ヤマネコ目線

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共産主義は人間の本質に反する

 独り言。

 なぜ共産主義などという時代遅れの思想が、未だにこの日本に残っているのだろうか。不思議でならない。かつて共産主義の実現を目指した政治体制がことごとく失敗し、飢餓や虐殺を生んで来たのに。日本共産党の政治家たちは「反共など時代遅れ」と言うが、私からすれば共産主義こそ時代遅れも甚だしい。悪いものはいくら時が流れようと悪いものに変わりはない。

人間の本質とそもそも反する共産主義

 人間の本質とは強欲である。もっと時間が欲しい、お金が欲しい、良い人とお付き合いしたいという直接的なものはもちろん、国を良くしたい、より暮らしやすい社会を作りたいというのも突き詰めていけば、その原動力は欲望である。逆に言えば欲望こそが人類発展の原動力であり、時に身を滅ぼしかねない力でもある。

 そして共産主義はその欲望、人類の本質に反している。確かに誰もが同じように、平等に富める世界は素晴らしいかも知れない。しかしそこで個人が「他の人よりも豊かになりたい」と思う気持ち、すなわち個人の欲望を抑えられる保障はどこにもない。それは一般市民にとどまらず、政治体制を維持する側にも当然言えることであるし、そこで欲望が抑えられないから、これまで共産主義を目指した国家では腐敗が蔓延してきた。

 その国の国民が政治運営を担う人間すべて含めて、己の欲望を完全にコントロール出来るなら共産主義は成功するかも知れない。しかしそんな事は明らかに非現実的。そこをどうにか抑え込もう、人々を統制しようとして独裁、全体主義に走るのだろう。

 日本共産党の志位委員長は全体主義や独裁主義とは無縁だと言っていたが、ではどうやって個々の人間の欲望を抑え、平等に富める社会を実現しようと言うのか。

 元より結果だけ見ても共産主義が失敗に終わるのは明らかである。スターリンは実際に会って話した米国記者いわくとても聡明な男だったそうだが、そんなカリスマ指導者でも実際に共産主義を実現できたかと言われればそうではない。己の頭の中だけで理想を実現する方法を考えたポル・ポトは、カンボジアを地獄の底へ導いた。中国共産党の腐敗や拝金主義、口先だけの平和主義は言及するに値しない。

なぜそれでも理想を追い求めるのか

 これが分からない。理想とするものがある事、こうあったら良いのになという思想は分かる。しかし世の中には実現できる理想とそうでない理想がある。共産主義は物理学の世界で言えばさしずめ永久機関のようなもの。これまでの歴史、発見された法則から実現できないと分かり切っているものだ。それが今になって革新的な論理になる事はないし、時代遅れなのかと投げかけても誰が見ても時代遅れに違いないだけである。

世界平和、話し合いで解決の滑稽さ

 人間の欲望を人民の一人に至るまで完璧にコントロールすること、そんな事は不可能である。それは共産主義が実現不可能である事を意味すると同時に、彼らが言う平和や話し合いで解決と言った甘ったるい安全保障論も否定する。

 世界平和とは文字通り解するなら、世界から紛争が消えることだろう。しかし争いと無関係な人間などどこに居ると言うのか。共産主義が実現すれば、争いも無くなると思っているのだろうか。そういう甘い理想を掲げる人間も現実はあらゆる競争に参加しているというのに。

 紛争、戦争、あるいはごく局所的な武力行使の根源は人間の欲望である。領土が欲しい、資源が欲しい、宗教国家を樹立したい、異端を追い出したい、突き詰めていけばそれは人間およびそれが形成する群れの欲望に根ざしたもの。だからこそ戦争は無くならない。この世に人間が生まれてから、地球上で人間同士の争いが完全に絶えた瞬間などあっただろうか。

 逆に世界平和や共産主義を実現したければ、おそらくは人間から欲望を完全に無くしてしまうのがもっとも現実的な手段だろう。しかし、完全に欲望を無くした人間はもはや人間と言えるのだろうか。あるいは上位種に管理され、最低限動物並の欲望だけ保ちながら、誰もが平等に管理されて生きる社会。そんな社会に生きる人間は人間と言えるだろうか。

 安全保障問題を話し合いで解決も明らかに非現実的。それはまず相手が「話し合いが通じる相手」である事が大前提であって、それが通じない相手にはとことん通じない。どうせ通じないのが分かってて言っているのだろうが。話し合いをと軟弱な姿勢を見せている内に、力ずくで領土領海を侵略されて終わりなのは目に見えている。むしろそうさせる事が目的なのだろうとさえ思う。世界の根本は弱肉強食である。人間の社会、話し合いで解決の社会など、人間がお互いに損をしたくないために作っているだけの脆いシステムでしかない。安全保障、有事に関わる問題はそれが通じなくなる異常事態であり、そこに必要なのは世界の根本に根ざした具体的な対抗策、武力である。

 時に戦争に人道だの話し合いだのを持ち込むアホには辟易する。戦争、侵略、そういった人間社会における良心の範囲外にある世界では、人間は獣に戻る。獣として、生物としての人間の世界が戦争の世界であって、そこに人間らしい人間のルールなど通用しない。話し合いだの人道的かどうかなどクソ喰らえであって、重要なのはいかに敵を殺すか、いかに自分自身やそれが属する群れ(=国家)を守るかである。