ヤマネコ目線

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死刑制度は必要

 書き散らし。秋葉原通り魔事件の犯人、加藤智大死刑囚(39)の死刑執行が、事件発生から14年の歳月を経て執行された。

秋葉原通り魔事件 - Wikipedia

www.fnn.jp

 Twitterではこれを受けて死刑制度反対を主張する著名人が一部おり、炎上していた。

死刑制度の是非

 こういう話題ではすぐ「海外では廃止の傾向」だのと言い出す奴がいるが、海外で廃止されているかどうかは全くもって関係ない。何でも海外海外海外、欧米の方が何事にも全てにおいて進んでいると考える大馬鹿者は少しは自分の頭を使って物事を考える練習をすべきである。私から言わせれば死刑が廃止できる国は、死刑に値するような凶悪な犯罪者を警察がその場で射殺する事が許されているから廃止できているに過ぎない。現に死刑を廃止した国でも、テロ事件を起こした犯人がその場で警察の特殊部隊に射殺されたというニュースは普通にある。そうでなくとも死刑制度を完全に廃止したところで、仮釈放なしの終身刑を死刑代わりにしている場合も多い。

 なおアメリカは死刑制度の存続が州によって異なる。死刑制度を廃止した州、存続させている州、法的には存続させているが適用されていない州といった感じで分かれている。連邦裁判所は死刑制度を憲法に違反しているとは認めていないし、死刑が廃止された州であっても乱射事件など起こせば、警察によって犯人が射殺されることは当然あるだろう。

 死刑廃止論者がよく槍玉に挙げる「冤罪の可能性」であるが、死刑確定から執行までそれなりの期間を空ける以上は起死回生の機会が無いという訳ではない。現代の捜査技術による証拠をもって判決が下る以上、「冤罪の可能性が死刑制度そのものを廃止すべき理由になり得るほど高い」と主張するのは無理がある。科学が100%間違いを犯さないとまでは言えないが、DNA鑑定すら無かった時代と今は違う。

 「死刑になることを目的に犯罪を実行する人間が出てくる」という話も廃止に向けた議題として出てくるが、死刑を廃止した所で次に控えている最高刑が適用されるだけであり、結局そういった人間は彼らなりの社会への報復と隔離を目的に犯罪を行うであろう事に変わりが無い。「自殺する度胸がない」からと他者への加害によって法的に罰せられることを望むような救いようのない人間が、死刑制度を廃止したところでその思考を変える訳ではない。それを言い出すならば、そういった人間が出来る限り出てこない政治・社会を求めるべきだろう。どのみちそういった人間は居なくなりはしないだろうが、人間社会が完璧でない以上はそういった要素の登場は容認するしかない欠陥とも言える。

 死刑を廃止すれば残るは無期懲役終身刑だが、そうなると税金を使って死ぬまで社会から隔離することになる訳で、死刑に値するような者をそうして生きながらえさせる事は無駄でしかない。それならば迅速、永久かつ確実に社会に害成す者を隔離できる死刑を存続した方が良い。

 また、「死刑制度に犯罪抑止効果が無い」と言うのもよく廃止派が言う話。しかし当然、死刑になるのが嫌だと思うならそれ相応の罪も犯さない訳で、「死刑囚が犯行前に自分が死刑になるかどうかを考えてから犯罪に至ったか」をもとに抑止効果が無いと言うのは無理がある。また、オウム真理教信者のように洗脳状態にあった、無差別殺人を起こすような精神状態にあった、そういった異常な状態の人間を引き合いに出して抑止効果の有無をどうこう言うのは完全に無意味。

 時たま「人間が人間を裁くなんておこがましい」などと宣うまさしく烏滸な奴がいるが、では一体誰が犯罪者を裁くと言うのか。神は万能ではない。漫画やアニメの中のように、悪しき者に天罰の落雷を落とすような存在は現実にいない。社会を形成し、法によって秩序を維持するのは他ならぬ人間である。その枠組みの中で生きる以上は法を守る必要があり、法によって人が人を裁くのは当然のこと。

 「死刑は人道に反する」と言うが、人道に著しく反し、他者の人権を踏みにじって最も重いペナルティを受ける事となった人間に人道も何もあったものではない。本当に嗤わせる。法を守らず他者を尊重しない者を尊重する必要はない。そんな者は人ではないし人として扱うべきでもない。人に非ず、人とその社会に害を成すものはただの「害獣」である。そういった者が生まれてしまった原因が社会にある場合はその原因を糺して行かなければならないだろうが、どのみち排除すべき存在である事に違いはない。更正の機会とやらを与えるにしても限度があるし、「死」をもってしか償えない罪はある。

 人道と言うと何かにつけて綺麗事さえ並べれば良いと思っている偽善者が掃いて捨てるほどいるが、そもそも人の道はそれほど綺麗なものでも何でもない。情け、慈悲が適用されるのはあくまで人間がそれに値すると認識した相手のみである。それ以外の存在に対しては我々は甚だ残酷で無慈悲。それが人間と言うもの。人の通って来た道も、これから行く道もどこを取ったとして血で汚れていない場所は無い。それを認めずに人道を語る人間は真の偽善者だろう。

個人的な反対派への感想

 何かにつけて「可哀想だから死刑反対」だの「世界平和のためには軍事力は必要ない」だの、そういった訳の分からん思考回路に陥ることが出来る人間は、物事を自分の頭で真剣に考えずとも特段、何の不服も無く生きてこられるだけのたいそう結構な人生を送って来られたのだろう。そうでないにしても、少なくともこの世界に対する観察が圧倒的に足りていない。

 そういったただ運が良かっただけのある種の勝ち組、浮世離れした人種、ともすればそれでいて更に成功を収め著名人となった者が他者の痛みや不幸に無配慮に、己がいかに恵まれているかも考えずに理想を並べるのははっきり言って反吐が出る。人間には明らかに過ぎた理想を平気な顔して並べられるほど良い人生を誰もが送れる訳では決してない。むしろ少数派であり、それを無自覚に自慢しているから反感を買う。ある意味で可哀想な人々だ。何せありのままで居るだけで反感を買うのだから。

 理想はあくまで理想であって、実現できないものもある。社会・経済などというものは自然界という大地の上に人が立てた砂上の楼閣であって、完璧なものでも無ければ揺るがぬものでも無い。いかなる社会であろうと不満はあり、いかなる経済原理であろうと欠陥がある。そこに人類には過ぎたる理想を持ち込んで憚らない連中も同様に人間の社会が生み出した欠陥と言えるだろう。