ヤマネコ目線

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若者の責任離れ

若者批判の記事ではございません。それを期待して来た方はブラウザバック下さい。

 書き散らし。もはや半分ネットミーム化した下の画像と、修学旅行で美術作品を壊した中学生のニュースを見て何となく思い浮かんだことを書いておく。

 端的に言えば、↓これって人生全般にも言えるよなあ、という話

「らーめん才遊記」原作:久部緑郎、作画:河合単より

金と責任

*記事が消えるのが早いので画像化しています

修学旅行中の中学生が美術館の芸術作品を破損 美術館が被害届提出【新潟・十日町市】(NST新潟総合テレビ) - Yahoo!ニュース

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 修学旅行先で美術作品を破壊した中学生、一番悪いのはもちろん破壊した中学生本人なのだが、弁償となると親がすることになるのだろう。家庭内でどのような罰が下るにせよ、責任を追うのは親である。

 それは何故か。中学生(こども)はその人自身の行動に責任を負い切れないからだ。お金で償えと言われてもそれだけの経済力はもちろんない。貯金が多少あるかも知れないが知れた額だろうし、それが取り上げられるかは家庭内での話。中学生にせよ高校生にせよ「責任ある大人」とは言えない以上、よほどの事が無い限り彼ら自身に責任がのしかかる事はない。

 では「責任ある大人」とはどういう人か。辞書的な定義はさておき私は「自分自身の行動によって何が起こっても対処できる人」だと思う。その「対処」には往々にして金がかかるし、それは責任を担保するものは金である」とも言い替えられる。これは冒頭で紹介した1コマのセリフに通じるものがあって、仕事かどうかは関係なくあらゆる責任には金が絡む。

 「金で何でも解決できる訳ではない」、それは百も承知だが、現実はあらゆるものが金で解決されている。慰謝料、賠償金、示談金。刑務所送りというペナルティの前には「金で解決」という手段が用意されている。

お金の若者離れ

 近年叫ばれて来たあらゆる「若者の~離れ」は全て、「お金の若者離れ」で説明がつく。これが前述した内容に絡んで来る。

 「お金がない=責任を負う力がない」であるがゆえ、お金のない若者は責任を負わなければならないような行動・立場を遠ざけるようになった。こう考えると「若者の~離れ」は本当に至極当然の話と言える。そして単純化されていた「お金の若者離れ」の問題が明確になってくる。

 車を買うにせよ、結婚するにせよ子供を作るにせよお金はかかる。しかしそれに責任を持てるだけのお金が無いのであれば実質的に責任を負う事はできない。任意保険に入らずに自動車を持つ、経済力が低いのに結婚して子供を作る、そういった分不相応な事をすればいずれ痛い目を見る。生まれた時から不景気で堅実に育った若者は、そういう事をよく理解している。上が「最低でも3人」などと世迷い言を抜かそうと、出産一時金を雀の涙ほど増額しようと、「自分自身に責任能力がないと自覚している若者」は動かない。

 「管理職になりたがる若者が減った」というのも同様。当然の流れ。負わされる責任に応じたお金が貰えないのであれば、誰が管理職などなりたいと思うのか。それも今や「名ばかり管理職」などという言葉さえ出てくる始末。「金は払わないけど責任は負ってください」?アホか。

「幼稚化」して見える正体

 おそらく、上の世代の人々は今の若者が「幼稚化している」、「子供のまま」に見えているかも知れない。当事者ではないので断言はしないが、そういう視線を感じる事はある。

 しかしそれは当然の事で「お金が無いのに『責任ある大人になれ』と言う方が無理がある」、これに尽きる。「責任ある大人」たり得るには年齢は問題ではない。働いてるかも問題ではない。責任に大きく関与するのはお金である。本質的には20歳になったから、就職したからと急に「責任ある大人」になる訳ではまったく無い。ゲームか何かのシステムではないのだから。

 そして日本人の年収中央値は非正規雇用の急増により、25年で100万円以上低下している。お金の無い若者が増え過ぎてしまった。これは実質的にどういう事か。「適齢期を迎えても実質的に子供のままの人間が増えすぎてしまった」という事である。中学生、高校生並にお金がないという訳ではないまでも、責任ある大人たり得るまでの経済力を持つ人間が少数になり、立場的には実質子供とそう大差ない大人が増えたことで、上の世代からすれば「子供っぽい大人が増えた」と見えるのだろう。

 ただ、それは若者自身が悪いと言い切れないと私は思う。非正規雇用の拡大は若者が推進した訳ではない。今の若者を子供のままにしたのは上の世代である。いくら子供っぽく見えようと今の若者は金がないなりに、自分の人生を自分なりに豊かに生きようとしている。それがアニメであったり、ゲームであったり、とにかく金の掛からない、責任を負う必要がないものになっているだけの話。大きな責任が絡んでくる大人としてのライフイベントが人生に入って来る余地がない。

これからの「大人」

 私はいわゆる「ゆとり世代」で20代後半のまあ、半人前みたいなもんだが、そんな私からしても下の世代に「幼稚さ」を感じることはある。しかしそれは彼らが悪い訳ではない。そうならざるを得ない状態にした社会が悪いのだ。

 これから先、そうした大人はどんどん増えて来るだろう。「子供のように自分勝手」と言われるような人間は増える。社会的、政治的に大人になれない人間を増やしたのだからしょうがない。いずれ日本は国としてその報いを受けることになる。既に影響は加速度的に進む少子化となって表れている。

 最近、よく聞くようになった「パパ活」という売春。若い男には金がないので、パパ*1にお金をもらったりブランド品を買ってもらったり、旅行に連れて行ってもらったりして、対価として自分を売る女が増えている。これも若者にお金がない事の弊害の1つだろう。そもそも簡単に体を売る日本人女性の貞操観念の低さが問題で気色悪いことこの上無いが、若年層にお金がないという事はそういった不健全な付き合いを現実に既に生んでいる。梅毒が流行っているのもこれが一因。それがあって数年前から、同年代や下の世代でちょっと綺麗な女性を見かけても純粋に綺麗な人だと思えなくなった。ちょっと良いブランドモノを持っていたらなおさら。「金さえ払えば喜んで見ず知らずの男のモノをしゃぶるような女」、そんな女は同世代の男からして恋愛対象になるだろうか。付き合ってても裏で何をしているか分からない、そんな現代の恋愛事情が気色悪くて仕方ない。

 かくいう私は、もう自分が結婚して子育てするなんて未来は描けないでいる。自分が子供の頃にメディアで描かれていた「普通の幸せ」はもはや普通でも何でもなく、「親を追い越すのが当たり前」ではなく「親って凄いなあ」の世界。ましてや日本人は妬みが恐ろしい民族、これから「大人になれない大人」が増える中、子育てをするのはどれだけ大変で息苦しいだろうか。それを考えただけでもゾっとする。もし子供が出来ても女の子だったらどうしようか。今現在、世の中にはびこる売女に、その子もなっていくのだろうか。そんな事を考えると、もう1人で孤独に死んで行った方が、少なくとも私の視界の中の世界は比較的綺麗なままなのだろうかと考える。

 

竹__平__◯ね

 

 

 余談だが私の母が最近、ごく短い間だけコロナ関係でパソナの派遣として働いていた。給与は良かったらしいが、仕事で誰かのミスを指摘していたら更新無しになったらしい。逆にミスしまくりでも従順な人間は契約更新されたと。

 本人の誇張表現もあるかも知れないが、委託先でデータ入力ミス多発みたいなニュースの裏側が垣間見えた気がする。

*1:若い女性からすれば父親にあたるくらいの年齢の男