最近、仕事でも私生活でも液晶モニターを見つめる日々が続き、眼がすっかり疲れてしまっている。なのでモニターが関係ない趣味もやろうと久々に戦車のプラモデルを買い、平日の夜に少しずつ組んでいる。写真集を買ったのは塗装の際の資料のため。その写真集が思いのほか面白かった。
購入したのはこれとこれ。
何が面白いのか
分からない人も多いかも知れないが、まず第二次世界大戦における戦車というのは全体的に面白い。最初の戦車が登場してから第二次世界大戦が勃発するまでわずか23年ほどしかなく、各国はその間にさまざまな思想・想定のもとで多様な兵器を生み出していった。そうして生まれた数々の兵器には興味深い創意工夫があり、何が失敗で何が成功だったかを知ることは面白い。
今は絶滅した多砲塔戦車や豆戦車といった変わり種もあったし、戦車の中でも軽戦車、中戦車、重戦車といったクラス分けがなされていたりもした。*1何より現代の戦車は軍事機密の塊である一方、WWIIあたりの戦車であれば詳しい事を知ることが出来るし、歴史的評価も決まっている。
イギリスが世界で初めて実戦投入した戦車、マークI。ひし形戦車とも呼ばれる。
そうした中でもナチスドイツ軍の戦車は傑作といえるものが多い。戦争には負けたものの、戦車の能力としては大戦期間中、あらゆる点で連合軍の戦車に対して優位に立ち続けていた。有名どころで言えばティーガー、パンターは男子なら知っている人が多いだろうし、IV号戦車も有名なアニメで主役として活躍してから注目されるようになった。でも負けたんだろうって?平均30分に1台戦車作って投げつけて来る国があったからね(日本もそれで捻り潰されました☆)。
IV号戦車の注目すべき点
前置きが長くなったが、IV号戦車の注目すべき点は個人的に拡張性の高さだと思う。IV号戦車の開発が始まった時点では、ドイツ軍の主力戦車はIII号戦車であった。IV号戦車はあくまでその動きを補佐する役目。要は最初は脇役だったのである。
しかし戦争が進むにつれて戦車同士の戦闘が増え、戦車の装甲は厚く、主砲は大きくなっていく。新しい戦車を開発する傍ら、既存の戦車に装甲を追加したり主砲をより大きいものに載せ替えたりといった事が行われる。その中でIV号戦車はIII号戦車よりも高い拡張性を示し、脇役から主役へと立ち位置を移して終戦まで使われ続けた。バリエーションは実にA~J型まである。先に述べたティーガーやパンターは数的に少なく、実質的な主力とまでは至っていない。
IV号戦車B型
IV号戦車 - Wikipedia より以下同じ
IV号戦車 F2型(G型初期)
たとえばB型とG型(初期)とを並べて見ると、主砲が明らかに対戦車向けのものに換装されていることが分かる。
上のB型は砲身(筒)が短い主砲を搭載しており、これは簡単に言えば榴弾を素早く何発も撃ったりするのに向いている。榴弾は爆発することで歩兵の殺傷や構造物(トーチカや掩蔽壕など)を破壊する目的で使用され、戦車対戦車というよりは歩兵支援に重きを置いたもの。欠点としては筒が短い=それだけ砲弾を加速する時間が短い、砲弾の速度が落ちる。なので対戦車用途には不向き。対戦車戦も出来なくは無いようではあるが。
それに対し下のG型初期は、明らかに長い砲身の主砲を搭載している。砲弾の直径が7.5cmというのは同じだが砲身が長い分、それだけ長いあいだ砲弾に加速力を与えられる=砲弾の速度がより速い。より大きな速度、破壊力をもって敵戦車を攻撃できる訳である。
そのほか、上2枚の写真で言えば車体左側、正面機銃の有無の違いはぱっと見で分かりやすい。これ以外にも増加装甲が追加されたり*2、その増加装甲の厚みが増強されたり、照準器付近にそれまで無かった雨どいが追加されたり、マズルブレーキ*3の形状も少しずつ変わったり、実戦を経るにつれて細かい改善が繰り返されており、その過程を写真集を通じて見ると興味深い。
ピルツ(Pilz、ドイツ語でキノコ)と呼ばれる短い円筒が砲塔の上に付いていたりするが、それは簡易的な2tクレーンを設置するための基部らしい。クレーン車が不足する中、戦場でエンジンを修理のために降ろしたり載せたり、あるいは追加の装甲板を車体の上に乗せて溶接したりするためにはそんな装備も必要だったようだ。
IV号戦車J型、Wikipediaより
上は最終型のJ型。表面に細かいすじが入っているがこれはツィンメリットコーティングと呼ばれるドイツ軍の杞憂加工で、磁石で吸着するタイプの爆弾が表面にくっつきにくくするためのもの。吸着地雷と呼ばれるものをドイツ軍が使用しており、その類似品を敵も使って来るだろうと思っていたら全く使用されずに終わった。
砲塔横に追加されている装甲板(白く十字が入っているあたり)はシュルツェン(ドイツ語でエプロン)と呼ばれる追加装甲で、比較的装甲が薄い側面、後方を対戦車ライフルなどの対戦車兵器から防御する目的がある。それも単なる装甲板ではなく、わざと砲塔と装甲板を離して接合してある。現代でも使用される対戦車兵器の1つ、成形炸薬弾に対して有効。
戦車側面の金網みたいなものはトーマシールドと呼ばれ、いわば金網式のシュルツェン。成形炸薬弾は着弾してから距離がひらくほど威力が弱まる、逆に言えば金網程度のものにでも着弾させて、本体よりも離れた位置で起爆させてしまえば威力を大きく落とすことが出来る。そうした効果を狙って側面の防御力を底上げを図っている。金網なので、その間に草木を挟むことでカモフラージュにも使いやすい。ただし対戦車ライフルには効果が薄い。
ただ、悲しいことに良い改良ばかりでもない。敗戦国らしく戦争後期につれて資源節約のための設計変更も行われている。たとえばF2型(G初期型)とJ型を見比べた時、一番手前の車輪が肉抜きされているのが分かるだろうか。鉄資源節約のために肉抜きやボルトの本数をへらす、今まで付けていたものを廃止するといった事も行われている。
F2(G初期)型の写真、フロント部分に乗せられている履帯もよく見ればセンターガイドに穴が空いているもの、空いていないものがある。決してこういうデザインな訳ではない。戦争後期になるにつれて、こうした部分でも肉抜きして資源節約に努めていたことが分かる。
そのほか見えない部分ではあるが最後のモデル、J型からは砲塔の旋回が手動になった。それまでは電動モーター+手動だったのが完全に手動になったので、砲塔の旋回速度は落ちている。ただ二人がかりで回せば電動よりも速く回せた、傾斜のついた状態での旋回がより容易になったといった話もある。
余談:その他の戦車いろいろ
大戦後の話だが、イギリス軍戦車に湯沸かし器がついているというのは有名な話。最近ウクライナへの提供で話題のチャレンジャー2にも電気ケトルが付いている。英国紳士は戦場でもティータイムを欠かせなかったのである。いわく、戦場で戦車の外に出てティータイムを楽しむよりは、車内で楽しめるようにした方が安全なそうな。
第二次大戦におけるアメリカ(というか連合軍)の主力戦車M4シャーマンは、実は決して強い戦車ではなかった。どちらかと言えばやられ役ですらあったがとにかく数で押し切った。3年3ヶ月で約5万両という数の暴力。ドイツ軍のパンター、ティーガーは合わせても8,000両に届かない事を考えると、どれだけ意味不明な数か分かるだろう。1年間は8,760時間、生産台数を5万両、1ヶ月を31日と近似して時間あたりの生産台数は
8,760(時間)×3 + 31(日)×24(時間)×3(ヶ月)=28,512(時間)
50,000(両) ÷ 28,512(時間) ≒ 1.75 (両/時間)
あくまで数字的な話とはいえ、2時間で大体3台の戦車が工場から出てくる計算になる。現代で考えても意味が分からない。ソースは忘れたがある映像で地平線までずらっと並ぶM4戦車の映像を見た時、こんな国に喧嘩を売ったらそりゃ負けるわと思った記憶がある。まあ、先に述べた通り(ドイツ軍の戦車に対しては)弱かったので、兵士からの評判は芳しく無かったようだが。
他方、ぶっちゃけ旧日本軍の戦車は好きではない。個人的には嫌いですらある。逸話を探しても同じ敗戦国でもドイツ軍のそれとは違い、弱かったという話しか出てこない。港湾設備の関係で小さい戦車しか運用する能力が無かったと言えばそれまでだが、大陸の怪物たちを相手に戦うのにそんな言い訳は通用しない。
旧日本軍における戦車は九七式中戦車チハが主力であったが、装甲はほぼ時代遅れのリベット留め(一部は溶接留めの箇所もある)。装甲自体も薄く、主砲もエスカレートしていった戦車同士の戦闘に完全に置いてけぼりを食らっている。上の写真はこれでもまだ強化された部類。IV号戦車の主砲の口径が75mmに対し、チハは強化された主砲でも47mmしかない。そもそも小型過ぎるので拡張性も無かったのだろう。小型過ぎると後から大きな砲を乗せることが出来ない。その他、旧日本軍は戦車に限らずあらゆる兵器でいろいろと難点を抱えており、そうした問題が現代日本と重なって見える部分もある。とにもかくにも見比べて見れば、IV号戦車とどちらが優れた戦車たり得たかは一目瞭然。