あんまりにもあんまりなので流石に頭に来て、書いて発散したい。
Xにおいて、一部「保守」の間で旧日本軍の731部隊を持ち上げる言説が見受けられる。特に高須氏によれば「731部隊は立派な方々ばかり」らしい。一体彼らから何を教わったのだろうか。
731部隊の悪行は森村誠一のフィクションです。
— 高須克弥 (@katsuyatakasu) 2025年5月3日
僕の知っている731部隊の方々は立派な方々ばかりです。
僕は多くのことを教わりました。
あの方々は栄光なき英雄です。再評価すべきです。 https://t.co/ZBzuNSzwDM
731部隊とは
731部隊は関東軍防疫給水部の秘匿名称の略。細菌兵器の開発を目的として中国(当時の満州国)で人体実験を繰り返したとされる。
戦後、元隊員だった越定男らの証言もある。少なくとも森村誠一のフィクションでは無いし、「731部隊の方々は立派な方々ばかり」と言うのであれば元隊員の証言は何だと言うのか。防疫給水部隊の一隊員がやってもいない凄惨な犯罪を自白する意味は無い。
これは至極個人的な推測だが、731部隊は細菌兵器の研究などに手を出したものの全体的に低レベルであり、捕虜を使用した人体実験までしたものの大した成果も出せずにそのまま戦局が悪化、ソ連軍の満洲侵攻に合わせて運良く?証拠隠滅が出来ただけでは。それ以上でもそれ以下でもなく、「栄光なき英雄」では無い。
https://www.jstage.jst.go.jp/article/seibutsugakushi/97/0/97_25/_pdf/-char/ja
こうした論調の背景にあるもの
こうした流れは以前からある。有名なのは「南京大虐殺は無かった」という話だが、一体彼らはなぜそのような論調に走るのか。
私が思うに彼らは、彼ら自身の自尊心の拠り所を日本という国、日本人であるということに依存し過ぎている。場合によってはそこにしか自尊心を持てる要素が無いのだろうな、と思うことさえある。
ゆえに彼らにとって、≒日本にとって不都合な真実を知らしめられるということは、自分自身の人間として一番醜く汚い部分を衆目にさらされるのと同じように感じるのである。歴史的事実を否定することは「名誉を傷つけられた名もなき英雄たちのために戦う自分」に酔える行為であり、勝手に傷ついたと感じている自尊心をなぐさめる盛大な自慰行為に過ぎない。
彼らは誤った自尊心から愛国心というものを盛大に勘違いして日本国を「神の国」と定義しようとしている。彼らが守りたいものは日本という国ではなく薄っぺらい己の自尊心である。
戦時中はどこの国も戦争に託つけてそれなりに非道なことをして来た。世界中どこを見渡しても歴史に影のない国など無いだろう。いろいろ言い分はあるにしても太平洋戦争を経験し、悲惨な敗戦を経てなお「日本だけはずっと良い子ちゃんでした」は無理がある。自国の黒い歴史を受け入れられないのは保守だろうが何だろうが人間として未熟。
「保守」を勘違いするな
結局のところ、今の「保守」を自称する者たちは自分が気持ちよくなりたいだけで、その行動原理の根幹には国を良くしたいという意思が無い。だから己の自尊心のために死者を利用する不敬者まで出てくる。
この元文部科学相の投稿なんか反吐が出る。特攻隊を美化すれば英雄の子孫になった気になれて気持ちがいいか?客観的に見て非人道的極まりない戦術であるし、特攻隊に美学や感謝を見出すことは、それを暗に推奨することでもある。
彼らには今の日本の現状に即して何が求められているかを考え、議論する力も無い。
なので同じ日本人同士で議論しようとしてもお話にならない。最近で言えば選択的夫婦別姓に関する議論が好例だろう。彼らは夫婦別姓に反対であり、賛成する者については「日本の家族制度を壊そうとしている」「日本の戸籍制度を破壊するのが目的」「賛成している奴らは通名が使えなくなると困るから」などと言い始める。
日本人同士で議論する上では「日本人であること」はお互い変わらないし何のアドバンテージにもならない。だから彼らは自分と異なる意見を持つ相手を日本に仇なさんとする外国人や反日勢力と定義したがる。そうして「敵対勢力」からの反論をすべて遮断し、自分に都合の良い意見ばかり集めるのでお話にならない。彼らは議論ができない。
酷くなれば世の中で起こるあらゆる不都合が「私がそんなことをする筈がない!日本人がそんなことをする筈がない!そんなことをする奴はきっと私以外(=日本以外=外国人)が悪いに違い無い!」、という偏見でフィルタリングされる。人間的になんと愚かなことか。悪人が戯れに見せる善意、聖人が気まぐれに犯す悪行、その混沌こそが人間であるのに。
彼らは往々にして復古主義的な思想も持ち合わせているが、それは彼らの頭の中での「一番強かった頃の日本」が大日本帝國であるからに過ぎない。バブル期を目指そうと思わないのが不思議ではあるが、バブルは弾けるものであると知っている世代でもあり、なおかつ大日本帝國くらい昔の方が幻想を抱けるのだろう。私から言わせればそんなものは「保守」ではない。
保守とは何か
日本人であることを誇りに思い、それにふさわしい人間であろうと思うのも、日本が日本人のための国であるべきと考えるのも間違ってはいない。しかし、そこに自分自身の価値を重ね過ぎてはいけない。日本人の中に生きる上では「日本人であること」は当たり前で、もっと別の部分で自尊心を保つ方法を見つけなければならない。己を1人の人間として確立しなければならない。自慰行為のような保守は学生のうちに卒業するべき。
そしてどのような国を「保守」するかにおいても、かつての栄光を重ねるべきではない。そのためにちっぽけな自尊心から歴史まで否定するべきではない。歴史は歴史。今は今。私は中道右派経済左派を自認しているが、その中でも戦後の日本、民主主義国家としての日本を守りたいと考えている。決して大日本帝國に戻るべきとは思わない。ふわふわした幻想の中の帝國よりも今の日本を守る方が重要である。
余談:憲法改正について
一部では熱心な方々がいるが、今の政治のありさま、政治家達から出てくるふざけた言動の数々、国民の政治不信と無関心を見れば反対と言わざるを得ない。改正に賛成と答えた人間のうち一体どれだけが現行憲法と自民党の改正草案を比較し、精査しただろうか。本当にお話にならない。権力を縛られる側の政治家が主権者たる国民に対して改正を急かしているのも気に入らない。
改めて日本国憲法の条文を読めば分かる。今の政治家どもよりよほど思慮のある人々が考えに考えた内容であって、金科玉条とは言わないが少なくとも今の政治家に弄らせて良いとは思えない。改正はいずれすれば良いが今はその時ではない。安全保障上の脅威を利用して改憲を煽る向きもあるが*1日本人にあるまじき卑怯さであり、現行憲法の下でも解釈次第で出来ることは多い。
それをしないのは政治家の怠慢である。何もかも理由をつけて出来ない出来ない、やりたい事だけ一生懸命、甚だ許しがたい。
*1:自称保守の思い描くきれいな