ヤマネコ目線

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原爆の日に寄せて

 書き散らし。特に面白みはありません。

平和とは何か

 この時期になるといつにも増して耳障りな綺麗事が増えるが、無垢な小学生や一部の理想に溺れた人間以外はそんな綺麗事に騙されてはいない。平和とは何かを考える頭がそもそも無い人間を除いて、多くの人間はもっと現実的に世界を見ていると思う。そう信じたい。人類にとってあまりに高過ぎる理想はハッキリ言って耳障りで聴いていて不愉快。

 改めて「平和」とは何かを考えると、その言葉の持つ曖昧さ、抽象的な度合いに驚かされる。時にそれはかなりの認識のズレを生むし、あまりに抽象的なのでむしろ何を目指せば良いのかすら見失いそうになる。「平和な世界」と言っても「軍事力の均衡によって戦争の発生が抑制された世界」を思い浮かべるのか、はたまた「軍事力を完全に無くせば人間は争わなくなる」と言い出すのか、同じ言葉でも本当に目指す方向が違って来る。争いと無関係の人間などどこにも居ないと言うのに。

 原爆の日となるとどうしても敗戦国ムードが出てきて式典でも小学生があんまりな綺麗事を並べているので、学校での平和教育は相変わらずこの「平和」という言葉の意味を曖昧かつ何かしらキレイな理想としたままなのだろうと思う。敗戦国として、唯一の被爆国としてそれで良いのだろうか。私自身、学校における平和教育の中でずっと疑問に感じて来た。

 子供は学校においては「教師が求める答えを出す」のが正解だと言うことを分かっている。平和教育においては「無条件にそれっぽい綺麗事を並べれば正解」だと理解しているし、実際それで良しとされるのだから「平和」の本質について考える事は少ない。私は考えていたので、「考える子供がいない」とは言うまい。ただそれは教育現場で求められる答えではないので表に出すことも無い、となれば平和とは何かを真剣に考えなくなる子供も多いだろう。「大人が用意した答え」をそのまま自分の意見としておけば良しとされる、そういう教育は平和教育にかぎらず主体性の無い人間を延々と作り出している。

 それは決して良い事ではなく、平和についてはどういった状態が「平和」と言えるのか具体的、明確にして話を進める必要がある。私の中での「平和」とは何かを書くとすれば、「周辺諸国と軍事力でバランスが取れておりいかなる紛争も起こっておらず、議会制民主主義、国民主権基本的人権が維持され、経済が少なくとも破綻してはいない」状態か。

 ここで言う軍事力には核戦力も含まれる。日本は非核三原則があるが、戦後の平和はアメリカの核の傘の下で維持されて来たものである。小国は通常戦力では大国に対抗する事ができない。そこでバランスを取るためには核戦力が必要になる。「いかなる紛争も~」というのは難しいが、爆撃機が周辺を一周したり領海侵犯を繰り返したり弾道ミサイルが頭上を通過したり、という事があっても「平和である」とは言い難い。議会制民主主義、国民主権基本的人権の維持は当然だが今、当然のようにあるものは「あって当然」ではない。憲法にもあるように、主権者たる国民が不断の努力によってそれらを正常に維持しなければならない。経済が破綻していない事は言わずもがな。

誤った「平和」像

 時に「軍事力を持たなければ世界は平和である」だの、「武器兵器さえ無くせば戦争が無くなる」だのと抜かす考え無しがいるがそれはとんでもない。

 戦争は人間の動物的な部分のみならず根本的な性質、欲深さゆえに起こる。生物種として、群れ(国家)として繁栄するためにはあらゆるものを犠牲にする。それが人間という生き物である以上、戦争自体は決して無くならない。たとえ武器や兵器を無くせたとしても、銃が無ければ剣で、剣が無ければ棍棒で、棍棒が無ければ石で、石も無ければ拳で争いを始めるのが人間というものである。

 事実、かつての我々の祖先がそうして来た。剣が無かった時代、銃が無かった時代、核兵器が無かった時代が平和だったかと言われれば決してそんな事はない。それは歴史が証明している。「核兵器を無くせば世界が平和になる」などと言うのはとんだ欺瞞だ。もしそれが実現すれば、むしろ人類は核兵器登場以前の「国家単位で安心して殺し合いが出来る世界」に逆もどりする。

核兵器は廃絶できるか

 長崎原爆の日にこのような事を書くのも何だが、私は以前から不可能だと考えている。大きい理由は下の2つ。

  • 廃止したことを証明、信用できない
  • ならず者国家がより幅を効かせやすくなる

 まず1つ目だが、たとえば今のロシアや中国、アメリカが「我が国は核兵器を全廃しました」と言い出したとしよう。誰が信用するだろうか。ミサイルのロケット部分から弾頭だけ取り外して保管し、「(いつでも発射可能な)核兵器を廃絶しました」かも知れないし、そもそも口先だけかも知れない。あるいは戦略核兵器だけの廃止で戦術核兵器はその内に含まれていないかも知れない。結局、確証を得られない以上はどの国も核兵器をどのような形であれ持ち続けるしかない。

 そしてもし仮にロシア、中国、アメリカといった大国が核兵器廃絶を宣言し、それが確からしいと確証を得られたとしよう。北朝鮮やイランはそれに続くだろうか。むしろ今、ロシアがやっているように核戦争の可能性を盾にし、横暴な振る舞いを始める可能性の方がずっと高いだろう。それを許さないためには大国が核兵器を持ち続ける必要性がある。

アメリカが原爆を投下した理由

 よく「アメリカが原爆を投下した本当の理由」、などと好奇心を掻き立ててアクセス数を稼ぐ動画や記事などがあるが、なぜ「本当の」理由など知りたいのかといつも不思議に思う。原爆投下に至った理由は1つでは無いし、理由が複数あると都合が悪い訳ではない。むしろ投下する理由は多ければ多いほどアメリカにとって都合が良い訳で、そこで「本当の」などと言って1つの理由に固執し、探る事に意味は無い。

 結局、「ナチスソ連よりも先に核兵器を実用化した事を知らしめ、同時に原爆の威力を確かめたかった」、「思ったよりも日本の抵抗が激しく、犠牲者増加による厭戦気分が広がるのを恐れた」、「ソ連に侵攻される前に日本を降伏させたかった」、あたりの理由が重なっている訳で、何が一番重要かと言っても単純比較できるものでもない。