少し面白い記事を見かけたので書く。憲法では教育、勤労、納税が国民の三大義務とされているが、同様に「出産」も義務化し得るのではないか、という話。
SFとしては面白いと思うが
現代の日本においてこれを考える場合、憲法で出産を義務とするためには憲法改正が必要であり、国民がそのような改正内容に同意するとは考えづらい。先の兵庫県知事選挙を見るにSNS工作をうまくやれば犬猫レベルの人間を巻き込んで可能になるかも知れないが、自由意志を尊重すべきと考える人間、将来的に子どもが欲しいと思わない人間が多い中では難しいだろう。
(´・ω・`)数日前に見た立花孝志党首の動画が焼き付いてますpic.twitter.com/ji0tYByUMd https://t.co/6ZFPKbkq0W
— 富士三太郎「(自称)国際政治学者」 🇯🇵🇵🇸🇺🇦 (@fujisan_Ed) 2024年11月17日
特にこのご時世、結婚子育てしたくても出来ない人間は大勢いるため、いたずらにそのような話を持ち出せば猛反発を招くことは予想に容易い。「出産を国民の義務にしたい」と思っている政治家はいるかも知れないが、「そんなことを言うなら安心して結婚・子育てできるような社会にしろ/政治をしろ」と言われて終わりである。
今回触れた記事では「出産が義務化されればそれなりにサポートも拡充されるのでデメリットばかりではないのでは」ともあるが、憲法で義務と謳ったからと言って少子化対策が大きく前進するとも考えづらい。後述するが憲法における義務の意味合いを誤解している可能性がある。
出産が義務ではない現在でもそれなりに少子化対策は取られており、それが尽く周回遅れ/方向音痴で不発に終わっていることはデータが雄弁に示している。
たとえ「出産の義務」が実現し、それで法的に出来ることが広がったとしても根本的に少子化問題の原因を理解していない者に、有効な手は打てないだろう。日本の少子化はもはや「出産すること/した後」前提の少子化対策でどうにかなる段階ではない。
義務と自由権
「国民の義務」にしたからと言って、誰しもがそれに従う訳ではない。たとえば現行憲法でも教育、勤労、納税は義務なのだが、これらの義務を怠っている人間は決してゼロではない。特に教育、勤労を怠ったからといって厳しい罰を受けることは無い。
たとえばニートになったからといって、行政から厳しい処罰が下ったり職業訓練校へ行くことを強制されたりといった例はあるだろうか。学校に行きたがらない子どもを放置したからといって、その子を行政が見つけて強制的に通学させるような処置はあるだろうか。否である。
そうした事態に至らないのは、そのような処置が同じく憲法にて保障されている自由権を侵害するから。ニートが勤労の義務に違反しているからといって、強制的に何らかの職につかせることは職業選択の自由を侵害することになる。義務と自由どちらが重いかという話になるが、憲法の性質としては自由権の尊重のほうが強い*1。
教育については少々複雑で、「教育を受けさせる義務」であって「子どもが学校にいかなければならない義務」ではない。あくまで義務を負うのは親。なので子どもが自らの意思で学校に行かない(不登校)となるのは憲法違反ではない。学校教育法では病弱、発育不全その他やむをえない理由があれば免除・猶予されることも明記されている。
子どもに義務教育を受ける意思や能力があるにも関わらず、親が正当な理由なく子に教育を受けさせない場合は就学義務違反となり罰金が課される*2が、こうした罰則が許されるのは親が子どもの権利を侵害しているからであって、国家行政の意思に反しているからではない。
こうした考え方に基づけば、たとえ出産を国民の義務に加えたとて「出産しなければペナルティを与える」といった法律は自由権の侵害にあたるので認められない。以前にも書いたが「公共の利益」は人権を無制限に制限し得るものではない*3し、そのような法制は国内のみならず国際的にも非難を浴びるだろう。
憲法に記載される義務として本質的に強い義務としては日本国憲法第99条、天皇とすべての公務員は憲法を尊重し擁護する義務を負うくらいか。それも近頃の政治家を見るに守られているとは言いづらいように思う。
何にせよ、国民の義務に「出産」が加わったところで出来ないものは出来ない、したくないことはしないで終わり。少子化を招いている社会的な問題を解消しない限りは実質的な効果が見込めない上、そのようなことを言い出せば反発を招くだけなのでやるメリットが無い。ゆえに「出産の義務」という概念自体が杞憂である。国民や政治家が憲法の精神を理解し、それを尊重し、維持できるよう不断の努力をするならばの話だが。
「義務」という言葉の意味
我々はつい「義務」と言われると=「しなくてはならないこと(しない場合はペナルティもあり得る)」と考えがちだが、実際はそうとは限らない。たとえば「努力義務」などはあって無いようなものである。
特に憲法における義務という言葉の意味については、それがどういった意図で用いられているか注意しなければならない。法律や条例における義務化とはまた少し意味合いが違う。主権者は国民であり、その主権者に対して一体誰が義務を課せられるのか。主権者しかない。つまり憲法における「義務」とは、主権者=国民が自らどこへ向かって努力するかの行動指針である。
もとより憲法が縛るのは権力であって、憲法によって主権者たる国民の自由権をいたずらに制約/侵害することは出来ない。なお、国民の義務といえば先に挙げた3つの義務があるが、これ以外にも法令遵守義務や人権保持の義務*4もある。語弊を恐れずに言うならば、憲法における「義務」とは心得のようなものとも取れる。
以上のことから「出産の義務」は非現実的かつ憲法の精神に反するものであり、何ら強制力を持ち得るものでもなく、また実現し得るものでもないと私は考える。
余談:納税の義務に反する政治家たち
以前書いた内容と重複するが、自民党の裏金問題において政治家は納税の義務に違反している。この観点から見て憲法遵守義務違反であり公務員としての資質を問わざるを得ない。
一部では裏金問題について納税の必要は発生しないと主張する人々がいる。確かにパーティー券収入=政治資金は非課税であるため、そこで記載漏れがあって後から訂正した場合であっても、もともと非課税なので納税義務は無い。
しかし自民党の裏金問題の本質は、パーティー券収入の一部を政治家個人へ還流(キックバック)していた点である。
政治資金パーティーを開催できるのは政治団体であって個人ではない。そこで発生したパーティー券収入は政治団体が管理するべきものであって、その一部を政治家個人へ還流したとなればその時点でパーティー券収入として正常な処理がなされておらず、還流された分は政治家個人の収入とみなし、課税対象とすべきである。
このあたりが有耶無耶にされ、時に野党から出てきた不記載問題が自民党の裏金問題と同列に語られて、政治資金規正法改正における論点からも外されていることが許せない。政策活動費も廃止すると言ってはいるが、それは他に抜け穴をつく目処がついたからだろう。政治資金収支報告書、選挙運動費用収支報告書の保存期間がたった3年なのも触れられないまま。
インボイス制度のような悪法を通した手前、政治家にももっときっちり納税の義務を果たしてもらわなければならない。パーティー券購入者の情報公開も「5万円超~」なんて生ぬるいこと言ってんなよ。1枚からやれ1枚から。