「発展途上国は貧しいのに少子化ではない」、「先進国はなぜ少子化傾向に陥るのか」、という観点から記事を書いた。今回はそれらの記事の内容から改めて、日本がなぜ少子化に陥り、その傾向が止まらないのかを書いてみたい。
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きっかけ
後述する要素をもたらした要素はバブル崩壊ではないかな、と考えている。長い不況の入り口であり、1997年から日本の実質賃金が下がり続けているデータからしても、おそらく一番のきっかけはバブル崩壊。それが防げたかと言えば否であろうが、その後の対応も良くなかった。
経済の停滞と格差拡大
もっとも大きい問題であり、少子化の原因を語る上で外すことが出来ないのは景気低迷・格差拡大だろう。これが少子化傾向にもたらしたものは重い。後述するがその影響は単なる金銭的なものにとどまらない。
長期的な景気低迷は企業にコスト削減、主として人件費の削減を強いて来た。そのために政府が竹中平蔵のような政商の言うまま非正規雇用を拡大させ、雇用形態からして格差が拡大した。
拡大する格差は”一握りの富裕層”と”大多数の貧困層”へと人々を分断してゆく。そこでは「子育てにいくらでも遣える極一部の恵まれた人」と、「子育てどころか結婚も恋愛もできない多数の人々」という構図が傾向として出来上がる。そこで富裕層が子育てできない人間の分まで子どもを作るならまだしも、実際にそんな事は不可能。子供を作らない/作れない人が多数になるので、全体として人口は減っていく。
先進国が少子化に陥る理由として、先の記事では「子育てにかかるコストの増大」を挙げた。裏を返せば先進国において少子化を少しでも食い止めるためには、子育てにかかるコストを支払うことが出来る人間を少しでも多く確保する必要がある。そのためには格差を是正し、中間層を厚くしなければならない。
しかし、日本政府は格差是正どころか格差を拡大させる政治を進めて来た。主権者たる国民もいろいろ事情はあれど、それを変えることはしなかった。その結果として前述したような最悪の構図が実現しつつあり、少子化に拍車をかけている。また、少子化の加速は労働人口の減少や国内市場の縮小を意味する。それが国内の経済成長を抑制して景気低迷を長期化させ、少子化傾向を加速させるという悪循環に陥っている。
先の記事では「安定した経済が少子化の一因となる」と書いたが、今のまま経済を衰退させることで少子化の減速、解消を図ることを良しとする人は居ないだろう。それまでにどれだけの時間が掛かるか分からないし、国力がどれだけ落ちるかも計り知れない。
繰り返される増税・社会保険料の引き上げ
これも景気低迷とのダブルパンチで少子化を加速させている。ただでさえ子育てにかかるコストを支払うことが出来る人間が減っている中、経済的負担を増やせば増やすほど余裕は無くなり、結婚や子育てをする人間はますます減っていく。そこで少子化を止めようと焼け石に霧吹き程度の少子化対策を打ち出し、財源のためと増税・社会保険料の引き上げを繰り返して若年層への経済的負担を大きくする。結婚・子育てをする世代への負担は増え続け、少子化は解消どころか加速していく。
必要なのは結婚、子育てをする世代全体の負担軽減であり、厳しい世の中でも当然のように結婚、子育てが出来る比較的恵まれた人間をさらに支援すること、そのために若年層全体の負担をさらに増やすことでは無い。
特に若年層の一員としては、社会保険料の負担が大き過ぎると感じる。今や手取り30万円欲しければ額面40万は要る。大体25%が税と社会保険料で持っていかれる訳で、その内の大部分を占めるのが社会保険料。こんなんで結婚・子育てなんか出来るかボケ。おっとつい愚痴が。
ついでに書くが教育などの「無償化」というのも良くない。「無償化」と言うがそれにかかる実質的な費用は無くなる訳ではないし、そのための財源がどこからか降って湧いて来る訳ではない。結局、その財源は増税などで賄うこととなる。無償化とは言い換えれば「税金化」である。それで経済的な負担が増えるのであれば若年層はますます結婚・子育てが出来なくなる。何となく言葉の響きが良いからと賛同していては元も子もない。教育をはじめあらゆるものを無償化すれば子どもを作る人間が増えるなどと言うのは、度し難い無能の言うこと。目先の利益しか考えていない。
社会保障の充実自体が少子化傾向を招く点もあるが、経済同様に社会保障を削ることにも限度があり退化させることも難しい。ただ、財源が無いなら無いで無理な拡充をするべきでも無い。こども予算倍増だのとやっている感を出すためだけにムダな政策を打ち出し、そのために増税・社会保険料の引き上げを続けるのは最悪。
価値観の多様化
先進国では価値観が多様化する傾向にある。社会が安定して少人数あるいは個人でも生活が成り立つようになるため、生活共同組織としてのムラ、家族の意味や必要性が薄れていく。個人の自己実現、自己決定こそが重要なものとなり、旧来的な価値が揺らぐ。その中には結婚・子育てというもの、子孫を残すという事の価値も含まれる。
そのように揺らぐ価値観の中で少子化を防ぐには、世の中をそれなりのコストを支払ってでも結婚・子育てを”する価値がある”、と人々が考えられる社会に維持しなければならない。これはなかなかに難しいことだが、価値観が揺らいでしまう以上は何とかそうして誘導するしか手は無い。
では日本はどうか。もともとの少子化傾向に加えて前述した景気低迷・格差拡大により、価値観は大きく揺らいでその行く先も不安定化している。増大する子育てコストに反して上がらない給与、良くならない景気、社会の閉塞感、「子育て罰」という言葉すら出てくる世の中。その中では結婚も子育てもコストに見合わない金持ちの道楽であり、積極的に取り組むだけの価値が見いだせない。それよりも自分なりの幸福を追求することに意義、価値を見出す人が増えている。
不景気に育つ価値観
加えて、不景気の中で育つ人間の価値観・行動原理も結婚・子育てには向いていない。生まれた時から不景気、物心ついた時から節約節約、何を買うにしても吟味に吟味を重ね、失敗やムダは悪という価値観。
「失敗したって良いじゃないか」、というのはある程度の経済的な余裕が無ければ成立しない。今の若年層にはそれが生まれた時から無い、少ない。親に経済的な余裕が無いから。なので失敗を極端に嫌う。それなりのリターンが事前に見込めなければコストを支払うことをためらう。支払わない。コストを支払うとしても、それは最小限でなければならない。「いかに自分が支払うコストを最小限にしつつ、最大限の利益を引き出すか」というのが現代人、こと若年層の行動原理である。それは部活における姿勢やコスパ、タムパという言葉に顕れている。
かたや恋愛・結婚・子育てには浪費や失敗、ムダはつきものである。不景気に育つ中で醸成された価値観とそれらはまったく相反してしまう。先行きが不安で社会が衰退しつつある中で優先すべきは財産の保全であり、成就するか分からない恋愛、離婚するかも知れない結婚、失敗する可能性が高い子育て、それらに相応のコストをかける価値は薄い。コストをかけるだけのリターンがある確率は低い。経済的に苦しい状態で結婚・子育てをすることはろくな結果を生まないという事は、不景気に育った人間が一番よく理解している。
中には経済的な苦しさから破綻しゆく夫婦仲、離婚などを家庭内で見てきた人間も多いだろう。今の世の中では、結婚生活というものに理想を抱くことすら難しい。
そうした傾向は現時点で適齢期の人間のみならずその子どもたち、これから大人になってゆく人々にも同様に作用すると考えられる。経済・社会が衰退する一方ではそれはより悪化していると見ても良い。これまでに述べたような価値観はむしろ悪化さえして、「何をしても自分が得をするのであればそれで良い」という利己主義・拝金主義的な流れに変わりつつあるように思う。強盗、転売ヤー、パパ活、ギャラ飲みetc.、世の中で起きているあらゆる良くない事が、不景気とそこで芽生える価値観から来ているように思う。
また、経済が衰退する一方の中に育つという事は「自分が子どもの頃=世の中が一番良かった頃」という状態を生む。自分自身が大人になった時、子どもの頃に描いていた(描かれていた)ごく普通の生活水準は、自分が大人になる頃には手が届かない存在になっている。それがさらなる絶望感を生む。
女性活躍推進社会
女性が社会進出することを否定したい訳ではない、という事は予め断っておく。
格差拡大、貧困が広がった結果、今や子育てにかかるコストを支払う為には二馬力(夫婦共働き)が当たり前になりつつある。それを女性の社会的地位向上、社会進出と関連づけて良いように誤魔化しているのが「女性活躍推進」だが、一方で日本の企業文化は相変わらず女性のキャリア形成と結婚・子育ての両立に対応していない。
その中で女性は自身のキャリア形成か、結婚・子育てかの二択を迫られることとなる。前者を優先する女性が増えれば少子化傾向に拍車がかかることは避けられない。なんとか両立しようとしても女性は出産/子育て・仕事の両方という大きな負担を背負うこととなる。それも男は仕事、女は家庭という流れが続いて来た日本社会においては、男性側の育児に対する意識はまだまだ低い。女性に求められる負担を十分に軽減することが出来ない。
問題はここからで、格差拡大によって経済力の無い男性が増えればどうなるか。二馬力が当たり前になりつつある中で結婚・子育てをすることに不安を覚える女性は必然的に増えてくる。前述したように自分が子どもの頃の方が生活水準が高いというレベルでは尚のこと。結果として「普通の男性」がいないと判断し、キャリア形成を優先する女性はより増えていく。
単にキャリア形成と結婚・子育ての両立が出来るか否かの問題であれば、それが実現可能な労働環境の実現で多少は何とかなりそうな気はする。が、それは口で言うほど簡単ではない。仮にそれが実現したとて、根本的に経済力のある人間を増やさない限りは少子化に歯止めはかからない。
また、何よりも結婚/子育てを優先する場合は自身の負担がより軽い方向で、「出産・子育てと仕事の板挟みになるくらいなら、最初から自分が専業主婦でもやっていけるような経済力ある男性と結婚するのが最善」と考えるのは自然であろう。問題はそのレベルの経済力ある男性がそもそも少ないこと、そう望む女性自身がそれに見合うだけの女性かどうか、だが。結果として高望みのまま、結婚出来ず適齢期を過ぎていく女性が増えてしまう。
少子高齢化という現実
先の記事でも述べたが、少子高齢化そのものが更に少子化傾向に拍車をかける事がある。日本はもろにその一例だろう。人口比率が逆ピラミッドとなってしまえば国の予算における社会保障費が膨らみ、若年層への負担は大きくなる。その結果、子育てにかかるコストを捻出できる人間は減ってしまう。少子化がさらに加速するので人口の逆ピラミッド化も加速する悪循環へと陥る。
これを解決する手段としては、是非はともかくとして移民くらいしか私には解決策が思い浮かばない。どこぞの学者?*1のように高齢者に集団自決せよと言う訳にもいくまい。
多様な娯楽は少子化の原因になるのか
可能性としては無くもない、しかしその影響は限定的だろう。格差がそこまで広がらず、当たり前のように恋愛・結婚・子育てができる環境さえあれば、多様な娯楽があっても人々は自然と子育てをする。逆に今はそうした環境ではなくなっているため、若年層の関心はより個人主義的、自己の幸福の追求へと向かっている訳で、その先に多様な娯楽があるにすぎない。作る側も需要があるからそれに合わせて作っている。昔よりも大人向けのアニメなどが増えているのはその点が大きい。
少子化問題の解決策として娯楽を規制しようという意見もあるかも知れないが、それは良い考えとは言えない。欲求はどこかで発散させる必要がある。何かを禁止した所で、その欲求が消えて無くなる訳ではない。必ずどこかに現れる。それが娯楽へと向かっている内はまだ良い方で、そこを潰せば今度はどんな形で現れるか分からない。ともすれば、犯罪として現れてもおかしくは無い。
結局何が悪いのか
様々な要素はあれど、その根底はいずれも突き詰めて行けば景気低迷とその中での経済的な負担増にあると思う。ここまで長々と書いたが、結局はお金が無いので無い袖が振れないだけのこと。若者はお金が無い中で自分なりの幸せを追求しているだけ。
余談:「昔はお金が無くても結婚してた」
この言葉については軽く反論しておきたい。今は昔とは違う。昔よりも「お金がない」ことの罪の重さも違う。子どもに与えるべき最低限の環境やそれに掛かるコストがまるで違う。経済が衰退し、実質賃金が下がり続けている現状ではなおさら負担の割合が違う。今よりも物価も社会保険料も安く、下手をすれば消費税そのものが無かったような時代の話を持ち出して来るのは全くもって無意味。社会全体で見れば昔よりも優れている点も多々あるだろうが、コストはそれに応じて上がっている。逆にコストが増大して子育てをする人間が減った結果、なんとかその流れを止めようと小手先でいろいろ頑張っている、と見る方が正しい。
*1:成田悠輔