡って、竹田恒泰あたりを天皇にでも据えてそこでよろしくやってくれ。戦後の議会制民主主義国家の国民を巻き込むな。

アニメ「幼女戦記」の2期が面白い

 作品名だけ見ると危なそうに思うが、これがなかなか本格的なミリタリー描写があって含蓄にも富んでいる。1期から9年もの時を経てようやく2期が放送中。え・・・1期が9年前・・・?

youjo-senki.jp

何が面白いか

 は見てもらうかAIにでも聞いてもらうとして、個人的にとても面白いと感じたのは、いわゆる「異世界転生モノ」でありながら戦争中の国家における軍人と国民、政治家の心理の齟齬を描いているところ。特に2期後半ではその描写が濃く、今の我々も学ぶべきところがある。

 その中でも特に重要だと思うのが「コンコルド効果」、またの名を「サンクコスト効果」。これは「これまでに費やした金銭や時間、労力を惜しむあまり、このままでは損失が拡大すると分かっていても投資や行動をやめられない心理現象」のこと。

 作中、主人公が軍人として所属するナチス・ドイツっぽい帝国は二正面作戦を強いられて徐々に消耗しつつあり、このままでは敗ける可能性が高い。しかし、国民は支払った犠牲に対する成果を求めるあまり生半可な講和を良しとしない。そうした世論を恐れて政治家は軍部に「勝利」を命じ、軍部は命じられるままに具体的なゴールの無い戦争を続けることになる。こうした事例は現実でもある。

 戦争以外のもサンクコスト効果はある。もろに名前になっているコンコルドは採算が取れないと分かっていながら、既にかけた資金と労力を惜しんで続けた末に破綻した。以下の記事を読めば採算性以外にも問題があったようだが。

gigazine.net

 これは現代日本も無関係ではない。たとえば高速増殖炉もんじゅ。事故を起こしてから長い間まともな運転ができる状態になかったにも関わらず、「既に巨額の資金を投じていたから」と廃炉が決まるまでにも多額の資金が投じられた。福島原発事故が起きた後でも後継の高速増殖炉計画さえ登場している。

www.sankei.com

 より身近な例で言えば、パチンコやソーシャルゲームでもサンクコスト効果はある。「これまで大金をはたいてガチャ回してレアキャラを手に入れたのに今さらやめられない」、「これまで~円も賭けたんだから勝つまで辞める訳にはいかない」と、そのまま続ければ損害が拡大すると頭では理解していても退けない人間は多い。それが戦争となると人命に関わるので笑い事では済まされない。

 幼女戦記の主人公は極めて理性的な人物で、このあたりを完全に割り切っている。”損切り”してでもさっさと戦争を終わらせられるなら無賠償と領土の戦前復帰であっても構わないとしている。しかし、それを世論が、司令部が許さない。

 主人公の思いとは裏腹にその言動が主人公に対する評価、世間の反応、司令部の動きについて見事なまでに裏目に出るので、すれ違いのお笑いを見ているレベルでそれも見どころ。

主人公は右翼なのか左翼なのか

 架空の人物について単純な二分法的思考をするのはあまり良い見方ではないだろうが、主人公の人となりは現代日本人から見るとなかなか興味深いように思う。

 「幼少期から軍に入隊して戦果を上げて来た叩き上げの参謀将校であり、熱烈な反共産主義者」という面だけ見ればゴリゴリの右翼(正確にはリアリストとでも言うべきか)だが、その実は良くも悪くも法による秩序を重んじ、平和を希求する合理主義者であって、自他ともについて人間の理性や合理性を過度に信じ過ぎる傾向があるという点では(いわゆる)リベラルに近い。

 この二面性こそがすれ違い芸の要なのだろう。他の視聴者は彼を、いや彼女をどちらだと見るのか。世の中を「右翼か左翼か」で考えている人間にこそ、そこを見て欲しい。果たして主人公はどっちだと言えるのか。どちらかに分類可能なのか。

 私は主人公については右でも左でもなく度が過ぎたリアリストだと思っている。軍隊に入隊したのは孤児として安定した身分を手っ取り早く得られるから。共産主義が嫌いなのは共産主義が現実に即さないと考えているから。平和を希求しているのはただ単に自らの身の安寧のためであってそれ以外が見えている訳ではない。理性を信じ、他者についても合理的判断を求める点についても何か理想や思想がある訳ではなく、単に「自分ならそうする」という転生した人間視点の達観から。

 残念ながら他者への合理性の期待は裏切られ続ける訳だが。これは批判ではないが、その辺りはいわゆるリベラルに通じるものを感じる。合理的な思考が出来すぎるあまり、合理的思考ができない人間の「人間らしい思考」が理解できない。人間の非合理的側面を軽視してしまう。

 そこにはリアリストながら「人間誰しも、いついかなる時でも合理的で理性的な選択が出来るのであればそもそも戦争など起こらない」という単純明快なロジックが抜け落ちている。

 人間の理性や合理性が完璧ならば、世の中の不条理や小さい争いも今この現実ほど酷い状態にある訳がない。ということが実際に戦争と不条理に満ちた世界に身を置きながら理解出来ていない。理性的で合理的思考が出来すぎるがゆえのドツボといえる。

サンクコスト効果の変容

 サンクコスト効果の話に戻れば、その先にも学ぶべきことがある。「手段の目的化」という視点。

 サンクコスト効果は「これだけのコストを支払ったのだから何らかの成果を得られないといけない、得られて然るべき、得られるまで止められない」という思考。この思考が続くとそのうち「コストを支払いさえすれば何らかの成果が得られる」という誤った思考に陥ってしまう。

 これが旧日本軍が特攻戦術に固執した理由の1つではないだろうか。「戦局を打破するために人命さえも犠牲にする」という戦術が、いつしか「人命を犠牲にすれば何かを変えられる」という歪んだ認識に変容した。

 実際にはそれだけでなく、敗戦を認めること=これまで支払った犠牲が無駄になるということでもあり、それを認めたくないという心理的な防御も作用しただろう。「人間さえ爆弾や魚雷にして必死に抵抗した」という事実が大本営にとって「最善を尽くした」というある種の免罪符ともなった。

 物量、実際の戦局において敵わないことが明らかな中、当時の日本人が持ち得るものは精神論くらいだった。支払えるコストは「闘魂」という精神的なものしかなく、「命を捧げる姿勢を見せたかどうか」という精神的コストを支払ったかどうかが評価基準となってしまった。そんな評価基準やコスト意識では戦争に勝てる訳もなく、実際に日本は敗戦国となった。

 世の中、「今の日本があるのは特攻隊のおかげで彼らに感謝」だ何だと訳のわからん事を抜かす者もいるが、非人道的な戦術の極みという前提に加えて認知や評価基準の歪みという視点から見た時、特攻隊は彼らの犠牲を悼んでもその戦術を称賛することも美化することも決して出来ないし、するべきでは無いだろう。

 誤ったコスト意識に評価基準を置く、それゆえに競争に負けるというのは戦後、現代日本にも通じるところがある。高市総理が「働いて働いて働いて働いて働いて参ります」と発言したには記憶に新しいが、「寝食や私生活を犠牲にして労働というコストを支払うこと」が美徳とされ過ぎていないか。手段や手法を問わず労働というコストを支払いさえすれば、それ相応の何かが得られると考えてはいないか。

 我々は敗戦から、特攻隊から本質的なものを学べなかった、その結果として今、経済的・政治的な敗戦を迎えているのではないか。

 少子化についてもそう。有効性や財源をどこから取っているかを考えず、ただ少子化対策として公的支援を充実させさえすれば少子化が良くなると思っていないか。コストを支払っても無駄なところに金をかけるばかりでは何にもならない。

 ちなみに今日(2026年8月24日)のNHK、映像の世紀は特攻隊について。特攻隊に自分を重ねて気持ちよくなっている人間にこそああいう番組を見て欲しい。どうせそういう人間に限ってああいう番組は偏ってるだの何だのと言って見ないのだろうが。特攻隊として犠牲になった方々の覚悟が実際にどういったものだったのか、彼らの感情や人となりはどんなものだったのか。それを知って自分自身との違いを思い知って欲しい。特攻隊ほどの自己犠牲をするような精神力も覚悟も無いことを自覚して欲しい。

 「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」。経験からしか学べない愚者にとって「学ぶ時」=「死ぬ時」かも知れない。

余談:オールドメディア批判

 プレジデントオンラインはメディアとして質が低いと認識しているので、その記事から引用するのも癪だが以下のグラフを見かけて呆れるしかなかった。若年層が見ているのが以下のチャンネルらしい。「切り抜きを含む」なのがまだ救いだがさすがに立花孝志、高橋洋一あたりは人を見る目が無い。

https://x.com/Pre_Online/status/2090756713204850774

 「オールドメディアが信用ならない、偏っている」という批判がある一方、YouTubeやSNSを通じて若者に届いているのはこうした情報発信者であることが分かる。彼らはマスコミよりもこうしたチャンネルを信じるのだろうが、耳当たりの良いポジショントークで気持ちよくなるだけで現実を見ず、こうした発信者の人となりや物事の理非について考えることをしない人間が増えれば世の中悪くなるばかりだろう。

 特にYouTubeやSNS、ネットメディアは収益化が絡んで来る。収益化が絡むと人は儲かることしかやりたがらない。儲かるようなことしか言いたがらない。発信する情報が事実かどうか、道理が通っているか、倫理的に許されるかどうかよりも耳目を集めることが優先される。それは健全な情報発信とはとても言えない。オールドメディア未満。

 因みにアニメ2期に登場するソ連っぽい国の人物、ロリヤが気持ち悪いと評判?だが、モデルとなった実在の人物の逸話のほうが酷い。

ja.wikipedia.org

ICC(国際司法裁判所)が左翼とか訳わからん事を言うな

 アメリカが不当にもICC判事、赤根氏に対して資産の凍結を行った。これに関連してなぜかXでは赤根氏を批判する自称右翼が散見される。国際機関を左翼組織という批判すらある。

訳の分からんことを言うな

 コロナ禍もあって国際機関(特にWHO)への信頼が低下したことは理解するが、そこから国際機関全般の存在意義を否定するのは論理の飛躍。加えてこの人物のように赤根判事を極左だの何だのと決めつけて、「国際機関=左翼組織」といった下らない偏見で物事を語るのはあまりに浅はか。「左翼か右翼か」というオブラートで包んだ敵味方論でしか物事を語れないのは視野が狭い。

 まず何をもって極左とするのか。国際機関に右翼も左翼もあるか。学生運動がどうのと書いているが赤根判事が実際に学生運動に参加していた記録でもあるのか?「なんでこんなのが」と批判するが赤根智子で調べると立派な経歴が出てくる。なんでこんなネットの匿名性だけで気を大きくしている程度の低い輩が赤根判事をここまで強気で批判できるのか。

 ロシア、イスラエル、アメリカの圧力にも動じず、戦争犯罪を正面から非難して逮捕状を出す赤根判事は右だ左だのといった程度の低い論争よりも上の次元にいる。赤根判事は法による秩序を体現する番人であって法曹の鑑である。

 氏は「私がいなくとも代わりはいる」と言うが、それはなかなか出来ることではないし代わりもそうそう居ない。覚悟を決めて己の役割をまっとうしている姿は高市早苗などよりよほど「鉄の女」だろう。

 その赤根氏を自称右翼、自称愛国者が批判する理由が私には理解できない。赤根判事の姿勢は日本の国際秩序における公正さを世界に知らしめるものであって、日本の国際的な信用を高めうる。「アメリカにいつどんな形で尻尾を振ろうか」と考えている自民党、高市政権とそれを支持する自称愛国右翼よりも、赤根判事の方がよほど国益に即している。赤根氏を守ることが日本の国際的信用を守ることではないか。

 最近のイスラエルからは堂々と「パレスチナ人を殺すべき」、「殺す様子をライブ配信できるように」との声が聞かれる。ナチスですらこそこそと「悪いことである」と自覚してやっていた虐殺を堂々とし始めている。そのようなならず者国家、その肩を持つアメリカ、自国の安全保障のことだけで彼らの味方をすることが本当に正解といえるのか。

 それとも、自国の国益も信用も差し置いてアメリカのご機嫌伺いをするのが今の愛国保守、右翼なのだろうか。残念ながらそういうのは愛国でも保守でも右翼でも無い。属国根性が極まった売国奴であり家畜同然の存在。右でも左でもなく”下”。アメリカの犬として吠えるだけは一丁前の駄犬。

 寄生虫付きジャガイモの輸入もさっさと中止しろよ。本当に国益を重視するなら。それをしない時点で高市政権、自民党は右翼でも保守でも無い。売国奴。

石破が悪い岸田が悪い左翼が悪い

 今の自称保守、自称愛国者を見ているとずっとこんな感じ。「高市さんは外国人受け入れをありえないほど進めた岸田や石破の後始末を強いられている」だの何だの。「なんでも政治のせいにするなよ」と他人に言う割には都合の悪いことは嫌いな政治家のせい、嫌いな左翼のせい。何かと言えば高市さん高市さん。

 保守の姿か?これが?せいぜい「他責思考のマザコンのガキ」ではないか。

 以前も書いたが、外国人労働者の受け入れは「研修生制度」として1960年代に始まった。始めたのは自民党政権。そこから「技能実習制度」や「育成就労」と名を変え、自民党・公明党政権下で経済界の求めるままに安い労働力として外国人の受け入れが行われて来た。途中で民主党政権を挟むも政権奪還からはや10年超、安倍政権以降でもその方針は変わらなかった。

www.nbc.or.jp

 不法滞在者の排除について必要なのは摘発と強制送還の強化、不法滞在に至るルートの遮断であって、高市政権が打ち出した永住権の取得条件の厳格化はむしろ日本に同化し共生の努力をしている外国人に余計な重荷を背負わせたに過ぎない。右翼向けパフォーマンスとしてよく調整されている。

 単純な話、不法滞在者はそもそも永住権取得など目指していないので永住権取得条件を厳格化した所でほとんど影響は無い。不法滞在者を一掃できるなどと言うのは、不法滞在者がなぜ不法滞在者たるかを理解していないから言えたこと。永住権取得の条件の1つでも知ってるか?第一に「素行が善良であること」だぞ。その時点で不法滞在者が目指せる道理は無い。

立憲民主党の党員がやったこと

 立憲民主党の党員が党の許諾を得ず「立憲民主党議員風の架空の人物のアカウント」を立ち上げ、性暴力被害や出産を語る活動を行っていた。

news.yahoo.co.jp

 率直に言って、「このようなことを平気でするから立憲民主党は嫌われる」と思ってしまう。立憲民主党が党として行ったことではないにせよ、リベラル的な主張をする人物が性被害すらでっち挙げて政治的主張をしていた事実は確実に印象を悪化させる。ただでさえリベラルに対する印象が悪い中でこれは最悪のやり方と言うにも生ぬるい。

 オオカミ少年でも偽物のオオカミを作るまではしなかっただろう。リベラルはリベラルで理想を追い求める割に自分たちの行動がまったく伴っていない。啓蒙活動としてもまったくもって度が過ぎている、不興を買うとなぜ理解できないのか。

 こう考えると右も左も人形劇に熱心なことだ。存在しない特権階級的な外国人や犯罪者を叩く、存在しない女性を作り出して啓蒙活動に利用する。自分もそういうことをしないように気をつけなければ。

余談:私が嫌だと感じていること

 「綺麗事を言うと『綺麗事ばかり言うな』と批判されるけど、今の世の中には綺麗事が足りない」

 という意見があって少し共感した。しかし私の感覚はもう少し違っていて、今の世の中、特に政治については「綺麗事よりもずっと手前の段階の、守られるべき最低限の道理すら守られなくなっている」と思う。それが私は嫌だと感じている。

 旧統一協会のようなカルトが長年野放しにされて、その存在と影響が明るみに出た後でもそれが駆逐されない。関係した政治家は野放しで後継団体も出てきた。

 裏金問題も事実上許されてしまった。政治家は愛国保守”仕草”をするだけで面従腹背。麻生太郎のようなまさしく皇室と利害関係のある政治家が皇室典範に口出ししてもお咎め無し。小泉進次郎の失言も自衛隊の政治利用も野放し。枚挙にいとまがない。

 私が求めたいのは「綺麗事」と言われるほどレベルの高いものなのだろうか。日本人は果たして世界に誇れると言うほど優秀な民族なのか。

「家畜として」は優秀なのだろうな。

国旗損壊チャレンジが流行る理由ほか

 Xで以下のようなポストを見かけたが、どうやら本気で「国旗損壊チャレンジ」が一部で流行る理由が分からないようなので解説しておく。こういう人は分かった上で詭弁で煽っているだけかも知れないが。

「国旗を損壊したい」が本意ではない

 まず第一に、国旗損壊罪にわいせつ物頒布等罪や侮辱罪と同等の論理的、合理的な制定理由が無いのでそれらと並べて語ることが間違い。保護法益や立法事実の有無が根本的に違う。

 そして、侮辱罪チャレンジやわいせつ物頒布等チャレンジは実際に行われている。ネットでの誹謗中傷は侮辱罪チャレンジではないのか?コンビニでのグラビア週刊誌販売やコミケでのエロ同人誌販売はわいせつ物頒布チャレンジではないのか?こんなちょっと考えれば反証が出てくることを考えない人間が一丁前風なこと言ってんなよ。

 「日の丸を汚したいという熱意がある」というのも誤解である。国旗損壊罪が成立する前はそのような立法事実は無かった。少なくとも私が知る限り、これまで世間一般で「サヨクが日本国旗を損壊して大衆を煽り社会秩序を損ねている」などという事実は無い。では国旗損壊チャレンジの本質は何か。

 法に触れない手段で損壊した国旗、もしくは損壊された国旗のようなものを堂々と掲げることで、国旗損壊罪の非合理性と実効性の無さを知らしめることが本懐だろう。

 罰則付きの下らない法律を作ってしまったことは、国旗を汚損することに「過剰で合理性に欠ける規制への抗議」、感情論のみで保護法益も立法事実もへったくれもない下らない法律を通してしまった政府、自民党とそれを支持した人間に抗議するという意義を与えてしまった。国旗損壊罪は国旗を損壊することの意義を強めてしまった。

 日本国旗が法律で明確に定義されている以上、その定義から外れる「国旗のようなもの」は罰則から外れる訳で、それも込みで法律として明文化してしまった以上、国旗損壊を抗議の手段とする側から見れば、国旗損壊罪を作った側が親切にもセーフゾーンとアウトゾーンを明確に分けてくれたに等しい。

 日本語で書かれた条文を見れば明確にセーフとアウトが分かれていると分かるので、セーフの範囲で国旗のようなものを用いて抗議されれば警察は逮捕できない。それが事前に分からないほど道理に疎く、あまつさえ日本語が読めない自称愛国者は憐れである。保守を自認する側として恥ずかしい。一緒にされたくない。国旗損壊罪を支持した者は保守を名乗ることをやめよ。

 ここで特にリベラル、左派に言いたいことを書いておくが、残念ながら国旗損壊罪を支持するような人間は国旗損壊チャレンジの真意を理解できるような知性も理解力も無いので、そのような手法で抗議をしたところで「ほらみろ!やっぱりサヨクは国旗を嬉々として損壊して遊んでるチンピラなんだ」、とますます偏った思考を強化するばかり。彼らが懲りることは無いだろう。

 「日の丸を汚したいという熱意がどこから出てくるのか分からない」という言葉にそれが現れている。自分たちの愚かさが国旗損壊を加速させたのに、それに無自覚で被害者面さえし始める。それが今の自称保守、自称愛国者。そういう人間にどのような薬をつければ良いのかは私にも分からない。

 それにしても感情論だけで下らない法律を支持し、自民党がそれを通し、あわよくば「これでサヨクに嫌がらせが出来る」程度に考えていたものがむしろ国旗を用いた抗議を加速させた事実は皮肉なものである。それも、国旗損壊チャレンジが起こり得ることは国旗損壊罪成立前から散々(支持者から見て)左派から指摘されていたではないか。合理性も道理もへったくれも無く、下らない法律を通してしまうからこうなるのだ。

 私は1保守として決して国旗損壊を推奨はしないが、嫌がらせをしようとして嫌がらせで返されるのはやむなしと思う。そもそも国旗にそこまで重きを置くのは器が小さい。

 自尊心を過度に国家や民族性に依存するからいちいちそんな事で目くじらを立てなければならないのだ。日頃から恥ずかしくない生き方をしてさえいれば、政治行政がしっかりしていれば、国民として政治をしっかり監視していれば、国旗なんて布切れいくら破かれようがどうされようが「そんなことをする側が恥ずかしい」で終わる。

 今の愛国者はその辺を勘違いしている。「まず愛国心ありき」で物事を語り過ぎる。国家という枠組み、政府行政が一方的に国民に愛を求めてどうする。愛されるような国たり得ているか?愛されるような政治をしているか?愛されるような生き方をしているか?それをせずして愛国心がどうのと、国旗損壊罪のような罰則付きの法律まで作って言い出す始末、情けない。

特攻隊を美化する者たち

 Xでの「特攻隊は無駄死にかどうか」論争は毎年この時期の風物詩になっている。「無駄死に」という言い方はあんまりと言うか、そういう言い方をして憚らないリベラルは人の気持ちを考えられないから嫌われるんだと思う一方、特攻という戦術は極めて非人道的であること、彼らの犠牲をもってしても戦局は変えられなかった事実をもってすればそれも事実と言わざるを得ない。

 結論として特攻隊を美化してはならぬ。犠牲者を悼んでもその戦術を美化するべきではない。特攻を「美しいもの」、「尊いこと」と定義すれば、いつの日かまた非人道の極みである戦術が繰り返されるだろう。そんな事態に至らないこと、至らないようにすることこそが重要である。

 どうもこの辺りを切り分けて考えられない人間が多いようで、「犠牲に対して感謝しなければならない」、「犠牲になったからにはそれが尊いもので無ければならない」=「無価値であってはならない」という感情論に支配されている。自己犠牲=尊いものという方程式が価値観に組み込まれ過ぎている。

 さらにそれが自尊心と民族性の同一視と習合して、「特攻隊の犠牲を否定する」=「自分自身の自己犠牲精神を否定される」になって逆上し、むしろ特攻隊を英雄視したがる自称愛国者が多い。

 しかし冷静に考えてみて欲しい。たとえ特攻隊の自己犠牲精神が尊いものであったとしても、それは彼らの覚悟が凄いのであって我々が凄い訳ではない。戦後のぬくぬくと人権が保障された今を生きている我々の、ましてや愛国心くらいしか自尊心を担保できるものが無いような人間の、ほんのわずかな自己犠牲精神など彼らの覚悟とは比べるべくもない。英霊とやらがいるとしてそれこそ失礼だと思わんのか。

 ましてや10代、20代の若者が爆弾や魚雷となって敵に突っ込まないといけないまでに追い詰められた国に、明るい未来があると思うか?原子爆弾が落とされる前にすでに決着は見えていた。それでも降伏せず、原爆さえ2発目を落とされるまで降伏せずに余計な犠牲者を出した。残念ながらそこには英雄的な死など無い。

余談:選民思想

 一部保守が「選民思想」という言葉でリベラルを批判しているが、知性や学歴を重視する思想は「エリート主義」である。それを言い出せば「日本人こそ世界的に優れた民族」などという思想こそが選民思想ではないか。すぐ日本語日本語うるさい分際でそのくらいの用語は正しく遣って欲しいものだ。

 「リベラルサヨクは自分たちだけで議論するべきという選民的な思想を持っている」という批判の意図は理解するが、国旗損壊罪に関する議論に見られるように立法において必要な論理、ロジックを理解している/していない/しようとすらしない人間の間で壁が出来るのも当然だろう。

 しかしそれは理解しない/しようとしない怠惰な人間側の問題であって、己の無知を棚にあげて相手を選民思想と批判するのは他責思考の極みである。「サヨクにバカにされる」と言うならバカにされないように賢くなれば良いではないか。屁理屈をはね飛ばせるだけのロジックを持って来れば良いではないか。それが出来ずに「バカを説得できないなら本当の知性が無い」などと平気でのたまう人間は右でも左でもない。下の下。

 高市総理や小泉進次郎を見ているとよく分かる。他責思考で浅はかな保守思想を持つ人間が多数派になってしまったから、あんな政治家が恥ずかしげもなく大臣の座に居座っていられるのだと。嘆かわしい。愛国愛国と言う前に勉強するべきでは?

 

食料品の消費税減税の是非ほか

 Xで食料品消費減税にかかる弁当屋の回答が叩かれていたが、これについて考えておく必要があると思う。果たして、「消費税減税があっても値段を下げない弁当屋はズルい」のか

下がるものと下がらないもの

 まず第一に、このお弁当屋さんの投稿にもあるように材料費が高騰しているのでそれがどうにかならない限り価格が下がることは無い。これは何も弁当屋に限った話ではない。

 最終的な成果物(=食料品)にかかる税率だけが1%になったとしても、その食料品を作るのにかかる物品や包装材にかかる税率が変わらず、石油危機や人件費の高騰、円安の進行で食料品の生産にかかるコストが上がり続ける限りはそこに値下げできる余裕など存在しない。

 この点、自民党内や野党から問題視されている財源の話は正当性がある。日本政府は財政状況が悪い。その中で減税するために何を減らすかの議論も無く、国債(=借金)に頼ってまで減税をすれば諸外国からはますます日本政府の財政健全性、高市政権、自民党の経済感覚を疑われて円安になる。つまり材料費がさらに高騰する。

 円安は食料品以外にも影響があるので、実際にやるかどうかは別として下手な減税政策で円安を加速させてしまうと減税効果を相殺するか上回るペースで物価高が進む。これでは減税は意味をなさない。河野太郎や石破前総理らが「財源論なき減税は無責任」と批判している理由はそこである。「財源はこれから探します」というのが高市政権の論だが、市場はこれを甘く見てくれない。

 第二に、既に企業はコストを吸収する努力をして来たという事実がある。「安い方が売れる」というのは売る側も分かっている話で、それでも値上げが止まらないのは企業努力でその辺りがどうにもならなくなっているから。  

 加えて政府からは賃上げ要請があるので企業は今まで以上にコストと人件費の板挟み状態になっている。人件費を上げるためには販売価格を上げるしかない。社会保険料だってどんどん上げてくれるので企業が払うお金も増えている。

 どの企業も慈善事業でやっている訳ではなく、存続のためにはある程度の利益が必要であって、その中で消費税減税だけで値下げが出来るような余裕はもはや残っていない。

 第三に、政府は既にインボイス制度という実質的な消費増税を小さい事業者に対して行ってしまった。売上高がたかだか年間1,000万円程度の小さい事業者からもみっちり消費税免税分を徴収し、日本国民もその大半が益税批判、「免税事業者なんてズルい」と言ってその方針に賛同した。その結果、小さい事業者はコスト吸収のための余裕を奪われ、免税事業者以外の事業者も巻き添えで経理業務のコスト増加を強いられて原価高騰の影響をやわらげる部分が消し去られてしまった。もっとも、企業単位で見れば年間100万円ぽっちの益税とやらがあっても今の物価高騰には焼け石に水だろうが。

 「消費税減税されたら食料品も何%か下がる筈」、などと小学生のような単純な思考回路をしていないで、いい大人だったらここに挙げたような要素を加味してこの先のことを考えるべき。間違っても値下げをしない弁当屋を叩くべきではない。暮らしが良くならないのは弁当屋のせいか?値下げしない事業者のせいか?いいえ、いつまでもどこまでも誤った政治を続ける自民党、高市政権と、そんな政党に300議席も与える国民が悪い。

そもそもの基本として

 教科書的な話をすれば「デフレの時は減税、インフレの時は増税」が基本である。日本について言えば真逆、「デフレの時に増税し続けてインフレの時に減税をしようとしている」。まったくもって謎の国。

 あくまでこれは教科書的な話であって、「インフレの時に減税するとかえって物価高を招く」理由は、インフレ時には給与も物価高騰に応じて給料が上がるのでそこで減税してしまうと可処分所得*1が増え、消費が促進されて物品の供給不足が加速し、バランスを取るために価格が上がるから。

 しかし現実を見れば日本はスタグフレーション、物価高騰に給与水準が追いついていない。物価高騰を抑える、あるいは可処分所得を増やす方策は必要だろう。その1つの手段として減税は一概に否定すべきものでもないと私は思う。特に消費税は逆進課税(貧しい者ほど相対的に負担が大きい)なので。よく「金持ちほど恩恵が大きい」だの「老人からも取れる税なのに」だのという意見もあるが、国民を金持ちと貧乏人、若者と老人に分断するために意見にしか見えない。一般論として消費税の性質は逆進的。

 ただし、やるとすれば「食料品だけ2年間」ではなく一律減税で恒久的なものにするべき。インボイス制度制度もただちに廃止。でなければ税制がより複雑になり経理コストが上がってしまう。減税の財源もよくよく議論して用意しなければ円安を加速させてコストプッシュ型の物価高を加速させてしまう。これを考えてやらなければならない。

 残念ながら高市政権にそのような頭は無いし国民の大半は「難しいことわかんない」でこの流れに無頓着。自民党内から挙がる懸念の声も「自民党内の反日勢力が喚いてる」程度に受け止められている。このまま行けば「こんな筈じゃなかった」、「騙された」と嘆く羽目になるだろう。で、そこからさらに参政党のような質の悪い政党に支持が移っていく。度し難い。

 「『だまされていた』といつて平気でいられる国民なら、おそらく今後も何度でもだまされるだろう。いや、現在でもすでに別のうそによつてだまされ始めているにちがいないのである。だまされるということそれ自体がすでに一つの悪徳なのである。」

伊丹万作「戦争責任者の問題」より(青空文庫)

 為替対策については出来るならそっちの方が効果が大きいと思うが、残念ながら介入にも限界はあるし市場原理には逆らえない。円安になる根本的な原因が解消されない限りは円安傾向は続くし、それは小手先でどうにか出来るようなものではない。

仕入れ税額控除の問題

 消費税減税については仕入れ税額控除の差額も問題になる。例え話をGeminiに作ってもらったのでまず、これをベースに考えてみよう。ここでは分かりやすく軽減後の税率を0%としている。

 ここだけ見ると還付金が発生している(上の例では納めるべき消費税がマイナス50円)ので「やっぱり得するんじゃん!」と思うかも知れないが、還付金は「本来だったら払わなくて良い税金を払ったので後から返してもらえます」というお金。それも返してもらえるのは確定申告をしてからの話。

 確定申告をして還付される金額が決まるまでずっとこのマイナス分を企業が立替で負担することになる。本来は払わなくて良い筈のお金を払わされて1年くらいずっと返してもらえない状態。企業単位となるとこれがもっと大きい金額で起きる。100万200万、小さい事業者ならこれだけで資金繰りが悪化する。街の小さな弁当屋にそれだけの負担を受け止める余裕などそうそう無い。

 当然ながらそこに値下げをするだけの余裕など出てくる筈もなく、むしろ「値上げしないために値下げしません」と言わなければ経営が危うい。

 還付金については職業柄、たまに外国人労働者から「私は還付受けられないの?」と聞かれることがあるのだが、まず払ってもいない税金について還付を受けることは出来ません。日本人でもこんな基本的なことを理解していない奴はたまにいる。「何か知らんけどお金貰えるらしい」程度の認識しかない。嘆かわしい。

Z世代の価値観

 元ジャングルポケット斉藤氏による性的暴行事件の判決について、Z世代(自称)のアカウントが「口封じに殺した方が量刑軽かった説ないか」などと投稿して話題になっていた。

 性的暴行や殺人の是非を刑期の長さだけで量る価値観は道徳心や倫理観を著しく欠いている。その損得勘定が妥当かどうか以前に人として終わっている。その上で損得勘定の面でもバカげた考えであると言わざるをえない。

 Z世代皆が皆このような価値観では無い(あってはならない)とは思うが、このような冷酷なまでの損得勘定のみで物事を見始めたのもZ世代であり、今後の社会の行方が怖い。

 肝心の?損得勘定についても甘い部分がある。性的暴行の有無は検死で明らかになるので相手を口封じで殺害したからと言って罪に問われない訳ではない。もちろん法定刑も変わってくる。

  • 不同意性交:5年以上20年以下の有期拘禁刑
  • 不同意性交等致死傷罪:無期または6年以上の拘禁刑

 殺意が認められた場合には殺人罪とあわせて死刑もあり得るだろう。この辺りの解釈は学問的には分かれているのだが、逆説的に考えれば不同意性交等致死傷罪には死刑が無いため、殺人罪が同時に適用されないとすれば「殺意をもって性的暴行を加えてから殺した方が得」になってしまう。なので性的暴行に加えて相手を殺害した場合、殺人罪が適用されない道理は無い。明らかに量刑は重くなる。

 闇バイトで強盗を働いたりする若者も「強盗で1,000万手に入れて懲役2年なら年収500万」などという計算をするらしい。あまりに損得勘定が甘く人間らしさが無い。私や私より上の世代でもあまりに考えが無く無知蒙昧で家畜のような人間が大勢いるが、それに輪をかけてある種、思考の短絡さが動物レベル。

 強盗殺人は重罪で死刑もあり得るのだが、闇バイトの指示役に上手い話を持ちかけられてほいほい乗せられるのだろう。世の中そんなに甘くありません。甘くない世界だからそこで賢く生き残るために教育や道徳、倫理が必要なんです。

原爆投下を「無かった」ことにしたい人たち

 「原爆投下は実は無かった」というデマが一部で広がっているらしい。NHKが報じている。こんなことをいい歳した大人が広め、いい歳した大人が信じてしまう社会、もはや底が抜けている。

 何故このようなことを言い出したかと言えば、核武装論を推し進めるためだろう。「日本は世界で唯一の被爆国であり、その凄惨さを世界に知らしめて核廃絶を訴える平和国家として核武装は許されない」、という論調が核武装論者にとっては邪魔なのである。なので無かったことにしたい。AIも駆使して適当なことをSNSで流布する。

 引用ポスト2件目、自称近現代史研究科、林千勝氏は「(原爆投下は)壮大なプロパガンダ」と言っているが、一体どちらがプロパガンダなのやら。少なくとも私は「原爆投下は無かった」などと抜かす方が荒唐無稽なプロパガンダであると思う。ちなみに歴史研究家を名乗っているが、林千勝氏は東京大学経済学部出身である。

 それにしても、東大出身というだけで一定の信用が得られることを悪用する者のなんと多いことか。東大出身というだけでは値打ちがない。私のごく身近にも東大卒がいるが、最終学歴があるかどうかと人間として出来ているか、社会的に成功できるかどうかはまた別の話。

 話が逸れたが、この話について想起されるのは「ホロコーストは実は無かった」という言説。何かにつけて不都合なことは無かったことにする勢力が出てくるようだ。いずれにしてもバカげた話だが、「こんなこと信じる奴居ないだろう」と思って放置するのも良くない。

 「嘘も100回言えば真実になる」

 これはナチス・ドイツの宣伝相、ヨーゼフ・ゲッベルスの言葉とされる。人間はそれほど単純ではないものの、論理的な思考にも限界があることも事実。バカげた嘘を100回つかれれば100回否定しておく必要がある。最近は「嘘を訂正するためにはそれなりのコストがかかるので、逆手に取って嘘を訂正し切れないレベルでつき続ける」というろくでもない手法が横行しており、日本国民は日本国民で論理的思考や批判的な思考を放棄し、調和を愛するがあまり自己家畜化しているので油断できない。

gigazine.net

余談:核武装に関する私見

 核兵器の抑止力については様々な意見があるが

  • 保有しようとするとイランのように事前に攻撃されるリスクが高まる
  • 保有してしまえば絶大な抑止力を発揮する

は両立する。どちらか一方だけで是非を語ることは片手落ち。

 では実際に持つべきかどうかについては慎重に議論する必要がある。保有に向けて動き始めればイランのように事前に叩かれる可能性があるのは事実。道義的にも保有するべきではない。小泉進次郎のように表立って核保有について肯定的な意見を述べれば諸外国、特に中国は警戒を増す。高市政権はやり方が露骨過ぎる。

 実際は米軍基地に核兵器を配備してもらう核共有くらいが現実的ではないか。非核三原則が憲法に明記されたものでは無い以上、憲法改正なくしても「米軍基地は国内にあって国内にあらず」ということで配備する余地はあるはず。

 しかし、そうなれば中国版のキューバ危機となって地域の緊張感は増す。本当にそこまでしなければいけないほど日中、米中の緊張感は増しているのか。米軍基地が存在するだけでは不十分なのか。

 一方で、トランプ政権を見てアメリカに抑止力を依存することの限界を感じるという意見も一理ある。核共有しようがそれはあくまでアメリカの物。これが将来どう転ぶか分からないのはリスク。もし中国が米軍基地を避けて日本を攻撃し、米兵に1人の死者も出なかった場合、果たして米軍は、アメリカの世論はどう動くか。

 「対米従属を脱するための核武装」という話もあるが今の日本、自民党による政治を見ていると核武装しただけでは対米従属から脱することが出来るとも思えない。政治家にも国民にもどこまでその気概があるのか。実際に対米自立はどこまで可能なのか。

 そこからどういった立ち位置を目指すのか。自立した「戦争ができる国」になったとて、依然としてアメリカに依存して戦争の駒として使われ、自衛隊に死者が出るようなことになっては何をやっているか分からない。

 この辺りの議論を深めることなく安直に核武装論に走ることは許されない。私の意見としては今やるなら「保有する過程で叩かれる」心配の無い核共有。それも秘密裏に進めるべき。間違ってもどこぞのアホボンのように公の場で「タブーなき議論を」どうこう言うべきではない。時すでに遅しだが。

 あと私は「米兵や白人なら無罪」などというエセ愛国者、エセ保守、エセ右翼ではないので以下のニュースについてはっきり書いておく。このようなならず者は米兵だろうが白人だろうが日本からつまみ出せ。きっちり報いを受けさせろ。

www.okinawatimes.co.jp

*1:手元に残る自由に使えるお金