高市早苗氏が闇バイト対策として通信傍受強化を提言している。「警察官が身分を偽る捜査の導入」も検討するとしているがこれはいわゆる「おとり捜査」だろうか。今回は深く触れないが日本でおとり捜査は禁止されている訳ではない。扱いが難しいので捜査手法として避けられているだけ。
(記事題:高市氏、闇バイト対策で通信傍受強化検討を)
憲法第21条2項違反
まず、技術的な話はさておいて、いたずらに通信傍受を行うことは憲法第21条2項
検閲は、これをしてはならない。通信の秘密は、これを侵してはならない。
に違反する。闇バイト対策とはいえ、無関係な国民も含めて広くその通信を傍受することはプライバシーの侵害であり許されない。
いかなる場合でも通信の傍受が許されないという訳ではなく、犯罪捜査のための通信傍受に関する法律というものが存在するので何が何でも不可能という訳ではない。しかしこの法律にもとづいた場合でも通信を傍受するためには令状が必要であり、同法には「通信の秘密の尊重」という項目が含まれている。「通信の秘密」がいかに重要であるか、簡単に侵害してはならないものかはよく理解しておくべきである。
犯罪対策は免罪符ではない
たとえば極端な話、「闇バイト対策として皆さんのSNSのやりとりを全て監視させていただきます」というのを許してしまえば、犯罪対策という建前の下で国家が国民のプライバシーを広く侵害することになる。その中には本来、犯罪捜査に無関係な内容が多分に含まれており、傍受した記録が適切に管理・運用・破棄される保証は無い(というか裏で何やられても分からん)。
その内容が犯罪捜査以外で"活用"される可能性もあるだろうし、傍受された内容がサイバー攻撃によって外部組織に抜き取られ、意図せぬ形で利用されるリスクも考慮しなければならない。
そうでなくとも、国家によるプライバシーの侵害を安易に許すことは検閲につながる危険がある。今の日本がすぐさまそういった体制に移行する可能性は低いものの、最初は犯罪防止のためと始まった制度であっても、いつの間にか本来の意図とは異なる形で運用されて国民が不利益を被る可能性はあるだろう。犯罪対策と言いながら憲法で保障されたものを安易に侵害しようとする政治家は危険である。
通信傍受のメリット=事前にテロや犯罪が防げる可能性があったとしても実際に犯罪を行う組織、人が監視されている通信手段を避けるようになることは容易に予想でき、対策としての有用性も疑わしい。実効性の薄い対策とそれによってもたらされるデメリット/リスクを考えれば、いたずらに現在の調和を壊すべきではない。
実際にどのような対策をするべきか
まず第一に、若者が安易に闇バイトに釣られたりしないような社会を作ること、そのために失政を見直すことを政治家に求めたい。世の中で起きているあらゆる悪いことに対して我々は対症療法的な解決策を出すばかりだが、根本的に政治・社会が悪い。これを立て直さなければ今後も今まで無かったような嫌な問題が次から次へと出てくるだろう。そのうち対症療法的な対策では追いつかないほど国家として衰退する。
安直に考えれば匿名通信アプリを禁止することが考えられるが、通信の秘密を尊重する観点からは匿名アプリそのものを禁止することは難しい。言ってしまえばその辺のSNSだって匿名でやっている訳で、道具を禁止するのではなくその使用法について規制を考える必要がある。
たとえば犯罪の指示役はSNSやバイトルなどを通じて実行役を募集しているので、SNSやバイト募集プラットフォームに犯罪防止・通報を要求する/義務づける、バイト募集アプリでは募集する側の身元確認を厳格化させる等。犯罪行為に利用されているプラットフォームの責任を明確化し、具体的な対策を政府として求めることが対策になるのではないか。AIを使用したサイバーパトロールなんかも考えて良い。
また、SNSその他プラットフォームを通じて犯罪に勧誘する行為そのものを罪とすることも検討するべきだろう。この場合はどのような基準で「犯罪に勧誘する内容」と判断するのかが非常に難しいが、これにAIや囮捜査などを組み合わせて精度を上げ、勧誘段階で犯罪として捜査可能にすれば抑止力にはなる筈である。
これに加えて、実行役だけでなく指示役がいた場合にはその指示役も実行犯と同様の罪とするなどが考えられるだろう。従来の共同正犯・教唆犯・幇助犯のどの分類とするか議論が必要と思われるが、犯罪への勧誘と指示が揃った時点で共同正犯とみなして良いのではないか。
至極個人的な感想
を言うならば、高市氏の主張のような「悪いことをする奴がいるなら自由を制限すれば良い」といった発想での対策は安直かつ前時代的で危機感を覚える。氏は「放送法違反による電波停止」発言でも一悶着あったように、一見筋が通ってはいるものの憲法に保障されている内容に鈍感で思想が右翼的というか強権的に思う*1。
強権的な主張に迎合する人間も一定数いるが、彼らは国家権力の味方に回って勝ち馬に乗った気分で反対意見を叩くことに酔っているだけであり、ポジショントーク的で物事の良し悪しを正常に判断する能力に欠けている。現在の憲法の精神や民主主義的な体制において何が重要であるかを理解していない。必要なのは個人に対する信奉や盲目的な肯定ではなく、現実的な判断である。
類似の思考停止の例として(気持ちは分からなくもないが)「サヨクが反対しているからこっちが正解だ」といったのもあるが、これも危険な考え方に思う。「誰かが反対しているからその反対を行くのが正解」というのは実質的にその(嫌いな)誰かに判断を委ねているのと大差ない。実際に自分で考えた結果が重要。「オールドメディアがこう報道しているから斎藤知事の行動は問題ないに違いない」などというのも最近見た。敵か味方か、サヨクかそれ以外か、ネットかマスコミか、といった二者択一的な思考で分かれて叩き合いをすることは建設的な議論を生まないだろう。
加えてどんな問題でも「勝ち馬にのったつもりで反対する人間を叩きたいから長いものに巻かれる」人間がいるが、そのような思考はかえって自らを危険にさらす可能性がある。いくら組織(国家)を擁護しても組織(国家)から擁護されるとは限らない。
余談:「やましい事がないなら」論
「やましい事がないなら通信傍受されても問題ない筈だ。反対している奴らはやましいことがある犯罪者だけだ」などと気色悪い持論を展開する人々がいるが、このような被支配者側あるいは帝國臣民的な従属のための論法は愚かである。
まず我々にはプライバシーを守る権利がある。日本国憲法において「プライバシー」と明記されている訳ではないが、一般的には憲法第13条における個人の尊重、第21条における通信の秘密などからこれが認められると解釈されている。現にそうしたプライバシー論にもとづいて個人情報保護法やプロバイダ責任制限法などが制定されている。
「やましい事」の有無に関わらず、私生活に関わる情報を必要なく公開されないことは我々が持つ当然の権利であって、それを下らない詭弁によって放棄するべきではない。プライバシーが簡単に侵害される状況は実質的に自由を制限する、自由な活動を萎縮させる。
また、「やましい事」の定義が情報の開示を求める側によって恣意的に決められる点もこの論法のいやらしい点といえる。たとえばこれまで合法であったことを法律で禁止してしまえば、それまで何の問題もなかった事がたちまち「やましい事」に早変わりする。政府がいかようにも「やましい事」を定義できる。
恣意的な定義によって国家が無制限にプライバシーを侵害することを可能にし、「(政府の定義による)やましい事が無いかどうかを確認するためなら通信の秘密を侵しても構わない」となればこれは検閲に発展するだろう。
ゆえに「やましいことが無いなら隠すものは無いだろう」という論理で政府によるプライバシーの侵害を無限に肯定することは危険である。このような詭弁は検閲につながる危険性やプライバシーの権利を軽視しており、権力の監視において重要な言論の自由を萎縮させ、民主主義の基盤を脅かす可能性がある。
「やましい事がないなら全てをさらけ出せるはず / 個人情報を隠したがる奴はやましい事がある犯罪者だ」といった畜生以下の対偶論法は不毛であって、そのような詭弁をインターネットに匿名で=プライバシーが確保された状態で書き込んでいるのは傍から見て滑稽。
このような詭弁はマイナンバーカードなどの政府が推し進める制度推進において必ずといって良いほど出てくるが、そこで抵抗が生まれているのは日本政府に対する国民の信頼が無いからであって、国民同士でいやらしい同調圧力の権化のような詭弁を弄していても問題は解決しない。大日本帝國の時代ならそれが通用しただろうが今は違う。
「やましい事が無いなら~」って政治家にも言ってみろよ
*1:テレビ局の報道が実際に偏っていると感じられることは否定しない