ヤマネコ目線

大体独り言、たまに写真その他、レビュー等

無気力な若者は「増えている」のか

 何となくそう感じている人はいるのでは?という思いから少し書いてみる。と言ってもただ単なる私自身も含めた感覚なので、まずはデータから見る必要があるだろう。

ニートの増加率から見てみる

2022年時点で74万人…「ニート」数の推移と現状をさぐる(不破雷蔵) - エキスパート - Yahoo!ニュース

 まず上の不破雷蔵氏の記事を読むと、若年無業者の数自体は2000年代よりは減っていることがわかる。コロナ禍真っ只中では突出しているが、それ以降では若年無業者の数自体は減っている。

 ただしここで注意したいのは分母の数で、単純な数の比較ではなく全体に対する比率で見るべきであろう。そこで労働力調査(PDF)を参考にすると(17ページ)、15~34歳人口に占める若年無業者(=ニート)の割合は直近10年で横ばいである。コロナ禍による増加はあったものの、ことさらに若年無業者が増えているとは言い難い。データを見れば一概に「無気力な若者が増えている」とは言えないと思われる。

 なお、ニートの割合はOECD諸国の中では低い方。ただ同記事を参照した歳、年齢別で見て25~29歳の割合が高くなっていることは気になる点ではある。

ニート数比率の国際比較をさぐる(2020年時点最新版)(不破雷蔵) - エキスパート - Yahoo!ニュース

 ニート(若年無業者)の数的な観点からは、以上のように無気力な若者が特段増えているとは思われない。

考察)なぜ「無気力な若者が増えた」ように感じるか

 データで見れば、それもニートという括りで見た場合ではその割合は特段、増えていない。一方で感覚的にはそうした人物、あるいは働いてはいるが何かしら問題のある人間が増えた/増えているような感覚は拭えない。それはなぜか。

 まず価値観の相違で説明がつく場合が多いのではないか。私自身もだが、不景気の中で育った人間は費用対効果に対して厳しい。たとえばドラマの倍速視聴やファスト映画など、私は普通に見れば良いのにと思うが、若い世代はそうしたコンテンツにかける(支払う)時間というコストの大きさが許容出来ないのである。それが時と場合によれば、上の世代からは怠惰、無気力であると映る。上の世代なら当たり前のように支払える(余裕がある)コストでも、下の世代の価値観では厳しい場合がある。恋愛、結婚、子育てに対する労力は、その最たるものと言えるだろう。

 また、価値観と関連して育った環境による要素も大きいのではと思う。これは無気力とは少し違った話も入って来るが、私の世代でも日本から「子供を社会全体で育てる」といった余裕は失われていた。あらゆるコストに厳しくならざるを得ない不景気、息苦しい世の中では、他人に子供の教育にまで口出しする余裕などほとんどの人間は持っていない。

 今、子供がまともに育つかどうかはその子の両親あるいは親族にかかっている。子供が悪いことをしてもそれを叱って良いのはその親だけで、他人ならば放っておく。親身になってくれる他人は学校の先生くらいだが、それも今の教育現場には余裕が無いので限度がある。

 何なら子供が少ない中、我が子可愛さに子供を叱るどころか過保護に育てるモンスターペアレントも出てきてしまった。親くらいしか子供を叱らない/教育しないのに、そこで甘やかす親が問題視されるほど出てきてしまった。まともに子供を叱れる人間が減ったことで、自制心が効かない、自分の過ちを認められない、自由と勝手を勘違いしたまま年齢を重ねてしまう人間が増えたのではないか。

 我慢することを知らない、その上、費用対効果に対して厳しい価値観を持つ人間は、あらゆる場面において我慢せずその厳しい価値観を貫きがち/貫いてしまう。それがより一層、上の世代からの「根性がない」、「無気力である」という印象を形成するのだろう。

 この点、私自身も自分で書いていて辛い所はある。恋愛や結婚を全てやるだけ無駄として切り捨てた身としては、あまりその辺りは責められない。

「無気力さ」は悪化し続ける

 上の世代からすれば、私の世代は大概だった。しかし今、私から見ても下の世代はさらに無気力な感じがある。それは何故か。コストに厳しい価値観を社会の閉塞感が醸成し続けているからではないか。何をやるにしてもお金はかかる、しかし貧しくなる一方の日本国民。拡大する一方の格差の中では、積極的に何かに挑戦しようにも挑戦させてもらえる環境がもはや珍しい。何をするにしても「お金が無いから無理」という環境下で、気力を保って生きるのは厳しいものがある。何をしようにもどうせそのためのコストが支払えないのなら、最初から何も目指さない方が精神衛生的には良い。そうした状況が子供の頃からずっと続く。社会が傾けば傾くほど、格差が広がれば広がるほど、社会は一握りの恵まれた気力ある人間と、多数の貧乏で無気力な人間に分断されていく。

 それでも昔の人は「俺の世代は無いなら無いなりにやって来た」と仰るだろう。今でも出来る人間はそうするかも知れない。一方で子育てや社会環境はそうした時代とは違っている。特にスマホSNSを通じて自分よりも良い暮らしをしている人間の生活が、いくらでも目に入って来るようになった。FacebookInstagramTikTokなどは、もはや「いかに自分が良い生活しているか」の自慢大会の会場と化している。閉塞感の中、自分がどう足掻いても追いつけない恵まれた人間の姿が目に入り続けるとどうなるか。どう感じてしまうか。心が折れてしまっても仕方ない。

 その辺り、特に政治家に多い6、70代の人間には理解しがたいだろうが、同程度の生活レベルの子供も多く、これから経済成長という活気があり、今ほど勉学から気をそらす誘惑も多くなく、SNSなんか無くてそこまで他人の生活レベルが目に入ることも無かったであろう世代は恵まれていたかも知れない。

 そして厳しい世の中で上に行くためには、激しい競争が待っている。その中では競争について行けず諦める人間も出てくる。中国や韓国の”寝そべり族”と呼ばれるグループが良い例だろう。資本主義の中で奴隷となるくらいなら、競争を放棄して最低限の力で生きていこうという意図が根底にある。

 無気力な生き方は、裏を返せば厳しい世の中に合わせて醸成されたものと言える。上の世代は下の世代をやれ無気力だ根性無しだと批判するが、下の世代のそうした気質を醸成したのは上の世代である。問題はこれからで、日本社会はこれからも今まで以上にあらゆる面で厳しい世の中になっていくことが予想される。その中で時間は容赦なく流れ、子供はいつまでも子供ではいられない。これからの”大人”が一体どういう社会を形成して行くのか。子供たちにどこまで夢のある将来を見せることが出来るのか。物心ついた時分から夢も希望も無い世界なら、無気力な人間はさらに増えるだろう。

 今、生きている有権者の世代からでも、少しずついい加減に政治を変えて行かなければ本当に大変なことになる。正直もう手遅れ感もあるが、国民が賢くならなければその代償を払うのは国民である。

 まあ、価値観そのものがもうダメなのでかなり厳しいことになるだろうが・・・矯正は容易では無いし。特に政治に対する無関心はそこそこの年齢でも根強い。インボイス制度だって自分たちにも関係あるのにいつまでも他人事で、反対署名が話題になると「今さら反対したって遅くない?」。前々から反対運動はあったんですけどね。無敵か。年齢別人口で考えればお年寄りが民主主義的に主導権を握れてしまう欠陥はどうにかして欲しい。一票の格差を言うならば年齢層別人口比率も考慮すべき。

 価値観として恋愛、結婚、子育てを「やる価値無し」と切り捨てている人間として書くと、少子化対策も厳しい。そもそも無駄だと思っていることは多少のお金を積まれてもやらないのが人間。政府、政治家はいまだにその辺りを勘違いしているようだが、給付金増やしました、クーポン使えるようにしました程度では少子化は止められない。そうした道が「無駄である」と思わせてしまった時点で終わっている。