ヤマネコ目線

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埼玉県虐待禁止条例は理想論の押し付け

 埼玉県議会で提案された虐待禁止条例が物議を醸している。曰く子どもだけで

  • 公園で遊ばせる
  • 登下校させる
  • 留守番をさせる
  • 買い物に行かせる
  • 車の中に待機させる

等が虐待に当たると定義し、これらを発見した市民に対して通告あるいは通報を義務づける内容となっている。なお、ここで言う「子ども」とは小学三年生まで。厳密に言えば「住居その他の場所に放置」することを禁じているため、上記以外であっても該当する場合はある。

news.yahoo.co.jp

(リンク切れ対策:記事題「『即刻取り下げを』"子供留守番禁止"条例案、埼玉の首長ら怒りと困惑)

理想の押しつけ

 いろいろ意見があるだろうが、まず当該条例の一番の問題点は当事者たちの意見を無視し、実現できるかどうかなど関係なくただの理想論を押し付けようとしている点だろう。

 確かに上に挙げられたような点、特に車の中に待機させることは熱中症での死亡事例などでよく問題となっている。公園で遊ばせるにしても、登下校にしても何にしても、まともな親ならば出来るだけ子どもから目を離したくは無い筈だ。いかなる形であれ、理由があれ放置することが望ましくない事は誰よりも親が分かっている。実現できるかどうかは別問題として。

 現実はそこまで甘くなく、いついかなる時も子どもから目を離さないということなど不可能。特に失政によって格差、貧困が広がり、今や夫婦共働きが当たり前になりつつあるこの時代、両親が家にいる時間はむしろ減っているである。特にひとり親家庭は一体どうしろと言うのか。もはや弱い者いじめにすら思える。「女性活躍推進」などとキレイな言葉で誤魔化してもっと働けと言う一方で、子どもからは目を離すなと言い出す。そこにどれだけ実行性があると言うのか。無理難題を突きつけると反感を買うのは当然である。女性に関してはキャリア形成と出産・育児の両立はまだまだ難しい。

 親以外が見るとなれば今度は教員や保育士に負担が行く訳だが、現時点でそうした方々にさらなる負担を強いて良いとは到底思えない。そのような余裕は傍から見ても無い。当事者でも無い人間から余裕が無いと理解できるレベルはよっぽどなのだが、議員団はそのような現実が見えないのか。

 あるいは代議士連中は「シッターでも雇えば解決するだろ」とでも思っているのだろうが、子育て世帯でシッターを雇えるような余裕あるご家庭はどこまであるか。スタグフレーションであらゆるモノが値上がりし、習い事をさせるのも難しい、増税社会保険料の引き上げ等で手取りは減る、上がらない。その中で「パンが無いならケーキを食べれば」とでも言うつもりか。

 特に自民党公明党の連中はそうした理想を実現するための基礎部分を破壊して来た。今、子育てする家庭に求められるような、あるいは子育てに関して社会全体に求められるような理想に対し、それが可能となるような政治をして来なかった奴らが、主権者たる国民に対して分もわきまえず偉そうに理想を語ることが何よりも許しがたい。全員焚刑に値する。キャリア形成と育児の両立など民間で是正すべき点もまだまだあるとは言え、それを出来る余裕のある企業はやはり限られている。

 そも虐待禁止だの何だのどころか、少子化が加速している現状をどう考えているのか。政商の言うがままに非正規雇用と格差を拡大させ続け就職氷河期世代は見殺しにし効果の無い少子化対策を肥大化させ子供の親権をめぐる連れ去りのような深刻な問題は放置し続け保育所の不足・保育士や教員の待遇改善などは根本的な解決をせずいじめ問題も国として率先した解決を目指さずこども家庭庁などという何の役にも立たない役所を作って税金を浪費してばかりの中で、もう少し優先順序を考えられないのか。

 以前、「最低でも3人」という発言が問題になったのも覚えている。子どもを作るなら最低でも3人。確かに人口は最低3人は子どもを作らないと増えない。しかし今の日本社会、そうした理想が「最低でも」と言えるほど当たり前のように実現できる社会だろうか。

 理想を実現できるような社会を政治は作って来ただろうか。作って来たと思っているなら大間違いだし、本気でそう思っている連中は今すぐ政治家を引退するべきだ。感覚が一般の子育て世代とあまりにズレている。我々、国民も国民でいい加減に無能に国の舵取りをさせることを辞め、そろそろ別の人間にまかせてみるべき時期だろう。

社会の歪みの根本

 今回の件に限らず政治家が基礎的な環境構築をないがしろにし、あまつさえ理想を押し付ける姿勢が社会のあらゆる歪みを生んでいるのではないかと思う。出来もしない事をやれと言われれば人間はどうするか。やっているように誤魔化すしかない。それを監査・確認する側もやれと言う方が無理なのは分かっているので、なあなあで済ませるようになる。本音と建前、現実が理想と乖離してゆく。根本的に実現できる環境が無いので、いかなる解決策も意味をなさない。実行されることが無い。2024物流問題もどこまで酷い歪みを生むか。

 今回の件で言えば「子どもの放置を発見者は通告あるいは通報しなければならない」とあるが、炎天下の車内の放置などまともな人間ならそんな条例が無くても通報する筈であるし、それ以外で見て見ぬふりをする人間は変わらない。何ら解決が望めない。むしろその条例が嫌がらせに使われる可能性すらある。性善説的な運用が常になされると思っている点でも理想論でしかない。アホ。ボケ。カス。

日本会議、親学との関係

 一部では当該条例を推進した議員と日本会議との関係が指摘されている。また、親学(おやがく)推進者が多いとも。どちらも復古主義的かつその中における理想ばかり高い連中で、そうした思想的背景がバックグラウンドにあることは何も不思議ではない。

 なお、条例案を提出した自民党県議団の団長である田村たくみ氏には子どもはいないようである。あれ?

 子どもが居ないからこそ現実と乖離した理想を平気で押し付けられるのだろう。まともな感覚してたら子どもが居なくてもあんな条例、無理があると分かりそうなものだが。というか埼玉県はふざけた条例出してる暇があるなら川口市クルド人と治安悪化どうにかしろや。

 上を向いて理想を語る前に、まず足もとを見なければお話にならない