ヤマネコ目線

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大学無償化などと言い出した件

 政府は多子世帯の大学無償化にむけた検討を始めた。何もかもズレていて心底嫌になる。

(記事題| Xで話題の「大学無償化」 現在進学すると家庭の負担額は?)

無償化となる条件

 まず子どもの数え方について。まだハッキリした話が出ていないが、注意したいのが「子どもを3人産めばその時点で3人とも大学無償化が決定」ではなく、「その年において扶養している子どもが3人であれば大学に通っている子どもの学費が無償化される」、という話であろうこと。3人の子どもがいるとして第一子が社会に出て扶養から外れた場合、その時点で残りの子ども2人は大学無償化を受けられない。完全に受けられない訳でも無いにせよ、歳が離れれば離れるほど不利となる。なかなか厳密というかケチ臭いというか。政治資金の透明化や制裁もこれくらい厳密にしてほしいものだ。

 また、現時点では無償化の対象には国公立だけでなく私学、それも医学部も含めるとされている。少数派ではあろうが、私学の医学部ともなれば学費はかなりの額だ。

 このご時世に3人目を作ることが出来る余裕ある世帯が大学無償化まで受けられる一方、経済的な理由から3人目を諦め、奨学金を借りてでも学費を工面している世帯が「無償化」の財源のため、子育てをしながら今以上に重い税金を払わなければならない。その子どもも借金を返しながら今以上に重い税・社会保険料を払わなければならない、となるのは不公平も甚だしい。

無償化自体の是非

 子どもが3人以上いなければ人口が増えない、だから3人作れる世帯を優遇するというのは一見合理的にも思える。が、一部の恵まれた世帯を無償化等で優遇するために重税を課し、国民全体から今以上に余裕を奪って3人以上作れる世帯の数そのものを減らし続けることはむしろ少子化加速政策である。

 重要なのは3人目を作れるようなある程度の余裕ある世帯の数自体を増やす、中間層を厚くすることであって、格差が拡大している中で上澄みにさらなる利益を与え、そのために広く負担を強いることでは無い。目先の利益だけで大局的なモノの考え方が出来ておらず、場当たり的でズレた少子化対策は何の意味もないどころか害にすらなり得る。

 大体、政治家は無償化無償化と簡単に言ってくれるが無償化してもそれを支えるお金がどこかから湧いて出てくる訳ではない。その分のお金は税金から出ることになる。「無償化」とは言わば「税金化」であって今後、国民に対して「さらなる負担増をお願い」が来るのだろう。そうなれば少子化は確実に加速する。

(記事題|子ども「2.4人」欲しいが現実は「1.8人」 少子化要因は”お金”浮き彫り...家事負担感に夫婦格差も 住友生命調べ)

 そうでなくとも現時点で経済的な理由から3人目を諦める家庭は多い。理想の子どもの数は平均 2.4 人となっており、それでも理想に追いつかず現実は平均 1.8 人。その理由の第一は「『現在の収入では育てることができない』(37.8%)」。ここから更に増税社会保険料の引き上げで経済的負担を増やし続ければどうなるか。チンパンジーでも日本の政治家より学習能力がある。

小さすぎる”飴玉”

 今の若い世代は不景気に育ち、コストやリスクに対して非常に厳しい価値観を持っている。多少の優遇政策を取ろうが「結婚・子育てをすることで得られる恩恵」と、「結婚・子育てにかかるコスト・リスク」が釣り合わないことはよほどのバカでも無い限り理解している。単純に「~したら優遇してあげるよ?」、などと子どもを飴玉で釣る感覚で動かそうとしても無意味。そうした価値観を「私達の時よりは手厚いのに文句ばかり」と責める上の世代もいるだろうが、厳しい価値観や若年層の困窮を生んだのは日本社会でありそれを形成して来た上の世代。

 その支援方針で行けば「結婚子育てで得られる恩恵」が「結婚子育てにおけるコスト・リスク」を上回らなければならない訳で、財源的に非現実的で先が無い。あまつさえその財源を子育て世代そのものに負担させるのだからもはやお話にならない。例えば子どもに「お手伝いしたらゲームを買ってあげるよ、ただし購入代金はお小遣いから天引きな」と言えば子どもは動くだろうか。結婚して子育てするべき年齢層は政府のズレにズレた少子化対策に怒りを通り越して絶望している。だから婚姻数自体が減っている。もはや諦めの境地。

 人間は生物の1種なのだから、本来はそんな事をしなくとも本能的に増えようとする欲求がある。人間が形成する社会において、経済的な余裕が無いからそれが抑えられているだけの話。裏を返せば繁殖に適した世代に相応の経済的余裕さえ与えれば人間は増える筈ではないか。本能ではなく価値観(=理性)に訴えかけようとするからダメなのであって、この路線のままではいつまで経っても少子化は解消しない。

無償化するとしても

 高校の学費も大学の学費もそれを支払うだけの余裕があるから子作りしたのだろう。払える人間には払わせれば良いではないか。無償化するとしても最低限、偏差値によって足切りはして欲しい。所得制限は無くて良いので、無償化は高校・大学ともに国公立限定で偏差値65以上くらいにして欲しい。

 私はお世辞にも良い大学を出ているとは言えない部類だが、その立場から見てもそれくらいしなければ納得はできない。日本は子どもの減少に比して泊を付けるためだけの大学が多過ぎる。公費が投入されるとなれば、それをビジネスにする連中が出て来ることも予想に容易い。

 ついでだが朝鮮学校の無償化は論外。日本の教育カリキュラムに準拠せず、こちらに向けて頻繁にミサイルを発射するような国の教育を何の理由があって支援しなければならないのか。偉大なる祖国流の教育を無償で受けたいのであれば”地上の楽園”に帰れば良い。今、北は少子化らしいので歓迎されるかも知れない。

余談:Z世代が「8時間労働なんて異常」と言い出した話

 Z世代いわく「残業当たり前、8時間労働が基本なんて異常」と。残業は正直、会社によるとしか言えない(私の場合は無い。あっても年1時間か2時間)として、8時間労働はまあ・・・それだけお金を稼ぐのって大変なんだよとしか思えない。逆に5時間、4時間程度で彼らが思うほど稼げる仕事などよほどキツイ仕事か非合法的なものでは。あるいは「私たちはもっと効率良く強盗とかで稼ぐ」とか・・・?割に合うかな?

 とは言え、これだけまともに働いても取られるものが増えれば手取りを増やすよりも自由に使える時間を増やしたいと思う気持ちはすごく分かる。どうせ頑張って額面40万円もらっても手取りは30万程度にしかならないのだから、だったら上を目指すよりはお金をそこそこ稼ぎつつ、時間という本来なら何ものにも代えられないものを確保するのが一番利益になる。どんな金持ちだって1ナノ秒すらお金で買うことは出来ないのだから。タムパという考え方に基づけば当然の流れだ。

 飲みニケーションや社員旅行を嫌がる人がいるのもこれが大きい。時間というものの価値を考えた時、「付き合いだから」とはいえ自分自身にとって価値を見いだせない物事に、何モノにも代えがたい時間を費やすことはもはや彼らにとって苦痛なのである。

 「じゃあそこまでして節約した時間を本当に有効活用しているのか」と言われるとそうでも無いかも知れないが、重要なのはその時間に「価値があるか無いか」。価値というものが相対的なものである以上、自由に使える時間こそが彼らの価値観において至上なのだと言うならそれまでの話。ああ、そうなんですね、と言うしかない。価値は相対的であり他人が決めるものではない。

 そうでなくとも、私より1回り上の世代だって「自分の時間が無くなるのが嫌だから結婚しない」という人もいる。時間というものの価値が上がってきている、あるいはそもそも私達は時間というものの価値について、軽く考えすぎなのかも知れない。もちろん、重く考えすぎることの負の側面もあるのだが。

 逆に見ればそれだけ今の日本の労働環境には魅力が無いとも見れる。「24時間戦って」でもお金を稼ぐこと、まっとうに労働すること、時間を割いてでも職場の同僚と親睦を深めることの価値自体が下がっている。もちろんこれは会社にもよるし、本当に良い会社なら労働者はそれ相応の価値を感じているだろうが。Z世代の声を一笑に付すだけではなく、深刻なシグナルとして捉えるべきではないだろうか。