ヤマネコ目線

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少子化の原因は経済的な理由だけか

 「少子化の原因は経済的な理由って言うけど、それ以外もあるのでは」という意見があったが、まずその辺りを書いていなかったな、と思って改めて書いてみる。確かにそれ以外にもあるように思えるし、その気持ちは理解する。しかし「経済的な要因以外の要素」も、突き詰めて考えていけば結局は経済的な要因に行き着く。

経済的な要因は直接的なものだけではない

 「お金が無いから結婚しない」と言うと、「昔は貧乏でもみんな結婚してた」と言う人間が出てくる。「環境が悪い」と言えば「世界的に見れば恵まれている」と言う奴が出てくる。しかし、問題はそこではない。

 ここ数十年続く不景気がもたらした影響は、なにも直接的な「結婚するだけの年収がない」、「子供を育てるだけのお金がない」といった現実だけでなく、人間としての行動原理、価値観まで及んでいる。それは間接的な要素であり、上の世代には理解しづらいのかも知れない。あるいは「経済的要因」とは見えないのかもしれない。言ってみれば「不景気マインド」とでも言うべきものが、若い世代に定着してしまっている。

豊かさの尺度

 まず「昔はお金が無くても結婚してた」、「昔や世界と比べれば日本はまだ恵まれた環境」、といった意見に反論せねばなるまい。「豊かさとは何か」について書いた記事でも触れたが、生活水準のレベルと「豊かさを感じるかどうか」は別問題である。

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 よく引き合いに出されるアフリカに住んでいても、そこで日本と比べれば不自由な生活ながら日が昇ったら働いて、日が暮れたら家に帰って家族と食卓を囲み、当たり前のように結婚し、子供を作り、ある程度の余裕をもって暮らしているならばそれは「豊か」といえる。生活水準自体は日本より低いかもしれない。スーパーカーだの豪邸だのも無い。しかし、そこには確かな豊かさがある。

 我々日本人は、こと先のような意見を述べる者たちはその辺りの違い、「豊かさ」の本質を理解していない。「生活水準=豊かさ」であると勘違いしている。確かにある程度は参考になる面もあるだろう。しかし、いくら生活水準が昔や世界とくらべて高くとも、そこにムダを許容できるだけの余裕が無いのであればそれは「豊かな社会」とはいえない。

 「昔はお金が無くても結婚してた」と言うが、昔はそれでも結婚できるだけの余裕があったに過ぎない。何とか出来たし子供を育てるのに今ほど費用もかからなかっただろう。確かに戦後直後や世界的に見れば日本は恵まれた環境かもしれない。しかし、問題は今この国において若年層がどう感じるかであって、そこで大昔の話や他国の話を引き合いに出して来るのは筋違いである。

不景気マインド

 前置きが長くなったが、まず上の世代が理解しづらい間接的な要因は不景気マインドとでも言うべき価値観、行動原理だろう。不景気であれば当然、幼い頃から節約が求められる。その中では「いかに自分が払うものを少なくして、いかに良いものを手に入れるか」が至上命題であり、それが行動原理、価値観に強く根ざしていく。若ければ若いほどその傾向は強い。

 よく言う「コスパ」、「タムパ」がその最たるもの。いかに安い値段でより良いものを買うか。いかに短い時間で最大限の利益を得るか。今やZ世代は2時間の映画すらまともに見ていられない。彼らにとっては映画の視聴に費やす2時間ですら時間的効率が悪く、その効率の悪さが許容し得ないムダなのである。

 恋愛離れもさもありなんという感じに思えないだろうか。映画の2時間ですら許容できない人間が、どうして他人との時間やそれにかかる費用を許容し得るのか。なかなか難しい面がある。もちろん、よほど好きな人間はそれを許容しているのだが、逆に言えばよほど恋愛や人間が好きな人間でなければもはや恋愛という行為自体を許容し得ない。そうした”ムダ”を許容できるだけの余裕の無さが価値観、行動原理に組み込まれている以上、少子化どころかまず恋愛が難しい。

 コスパ的な観点から見ても、恋愛というのは多くの若者にとって分が悪い。「いかに少ない支払い(=自分)」で「いかに良い相手を得られるか」を考えてしまう。そうした時、取り得る選択肢はほぼ2つに1つ。自分が望むような相手は得られないと最初から諦めるか、望んだ相手と一緒になるか。自分磨きをして何とかという人もいるが、それは磨けば光る恵まれた人間であって、それ以外はまず磨くだけムダだとその選択肢を切り捨てる。

 そこで妥協する選択肢を取る人間はあまり居ない。なぜか。幼い頃からよく耳にしてきた言葉がある。「安物買いの銭失い」。若年層にとって下手な妥協は「コストはかかるし結局は満足できない」最悪の選択肢だからだ。その点、「妥協の苦手さ」も不景気マインドの1つであり、恋愛離れ(=少子化)の一因といえる。

 「石橋を叩いて渡る」という言葉があるが、そもそも今の若者は石橋など叩きすらしない。叩いて渡るくらいであれば最初から渡らない。叩いている時間がもったいないし、そこまでして渡るだけの価値を認めない。

 結婚、子育てに関しても、若年層はそこに至るまでのコストや得られるものを厳密に天秤にかけている。*1そこで結婚や子育てが「自分の人生を豊かにはし得ない」と判断すればきっぱり切り捨てる。少子化トレンドを止めるには、今の日本を若年層が「結婚して子育てした方が人生が豊かになる」と思えるような社会にする必要があるのだが、岸田にも自民党にも無理だろう。悲しいことに、子供がいかに”コスパ”が悪いかを一番よく知っているのは他ならぬ若者たちでもある。

植え付けられた価値観

 アニメやマンガばかりでなく、あらゆる媒体で植え付けられた価値観と経済情勢も影響している。これは前にも書いたかもしれないが改めて書く。たとえば「クレヨンしんちゃん」、よく例に挙げられる野原ひろし一家は今で言えば恵まれた世帯である。しかし昔はそうでも無かった。

 昔は(=子供の頃は)普通だと思っていた生活レベルが、大人になる頃には手の届かないハイレベルなものになっている。それが不景気の中に育つという事である。そうなった時、子供の頃に植え付けられた価値観と現実との落差に半ば絶望を抱いてしまう。子供の頃に思い描いたような幸せは自分では築けない。そう思い知らされる。

 そして世代間で差はあるにせよ、若年層はそれなりに良心を持ち合わせている。その良心と先に述べた絶望が合体した時、何が起きるか。「他人を幸せにできる力がない人間が、結婚や子育てなどして良いのだろうか」、という思考が完成する。コスパ、タムパの面から、そして良心の面から恋愛、結婚、子育てはもはやそれを行う余裕も意欲も失われる。

 また、あまりマンガやアニメを引き合いに出したくはないがその中に出てくる登場人物と現実のギャップも少しは影響があるだろう。男女問わず、現実はあまりに厳しい。二次元の幻想に脳を浸しておきたくなる気持ちは痛いほど分かる。特に現実のオンナ。梅毒が10年前の40倍、パパ活当たり前。幻滅どころかもはや最初から気持ち悪い。男からすればもはや身近なオンナに興味を持つのが難しい。貞操観念がどうとかまでは言わないにしても、ユル過ぎるだろ・・・。

娯楽や生き方の多様化

 これもたまに挙げる人がいる。しかしそれは大抵、原因追求が不十分であるに過ぎない。そうした人々は「ではなぜ生き方や娯楽が多様化したのか」、という先を考えていない。政治家の多くにも、中途半端な解釈で思考が止まっている人間が見られる。

 端的に言えば今の20代~氷河期世代の多くは貧困化によって、経済的なレベルが昔の大人と子供の中間止まりになっている。「結婚して子育て」を当たり前にできるほどの経済力は無いが、子供よりは経済力があるという状態。となれば、その経済力は自分自身の人生を豊かにするために使われるようになる。その結果として起きたのが生き方の多様化であり、娯楽の多様化である。結局、少子化は経済的な要因で起きている。

 当たり前のように結婚や子育てが出来ないのなら、きっぱり諦めて自分なりの幸せを探そう。いろんな趣味に手を出してみよう。多様化はそうした流れであり、アニメやゲームその他あらゆる娯楽業界がその需要に応えている。なので「オタクが一番経済を回している」とも言われる現状がある。

manuller416.hatenablog.com

 自民党政権は相変わらず国民の負担を増やす方向でばかり動いているが、毎年のように過去最高額の国家予算が組まれる癖に、なぜこうも社会が良くならないのか。いい加減に国民は怒るべきだ。

え?2025年がタイムリミット?あ~、終わった。「官僚が頑張ってタイムリミットを伸ばす」?はえ~・・・

 

*1:何も考えずに腰を触れるサルどもを除く