ヤマネコ目線

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弱者量産・飼い殺し論者

 昨日、竹中平蔵が「私が弱者切り捨て論者というのは誤解だ」という記事が悪い意味で話題だった。Twitterでの話だがまあツッコミしかない。

news.yahoo.co.jp

切り捨て論者ではないかも知れないが

 よくよく考えて見れば、氏は確かに弱者「切り捨て」論者ではないかも知れない。弱者量産・飼い殺し論者である。もっとタチが悪い。年功序列型で終身雇用というのは確かに古いが、竹中平蔵が推し進めた非正規雇用の拡大が社会的弱者を大量に生み出した事は間違い無い。そして今度は自身で生み出した社会的弱者のためを装ってベーシックインカムを推奨し、今ある社会保障を切り崩させ、ベーシックインカムに予算を回させてその給付事務費用で儲けようとしている。氏の本心からすれば、「弱者を切り捨てるなんてもったいない、もっともっと私の養分になってもらわないと」、だろう。

 そもそも「若者には『貧しくなる自由がある』」などと言う人間のどこが信用出来るだろうか。氏の考えている事は切り捨てではないにせよ「弱者救済のためでもない」。本心はただの利益誘導だ。誤解というのは便利な言葉で、嘘つきが「違う」と明確に否定できない場合に好んで使う。

ベーシックインカムに関する議論

 上の記事で竹中平蔵は、ベーシックインカムに関する具体的な制度像についてはボカしている。もちろん、その中では既存の社会保障がどこまで切り崩されるかも明言はない。月7万円というのは既存の社会保障をある程度残す前提のようだが、それがどこまでのものになるのか。年金、健康保険は一体どうなるのかは不明瞭だ。これまでの事を考えれば、竹中平蔵がそういった霧のかかった方向から手招きをしていて不気味に感じない方がおかしい。私は単純に竹中平蔵という人物が信用ならないから、氏が推進するベーシックインカムにも信用を置かない。

 ベーシックインカムという考え方自体は面白いと思うし、その根源にあるのはより良い社会を望む崇高な意図であろう事は理解している。しかし、そういった欧米で生まれた素晴らしい思想が日本に輸入されるのは、往々にして竹中平蔵のような人間によって歪に捻じ曲げられてからである。そもそも竹中平蔵ベーシックインカムを推進するのは、そこにビジネスとして一枚噛んで甘い蜜(=税金)を吸う事が目的であって、日本でベーシックインカムを導入しようとする限りはその動きから逃げられない。税と社会保障の改革をするにしても、本当に何が必要なのかはよくよく検討する必要がある。政商に騙されてはいけない。

正規が非正規を搾取している?

 竹中平蔵の言うことで理解に苦しむには「正規が非正規を搾取している」という所。ただの労働者同士を争わせるための対立煽りとしか思えない。同じ仕事内容で非正規が正規よりも賃金が低いならば、それは「経営者が非正規を搾取している」に他ならない。そこで経営側に矛先を向けさせないために、竹中平蔵が嫌いな「日本人が他人の足を引っ張る」性質を利用して、非正規に正規の足を引っ張らせようとしている。つくづく厭らしい男だ。

竹中平蔵の言うことは何があっても信用しない

 氏の言うことは中には賛同できそうなものもある。しかし前述したように、労働力の搾取という点においては明らかに認識がおかしい。一見、それらしい意見でもその裏にどんな目論見が隠れているか分からない。成功者の足を引っ張るなと言って、庶民同士で足の引っ張り合いを高い位置から見ているような人間はどのような事があっても信用してはいけない。詐欺師に一回騙されてもうまく言い込められてまた・・・というのはただの愚か者だ。

 たとえば上の記事で氏は被選挙権の年齢制限引き下げに言及している。若者の政治参加を促すと言えば聴こえは良いが、より操りやすい人間を求めているとも取れる。裏から支配するには若造で世間知らずであればあるほどちょうど良い。そういう面では小泉進次郎みたいなのがうってつけなのだろう。

シリカ水の嘘

 ある動画でシリカ水について「Wikipediaも編集されて必須栄養素のところにケイ素(シリカ、Si)って書いてある」、というのを見て確認したら本当だった。(必須想定ミネラルのところ)

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栄養学 - Wikipedia より

 ところで「必須想定ミネラル」って何・・・?

シリカって何か分かってんのかテメェ・・・

 シリカ水で調べて出てくるサイトの解説にツッコミを入れようとしましたが断念しました。デタラメ過ぎて読んでいるこっちがバカになりそうです。読まない方が良いです。

 シリカ水で調べると、まあとんでもないデタラメばっかり書いてあって逆に笑えるのだが、シリカ(=シリコン、ケイ素)は人体に必須なものでも何でも無い。あるシリカ水の製品紹介ページでは水晶をイメージした画像が使われているが、それは二酸化ケイ素、SiO2であって純粋なシリカではない。シリカという呼び方があまりしっくり来ないので、以下ケイ素とする。ちなみにシリコンゴムもケイ素と有機化合物から出来ている。

 ケイ素は元素記号Si、地球上に広く分布しており、簡単に言えばそのへんの石の主成分みたいなもの。質の問題はあれど、ごくありふれた材料といえる。一番有名であろうと思われるのは、先ほど述べたSiO2、水晶だろう。ただケイ素の単体は水晶のように透明でも何でも無く、下図のような金属光沢のある物質だ。「ケイ素」でGoogle画像検索するとなぜか水晶の写真が出て来るが、水晶の方がイメージが良いからだろうか。闇が深い。

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https://sites.google.com/site/fluordoublet/%E5%86%99%E7%9C%9F%E5%91%A8%E6%9C%9F%E8%A1%A8/%E3%82%B1%E3%82%A4%E7%B4%A0

 こういったケイ素の単体は主に半導体の材料に使われる。シリコンウェーハと呼ばれるケイ素の薄い板にあれやこれやして回路を刻んだものが、まさに今、我々が使っている電子機器のCPU(中央演算処理装置)になる。また、最近は大規模な設置も増えてきた太陽光パネルの材料でもある。ケイ素を半導体太陽光パネルに使えるまでにするにはかなりの手間とエネルギーが必要になるので、よく言われる太陽光パネル製造そのものにエネルギーがかなり必要だという批判は正しい。

 さて、ここまでの説明を読んでケイ素(シリカ)の入った水を飲みたいと思っただろうか。人体に必要だと思っただろうか。まあ、一見して人体に必要ない元素でも微量ならば必要なものはあるが、経口摂取するにしてもシリカ水なんて言ってジャブジャブ飲むようなものではない。ちなみにWikipediaのミネラルのページにはハッキリと下記のように記載されている。もう訳が分からないよ。

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ja.wikipedia.org

 必要とされるミネラルならば、人体にどの程度必要かなどのある程度の指標が書いてある。しかしケイ素やその化合物に関してはそういったデータは載っていない。測定もしていないしそもそも必要でないモノの必要量など、いくら嘘でも記載しようが無いからである。

昔からある水商法

 シリカ水に限らず、昔からナントカ水は売られて来た。最近だと水素水だろうか。アルカリ還元水だの何だの、大手家電メーカーで未だに怪しい機能が付いている場合もあるが、そういったものは基本的に信用してはならない。飲み水で何とかしようとするくらいなら、もっと別のところで気をつけるべき事があるだろう。正直シリカ水なんて言ってるが、本当にケイ素が含まれているかも怪しいものである。おそらく水晶のイメージを使っているのは、「ただの水のように見えるのはこのように無色透明かつ微細なシリカが入っているからです」、という言い訳をするためだろう。成分分析をした人もいないのではないか。よくもまあ、入ってるかどうか分からないものを美容や健康のためとアテにして買えるものだと思う。ある程度の流行を次々作るためにナントカ水という造語を作っているに過ぎないのに。

 余談だが気体の水素はほとんど水に溶けない。原子の大きさも他の元素より小さく、ペットボトルくらいなら簡単に抜けてしまう。炭酸ガス(CO2)ですらペットボトルでは抜けて行く事を考えると、水素を密閉するのはなかなかに難しい。私は大学で材料工学の発表を見た事があるが、そこで原発で発生した水素が金属容器に浸透し水素脆化させる、簡単に言えば金属元素の間に水素が入り込むことによって金属の強度が下がることがあるという現象を知った。水素は金属容器ですら侵すのである。そもそも水素が溶けた水って何だ?イオン化してH+の状態で水中にあるのか?それって酸じゃない??お酢でも飲めよ

ナントカ商法はどこにでもある

 ついでのついでに書くと、アトピー商法というのも昔からある悪徳商法の一つ。アトピーは本当に苦しく治りづらい。患者としては藁にもすがる思いで何とか症状改善を望むが、そこにツケ込んで様々なものを売りつけるのがアトピー商法である。よくあるのが「ステロイドは良くない!これを使って!」的なやつ。ステロイドの乱用は良くないのだが、程度が軽いならステロイドを使った方が、効かない健康グッズを買わされて症状が長引くよりはずっと良い。実際、私もいろいろ勧められたが、効果があったものなど何ひとつ無かった。

 ステロイド以外であれば、私は今年から医大病院で注射薬を処方されている。デュピクセントと呼ばれる薬だがこれはマジで効いた。IgEの値がどんどん下がって行く。今では3週間に1度の注射でかなり症状が良くなって来ている。ただし、薬価は高い・・・。

いじめられたら自殺が正解か、相手を殺すのが正解か

 中学3年生の生徒が同級生に刺殺された事件で世間がザワついている。しかし、このような事件はいずれは起こり得る事であったし、これまでも形は違えど起こって来た事なのだろう。

最初に

 まずもってどちらも正解ではないと言うのは簡単だ。私の場合はそのどちらも選ばず徹底的に抵抗したので、そういった道もあるにはある。しかしこれはいじめの度合いによるし、いくらいじめを告発しても教師、学校側がまともに取りあってくれなければ子供に出来る事はごく限られて来る。私は不登校にはならなかったが、中には逃げに徹して不登校になる者もいるだろう。自殺や殺人よりはマシな選択かも知れないが、不登校になるのが正解かと言われるとそうも言い難い。

 おそらく最も適切なのは警察に相談することだろうか。それで警察が動いてくれれば良いが、そうでないならまた状況は振り出しに戻る。そもそもいじめの解決の難しさは継続性にもある。一旦は話し合いで解決したかに見えても、またいじめが再発する事は普通にある。

究極の二択

 さて、学校も警察も助けてくれず、かと言って不登校になる勇気もない、親も頼りにならないとなれば、子供には究極の二択が待っている。自殺するか、相手を殺すかだ。そうなった時、どちらを選ぶのが正しいだろうか。

 私はいじめ加害者を殺すのが正解だと思う。これは自己の生存を自己によって守るという点で当然の措置だろう。感情論抜きにしても、自身に不当に害をなす存在を人間は当事者であれ第三者であれ許容すべきでない。

 人間社会には法があり、その法の下では誰もが平等で不当な加害は許されない。そこでは殺人は許されない訳だが、他者の尊厳を踏みにじり、その生命を脅かす人間はある種の殺人をすでに行っているに等しい。そこでいじめ被害者に殺されてもそれは正当防衛の範疇だろう。法律とは社会に生きる人間誰しもが不当な損害を被らないためにあるのであって、いじめ被害者の生存を殺人への抑止力のもとに封じるためにある訳ではない。

 人間、何がなんでも生きることが大事だ。某有名漫画のように、生きるか死ぬかで迷ったらまず生きる方向へバシっとスイッチを切り替えて、そこからどう生きて行くかを考えないといけない。それは当然のことなのだが、世の中それが出来ない人間がそれなりに居る。私はいじめの他にアトピー性皮膚炎と感染症で一時期、死んだ方が楽かなと思った時期もあったが、それでも何とか生きて来て、良い薬も見つけてそれなりに楽しい趣味も見つけて、いわゆる普通の人間にはまだ届かないがそれなりに楽しいものを見つけている。私自身には生きる価値が無くとも、この世界には生きる価値があったのだ。そう考えれば、生きるか死ぬかの選択を迫られればやはりどんな手を使ってでも生きる道を選ぶべきだ。

いじめられた事はいつまでも忘れない

 よくいじめをしていた人間は忘れている、いじめられた人間はその事をいつまでも忘れないと言われる。これは本当にそうで、当人たちはその場の軽いノリでいじめを行う。いじめられた人間はそれに対してやり場のない怒り、悲しみ、憎悪を募らせる。それが何らかの形で発散されるならまだしも、そうでないならば負の感情は心にこびり付いていく。大人になってもそれが消える事はない。時間が経てばそういった感情は薄れはするものだが、しつこい汚れのように本当に取れない部分はいつまでも残り続ける。

 もし私がDEATH NOTEを拾ったら、私をいじめていた人間の名前は某政商や汚い政治家たちの次くらいには書くだろう。

私がAndroidを使う理由

 たまに見かけるiPhoneAndroidどっち派かというしょうもない論争だが、私はちゃんと理由があってAndroidを使っている。正直どっちでもいいじゃんと思う一方で、iPhoneにはiPhoneの、AndroidにはAndroidの欠点がある。

PCとの連携がしづらい

 これが私がiPhoneを買わない最大かつ一番厄介な問題。私はiTunesが嫌いだ。Windows版はわざと動作を重くしている上に使いづらい、意図しないタイミングでアップデートのために画面を暗転させる、その直前にPCを重くしてゲームをやっていれば中断させる。Macにすれば良いのだろうがゲームをやりたい人間はWindows一択なのだ。そこでiTunesを使わなければまともにスマホ内のデータにアクセス出来ないような製品は要らん。最近はまだマシになって来たが、昔はパソコンに繋いでも中の写真にすらアクセス出来なかった。怪しいソフトを使って「脱獄」だの何だのをしなければいけなかった。そうなって来るともう、何がスマートなのか分からない。

 その点、Androidは単純で良い。パソコンに接続すればある程度深い階層のフォルダにだってアクセスできるし、写真も独自規格ではなくJPEGなどの汎用規格で収まっている(iPhoneは設定で互換性優先にすれば独自規格を回避はできる)。音楽を聴くのも適当にMusicsフォルダを作って、その中にMP3ファイルなりAACファイルなりを放り込めばいいだけ。面倒な独自ソフトを立ち上げる必要がない。iPhoneのアクセスの悪さはセキュリティ面の問題もあるのだろうが、あまりに普段使うデータとパソコン連携のしづらさにウンザリする。

バッテリー容量が少ない

 Appleはスペック上ではいろいろ御託を並べているが、iPhoneのバッテリー容量は明らかに少ない。それも公式HPではわざと容量を記載していない。分解動画などを見れば分かるが、今どき3,000mAhも無いのは正直どうかと思う。Android端末であれば少なくとも3,000mAh以上の内蔵バッテリーが主流ではないだろうか(バルミューダのオワコンスマホは違ったが)。林檎信者の方々は「性能はアップしてても効率化されたCPUでバッテリー持ちは最高なんだぞ!」とおっしゃられるかも知れないが、そうやって騙されるのは信者だけである。

SDカードが使えない

 これは些細な問題かも知れないが、外部ストレージが使えないのは私としてはあんまり好きになれない。AppleSONYも独自規格大好き企業だが、SONYはSDカードを使えるようにしている。Appleのビジネスモデル的にはより容量の多いモデルを買わせたいのだろうが、AppStoreの手数料といい露骨にいやらしいところが好きになれない。ただSDカードも劣化はするので、きちんとした内部ストレージの方が安心感はあるかも知れないが。安物のSDカードは使っているとある日、あったはずのフォルダが見当たらないことがある。スマホに入れるのはそれなりのグレードのものが必要。

docomoへの不満

 キャリアはdocomoを使っているのだが、日本人にiPhoneが多い理由は「docomo使いたいけどAndroid端末だとdocomo謹製クソアプリ&クソダサdocomoロゴが本体に入っているから」だと思っている。docomoの独自アプリはマジで酷い。プリインストールはまあ許そう。アンイストールさせてくれ頼むから!(させてくれません、ものによってはサービス停止も無理です)。

 まずもって起動した時に画面上に謎のヒツジが歩いている(今は別のヤツらしい)。一体誰の許可を得て私のホーム画面を歩いている?言ってみよ。さらにはサービスを見れば余計なdocomo謹製クソアプリの数々。それらを止めると動作がまだ快適になったが、ウザいのが停止できないサービス。それも定期的にクソみたいな通知を複数アプリからじゃんじゃん寄越しやがる。マジでウザすぎる。ここ10年くらいはAndroidを使っているが、そのせいである種の忍耐力が付いたと思えるレベル。

 国産PCにも思うが余計なソフト入れんなマジで。邪魔。それで値段高くなってると思うと更にムカつく。バルミューダは初スマホで独自アプリに金をかけたとか言っていたが愚の骨頂。大抵の機能はAndroidとアプリストア内に既にあるアプリで事足りる。そこで独自色を出そうとしてアプリ開発などするのは本当に愚かしい。余計なものをつけるな。車で例えるなら車輪の外側に更に車輪をつけるようなもの。いらん。やめてくれ頼むから。

 そしてスマホ本体にはdocomoの烙印。ロゴがダサい。各社がダサいのを分かっているのは出来るだけ薄く入れるレベルでダサい。どうせケースつけるけどダサい。

カメラについて

 ぶっちゃけカメラについてはどうでも良い。iPhoneだろうとAndroidだろうとフルサイズミラーレス一眼の画質を知ってしまってからは本当にどうでも良くなった。確かにスマホのカメラでも画質が良いに越した事はないし、スマホには写真を撮った端末でその場で加工、アップロードまで済ませてしまえるという強みがある。

 しかし画質はどう足掻いてもちゃんとしたカメラには敵わない。写真の本質は「光を記録する」ことであって、画質とはどれだけの光を捉え、記録できるかに直結する。そこで重要なのは光を集めるレンズの大きさと品質、光を受け止めるセンサーの大きさ。スマホはその2点で物理的にちゃんとしたカメラには敵わない。ソフトウェアで後処理してごまかすのが精一杯である。

 よくTwitterなんかでは「この2つの写真、どっちがスマホでどっちが一眼か分かる?」とか、画質が色鉛筆画みたいな写真で「スマホでこれだけ撮れればカメラ要らないよね」とか言ってる方々がいるが、あれは正直見ていて恥ずかしい。前者は小さいスマホの画面で見ているからまだ誤魔化しが効くだけで、ちゃんとしたモニターや印刷では明らかに差が出る。後者は論外、見る目がない。

電気エネルギーへの認識

はてなブログ10周年特別お題「10年で変わったこと・変わらなかったこと

 

 ネガティブな話題で申し訳ないが、私がこの10年で変わらなかったと思うのは、日本人の電気エネルギーに対する意識である。

3.11と原発事故を経験して

 東日本大震災の後、原発事故もあって計画停電を国民は経験した。電気エネルギーは当たり前にあるものではなく、リスクを負って原発で作るか、CO2を排出しながら火力発電で作るか、不安定ながらも再生可能エネルギーで作るかを迫られることとなり、ある程度は再生可能エネルギーの普及が進んで来た。

 しかし、日本人の、一般市民としての電気エネルギーへの意識は変わっていない。計画停電なんて一時のことであって、「あの時は大変だったね」という程度のものである。

 欧州では禁止されている24時間営業は相変わらず禁止されていない。客足がどれだけ少なかろうと、夜中でもコンビニは煌々と明かりを灯している。日本全国に掃いて捨てるほどあるコンビニ、その全店舗の24時間営業を禁止するだけで、一体どれだけの電気エネルギーを節約できるだろうか。

 スーパーマーケット等の前に置いてある自販機も減っていない。自販機があるのは便利ではあるが、中でいくらでも安く飲み物が買えるスーパーマーケットの正面に置くことに意味はあるのだろうか。そういった店舗に近い位置に自販機を置くことを禁止するだけでも、一体どれだけの電気エネルギーが節約できるだろうか。

 我々は電気の無駄と言うと、家庭にその無駄の排除を求めがちである。テレビはこまめに消しなさい、蛍光灯はつけっぱなしにしてはいけません、寝る時は延長コードの電源スイッチを切りなさい、そういった細々したところは気にするくせに、社会全体にはびこる無駄を無くそうとはしない。一応は民主主義国家なのに、国民が協力して社会を変えようとはなかなかしない。こういった指摘をすれば、すぐ言い訳が返って来る。「コンビニが夜中にやってて助かることもある」「自販機でしか変えない飲み物もある」、そんな事はエネルギー問題に対して些末な事でしかないのに。

 おそらくここで挙げた電気の無駄はごく一例で、社会全体を見渡して見れば、まだまだ無駄といえるものはあるだろう。しかし、人間はそれを利便性のために無くしたくない。本当に環境問題を考えるのであれば、レジ袋有料化なんてバカげた政策ではなくそういった面での利便性の見直し、手放しが必要だろう。

EVシフトは世界を救うか

 電気エネルギーに関してついでに言えば、地球温暖化対策として今、EVシフトが熱い。移動手段に使うエネルギー源を化石燃料から電気エネルギーにすれば、温室効果ガスの発生が抑えられて地球温暖化は解決に向かう。

 果たしてそうだろうか。トヨタの社長が指摘していた通り、今の自動車がすべて電気自動車に変われば必要な電気エネルギーは必然的に多くなる。今年の冬の電力事情がもう厳しいと言われている中で、更に何かしらの発電所を増やす必要が出て来る。これまでの化石燃料による環境負荷が、発電における環境負荷に置き換わるだけではないだろうか。

 エネルギー保存の法則というのは大抵の人が知っているだろう。エネルギーはどこからか勝手に湧き出てくるものではなく、エネルギーを費やして生み出し、その分しか消費することは出来ない。必ず収支が合うようになっている。

 我々が今まで通りのあるいは今まで以上に便利な社会を望み、それに必要なエネルギーが変わらない、あるいはこれまで以上に増大する限り、そのエネルギーは必ず自然界のどこかからか、何らかの形で調達することになる。それによる環境への負荷は変わることはないし、むしろ増大する可能性が高い。電気で走る車を作ろうなどと小手先の技術でどうにかしようとした所で、エネルギーの収支が変わらないならそんなものは無意味だ。

 「電気自動車が走るエネルギー効率は発電、伝送も加味しても化石燃料より効率が良い」、そういった研究もあるそうだが、それは電気自動車の製造から廃棄にかかるエネルギーも考慮しているのだろうか。プロダクトの製造から廃棄まで込みで見なければ意味がない。そこにかかるエネルギーは勝手に消えたりしないのだから。

 そもそも、電気エネルギーはクリーンなエネルギーだと言うが果たしてそうだろうか。確かに電気エネルギーだけ見ればクリーンと言えるかも知れない。しかし電気エネルギーは発生させる過程こそが問題である。一部メディアや企業の宣伝文句に騙されてはいけない。

 結局、我々はこれまで築いた便利な社会を捨てられず、より便利な社会をめざし、なおかつ小手先だけ穴だらけの論理で環境問題を解決しようとしている。私はそれが良いとは思わない。人類の人口、消費するエネルギーの量そのものを制限する必要がある。もっともそれは大人の事情で出来ないだろうし、人類はこのまま滅びへ向かって行くのだろうが。

結婚しない覚悟

 個人的な話でしかないが、そろそろ結婚しない覚悟を決めた方が良いかも知れない。「できない」覚悟の方が正しいかも知れないが、自分から目指さないという点では「しない」覚悟だ。

欠陥人間

 まず第一の問題は私自身。小中学生時代はいじめられっ子、高校時代は下手に進学校に行ったがために(+アトピー性皮膚炎と感染症)でろくな青春どころか記憶すら無く、大学はこれまた電気電子工学科という、明らかに女子が少ない学部へ行って陰キャ街道まっしぐらに進んで来てしまった。もちろん彼女いない歴=年齢、実家暮らし、社会人になってからは会社と家の往復ばかり、休日は農業かPCゲームかたまに動物園に行くか。人としての魅力はなく、身長は高校時代にアトピーで眠れなかったのもあって低いまま。声も低く良い声ではない。年収も400万に届かない。これといった特技もない。誰かに好かれる要素がない。いじめられたせいか性格は歪み、思えばこれまで感じた感情は圧倒的にマイナスの感情ばかり。怒り、憎しみ、妬み、最近では特に虚無感が強い。私の中身は空虚だ。

 そのくせ常識や良心といったものは残っている。生きていく上では残さざるを得ないが、それにしてもまあよくもこれだけ無駄にしっかり残ったものだ。私は私自身が欠陥品であると、その良心や常識からこれ以上ないほどハッキリと認識してしまえる。確信できる。だからこそ私自身は誰かに愛される価値はないと思うし、相手を探そうとしても良心がそれを咎める。不良品だと確証を得ているものを誰かに売りつけようとするのかと。

 もちろん誰しも欠陥を抱えているものだ。コンプレックス、その人にしか分からない欠陥はある。しかしそれには程度がある。許容できる欠陥には限度があるし、許容できない欠陥を抱えたものを下手に使えば害を成す。そして私はその限度の外にいる。あくまで個人的な基準だが。

 ちなみにアトピー性皮膚炎はかなり良くなった。3週間に1度、1本2万円する注射薬を打っている。こうでもしないとまともな人間になれないとは、本当に何から何まで欠陥だらけで嫌になる。

環境的な要因

 私の実家は地元では少し有名な地主だった。農地解放でかなりの農地が強制的に他人のものとなったが、今でも農地はまあまああるし、山もそれなりの土地がある。しかし農林業など今の時代はむしろ敬遠される要素である。それも長男となればなおさら敬遠される。一体誰がこのご時世に苦労ばかり多くて金にならない農林業などやりたいと思うのか。

 農業は楽で良いなんて人がたまにいるがとんでもない。無知にも程がある。稲作は4月に準備を初めて10月に刈り取るまで、水の管理やら草刈りやらでとにかく行楽シーズンが一番忙しい。兼業ならばなおさら苦痛で、たまの土日が農作業の日になる。もちろん1日8時間なんて時間は決まっていない。稲作なんて本当に辞めたいが、辞めたら辞めたで土地の管理をしなくて良くなる訳ではない。土地が草山になればその草の種がよその田んぼへ飛ぶ。迷惑をかけて白い目で見られる事は明らかだ。農業に定時は無い。会社員のように勤怠時間や仕事を管理される事はないが、逆に言えばそれは自分自身との戦いでもあるし、近所の人との戦いでもある。

 そんな農業をしていては休日は潰れる。もし誰かとお付き合いすることになったとしても、良い時期は農業が忙しくてどこへも出掛けられない。祖母はこの点よく嘆いていた。旅行できるのなど冬の間しかない。子供、私からすれば父の弟、叔父さんが行楽シーズンにうちの近くに来る人々を見て「良いなあ、あんなふうに家族で花見とか行きたいなあ」、と言っていたのは忘れられないらしい。私も昔から、学生時代から休みとなれば何かしら手伝わされるのが嫌だった。社会人になった今ならなおさら、苦労ばかりで金にならない農林業など本当にやりたくない。結局、農業を続ける限り未来はないが、実家は、特に祖父は続けたがっている。思い切って一人暮らしして完全に実家を切り捨てるべきだろうか。それか農地と山と心中するか。もはやこれはアテツケでもある。どうせ欠陥人間で結婚できないのだ。いっそ心中してしまえば良い。

社会的な要因

 年収が400万に届かないのは個人的な要因だが、それに加えて今の日本社会を見ると、到底結婚して子育てをしようとは思わない。思えない。子供一人にどれだけお金がかかる事になるのか、ちゃんと養えるのか、きちんとした教育を受けさせてあげられるのか不安しかない。結婚すると言うことは私の中では=子供を設けることだ。むしろそれをしないなら結婚する意味はない。そんな形に囚われる必要すらない。そしてきちんと育てられない環境なのにも関わらず子供を設けることは、それ自体がもはや虐待である。

 政治はずっと悪い。私が生まれた時は既に万年不景気の感があったが、生まれてから社会人になってもずっとこの国は悪くなる一方だ。誰しも将来に不安はあるかも知れないが、この状況では更に将来が真っ暗であると思わざるを得ない。これからもずっとこの国は変わらない、変われない。どんどん生きづらくなる一方であって、その中で子育てをするのはもはや生まれてくる子供が可哀想とすら思う。自分たちにとってもリスクが大き過ぎる。社会の歪みは子供にもダイレクトに反映される。最近ではピアノを弾ける子供がクラスに1人もいないのが当然のようだが、私が子供の頃には1人は必ずいた。それだけ日本の過程環境はレベルが下がっている。いや、下がらざるを得ない状況に置かれている。パパ活なんて嫌な言葉が出てきたのも最近の話だ。要は実家からの仕送りが少ないから体を売って生活を良くしようとしている。それも10代後半の、曲がりなりにも大切に育てられてきた女子がだ。本当に吐き気がする。

 正直結婚して子育てなど、金持ちで余裕がある人か本当にそういうのが好きな人だけがやればいい。それはもはや誰しもが得られるあるいは目指す幸せの形ではない。私のような人間にはそんな資格も余裕も無いし、そこで無理をすれば必ずその無理がのちのち祟って来る。もはや日本社会全体がそんなステージには無い。最低でも3人などと抜かしたボケ政治家がいたがとんでもない。

結婚することの意義

 私の両親はこれまたお見合い結婚で、私が生まれた頃から既に仲は冷え切っていた。私は誰かを本気で好きになったことも、恋をしたこともないが、それは家庭環境の影響もあったのかも知れない。物心ついた時から不景気で、何を買うにしてもコスパコスパ、よく吟味して選べと育てられて来たので無駄に相手への理想も高い。それもあってか誰かに恋をする自信も、誰かを愛する自信も、結婚して幸せを感じられる自信もない。妥協して結婚する事にも意義を見出だせない。やはりその点、向いていないのだろう。

 結婚して後悔するか、しないで後悔するかだが、それに関しては「してもしなくてもどのみち後悔する」という名言がある。

終わりに

 たまに自殺願望があるのかと思われる事があるが、それは一応無い。私自身には確かに価値は無いが、この世界には価値があるし、この世界を生きる事には価値がある。つまらない事も多いがそこにはまだより多くの楽しみがある。

人類は労働から開放され得るか

 ベーシックインカムに関してツイートしていたら、「将来ロボットによって人類が労働から開放され、失業者が溢れた時のために予防的に必要」、とのご意見があった。今回はそれに関して少し書きたい。

労働からの開放はあり得るか

 ハッキリ言って私はNOだと思う。残念ながら人類が労働から開放される日は来ない。

 まず、あらゆる仕事をロボットに置き換えられるだけの技術力が達成されたと仮定して話を考えよう。果たしてロボットにでも出来る仕事に価値はあるだろうか。逆に言えば仕事とは価値があるからこそ人間が行うものである。ロボットによってあらゆる仕事が無価値になってしまった所で、人間は更にその先を求めるのは明白。そこにはただ新しい仕事が発生するだけだろう。ロボットは誰が管理するのか、誰がメンテナンスするのか、誰が修理するのか、誰がどこで作るのか。新しいロボットの開発は必要ないのか?

 人間とは無いものねだりな生き物である。もし完全に仕事がなくなってしまったとしても、そこでは「とりあえず何かをしたい」という欲求が湧く。それが新たな人間の仕事となり、結局は人間が出来ることに物事の価値の主眼が置かれることに違いはない。

 ロボット自体に関しても、そこまで万能なものが出て来るのに何年かかるだろうか。正直私はそのあたりについては数百年~千年先レベルの話だと思っている。それも、もしそれまでに人類が絶滅しなければの話だ。

 ロボットはそれほど万能なものではない。技術特異点はそれが必ずしも我々の社会における仕事をロボットが一掃することを意味するものではないし、むしろ人手不足とされている業界はおよそ人間を超えたような知能は必要としない。それほどのロボットを投入して採算が採れるような業種は稀だろう。ロボットでも出来る仕事が無価値になるならばなおさら、ロボットを投入することには難しくなる。人体錬成の話ではないが人間ほど安く出来ているロボットはない。

ベーシックインカムは必要か

 ロボットによって失業者が大量に出るからベーシックインカムは必要、と言われても正直ピンと来ないが、現実的に考えて見るとどうだろうか。ロボットが必要とされるのはまずどんな業種か。日本で言えば介護職のような「万年人手不足」な業界だろう。ここで疑問なのは、真っ先にロボットが投入されるであろう業種はそもそも人手不足なのにそれで失業者は出るのだろうか、という点。

 仮にロボット労働者が出来たとして、当面はそのあり方が置き換えというよりは人員補充という形になるのではないか。これはロボット労働者を導入できるだけの余裕がある事業所での想定で、採算が取れない事業所であれば導入自体しないだろうし、その点で言えばコロナウイルスのように、状況がすぐ逼迫し得るようなスピードでロボット労働者が社会に浸透するとは思えない。

 結局、ロボット普及で大量失業者が出るぞというのは、社会保障制度全般を破壊してまでベーシックインカム制度を導入するための口実としてはいささか説得力がないように思う。むしろそんないつ来るか分からないレベルの危険を煽ってまでどうしてベーシックインカム導入を煽るのか私には理解できない。