過去にも同じようなことを書いているが何回も書いて何回も発信しないとこういう話は広まらないと思うので書いておく。
Xで「女性が安心して産める社会じゃないと子供なんか産む気になれない」という意見に対し、アフリカを引き合いに出して反論しているアカウントが居た。しかしそれはあんまりにもあんまりである。
途上国が少子化にならない理由
政治家でも「発展途上国のような貧しい国でも少子化にはなっていない。だから日本人が『経済力』を理由にして結婚子育てしないのは甘え」と言う人がいる。
しかし日本とアフリカその他途上国は政治経済、社会保障、インフラ、価値観あらゆる要素が違う。日本がそれらの国と本当に同じような状態でなお少子化ならその言い分も分かるが、実際は違う。
アフリカ、途上国が少子化に陥らない理由は
- 子供を作らないと将来、自分を助けてくれるものが無いから
- その国の中の価値観
- レイプされて妊娠しても堕胎できる医療やお金が無いから
国家全体が貧しい国では国家という枠組みの助け、社会保障には期待出来ないしするべきでもない。日本では当たり前のように受けられる医療補助、年金、介護保険は途上国には無い。インフラも日本よりはるかに脆弱で不便極まりなく、他人を助ける余裕のある人間も少ない。
その社会の中で自分自身を助けてくれる確度の高い人物は家族であり子供である。途上国において結婚、子育てをすることは社会保障の代わりなのである。日本はこの点、必ずしも結婚しなければ、子供を作らなければ生きていけない訳でもない。結婚・子育てという選択肢の必要性や必死さが違う。
そして途上国やアフリカは我々の目から見れば貧しいといえるが、彼らの国ではそれが「普通」、「標準」なのであって、彼らの国の中で結婚・子育てに足るレベルの人間であればそれが出来る。「貧しい国なのにみんな子育てしてて偉いね」などと言うのはこちら側の思い上がりでしかない。「アメリカじゃ年収1,000万なんて普通なのに、日本人はそれより遥かに低収入で結婚出来て良いね」などと言われたらどう思うのか。
そんなの知ったこっちゃねえ。うちはうち、よそはよそ。
重要なのはその国の中でどれだけの人間が「私は結婚・子育てするに足る人間である」と思えるか、それだけの自己評価に至ることが出来るかであって、日本で他国の貧しさを引き合いに出してもそれは実現出来ない。日本国内でどの立ち位置にいるかが重要なのだから。
だからこそ私は若者に経済力を戻すことが少子化対策につながると考えている。先進国において少子化が進む最大の理由は「子育てにかかるコストの増大」。先進国の人材は途上国よりも多くの能力を求められる。相応の人材、人間を育てるためには相応に高いコストがかかる。そのコストを賄える見込みが無ければ、子育てに対する必要性や必死さが薄まった成熟した社会では子供は増えない。
今の日本では日本政府が格差是正を放棄し、意味のない少子化対策やろくでもない支出のために現役世代への負担を増やし続けている。社会全体で見て中間層が薄くなっている。これで少子化が改善する筈がない。
格差を是正し、現役世代に「めちゃくちゃ貧乏でも金持ちでもないけどそれなりにお金があって結婚も子育ても出来る」人間を増やさなければならない。一部の人間は一夫多妻制だの何だのバカげたことを言うが、教育コストが増大した社会においては金持ちは大勢の貧民分を補って余りあるほど子供を作らない。
参政党やその支持者は女性を産む機械か何かのように考えているようだが、子供1人10万/月もらえるとしてもその分、財源のために現役世代への負担を増やせば婚姻数が減っている現状は変わらないだろう。「子供を産ませれば解決」も何もそもそも結婚しないのが今の若者である。自民党と同じで周回遅れ。
また、アフリカを引き合いに出すのであれば性加害の問題は避けて通れない。望まぬ妊娠をさせられても堕胎させるための医療やそれにかかる費用を捻出できない、ちゃんと育てられるかも分からない、栄養失調の子供が無数にいる社会を日本と単純比較するべきではない。我々の社会においてそれは許されないし、許されるべきではない。
余談:普通の人
「普通の人」って難しいよね。私は日暮れひぐれん氏に同意するが、この程度の意見にも反論が飛んでくるらしい。
私は
— 日暮れひぐれん (@higureshuuen) 2025年7月8日
普通は5人の職場に10個のドーナツ届いたら、1人2個だと思う。
普通、トイレットペーパーが無くなったら、予備があるなら交換してから出るもんだと思う。
トイレを汚しちゃったら拭いてから出るもんだと思う。
そういう「普通」と思うことが一致しない人と働くと、日々無駄に疲れ果てる。
「もし職場でドーナツもらったら」って例え話のポストに
— 日暮れひぐれん (@higureshuuen) 2025年7月8日
「アレルギーの人も食べないといけないのか」とか
「職場に手土産を持ってくる習慣が嫌だ」とか
とんでもない方向からのコメントがちらほら飛んできて、
「日本語を話しているのに話が通じない人」があぶり出されてくる。
アレルギーがあるなら「すみません、私、アレルギーあるので誰かもらってください」と言うなり、甘いものが苦手ならその場で言うか「甘いもの苦手なので誰かもらってくれませんか?」と聞くなりするのが普通では。日本語が通じないというか、すぐ解決できる程度の下らない仮定で批判するなよと思う。可哀想。てかドーナッツにアレルギーって何?小麦アレルギーってなかなかレアでは。
職場への手土産だって”もらう”側になることだってあるんだから、私はどこかへ旅行した時はお返しの意味もあって買う。単純に「自分がお金出すのが嫌」という感覚で拒否している人もいるようだが、「子供がいて家計に余裕がない」でもない限り、それはそれで余裕なさ過ぎるというか現代的だなとも。良くないとは思うがそういう若者が育つような社会になっている、そういう社会にしてしまったのは我々である。
コスト意識をそこまで高めざるを得ない、とにかく自分の支払うものを最小限に、かつ得られるものを最大化することが正義という社会では利己的な人間しか育たない。当然の摂理である。
もうちょっと心と財布に余裕をもって生きたい。5,000兆円なんて贅沢言わないので1無量大数円くれ。非課税で。
CoPilotにまんま「遊んでいるアフリカの子供たちの画像を生成してください」と入力するとこうなる。他の国に変えて生成させて比較するのも面白いかも知れない。少なくともAIには「アフリカの子供たちはこういう感じ」という先入観がある。