ヤマネコ目線

大体独り言、たまに写真その他、レビュー等

年収の壁、同性婚ほか雑記

「年収の壁」議論について

 2023年2月、岸田首相は国会で「年収の壁」見直しについて見直す考えを示した。

news.yahoo.co.jp

(リンク切れ対策:記事題=首相「年収の壁」を見直す考え 共働きの労働意欲にブレーキ)

 またも余計なことを言い出した、という感想しかない。要は国民にもっと働け、働いて税金と社会保険料を納めろと言うのだろう。そのために年収による「扶養に入れる・入れない」、「社会保険に入らないといけない・入らなくていい」といった区別を無くし、一括して「配偶者控除は廃止」、「社会保険は非正規でも入れ」とする流れなのだ。そうすれば政府は税金も、社会保険料も取りっぱぐれる事が無い。そうした流れに持って来ようとしているのは目に見えている。インボイス制度なんかを見ても、とにかくもっと搾り取ろう、国民を苦しめてやろうとしているのは明らかだ。

 そんな事で労働意欲など上がるはずが無い。そも税金や社会保険料を取られるのが嫌だから年収を抑えているのに、取られるとなればただでさえ低い就労意欲はさらに低くなる。そうなれば(現実的に出来るかどうかはともかく)専業主婦志望の女性はむしろ増えるかも知れない。女性活躍推進という建前に現実は逆行して行く。

 結婚して中途半端に働くくらいなら結婚せずに働き続けるか、専業主婦になっても養ってくれる男を見つけるかの二極化が起きるだろう。あるいは職業的にグレーで社会保険が関係ない方向へ、それこそ風俗、パパ活、ギャラ飲み、YouTuberといったことで稼ぐ方向に行く*1。現にそれで稼いでいる女性が出てきている。女性活躍推進などという口実で政府が進める方向では社会は良くならない。むしろ社会はどんどん不健全な方向へと進んでいる。

 もし年収の壁とやらを見直すならば、より税金・社会保険料の負担が減るような方向での見直しを検討しなければならない。大体、真面目に生きているのがバカバカしい、真面目に働くよりもYouTuberの方が良い暮らしができるといった世の中がおかしい。終わっている。せめてボーナスから社会保険料取るのやめろバカタレ!

 ただでさえ「産休・育休中の学び直し」などと言って顰蹙を買っている中で、そうした所でも制度の改悪を言い出す神経は本当にどうなっているのかと思う。岸田総理は「私も子育てを経験した」と堂々と反論したが奥さんはそうは言っていないし、氏は今年で66歳。今現在の子育て事情がわかってる人間ではない。ましてや今の若年層のマインドなど理解できる訳がない。ああいった年寄りからすれば、「今の若い子はこんなに良い社会でどうして結婚も子育てもしないんだろう」、などと思っているに違いない。感覚が致命的なまでにズレている。

 むしろ最近、岸田総理は率先してヘイトを買いに来ようとしているのではないかとも思う。あえて反感を買うようなことをし、旧統一協会から目を逸らさせるための的になって、防衛増税に異論を唱えた高市早苗萩生田光一その他議員のお株を上げる。「総理の息子が公用車で観光していた」だとか何だとか言っていれば国民は旧統一協会問題など忘れる、飽きると思っているのだろう。都合の良い捨て駒大臣という訳だ。実際、総理大臣は責任など「感じる」とか「重く受け止める」ものであって、まともに責任など取った者などいない。

同性婚について

 私自身は同性愛者ではないので、LGBTQsの方々がそこまで結婚という制度的なものにこだわる理由はあまり理解できないでいる。しかし同性婚の制度化を求める国民の、主権者の声があることも事実であり、それをあくまで代議士にすぎない政治家が抑え込み、認めようとしない、議論しようとしない現状には疑問を感じる。この国の主権者はあくまで我々国民1人1人であって、総理大臣でも政治家でもない。何の権利があって国民の要求を一方的に「社会が変わってしまうから」、などという小学生並の反論で否定できるのか。社会を変えるために国会で議論しているのでは無いのか。

 また、ついでに触れるが杉田水脈氏の発言「同性愛カップルには生産性がない」には呆れと同時に憐れみを感じている。杉田氏は愛情というものを「生産性の有無」、「有益か無益か」といった尺度でしか量れないらしい。それが憐れでなくて何なのか。杉田氏は最近になって発言を撤回しているが、一度出た発言を撤回など出来ないし、その思考の根底まで変わった上での撤回でないことは明らかだろう。杉田氏に限らず、自称保守の連中は「国を良い方向へ導く」という本来の使命を放棄し、ただただ復古主義・懐古主義の幻想に浸ってあらぬ方向へと国の舵取りをしようとしている。

選択的夫婦別姓について

 私は夫婦別姓を選択制であれば認めても良いのではないかと思っている。昔は政府与党のご老人方がいうように、日本の家族制度を壊してしまうのではないかと思った時期もあった。しかし今はもう、そんな事を言っていられる段階ではない。そもそも家族制度など、この国ごと自民党が破壊して来たではないか。今や家族制度どころか結婚できる人間がまず少ない。その破壊をもたらしてきた張本人たちが「家族制度を守るため」などとは片腹痛い。

 まずもって夫婦別姓が制度として求められている理由は、「同姓を強制する制度によって発生する不利益」が若年層の価値観において看過できないものになっているからだ。これまでの世代の(主に女性)も我慢して来ただけであって、そこに不利益があったことに違いは無い。女性活躍だ何だと言いながら女性の声を真剣には聴かず、そうした制度的欠陥を放置し、夫婦別姓の要請が出てきても何ら是正に取り組まずに今日まで来た。そうして同姓を強制することで発生する不利益を解消できないのであれば、選択的夫婦別姓という制度を導入することも本格的に視野に入れるべきである。

 何より私から言わせれば、このご時世に結婚しようという人々の意見を政府がそこまで蔑ろにする意味が分からない。異次元の少子化対策などとのたまうならまず夫婦別姓にもメスを入れるべき。結婚に対する障壁は可能な限り無くして行くべきであり、政治家どもの動きは明らかにそれに反している。異次元なのはアタマの中だけか。それとも予算だけか。

ただの愚痴

 何にせよこの国はもう終わっていると思う。最近はもう、いっそ戦争でも地震でも原発事故でも起こって潔く滅びないかなとさえ思う。そうでもしなければこの国が変われる気配がない。人が簡単には変われないのと同じで政府、”お上”が変わるのを期待して待っているのはムダでしかない。しかし若年層に政治を変える力は無い。詰んでいる。弱音を吐いても仕方がないので皆、口には出さないが若者は薄々、本能的に感じているのだ。もうこの国は悪くなることはあっても良くなることが無いと。だから世の中の動きにも政治にも無関心だし、社会を変えようという動きも起こらない。どうすればここから巻き返せるのか。

*1:男子の場合はこれが強盗、転売、半グレになる

戦車の強さ議論

 書き散らし。ウクライナへのドイツ製戦車レオパルト2アメリカ製戦車M1エイブラムスの供与がそこそこ話題になっている。普通にそれらとロシア軍最新戦車T-14アルマータの強さ議論をしても良いのだが、武器、兵器における強さ議論はなかなか「戦ってみないと分からない」所があったりする。

戦車のスペック勝負はあまり意味がない

 戦車のスペックだけ見れば、ロシア軍の最新戦車T-14の方があらゆる面でレオパルト2、エイブラムスに勝っている。そう、スペックだけ見れば。しかしいくら戦車1台同士の比較で勝っていると言っても、それが勝利に直結する事は無い。戦車は戦争における1要素に過ぎないからだ。

 たとえば配備されている数。T-14は制裁などで思うように量産が出来ていないと言われている。それも調べた限り20前後とかなり心許ない。最近確認されたウクライナ投入のニュースも、蓋を開けてみれば衛生写真で確認されたのはたったの2両。単純な話、たった2両で戦争の勝敗が決する戦車など存在しない。100対2ならば多少スペックは劣っていても、数の多い方が勝つ可能性の方が高い。

 戦車以外の存在も忘れてはならない。ウクライナ戦争で一躍有名になったFGM-148 ジャベリン対戦車ミサイルをはじめ、現代の戦場には様々な歩兵携行の対戦車兵器がある。アメリカやドイツが供与を表明している歩兵戦闘車対戦車ミサイルを装備しているし、野砲などの砲撃、対戦車地雷、対戦車バリケードも脅威だ。その中で戦車同士、1対1での戦闘を想定した単純なスペック比較は非現実的であり、何の参考にもならない。最新の戦車であればアクティブ防御システム(対戦車ミサイルを空中で迎撃・破壊するシステム)なんかも搭載しているが、ゲームのように無限に使える訳もなく・・・。

 ゲームなどで戦車に乗ったことがある人なら分かると思うが、戦車は兵士にとってある程度安心して戦える車両である反面、戦場においては敵から一番の脅威であると認識されている。なので思っている以上に戦場で活躍する事は難しい。なにせ敵の戦車、歩兵戦闘車、歩兵、航空戦力あらゆる方向から最優先で狙われるのだから。下手なことをすればあっという間に鉄の棺桶。

余談:対戦車ライフル

 ミリオタか古い人間なら「対戦車ライフル」という言葉を知っているかも知れない。第二次世界大戦あたりまでは戦車を攻撃する目的で作られた大口径の銃、対戦車ライフルがあった。今は戦車の防御力が向上し、ライフルでは攻撃しても意味がないので「対戦車」ライフルは姿を消している。ただし、「対物」ライフルならある。目的としては比較的装甲の薄い車両などへの攻撃、遮蔽物に隠れた敵兵の排除、長距離狙撃など。戦車はともかく、装甲車はまだまだ意外に?装甲が薄かったりするので対物ライフルでの攻撃は有効。

今から出来る少子化対策はあるのか

 書き散らし。異次元の少子化対策などという言葉が連日テレビから聞こえてくるが、何が異次元なのか私にはさっぱり分からない。これまでも政府の少子化対策には散々文句をつけて来たが、では本当にいま必要な少子化対策は何なのか。ぶっちゃけ手遅れだと思うけどな

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減税・社会保険料の低減

 まずこれが必須といえる。無理?無理だと思うから無理なのだ。というブラック企業めいた言い方はともかく、とにかく実際に子供を作って育てる世代の負担を軽減し、経済を底上げする方向へ持って行かなければ少子化の改善は見込めない。そうした世代が恋愛、結婚、子育てを諦める最大の要因は根本的に経済的なものである。その人の年収といった直接的な要因はもちろん、社会全体の経済情勢は今を生きる子供たちの価値観にも影響を与える。何せ親、家庭環境が貧しいのだから、子供の価値観もまたそれに準じたものとなる。生活の苦しい家庭に生まれた人間が結婚や子育てなどしたいと思うだろうか。貧困が広がればどうなるかは自明。

 今、政府が打ち出しているこども予算倍増だの防衛増税だのはまさにその正反対を行く方針であり、個人的には不安と不満しかない。いま打ち出されているような少子化対策には効果がほぼ無いことは、ここ数十年かけて他でもない自民党が丁寧に検証して来た。効果が無い政策をいくら続けてもそれはムダであり、「異次元の」少子化対策などと言うからには今までとは異なる問題解決へのアプローチが必要だろう。岸田総理の言う「異次元」とは単に予算的な規模だけの話なのだろうが、間違った方針で規模だけ大きくすれば、事態はより加速度的に悪くなるだけである。

 そして将来の世代のためだの防衛のためだのと言って、ただでさえ物価高騰で苦しんでいる国民に増税社会保険料増加という形でさらなる負担を強いることは最悪と言うほかない。それもようやくコロナ禍から経済を回して立ち直って行こうという所に、賃上げ要請をしながら経済に全力でブレーキをかけに来ている。アクセルを踏む力は弱く、ブレーキを全力で踏んでいれば前進などできる筈がない。それも国としてはここ数十年ずっと下り坂。止まっていればずるずる後退していくような急な下り坂で、ずっとそんな調子で後退し続けている。

 ではどうやって減税や社会保険料の低減を目指すのか。まずもって余計な支出を減らすべき。高齢者にも負担増を求めるのは当然として、政府の税金の使い途にムダが無いとは絶対に言わせない。クールジャパン機構なんかさっさと解体すべき。とにもかくにもコロナ禍まっただ中ですら「過去最大の」予算編成が毎年のように出てくる時点で絶対に何かがおかしい。

 これを言うと「事業仕分けとか旧民主党みたい」と言われるかも知れないが、あれは歳出削減の努力の方向を見誤っただけでやるべき事としては間違っていない。大方、官僚にうまく誘導でもされて本来削ってはいけないものを削り、削るべきものは削れず終いだったのだろう。政治家自体が賢くなければそうした目的は達成できない。

我々に出来ること

 難しい話ではあるが、少しずつでも政治を変えて行かなければ未来は無い。別に未来など無くて良いというならともかく、何にせよ今のまま自民党に政治を任せていてもろくな事にはならない。野党は確かにろくでもない野党ばかりではある。が、それでも少しずつ政治を変えなければ、変化を与えなければ事態は永遠に好転することが無い。自民党に延々と政権を取らせ、そこで自民党が変わることを期待するのは座して死を待つのと同義である。

 思えば私が小学生の頃から「人口の逆ピラミッド」は教科書に載っていた。子供心ながら、「ここから何とかなることってあるんだろうか」と感じていたように思う。人間の予測能力はなかなかに正確であり、若者の恋愛離れはそうした直感に従った結果なのかも知れない。自覚しているか否かに関わらず、若者は社会に絶望している。絶望しているからこそ政治に無関心であり、政治もそうした若者の方を向いていない。それも込みで、また上の世代も巻き込んで政治を変えて行かなければならない。世代別人工的にはむしろ上の世代が率先して変えて行かなければ未来は無い。そこで「詰み」にするかどうか。主権者たる国民にかかっている。

 

ムダと豊かさ

 いろいろ書いていて改めて思ったが、私は「ムダ」と豊かさをあまり結びつけて考えて来なかった。「”豊かさ”とは何か」という事は考えても、そこに無駄なもの、余計なものとの結びつきという観点が無かった。

 物心ついた時から日本経済は不景気であり、その中で醸成された節約という美徳、余計なものは徹底して排除すべきという価値観に対して、ムダなもの・余計なものは真っ向から対立するもの、即ち”悪”であった。それが豊かさという前向きな概念と結びつくとはあまり考えて来なかった。今思えばまったくもって浅はかなものである。何をもってして「豊か」と言うのかは難しい話ではあるが、それがムダの中に存在することは簡単に分かる筈なのに。

 たとえば極端な話、ヴェルサイユ宮殿はムダの極みである。人間が暮らすための施設にあんなレベルのものは必要ない。しかしそこに文化的な豊かさがあることは疑う余地が無い。同様に身近なこと、たとえば絵を描いたり楽器を演奏したりといった事に関しても、それは純粋に生活に必要かと言われればそうでもない。純粋に生きるために必要か、無かったら死ぬのかと言われればそれは違うが、人々はそうした行動をする。そこに精神的・文化的な豊かさがある。

 逆に言えばムダを許容するだけの経済的・精神的な余裕が無ければ、そこに豊かさは無い。昔ながらの牧歌的な暮らしをしていても、そこにムダを許容できるだけの余裕があればそれは豊かな暮らしたり得る。その点、今の日本は豊かと言えるだろうか。誰も彼も余裕が感じられない、何かと言えば節約節約。社会全体が豊かさとは真逆の方向へと突き進む一方ではないのか。そこで世界的に見ればどうだのアフリカではどうのと言い出すのは完全に無意味である。問題は日本国内なのだから。

現代社会とムダ

 今の日本社会においては、本来は「排除すべきムダ」ではない物事がムダとして切り捨てられる、あるいは許容されるべきムダがただただ排除すべきものとして切り捨てられるようになった、と感じる。あくまで私の感想なので、「それってあなたの感想ですよね?」と言われれば「はいそうです」としか言えないのだが。

 趣味の多様化で「ムダなこと沢山してるじゃん」と思われるかも知れないが、それ関してはこちらの記事で書いている。上の文章では「ムダが減っている」とは書いていない。

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 例えば少子化問題に関して言えばもはや恋愛、結婚、子育てといった選択肢そのものが(様々な要因があるとはいえ)自分にとって選択する価値がない、ムダなものとして切り捨てられている節がある。上の世代がどう思おうと、経済的余裕がない中で下手に子供をつくるなんて事はムダなのである。本来はただ単なる損得勘定でムダだと切り捨てて良いものでも無いとは理解していても、実際問題として切り捨てる人間は増えている。一部の恵まれた人間はこんなご時世でもすんなり結婚・子育てが出来る訳だが、そうではない人間の方が多い。

 道徳、倫理といったものもムダの範囲に入りつつある。迷惑系YouTuberやはま寿司で他人の注文した寿司にいたずらするような人間は、善悪の判断がつかない訳ではないであろうにそうしたものを切り捨てている。違法アップロードやファイル共有、転売ヤーといった事でも何でも、とにかく自分の利益に反する事はムダ、切り捨てて良いものになりつつある。最近発生した連続強盗事件も19歳がSNSを通じて闇バイトに応募して行われている。女はパパ活(という名の売春)、男は転売詐欺強盗。一部の人間とはいえ、もはや今の10代、20代前半からは金を掴むためなら何でもやるという意気さえ感じられる。

 部活でも「今の子はすぐ諦めるようになった」というが、「どこまで上手になれるか分からないのに練習に費やす時間が多いのはムダ」と感じるのだろう。すぐ手の届く範囲は所詮、すぐ追いつかれるようなレベルでしかなく、本当に偉大なレベルに達するには先の見えない中を延々と努力するしかない、という事が理解できていない。あるいは理解できたとて、そこに保証が無い以上はリスクとコストを天秤にかけてムダだと切り捨ててしまう。

 日本人が政治を変えることを怠り、経済をこのまま衰退させて格差、貧困を拡大させていけばそうした流れは加速する一方だろう。どんなに啓発活動だの道徳教育だのを強化しても経済的・精神的な貧しさは変えられない。そこから来るムダの排除、最低限の倫理道徳さえムダだと断定して排除するような流れは変えられない。そうした社会を見て今から10代、20代になっていく子供たちは何をどう考えて大きくなるのか。「美しい国」などと言っている場合ではない。

切り捨てて良いムダ

 ただの愚痴。岸田総理の施政方針演説がテレビで流れていたが、不愉快なのでついチャンネルを変えた。あれは尺的にも内容的にも政治的にも切り捨てて良いムダ。

 異次元の少子化対策などと言うが所詮は今まで失敗して来た少子化対策(とやら)の焼き直し。焼け石に水どころか焼け石に霧吹き程度のもの。「異次元なのはお前の頭の中だけ」。給付金だの何だのというレベルで少子化を止められる段階はとっくに終わっているといつになったら気づくのだろうか・・・聴く力とは一体。あるいは聴く相手が悪いのか。そりゃ高齢オッサンばかりの会議じゃ無理だわな・・・。

 それに防衛増税にせよ少子化対策にせよ、なぜ企業に賃上げを求める一方で手取りを減らして経済にブレーキをかけようとするのか。物価高騰対策も無策に等しい。坂道でアクセルを弱く踏みながらブレーキは全力で掛けてくる。今の坂道では徐々にすべり落ちるだけ。なぜもっと経済というエンジンを回そうとしないのか、そのための障壁を緩めようとしないのか。財政に関して言えば政権うんぬんよりも財務省、もとい罪謀省がすべて悪い気もするが。

 成果主義だ何だと言うのなら、一番ムダなのは国会議員の給与

 

戦車の写真集を買った

 最近、仕事でも私生活でも液晶モニターを見つめる日々が続き、眼がすっかり疲れてしまっている。なのでモニターが関係ない趣味もやろうと久々に戦車のプラモデルを買い、平日の夜に少しずつ組んでいる。写真集を買ったのは塗装の際の資料のため。その写真集が思いのほか面白かった。

 購入したのはこれとこれ。

何が面白いのか

 分からない人も多いかも知れないが、まず第二次世界大戦における戦車というのは全体的に面白い。最初の戦車が登場してから第二次世界大戦が勃発するまでわずか23年ほどしかなく、各国はその間にさまざまな思想・想定のもとで多様な兵器を生み出していった。そうして生まれた数々の兵器には興味深い創意工夫があり、何が失敗で何が成功だったかを知ることは面白い。

 今は絶滅した多砲塔戦車や豆戦車といった変わり種もあったし、戦車の中でも軽戦車、中戦車、重戦車といったクラス分けがなされていたりもした。*1何より現代の戦車は軍事機密の塊である一方、WWIIあたりの戦車であれば詳しい事を知ることが出来るし、歴史的評価も決まっている。

https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/f/f6/British_Mark_I_male_tank_Somme_25_September_1916.jpg

マーク I 戦車 - Wikipedia

イギリスが世界で初めて実戦投入した戦車、マークI。ひし形戦車とも呼ばれる。

 そうした中でもナチスドイツ軍の戦車は傑作といえるものが多い。戦争には負けたものの、戦車の能力としては大戦期間中、あらゆる点で連合軍の戦車に対して優位に立ち続けていた。有名どころで言えばティーガーパンターは男子なら知っている人が多いだろうし、IV号戦車も有名なアニメで主役として活躍してから注目されるようになった。でも負けたんだろうって?平均30分に1台戦車作って投げつけて来る国があったからね(日本もそれで捻り潰されました☆)。

IV号戦車の注目すべき点

 前置きが長くなったが、IV号戦車の注目すべき点は個人的に拡張性の高さだと思う。IV号戦車の開発が始まった時点では、ドイツ軍の主力戦車はIII号戦車であった。IV号戦車はあくまでその動きを補佐する役目。要は最初は脇役だったのである。

 しかし戦争が進むにつれて戦車同士の戦闘が増え、戦車の装甲は厚く、主砲は大きくなっていく。新しい戦車を開発する傍ら、既存の戦車に装甲を追加したり主砲をより大きいものに載せ替えたりといった事が行われる。その中でIV号戦車はIII号戦車よりも高い拡張性を示し、脇役から主役へと立ち位置を移して終戦まで使われ続けた。バリエーションは実にA~J型まである。先に述べたティーガーパンターは数的に少なく、実質的な主力とまでは至っていない。

https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/d/dc/Bundesarchiv_Bild_183-J08365%2C_Ausbildung%2C_%C3%9Cberrollen_durch_Panzer.jpg

IV号戦車B型

IV号戦車 - Wikipedia より以下同じ

https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/f/fd/SdKfz161-1-1.jpg

IV号戦車 F2型(G型初期)

 たとえばB型とG型(初期)とを並べて見ると、主砲が明らかに対戦車向けのものに換装されていることが分かる。

 上のB型は砲身(筒)が短い主砲を搭載しており、これは簡単に言えば榴弾を素早く何発も撃ったりするのに向いている。榴弾は爆発することで歩兵の殺傷や構造物(トーチカや掩蔽壕など)を破壊する目的で使用され、戦車対戦車というよりは歩兵支援に重きを置いたもの。欠点としては筒が短い=それだけ砲弾を加速する時間が短い、砲弾の速度が落ちる。なので対戦車用途には不向き。対戦車戦も出来なくは無いようではあるが。

 それに対し下のG型初期は、明らかに長い砲身の主砲を搭載している。砲弾の直径が7.5cmというのは同じだが砲身が長い分、それだけ長いあいだ砲弾に加速力を与えられる=砲弾の速度がより速い。より大きな速度、破壊力をもって敵戦車を攻撃できる訳である。

 そのほか、上2枚の写真で言えば車体左側、正面機銃の有無の違いはぱっと見で分かりやすい。これ以外にも増加装甲が追加されたり*2、その増加装甲の厚みが増強されたり、照準器付近にそれまで無かった雨どいが追加されたり、マズルブレーキ*3の形状も少しずつ変わったり、実戦を経るにつれて細かい改善が繰り返されており、その過程を写真集を通じて見ると興味深い。

 ピルツ(Pilz、ドイツ語でキノコ)と呼ばれる短い円筒が砲塔の上に付いていたりするが、それは簡易的な2tクレーンを設置するための基部らしい。クレーン車が不足する中、戦場でエンジンを修理のために降ろしたり載せたり、あるいは追加の装甲板を車体の上に乗せて溶接したりするためにはそんな装備も必要だったようだ。

https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/a/ac/PzIV.Saumur.000a5s6s.jpg

IV号戦車J型、Wikipediaより

 上は最終型のJ型。表面に細かいすじが入っているがこれはツィンメリットコーティングと呼ばれるドイツ軍の杞憂加工で、磁石で吸着するタイプの爆弾が表面にくっつきにくくするためのもの。吸着地雷と呼ばれるものをドイツ軍が使用しており、その類似品を敵も使って来るだろうと思っていたら全く使用されずに終わった。

 砲塔横に追加されている装甲板(白く十字が入っているあたり)はシュルツェン(ドイツ語でエプロン)と呼ばれる追加装甲で、比較的装甲が薄い側面、後方を対戦車ライフルなどの対戦車兵器から防御する目的がある。それも単なる装甲板ではなく、わざと砲塔と装甲板を離して接合してある。現代でも使用される対戦車兵器の1つ、成形炸薬弾に対して有効。

 戦車側面の金網みたいなものはトーマシールドと呼ばれ、いわば金網式のシュルツェン成形炸薬弾は着弾してから距離がひらくほど威力が弱まる、逆に言えば金網程度のものにでも着弾させて、本体よりも離れた位置で起爆させてしまえば威力を大きく落とすことが出来る。そうした効果を狙って側面の防御力を底上げを図っている。金網なので、その間に草木を挟むことでカモフラージュにも使いやすい。ただし対戦車ライフルには効果が薄い。

 ただ、悲しいことに良い改良ばかりでもない。敗戦国らしく戦争後期につれて資源節約のための設計変更も行われている。たとえばF2型(G初期型)とJ型を見比べた時、一番手前の車輪が肉抜きされているのが分かるだろうか。鉄資源節約のために肉抜きやボルトの本数をへらす、今まで付けていたものを廃止するといった事も行われている。

 F2(G初期)型の写真、フロント部分に乗せられている履帯もよく見ればセンターガイドに穴が空いているもの、空いていないものがある。決してこういうデザインな訳ではない。戦争後期になるにつれて、こうした部分でも肉抜きして資源節約に努めていたことが分かる。

 そのほか見えない部分ではあるが最後のモデル、J型からは砲塔の旋回が手動になった。それまでは電動モーター+手動だったのが完全に手動になったので、砲塔の旋回速度は落ちている。ただ二人がかりで回せば電動よりも速く回せた、傾斜のついた状態での旋回がより容易になったといった話もある。

余談:その他の戦車いろいろ

 大戦後の話だが、イギリス軍戦車に湯沸かし器がついているというのは有名な話。最近ウクライナへの提供で話題のチャレンジャー2にも電気ケトルが付いている。英国紳士は戦場でもティータイムを欠かせなかったのである。いわく、戦場で戦車の外に出てティータイムを楽しむよりは、車内で楽しめるようにした方が安全なそうな。

 第二次大戦におけるアメリカ(というか連合軍)の主力戦車M4シャーマンは、実は決して強い戦車ではなかった。どちらかと言えばやられ役ですらあったがとにかく数で押し切った。3年3ヶ月で約5万両という数の暴力。ドイツ軍のパンターティーガーは合わせても8,000両に届かない事を考えると、どれだけ意味不明な数か分かるだろう。1年間は8,760時間、生産台数を5万両、1ヶ月を31日と近似して時間あたりの生産台数は

 8,760(時間)×3 + 31(日)×24(時間)×3(ヶ月)=28,512(時間)

 50,000(両) ÷ 28,512(時間) ≒ 1.75 (両/時間)

 あくまで数字的な話とはいえ、2時間で大体3台の戦車が工場から出てくる計算になる。現代で考えても意味が分からない。ソースは忘れたがある映像で地平線までずらっと並ぶM4戦車の映像を見た時、こんな国に喧嘩を売ったらそりゃ負けるわと思った記憶がある。まあ、先に述べた通り(ドイツ軍の戦車に対しては)弱かったので、兵士からの評判は芳しく無かったようだが。

 他方、ぶっちゃけ旧日本軍の戦車は好きではない。個人的には嫌いですらある。逸話を探しても同じ敗戦国でもドイツ軍のそれとは違い、弱かったという話しか出てこない。港湾設備の関係で小さい戦車しか運用する能力が無かったと言えばそれまでだが、大陸の怪物たちを相手に戦うのにそんな言い訳は通用しない。

https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/6/6c/Type_97_ShinHoTo_Chi-Ha_-_Victory_Park%2C_Moscow_%2827042045439%29.jpg

九七式中戦車チハ改 Wikipediaより

 旧日本軍における戦車は九七式中戦車チハが主力であったが、装甲はほぼ時代遅れのリベット留め(一部は溶接留めの箇所もある)。装甲自体も薄く、主砲もエスカレートしていった戦車同士の戦闘に完全に置いてけぼりを食らっている。上の写真はこれでもまだ強化された部類。IV号戦車の主砲の口径が75mmに対し、チハは強化された主砲でも47mmしかない。そもそも小型過ぎるので拡張性も無かったのだろう。小型過ぎると後から大きな砲を乗せることが出来ない。その他、旧日本軍は戦車に限らずあらゆる兵器でいろいろと難点を抱えており、そうした問題が現代日本と重なって見える部分もある。とにもかくにも見比べて見れば、IV号戦車とどちらが優れた戦車たり得たかは一目瞭然。

*1:今現在は「戦車」といえばMBT(メイン・バトル・タンク、主力戦車)1つのカテゴリを指す

*2:それも溶接とボルト留めの2パターンがあったりする

*3:主砲の先、穴が空いた部分

異次元の少子化対策

 テレビからは連日、岸田総理肝いりの「異次元の少子化対策」というフレーズが聞こえて来る。しかし財源をどうするかという話はあっても、肝心の中身はまだまだ見えて来ない。「異次元の~」などと言いつつも、これまでの効果の無かった少子化対策の焼き直しになるであろう事は明白。

 何より不思議に思うのだが、なぜそこで保育士の配置基準の見直し、教員の待遇改善といった話がすっと出てこないのか。前々から保育士の配置基準が古いとの指摘はされているし、保育士や教員の待遇や労働環境が酷いものであることは明らか。テレビでもたびたび特集されているのに、そうした状況を改善するための議論があるとは全く聞こえて来ない。

 保育士による虐待事件が起きているが、子供が好きで保育士になった、それも女性が虐待に走ってしまうほどの労働環境がなぜ放置されるのか。教員に関しても同様であり、社会保険料だ税金だという負担の割に、そうした本当に改善が必要な場所にはそうしたお金が入っていない。改善のための議論も国会でなされていない。余計な場所にばかり金を回すから肝心のそうした部分が一向に改善されないのではないか。

 今日、公立小学校教員の採用試験が定員割れしたという報道もなされている。子供が成長する過程で重要な初等教育における人材が、過酷な労働環境から敬遠されて人材不足に陥っている始末。一体誰がこんな状況で子供を作ろうと思うのか。それでも好きで作る人間は確かにいるが、大抵の人間は子供が産まれても働き続けなければならないこと、その間は子供をどこか安心して預けられる場所が必要なこと、今はそうした場所が足りず、もはや安心して預けられる場所がどんどん少なくなりつつある事を理解している。

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 無償化だ補助金だ一時金だと言う前に、まずはそうした現場の改善から進めていくべきでは無いのか。

電動キックボードの規制は緩いのか

 電動キックボードに関する法制度がTwitterで話題であったので書く。

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 2023年7月1日から最高時速20km以下の電動キックボードについて16歳以上であれば免許不要となり、時速6km以下であれば歩道も走行可能となる。歩道を走行する際には緑のランプ点灯が必要。ヘルメット着用は努力義務で、スマホの使用や飲酒運転は取締り対象。

自転車に比して規制は緩いのか

 自転車の場合、歩道を走る際にどの程度の速度まで出しても良いのか。答えは「時速4km以下での徐行」。この点、電動キックボードに関する「時速6km以下」というのは自転車よりも規制がゆるい。とはいえ時速6kmというのは早歩きかそれよりやや速い程度なので、危険なほど速いかと言われれば微妙なラインではある。

 その微妙なラインを「緑色のランプで存在を強調させるから許容して」、という意図でのランプ点灯義務なのだろう。

 次にヘルメットの着用については、自転車は2023年4月1日よりすべての使用者に対して努力義務が課される。これまでは13歳以下への努力義務だったのが、対象が拡大される。努力義務という点ではヘルメット着用の要請レベルは同じ。

 自転車の制限速度は基本的に標識に従う。標識がない場所ならなんと無制限。電動アシストつき自転車の場合、時速24kmを超える速度からアシストを切らなければならない制限がある。電動キックボードの制限速度は原付と同じ時速30kmで、制限速度60kmの道路でも時速30km以上出すと違反になる。

 スマホや飲酒運転に関する規制も同じレベルであり、極端に自転車よりも規制が緩い訳でもない。なのでことさらに叩くほどの緩い規制とも言い難い。

それはさておき

 自転車同様、いざ事故となれば(物理的に)弱い立場であることを自覚せず危険な運転をする愚か者が続出することは容易に予想されるので、今から頭が痛いのは理解できる。通勤でクルマを使う身としては、自転車やあんなものがうようよいる道路など悪夢でしかない。

 ルールを守ってくれる人間ばかりなら良いのだが、現実は残念ながらそうではない。自転車は車道を走るにしても逆走して来るのをよく見る。見通しの悪い交差点から逆走方向に飛び出して来た奴を見た時は本当にヒヤっとした。ヘルメット着用も努力義務とはされるが、日本人にとって努力義務とは「無いのと同じ」である。罰則付きの義務化をしなければ意味は無い。携帯電話を片手で操作しながら、イヤフォンで音楽を聞きながら自転車を運転する人間も昔からいる。

 そうした不届き者が電動キックボードの運転者に出てこない筈もなく、むしろ自転車ほどの速度が出せないものがフラフラと車道を走る、それも下手しヘルメットを着用せずスマホを弄りながら、というのがあり得ると考えるとどうにも電動キックボードの規制緩和は良い案とは思えない。今後、どのような悲劇が起きても知らないぞ、と。未来的なモビリティとしての価値は確かにあるというか、東京のような都市部では移動手段が自転車や電動キックボードでも良いのだろうとは思うのだが・・・。

余談:電動なら良いのか

 昨今のEVブームに乗って様々なモビリティが登場し、中には大型ドローンのような空飛ぶタクシーなんかも検討されている。そもEVを流行らせているのはSDGsだと思うのだが、そこで「電動」ならばどんなにエネルギーを使っても良いと人類は勘違いしてはいないか。エコ(とされるエネルギー)であればどんなにエネルギーを浪費しても環境負荷にはならない、そんな風に思っているのではないか。その点を私は危惧している。

 人間は欲深い生き物である。いくらか余裕が出来たとなれば、すかさずその余裕も食いつぶし、下手すればその余裕以上のものを貪ろうとするのが人間。そもそもEVが製造から運用、廃棄まで込みで本当に環境に優しいといえるのか。化石燃料からの転換は始まったばかりであり、その中でEVが地球を救う、EVならば、電気エネルギーならばいくら使っても良い、というような風潮はいささか危険であると感じる。