ヤマネコ目線

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旧統一教会と山上どっちを許すか

 どっちも許しません。Xでちらっとこの話題について見かけたので持論を書いておく。先に断っておくが私はアンチ安倍でもないし、安倍元総理を信奉する人間でもない。氏の評価は善でも悪でもなくその両方。

誤った二分法

 詭弁を弄する際によく使われる論法の1つにこの「誤った二分法」がある。実際は他にも選択肢があるのにあえて都合の良い2つの選択肢を用意し、それを前提として有利に話を進める手法。白黒思考と似て選択肢が極端になりがちで、物事に対する視野が狭くなる。

 安倍元総理を熱心に信奉する一部の人間では、安倍元総理をいかなる点においても擁護したいがあまり旧統一教会まで擁護しようとする向きが見られる。そこで彼らは「旧統一教会を弾圧することはテロリスト山上を許すことになるのでするべきではない」といった誤った二者択一を提示し、旧統一教会問題に対する批判を封殺しようと躍起になっている。

 実際はそのようなニ者択一ではなく、テロ行為も許さないが旧統一教会のようなカルト団体も許さない、といった姿勢が必要だろう。それは両立し得る。統一教会問題に注目を集めたかったという山上の目的は達成されてしまう訳だが、それでテロ行為が無罪放免とされる訳ではない。いかなる理由があれど1人の人間を、それも元総理大臣を殺害したという事実は変わらないしその責任を負うこととなる。

 旧統一教会は実際に問題のある団体に違いは無く、解散命令請求が出た今なお擁護できる神経が理解できない。山上のようなテロリストを生むまで、カルト団体に関する問題を放置し続けた政治にも事件発生の遠因がある。

無理のある擁護のための意見

 旧統一教会と関わった政治家を擁護派する人々は、以下のような無理のある擁護をして見せる。この際、徹底的に反論しておく。

  • 保守だからこそ自民党統一教会と手を組んだ
  • 問題のある団体だといつ誰が判断するのか
  • 信教の自由があるから許される
  • 他にも問題のある宗教団体はある
「保守だからこそ自民党統一教会と手を組んだ」

 「そもそもお前ら自称保守は韓国嫌いじゃないのかよ」と思うのはさておき、「保守」と「反共」を混同してはいないか。韓国発祥のキリスト系?カルト団体が日本的な保守と一体どれだけ密接な関係にあると言うのか。それも

 選挙協力を得るために日本人に被害が出ていることを黙認し続けることが「保守」として正しい姿勢なのか?

 もしそうならそのような保守などクソ喰らえだ。日本人を守らずして何が保守か。本分を忘れた保守気取りなどが政権を握っているからこの国はろくな事にならんのだ。失われた30年が今に40年、50年になる。何一つ守れやしない。

 「敵の敵は味方」という言葉がある。「反共」という点では確かに旧統一教会やその関連団体は味方だったかも知れない。しかしそれは共通の敵が居なくなるまでの話であり、いつまでも「敵の敵」が味方であってくれる保障は無い。もはや共産主義が脅威ではなくなった現在、彼らもまた間違いなく敵である。

 そもそも今、これから何をどうするべきかが問題なのであって、歴史のお話をしている訳ではない。過去がどうあれ現時点で旧統一教会を擁護することは不可能。それを歴史の問題にすり替える手法はストローマン論法である。

「問題ある団体だといつ誰が判断するのか」

 壺の押し売りが問題化したように過去にも被害報告は上がっていた筈で、それを選挙協力のために統一教会と関連した政治家たちがあえて見逃してきた。「判断のしようが無かった」ではなく、単純にそのための努力を怠ってきただけである。「分かりません」、「出来ません」では済まされない。それを考えるのが政治家の仕事。それを実行するのが行政の仕事。逆にそのような団体に対してきちんと対処できないような行政で良いのか。

 そんな事だからオウム真理教の増長を許し、テロが発生したのでは?

「信教の自由があるから許される」

 自由が認められるのは他人の権利や社会の安定を阻害しない範囲に限られる。自由と勝手は違う。カルト団体が許されないのは、しばしば他人の権利を侵害し、心理的・肉体的に暴力をふるい、経済的に搾取を行って社会の秩序を乱すからである。これには違法行為が伴うこともある。

 そのような行為を働く団体はたとえ「信教の自由」の下でも許されない。こんな当たり前のことが分からずにカルト団体を擁護し続けるあたり、どれだけ頭が悪いのか。小学校からやり直して欲しい。いちいち書くのも面倒くさい。

「他にも問題のある宗教団体はある」

 それで?「だから旧統一教会も見逃すべき」とでも?擁護する立場から言っている以上はそう言っているようにしか聞こえない。こんな主張はいくらなんでも頭が悪過ぎる。それを言えば、むしろ統一教会を野放しにするためにカルト規制を怠った結果、他にも問題のある宗教団体が蔓延ってしまったのではないか。問題のある宗教団体を取り締まるように法規制を強めれば、必然的に統一教会創価学会も煽りを食らう。それが嫌なので放置して来ただけの話。

 他にもカルトと言って差し支えないような宗教団体があるならば、いい機会なのでそれらも徹底的に叩いて排除するべきなのであって今、問題視されている団体を見逃すという選択肢など無い。

 こんなのはまるで交通違反で捕まったドライバーの無駄な抗弁だ。「他にもスピード違反してる奴がいるじゃないか。あいつらも捕まえろよ」、そう言ったら警察官は「そうですね、じゃあ他の人を捕まえに行きます」と言ってくれるか?そんなシーンは見たことがない。捕まえた違反者を無罪放免にする訳にはいかないのだから。

番外編:「死者に鞭打つな」

 知能の低い人間が気に入らない言論を封殺しようとする手法に

  • 始まってもいないのにとやかく言うな
  • 今さら止められないのに言っても無駄
  • もう終わったことをいつまで言ってるんだ

がある。じゃあいつ間違いを正すんだよ。これであらゆる批判を封殺したつもりになれるのだからある意味で無敵。「死者に鞭打つな」は三番目に近い。

 旧統一教会を擁護する人々は、安倍元総理に関連する事柄を批判することは「死者に鞭を打つような非道な行為だ」と言うのだが的外れも甚だしい。旧統一教会に対する非難を故人に対する非難であるとすり替えている。

 まず正しくは「死屍*1に鞭打つ」で、仇敵の死体を掘り起こして鞭を打った故事から無意味な行為をバカにすると同時に、わざわざ墓を暴き死者を辱めて満足している様を、反論できない状態=死んだ状態の人を非難することに重ねている。

 しかし旧統一教会問題は今、生きている我々にも関わりの深い問題であるし、旧統一教会との関係が明るみに出ても何食わぬ顔で政治家を続けている奴らが大勢いる*2安倍元総理1人が亡くなったからと言ってそれで終わった話では決して無いし、鞭を打とうとしている相手は屍ではなくカルト教団である。

保守の本分を忘れた者たち

 旧統一教会を擁護する側は「お気持ち弾圧」などと言う言葉を使っていたが、明らかに問題のある宗教団体を擁護するための詭弁、ポジショントークこそ「お気持ち擁護」でしかない。

 その根底には「親愛なる安倍元総理大臣様に関わることが少しでも問題視されるのが嫌」、「”国父”の安倍元総理を暗殺した山上の言うことが欠片でも社会に拾われることが許せない」といった感情があるのだろう。それがそのままでは正当化出来ないので下らないロジックでカバーしている。

 もはや安倍元総理を信奉する宗教だ。そんな奴らに「美しい国」は作れない。故人を盲目的に礼賛することに固執し、日本国民とその財産を守ろうとしないで何が「保守」か。何が「愛国」か。一体何を守りたい「保守」なのだ。

 少なくとも私が守りたいものにカルト教団は入らない。入る余地など信教の自由を加味してなお1nmすら無い。

宗教観の緩さの功罪

 日本人の宗教に対する緩い姿勢は良い文脈で語られることが多い。八百万の神々、あらゆるものを神として崇めることが可能な点で懐が広く、他宗教の行事にも寛容で確かに良い面もある。それをことさらに否定したい訳ではない。

 一方で緩い宗教観がカルト団体の蔓延を許して来た点はないか。そのあたりのデメリットを我々は再認識するべきだ。でなければ悲劇は繰り返される。八百万の神々の中にはどんな邪神が潜んでいるか分からない。信教の自由に甘えて胡乱な団体を放置すればどんな災いになるか分からない。

 むしろ我々は旧統一教会問題がここまで大きくなったことを喜ぶべきだ。日本政府がいかに宗教団体に甘いか。日本人がいかに自由権を誤解し、カルト団体の蔓延を許し続けて来たか再認識できた。顕正会エホバの証人創価学会もこの際、徹底して対処しなければならない。

 旧統一教会問題は終わりではなく手始め

 

*1:しし

*2:特に萩生田光一