書き散らし。9月9日に駐日ジョージア大使のツイートが話題になっていた。そしてこれを嬉々として引用・肯定するエセ保守が多かった。
確かに故人に対する目に余る言動はよろしくないと思うし、今さら国葬が止められそうに無い上に外国からの来賓がある以上、ある程度は国葬の形を守るべきなのだろう。しかしそれが「日本の懐」だとか何だとかお前に言われる筋合いは一切無い。
まずもって国葬に対してここまで反発が広がっている原因は日本政府、岸田政権の不手際にある。その不手際を差し置いてあたかも「国葬に諸手を挙げて賛成しない国民が悪い」かのような物言いがハッキリ言って大変気に食わない。なーにが「日本の懐」じゃ。「もう決まったことに文句を言うな」、「終わった事に文句を言うな」の2コンボで批判を封殺するクソ野郎と表現の婉曲こそあれ何が違う。
それともあれか。好き放題する政府も韓国カルトとの癒着も血税の浪費も増え続ける税金も何もかも甘んじて受け入れるのが「日本の懐の深さ」か。だったらそんなもんクソ喰らえだ。大日本帝國時代へ帰れ。1930年代にでも帰れ。
エセ保守人たち
統一教会問題が表に出てからも安倍元総理をかばい、あるいは神格化すらしているエセ保守層に私は強い違和感とある種の恐怖を覚えている。彼らはまるで安倍真理教かのように安倍元総理を信奉しているのだ。長きに渡る安倍政権の下でこの国が果たして良くなって来たかどうか、そういう現実には一切目もくれずやれ「安倍元総理は死んでからも中傷され続けている」だの、「国葬はやって当たり前、彼の功績を認めろ」だのと抜かしている。
安倍元総理が残したものには確かに功績と呼べるものもあるだろう。しかし現実、この国はどんどん衰退しつつある。少子高齢化は止まらずむしろ加速しており、アベノミクスで経済が良くなったかというと全くそんな事はない。そもそもブレインに竹中平蔵がいる時点で終わっている。
その上でのエセ保守人の駐日ジョージア大使の発言への飛びつきはやはり気色悪い。普段から外国人に都合の悪いことを言われれば「内政干渉するな」だの何だのと言うのと同じ口で、今度は自分たちの主張に都合のいい援護射撃をする外国人を絶賛してみせる。いかにも大日本帝國臣民らしい日和見主義的で薄っぺらい愛国士感。嫌悪しか感じない。いかにこの国を良くしていくかという志など持っておらず、ただ国家権力を盲信し、外国からどう見られるかという外聞を気にするだけの人間は民主主義国家にふさわしくない。1930年代に帰るかとっとと国外なり何なり出ていって自分たちの国でも造るべきだ。
ひろゆき氏の言うことはまだ正論とは思う
一方でひろゆき氏は「国葬に出る出ないをわざわざ言うのは遺族や参列者に失礼」「国葬で集まって騒ぐのは自重して大人の対応をすべき」とツイートしている。
蓮舫議員や玉城知事が相次いで国葬を欠席すると宣言しており、その事に関しては私も違和感を感じる。わざわざ宣言することではないし、それをある種の支持層固めに使うのはそれはそれで気色悪い。行かないなら行かないで良いが黙って行動で示すべき。
外国からの来賓がある以上、国葬の場で集まって騒ぐのも正直どうかと思う。どのみち止められない止められなかった以上、その責任を岸田政権に、自民党にきっちり精算させる必要はあると思うが、その精算の場は国葬の会場ではない。ある種、追悼の場なのでそこに節操なく集まり騒ぎ立てる人間たちに大衆はついて来ない。「国葬と葬式をごっちゃにするな」という意見もあるが追悼の場である事に変わりは無い。
そればかりか最近の中核派議員や一部の心無い人間の言動によって、むしろ大衆には国葬を擁護しようとする心理すら働きつつあるようにも思う。要はいつもの流れ、「サヨクが反対してるなら正しいことなんだろう」、そういう感じになりつつあるのが危惧される。いくら統一教会への嫌悪感などがあったとしても、「対中国侵略戦争をやめろ」などと抜かすような陣営に誰がついて行くだろうか。そういう連中への嫌悪感の方がよりストレートに出る。
それでも国葬当日に会場の外で騒ぐ人間はいるのだろう。それはそれである意味では民意の表れと取るべきなのかも知れない。しかしそれを当の政治家たちや外国からの来賓、そして日本における大衆がどう取るかは推して知るべし。