ヤマネコ目線

大体独り言、たまに写真その他、レビュー等

参政党の少子化対策は正しいのか

 参政党の神谷代表の発言が物議を醸していた。

mainichi.jp

 発言全文としては

「申し訳ないけど高齢の女性は子どもが産めない。だから日本の人口を維持していこうと思ったら、若い女性に子どもを産みたいなとか、子どもを産んだ方が安心して暮らせるな、という社会状況を作らないといけないのに、働け働けとやり過ぎた。だから少しバランスを取って、大学や高校出たら働くこともいいし、家庭に入って子どもを育てるのもいいですよと。その代わり子育てだけだったら収入がなくなるから、月10万円、子ども1人当たり月10万円の教育給付金を参政党は渡したいというふうに考えています。」

事実もあるが

 高齢女性は子どもを産めないというのは事実としても、「若い女性に子どもを生みたい社会を作らないといけない」というのは裏を返せば少子化の原因を女性になすりつけてはいないか。なぜそこで男性側の話は出て来ない。上の言葉からオブラートを外せば「女が好き勝手なライフプランを組める世の中だから少子化が進んでいる」というものになるのでは。男の私から見ても違和感がある。

 少子化の根本的な原因は若者にお金が無い、経済力が無いことに尽きる。男女問わず若者にお金が無い。結婚して相手の人生に責任を負う、営みをして子どもの人生に責任を負うに足る経済力が無い。「お金が無くても結婚できる」ほど若者は良心に欠けた存在でも無い。参政党のあのような意見はこれを理解していれば出て来ない。今、一番重要なのは経済政策である。

 以下の画像はとある漫画の1コマだが本当に明言だと思う。これは仕事のみならずライフイベントにも言えるだろう。負わされる責任相応の金、経済力を与えないから若者は結婚子育てしない。出世欲も低い。

ラーメン発見伝 芹澤のセリフ

 教育給付金案も一見それらしく見えるが、結局やることは自民党公明党政権における「結婚・子育てを前提とした少子化対策」に過ぎない。その財源はどこから持って来るのか。富裕層でも1人あたり10万円受け取れるのか。参政党の思想からは女性は「家庭に入る」か「働く」かの二択に見えるが、育児しながら働く選択肢はないのか。その場合の給付金はどうなるのか。

 何より子どもを生んだら褒美をやろう。生まないなら罰を与えよう」という思想自体が気に食わない。このような思想をもとにした制度設計はゲーム理論的に人生設計を強要する。インボイス制度における免税事業者のように、「そうあり続けても構わないけど損するのはお前だからな」、という制度設計が行われる。非常にいやらしい。

 この流れ、「子どもを生んだら給付金」の裏返しは「子どもを生まない人間には罰金につながる。自分は男だから、産む産まない関係ないわと嬉々として賛成している連中もいざ「未婚には独身税を課す」と言われたらどう思うのか。社会的正義をふり翳して女性のライフプランに国家が介入することを良しとした以上、そこで「独身で余裕ある者が子育てする者を支えるのは当然」という社会的正義には逆らえまい。逆らってはならない。

 それでも結婚しない/できない奴はごまんといるだろう。特に世は男余り独身税を課される男性は多くなる。「結婚しない奴は罰金を課して良い」という正義によって、若い世代は今以上に経済力を奪われる。

 財源のために増税社会保険料の引き上げをして現役世代への負担を増やし続ければ状況は良くならない。そもそも経済力がなさ過ぎて結婚に至らないから。子どもを生むかどうかも何も、近年の傾向を見れば婚姻数自体が減っている。そんな状況下でこれ以上余計なことをするな。

 若い世代に相応の経済力があれば、政府がバカげたことをしなくとも人間は勝手に恋愛して勝手に結婚して勝手に増えていく。それをやれ給付金だやれ無償化だのとくだらない目先の利益で釣ろうとし、その財源のために足元を不安定にするから良くならない。

 賃上げ機運の高まりに乗じて減税・社会保険料の引き下げを行い、若者の経済力を底上げすることが最大の少子化対策であり経済対策。それでも価値観の問題はなかなかひっくり返らないだろうが、政府がするべきことは子どもが生まれるような環境整備であって目先の利益で釣ることではない。

 参政党の少子化対策

  • 原因を女性に押し付け過ぎている
  • 路線としては自民党公明党がやってきた害悪ですらある少子化対策と本質的に変わりない

という点で良くない。論外。始まる前から終わっている。

 男女論を言うのであれば「甲斐性なしの男が増えたから少子化が進んでいる」とも言える訳で、女性のライフプランにだけ文句をつけるのは公平性に欠ける。男尊女卑的であり男女間の対立を煽っているようにも思う。本当に悪いのは男でも女でもなく、国民に対する負担を増やし続けて若者から活力を奪っている日本政府ではないか。参政党を支持している男性が何を考えているか知らないが、女性のライフプランを制限したところで嫁をもらえる訳ではない。

 日本人はすぐ金持ちと貧民、男と女、賛成派と反対派に分かれてお互いを叩き合い、建設的な議論をしない。できない。そうやって足の引っ張り合いをしているうちに政治家や官僚が好き勝手なことを言い、好き勝手に物事を決めて国を衰退させてきた。連中は選挙に勝ったというだけで民意を汲むことをしないし官僚に至っては選挙で選ばれてすらいない。誰が敵なのかを見誤ってはいけない。

 「それでも若いうちから生むのは生物学的に正しいから」と言う人間もいるが、その「生物学的正しさ」をもって国家による「女は大学なんか行かずに高校でたら3人産め」くらいのライフプランの強制をするのが参政党、その支持者の理想なのだろう。女性の人権、選択の自由を一体どのように考えているのか。

 生物学的正しさのみをもってどうこう言えるほど人間社会は単純ではない。支持者いわく「人間がその辺の動物と違うという考えは驕り」だそうだが、そこまでの極論を言うなら参政党の支持者だけで裸で原野にでも暮せば言い。私はこの日本が人間的な社会であって欲しいので彼らに明確に反対する。

それはそれとして

 「生物学的正しさ」や「社会的正しさ」をもってして個人の選択の自由、ライフプランを簡単に制限しようとし、それに賛同する連中(特に男)は場合によってはその流れが自分に降りかかる可能性を考えないのだろうか。国家社会主義的であり、歴史的に見てろくなことにならないのが見えている。

 たとえば「男は歴史的に見て戦うのが仕事だし自衛隊も人手不足になりつつあるのだから徴兵制を復活させます」と言い始めたら、今、参政党を支持している連中はどういう顔をするのだろう。もし自分の子どもが強制的に兵役を課されるとなっても文句は言うまいな。

 自分には関係無いからと他者の人権、選択の自由をスナック感覚で侵害しようとする人間は、スナック感覚で自身の人権を侵害される覚悟を持たなければならない。参政党から出てきた憲法改正草案(という名の怪文書)では「国家は主権を有し」と書かれており、最近の言動から垣間見える思想を見ても、彼らの支持者の思想を見ても、彼らが目指しているのは国家・社会としての壮大な退化に過ぎない。

 「民主主義ではうまくいかないから国家主権に戻そう」というのは民主主義からの逃避であり、「女から選択肢を奪って子どもを産ませれば良い」という思想は人権意識、個人の尊重、少子化の原因究明からの逃げである。そうして逃げた先、退化した先には我々が目指すべき国も思い描くような幸せも無い。

 至極個人的かつ感覚的な感想をつけ加えれば、神谷氏の発言から垣間見える「人間を消費されるだけの資源か何かのように考えている」ような感じが苦手。女性の人権、国民の人権を軽視できるのは本質として人を尊重する心が欠けているからではないか。国民も為政者も楽な方へ流され過ぎている。

日本国憲法第十二条 この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。又、国民は、これを濫用してはならないのであつて、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ。

 参政党の発想はこの憲法に違反しているのでは。公務員として憲法尊重擁護義務違反。なお、「子どもを生み育てることは国家・社会の維持に必要な公共の福祉であり結婚・子育てを強制することは可能」と考える輩もいるが、公共の福祉とはそういうものでは無い。

 そのような拡大解釈が通用すればあらゆる理屈で人権の制限・侵害が可能となる。非常に抑圧的かつ国家主義的で主張する人間も責任であり、倫理的にも、また現代の憲法解釈上でも許される考え方ではない。

manuller416.hatenablog.com

余談:日本人ファースト

 参政党の掲げる「日本人ファースト」は「当たり前」という反応が多い。日本において日本人による日本人のための政治が行われるべき、という意見は何ら不思議ではない。もはや日本は国家として衰退している。その中でいつまでもバブル期のような感覚で外国・外国人を支援するのは間違いであると多くの人間が感じている。私だってそう思う。「日本人ファースト」はそう感じている層の不満をバカでも分かるフレーズで拾っている。

 しかしここで危うさが生じるのは、参政党における「日本人」の定義と実際の日本人に乖離が生じ得る、より平たく言えば参政党やその支持者たちは、彼らの意見と対立する人々を日本人扱いしないという点にある。それは彼らがすぐに対立する意見を持つ者に「お前は日本人じゃない」だの、「まともな日本人なら参政党を支持する以外あり得ない」だのと言う点に現れている。彼らの言う「日本人ファースト」の本質は「ファシストにあらずんば日本人にあらず」。

 これに対して日本共産党社民党あたりは「人間にファーストもセカンドも無い」などと言って対抗しているが、あれはあれで逆効果だろう。彼らが正面切って批判したところで「日本人ファースト」を心地よく感じている人間の心を動かすことはできない。

 外国人問題に関して、共産党社民党やその支持者は外国人が「マイノリティである」という一点だけで擁護し、日本人が抱く反発に寄り添わず、対話を求めるどころか日本人の声を「差別するな」の一点張りで封殺しようとして来た。外国人による文化の押し付けに加担している人間に「ファーストもセカンドもない」などと論じる資格はない。

 この点、参政党を支持している人間にとっては共産党社民党は「外国人ファースト、日本人セカンド」としか見られていない。というか私もそう見ている。「どんなに相手に不満があってもマイノリティだから優先してあげよう」などと余裕のある人間はすっかり減っているのだが、その現実をいつまでも直視できずお気持ち理想論に終始する連中に現実は動かせない。

 マイノリティであることは免罪符ではない。マイノリティの尊重はマジョリティの合意無くしては実現出来ないし、マジョリティによる合意を無条件で引き出すことは出来ない。

news.yahoo.co.jp

 そもそも日本共産党社民党は嫌われている自覚を持った方が良い。彼らが言うことなすこと全てにおいて「じゃあ反対方向を行けば正解なんだね」と言われるほどに嫌われている。参政党に関しても彼らが真正面から反対すれば、参政党が正しいと考える人間すらいるだろう。「話し合い」が好きな体を醸しながらその実、話し合いをする気がない、己の理想を押し付けるだけ。何かにつけて理想論を追い求めるばかりで現実を理解していない。存在自体が建設的な議論の邪魔。