2月にiPhone16Proを一括で買ったのだが、それについて上の世代から「金持ってるな~」と羨ましがられた。こういうのが「若者は金がないと言いつつ余裕あるじゃん」という誤った見方につながるのだろう。まあ私ももう「若者」ではないのだが”比較的”の話。
認識の不足
「金持ってるな~」というような反応をした上の世代は軒並み私よりも100万以上年収が高い。「金持ってるな」はこっちのセリフである。そもそもXPERIA XZ2を6年以上使い続けて来たんだから物持ち良い部類だろ。
しかし彼らの認識では、私があたかも彼らより金銭的余裕があるかのように映ってしまう。本気でそう考えているかどうかは知らないが、こういう話をすると世の中には大真面目に「金無い金無いって言うけどお金あるじゃん」と怒りすらにじませる人間もいる。
なぜこのような勘違いが起きるのか。彼らは大きな要素を見逃しているからだ。私は一番カネがかかるもの、つまり家庭あるいは妻子と呼ばれるものを持っていない。
だから自分で稼いだお金の多くを好きなことに費やせる。ライブコンサートも行けるしカメラも買えるしiPhone16Pro 512GBだって買える。お金をどこに使うかの問題であって、お金がかかる(かけられる)相手がいない分、余裕があるのは当然である。
彼らはその点において無自覚であり、悪くすれば無自覚な上にある種の錯覚から「若者には余裕がある」と判断し、「若者はお金があるのに結婚・子育てしようとしない」と批判的な感情を持ち始める。実際は「結婚・子育てできるほどお金がある」のは彼らなのに、どうにもその認識を持っていない。
家庭を持ったゆえに自由に使えるお金が減り、自由になるお金が多い若者を羨む気持ちは察することが出来るがそれはそれで自分で選んだ道。とやかく言われる筋合いは無い。それと引き換えに得たものがあるだろう。
経済的に自立し切れない大人たち
これまでに何度か少子化の原因について記事を書いて来たが、その中で挙げた原因の1つに「結婚・子育てするような世代が経済的に自立できないこと」がある。
働いて働いていくら稼いでも横から所得税だ社会保険料だ雇用保険料だ住民税だと持っていかれ、思うように手取りが上がらない。今、本来なら結婚・子育てするべき世代には中途半端な経済力しかない。
当たり前のように一人暮らしをして誰かと交際して結婚、子育てをして、という経済的余裕も時間的余裕もバイタリティも、広く与えられている訳ではない。もしそれが出来たとしても、結局は経済的余裕が無いので子どもは1人、多くて2人までとなる。
「若者の~離れ」という言葉が出るたびにネットでは「お金の若者離れだろ」とツッコミが入るが、少子化もそれに該当する。
「自分は働いていてある程度の経済力はあるが、結婚子育てをしていいと思えるほどの経済力は無い。誰かを幸せにできるだけのものは無い」と考える真面目な若者ほど、その先を悲観して結婚・子育て以外の自分なりの幸せを探すようになる。
「生き方が多様化したから少子化になった」とも言われるがそれは若者の経済力と表裏一体であり、なるようにしかならないからなし崩し的に多様化が認められて来た、理想がどうあれ実際に多様化してしまったので止めようがないだけである。
若い世代の無気力感への考察
上の世代は若い世代の無気力感や無関心などを「甘え」や「愚かしい」という言葉で切り捨て、彼らを理解しようとすることをしない。多くは「理解できない」という思考で凝り固まっている。
しかし世の中の情勢、彼らが育って来たであろう社会における流れを加味し、十分に考察すればある程度は独自ながらも彼らを理解しようとすることが出来る。切り捨てるのではなく正しい方向に導きたいと思うのであれば、少なくとも彼らの思考は理解しようと努めるべきだ。
この点、私の考察が正解とも限らないし当の本人たちでさえ無自覚な面があるので何とも言い難いが理解しようとしないよりはマシだろう。今の10代、20代の金、時間、労力その他あらゆるコストにかかる意識を甘く見てはいけない。それを軽視すればするほど彼らとは分かりあえない。
たとえば政治に対する無関心はどうか。若者の政治に対する関心が薄れているとは以前から言われ続けて来たが、それは私も含む上の世代が若者に「政治や社会って国民の動きでこんなに変わるんだ」ということを彼らに示せて来なかったからではないか。途中で民主党政権を挟んだとはいえ何十年も政治は変わっていない。社会の閉塞感は変わらず負担は増すばかり。しかして選挙に行っても若者の意見は反映されない。大人は「誰がなっても同じ」と言うばかり。ならば関心を持つだけ無駄だと感じても不思議ではない。
加えてYouTuberだコンサルだインフルエンサーだのと虚業ばかりがもてはやされ、汗水垂らしてお金を稼ぐことが軽視され、真面目に働いても明るい将来が見えないこの社会。搾取されることが目に見え過ぎる社会では無気力な若者が増えるのも無理はない。気力に満ちあふれて生きろと言うほうが無理がある。奴隷に「もっと生き生きと働け」と言うのは結構だが誰もそこまで強制できまい。
若い世代ほどコストに対する意識が高い。彼らはコストを払うだけ無駄だと感じれば簡単に切り捨てる。それが一面しか見ない上の世代には無気力や薄情に映り、下の世代に対してコストをかける意義を合理的に説明できないことで分断を生んでいる。中には確かに説明しがたい内容もあるのだが、何らかのコストを必要と考える以上はその理由について合理的な説明が出来る必要はあるだろう。何ならそこでAIに頼っても良い。知らないならそこで知れば良い。
子は親の映し鏡であるように、今の世代は彼らが育った日本社会の映し鏡。彼らが無気力無慈悲なのは日本社会が人間にとって生き生きと暮らせるような社会ではないからである。これを言うと「日本はまだまだ世界的に見れば良い国だ」とか言い出す奴がいるがよそはよそ、うちはうち。問題は日本国内であり、日本人の良識や村社会的な側面で維持されている部分もあるが、近年のニュースを見ているとそれももう限界を迎えつつある。
若い世代に注文をつける前に我々は社会を変える努力をするべきだ。
余談:上の世代の自己評価の高さの謎
私はゆとり世代なので、上の世代が考えも無しにZ世代だゆとり世代だと一括りにしてけなしているのを見ると腹立たしく思う。上の世代がそれほど賢いのであればなぜ就職氷河期世代には救いが無かったのか。なぜ今、この政治の惨状があるのか。なぜ「失われた30年」がさらに40年になろうとしているのか。なぜ少子化を止められないのか。
オウム真理教が世界中どのテロ組織もやらなかった化学兵器テロをやって今年で30年、それでもカルト規制には至らなかったし元総理が暗殺されて初めて旧統一教会に解散命令が出た。安全保障で言えば、私は中学生の頃から無人航空機の必要性を理解出来ていたが海上自衛隊が無人偵察機を導入したのは2023年。ボケっとしてるのは一体どっちか。
上の世代が我々の至らぬ点を論うのであれば、こちらが上の世代に対しても何なりと論うだけの部分はある。謎の自己評価の高さから「今の日本を創って来たのは我々だ」と良いことばかり挙げる年寄がいるが、実際に社会を見れば良いことばかりではない。老化によってそれが認識出来ていない自覚を持ったほうが良い。
こいつらが生えて来ると春を感じる