ヤマネコ目線

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ムダと豊かさ

 いろいろ書いていて改めて思ったが、私は「ムダ」と豊かさをあまり結びつけて考えて来なかった。「”豊かさ”とは何か」という事は考えても、そこに無駄なもの、余計なものとの結びつきという観点が無かった。

 物心ついた時から日本経済は不景気であり、その中で醸成された節約という美徳、余計なものは徹底して排除すべきという価値観に対して、ムダなもの・余計なものは真っ向から対立するもの、即ち”悪”であった。それが豊かさという前向きな概念と結びつくとはあまり考えて来なかった。今思えばまったくもって浅はかなものである。何をもってして「豊か」と言うのかは難しい話ではあるが、それがムダの中に存在することは簡単に分かる筈なのに。

 たとえば極端な話、ヴェルサイユ宮殿はムダの極みである。人間が暮らすための施設にあんなレベルのものは必要ない。しかしそこに文化的な豊かさがあることは疑う余地が無い。同様に身近なこと、たとえば絵を描いたり楽器を演奏したりといった事に関しても、それは純粋に生活に必要かと言われればそうでもない。純粋に生きるために必要か、無かったら死ぬのかと言われればそれは違うが、人々はそうした行動をする。そこに精神的・文化的な豊かさがある。

 逆に言えばムダを許容するだけの経済的・精神的な余裕が無ければ、そこに豊かさは無い。昔ながらの牧歌的な暮らしをしていても、そこにムダを許容できるだけの余裕があればそれは豊かな暮らしたり得る。その点、今の日本は豊かと言えるだろうか。誰も彼も余裕が感じられない、何かと言えば節約節約。社会全体が豊かさとは真逆の方向へと突き進む一方ではないのか。そこで世界的に見ればどうだのアフリカではどうのと言い出すのは完全に無意味である。問題は日本国内なのだから。

現代社会とムダ

 今の日本社会においては、本来は「排除すべきムダ」ではない物事がムダとして切り捨てられる、あるいは許容されるべきムダがただただ排除すべきものとして切り捨てられるようになった、と感じる。あくまで私の感想なので、「それってあなたの感想ですよね?」と言われれば「はいそうです」としか言えないのだが。

 趣味の多様化で「ムダなこと沢山してるじゃん」と思われるかも知れないが、それ関してはこちらの記事で書いている。上の文章では「ムダが減っている」とは書いていない。

manuller416.hatenablog.com

 例えば少子化問題に関して言えばもはや恋愛、結婚、子育てといった選択肢そのものが(様々な要因があるとはいえ)自分にとって選択する価値がない、ムダなものとして切り捨てられている節がある。上の世代がどう思おうと、経済的余裕がない中で下手に子供をつくるなんて事はムダなのである。本来はただ単なる損得勘定でムダだと切り捨てて良いものでも無いとは理解していても、実際問題として切り捨てる人間は増えている。一部の恵まれた人間はこんなご時世でもすんなり結婚・子育てが出来る訳だが、そうではない人間の方が多い。

 道徳、倫理といったものもムダの範囲に入りつつある。迷惑系YouTuberやはま寿司で他人の注文した寿司にいたずらするような人間は、善悪の判断がつかない訳ではないであろうにそうしたものを切り捨てている。違法アップロードやファイル共有、転売ヤーといった事でも何でも、とにかく自分の利益に反する事はムダ、切り捨てて良いものになりつつある。最近発生した連続強盗事件も19歳がSNSを通じて闇バイトに応募して行われている。女はパパ活(という名の売春)、男は転売詐欺強盗。一部の人間とはいえ、もはや今の10代、20代前半からは金を掴むためなら何でもやるという意気さえ感じられる。

 部活でも「今の子はすぐ諦めるようになった」というが、「どこまで上手になれるか分からないのに練習に費やす時間が多いのはムダ」と感じるのだろう。すぐ手の届く範囲は所詮、すぐ追いつかれるようなレベルでしかなく、本当に偉大なレベルに達するには先の見えない中を延々と努力するしかない、という事が理解できていない。あるいは理解できたとて、そこに保証が無い以上はリスクとコストを天秤にかけてムダだと切り捨ててしまう。

 日本人が政治を変えることを怠り、経済をこのまま衰退させて格差、貧困を拡大させていけばそうした流れは加速する一方だろう。どんなに啓発活動だの道徳教育だのを強化しても経済的・精神的な貧しさは変えられない。そこから来るムダの排除、最低限の倫理道徳さえムダだと断定して排除するような流れは変えられない。そうした社会を見て今から10代、20代になっていく子供たちは何をどう考えて大きくなるのか。「美しい国」などと言っている場合ではない。

切り捨てて良いムダ

 ただの愚痴。岸田総理の施政方針演説がテレビで流れていたが、不愉快なのでついチャンネルを変えた。あれは尺的にも内容的にも政治的にも切り捨てて良いムダ。

 異次元の少子化対策などと言うが所詮は今まで失敗して来た少子化対策(とやら)の焼き直し。焼け石に水どころか焼け石に霧吹き程度のもの。「異次元なのはお前の頭の中だけ」。給付金だの何だのというレベルで少子化を止められる段階はとっくに終わっているといつになったら気づくのだろうか・・・聴く力とは一体。あるいは聴く相手が悪いのか。そりゃ高齢オッサンばかりの会議じゃ無理だわな・・・。

 それに防衛増税にせよ少子化対策にせよ、なぜ企業に賃上げを求める一方で手取りを減らして経済にブレーキをかけようとするのか。物価高騰対策も無策に等しい。坂道でアクセルを弱く踏みながらブレーキは全力で掛けてくる。今の坂道では徐々にすべり落ちるだけ。なぜもっと経済というエンジンを回そうとしないのか、そのための障壁を緩めようとしないのか。財政に関して言えば政権うんぬんよりも財務省、もとい罪謀省がすべて悪い気もするが。

 成果主義だ何だと言うのなら、一番ムダなのは国会議員の給与