が中国人あたりには不思議らしい、というのを見て改めてその辺りを再認識しようと書いてみる。なお、私は無神論者だが神道に対する信仰は否定しないし、ここでもあくまで神道を信ずる者の立場で書く。異論がある箇所はあるかも知れないが「そういう事にしておく」というのも大事だし、無神論者と言いながら神社に行ったり出来るゆるい信仰が日本の良いところ。
「長い、三行で」
天皇の立ち位置
日本における天皇という地位は神道における神聖性と切り離すことが出来ない。天皇家は神話の人物と王族(便宜的にそう記載する)が直接的に繋がる世界でも稀な事例であり、天照大御神の子孫として代々続いて来たことにこそ意味がある。現在の憲法でも祭祀が天皇の仕事であることは変わりなく、この点も世界的に見て珍しいらしい。言われてみればイギリス王室やその他の王族が祭祀を執り行っているイメージは無い。
天皇を打倒したところで天皇(≒神道)に対する信仰を奪える訳では無い。たとえ打倒したからと言ってその人が神話の人物と結びつくかと言われれば否であるし、むしろ神道を信仰する人々から反感を買うことになるのは想像に難くない。
他の宗教で言えば「なぜ時の権力者はイエス・キリストを殺して彼に代わろうとしなかったのか」と問うようなもの。答えは簡単、「打倒しても代われないから」。成る/成れないの問題ではない。
権力の流れ
中国の皇帝あたりと決定的に異なる点は政治的な実権の無さだろう。中国人からすれば皇帝=権力のトップであり、天皇と皇帝を同じようなものとして考えるので混乱する。
日本においてはヤマト王権(豪族連合政権)が成立し、そこから飛鳥時代、奈良時代、平安時代と主に中国などから文化的影響を受けながら順調に(?)中央集権国家が成立した。この中で天皇の地位は既に確立されており、紀元前から戦国時代に入っている中国とは根本的に権力闘争の流れが異なる。
くれぐれも言っておくが、こうした流れをもってして「日本人は平和的な民族である」などと書くつもりは無い。中国が戦国時代を経てある程度安定した政治体制を構築し、日本はそれに倣うことで早期に安定した政治体制が構築出来たとも考えられる。たとえば大宝律令は唐律(古代中国の法律)に影響を受けている。ヤマト王権は2世紀から、中国の戦国時代は紀元前460年あたりから。
話がそれたが、平安時代にかけて安定した国家体制が構築された後で武士の台頭が始まる。武士の起源については諸説あるようだが、ここでは最初期の武家政権誕生に関与するのは軍事貴族であるとの説を採用する。
平安時代までの体制では軍事的な動員をかける場合、政治体制の上の方にお伺いを立てる必要があって面倒だった。しかし盗賊や農民の浮浪・逃亡など軍事的な動員が必要になることは増えていた。そこで下級貴族にある程度の軍事的な権限を移譲し、しかるべき対応をさせることにした。これが藤原氏、平氏、源氏といった軍事貴族の登場に繋がる。
特に平清盛は保元の乱、平治の乱で朝廷内部の権力闘争の解消に貢献し、天皇からの信頼を得て従来の下位貴族としての枠組みを超え、政治的実権まで握ることになる(平氏政権)。この平氏政権が最初期の武家政権とされる。
以上の流れを見れば武家の始祖は天皇に仕える下級官僚であって、武家にとって天皇は仕えるべき君主であったことが分かる。武士にとって天皇は権力の後ろ盾であって闘争の相手ではなかった*1。
武士が登場した時点で世は「ライバル同士で自由に権力の座を争う戦国時代」ではなく、天皇を中心とした政治体制の中でいかに天皇に取り入って権力を握れるかの時代。君主に手向かいするのは道義に反する。
天皇を打倒したところで全方面から反発を買い、総掛かりで滅ぼされることは明白。そうなった場合、後の世の混乱も予想される。ならば生かしてその威光を自分の権力を正当化するために利用した方が得。天皇を残したことは合理的、実利を取った面があるだろう。
政治的な権力の移譲
平氏政権の後は武士が天皇から形式的な委任を受けて治世を行い、鎌倉幕府、室町幕府、江戸幕府と政治的な権力が実質として武士にある状態が続いた。政治的な権力の移譲が朝廷から武士へゆるやかに行われたと言える。
天皇は武士、幕府にとって障害にはならず、先に述べたような背景からむしろ自らの権力の正当性を強化さえし得る存在であり、実利の面からも道義的な面からも積極的に排除する必要が無かった。
天皇から見れば「なんか頼りになるからいろいろ任せてたらいつの間にか武士の方が良い感じに政治してる」、「反抗しようにも軍隊そのものが実権を握り始めた訳で反抗できる力が無い。しかし何かメンツを立てられて生かされているし祭祀はこっちに任されている」、的な感じだろうか。見方によっては歴史上最も長期に渡るゆるふわクーデターのようなものかも知れない。
中国人は「天皇になりたく無いのか?過去の武人が天皇になりたがらなかったのが不思議だ」と言うらしいが、日本においてそれが起きなかったのは天皇にならなくても実権が握れてしまったから、としか言いようがない。むしろ天皇になったらなったで神道の祭祀をどうするの問題があり、祭祀を任せておける点でも武士にとって都合が良かったのだろう。
現代において
現代においても言うまでもなく天皇に政治的実権は無い。歴史的にみてこれだけ長い歴史を持ちながら政治的実権が無い期間も長い王族は珍しいのでは。そういう意味では本当に稀有な例というか独特というか、外国人が理解に苦しむことも分からなくはない。これが理解できないからといってみやみに外国人を下げる、日本人を特別視するのは間違い。説明不足なだけで順序を追って説明すれば理解できなくは無い(と思う)。
天皇制の是非については賛否あるだろうが、天皇制は先述した通り神道の信仰に深く関わる存在であり、私はおいそれと否定できるものではないと思っている。それだけの歴史的な重みがある。
それにしても、「天皇になりたいと思ったことはないのか」と現代日本人に問うのはシンプルに愚かだ。保障されているものは多いだろうが自由が無いし激務、引退もなかなか難しい。第一、育ちからして違うので立ち振舞い、言葉遣い、語学力、忍耐力何から何まで必要とされて来た/修得させられて来た能力が違う。今も昔もなろうと思ってなれる存在ではない。
なれるならアラブの石油王が良いな・・・(不敬罪)
いらすとや何でもあるな・・・