ヤマネコ目線

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親ガチャという言葉

 書き散らし。最近、「親ガチャ」という言葉を目にするようになった。正直あまり良い言葉ではないと思う一方で、そういった言葉が出て来た背景を考えるとある程度はその根底を理解できる気がする。

「親ガチャ」とは

 自分自信の遺伝的な要素、家庭の経済状態などをソーシャルゲームの”ガチャ”になぞらえて表現したスラングで、子ども側から見れば生まれて来る家庭を選べない=ランダム性があるように見えることを、ランダムでアイテム等が排出されるゲームの”ガチャ”システムと重ねている。

 ここでいうガチャは物理的なガチャガチャとは違う、ソーシャルゲームにおける著しくレアリティ排出の確率が低いシステムを指しており、これは言い換えれば現代日本においてレア(=裕福な家庭に生まれる)を引くことが出来る可能性の低さを表している。

 なお、一般的にガチャシステムのあるゲームはレアを引ければ引けるほどゲームを優位に進めることが出来る。いわゆる「Pay to win」。勝ちたきゃ金払え、というシステム。また、俗に良いキャラやアイテムなどを「人権」と言ったりもする。良いキャラやアイテムを引いてゲームを有利に進められる状態を「人権がある」、そうでない状態を「人権がない」。

根底にあるもの

 言葉自体の是非はともかくとして、その根底にあるものは「レアを引けなかったら終わり」、「勝ち組にはなれない」という無力感である。「人権」という言葉が出て来るのは、それが無ければ”普通の人間”*1として生きていくことすら難しいという失望感からだろう。

 先に述べたようにソーシャルゲームのガチャではレアの排出率は低い。時には何十万と課金しても目当てのものが出ない、という話も聞く。それを社会に当てはめればどうなるか。

 端的に言って、今の日本社会は超低排出率のSSR*2と、大多数のハズレで出来ているという事になる。格差を拡大させ続けた結果、社会は”ガチャ”になってしまった。政府が格差是正のために方策を取り続けていれば、何もそこまで言われることは無かったかも知れない。しかし、日本政府は格差を拡大させ続けて来たし、主権者たる国民は、大人はそれを支持し続けて来た。この言葉は言ってみれば子どもたちからの当てつけである。今やこの国は、子どもの頃ですら将来や社会に希望を抱くことが難しくなっている。何が「美しい国」か。

 ここで「おいおいおい」と。自分で努力して成功を勝ち取れば良いだろうと。そう言う人も居るだろうしその気持ちは理解できる。が、格差が拡大し続けてしまった社会においては、もはや生半可な努力では生まれついての家庭の経済格差を覆すことが出来ない。生まれた家が裕福であるという事は半ば絶対的なアドバンテージである。

 たとえば子どもに何か習い事をさせるにしても、それをするだけの経済的余裕が無ければ何もさせられない。子どもが興味を持った分野を伸ばすにしても、パソコンだスマホだを買い与えるにしても、経済的余裕が無くてはどうにもならない。今、成功者として名を馳せている若者は往々にして家庭の経済状態が良かったのだろう。それはたとえ高校生でも察することが出来る。

言葉の先にあるもの

 「親ガチャ」という言葉の登場が示すものは重い。ただ単に日本社会の格差の酷さを示すだけでなく、その言葉がそれをつかう彼ら自身に返って行くことを思えば、なかなかに厳しいものがある。

 子どもは「親ガチャ」という言葉をアタリ/ハズレを論じる側からつかう事が出来る。しかし、そうした言葉をつかう人々は大人になるまで、あるいはなった時、「自分はアタリたる親になれるかどうか」という問題を突きつけられる。さて、一体どれだけの人が「自分はアタリたり得る」と胸をはって言えるのだろうか。

 「親ガチャ」という言葉をそのまま遣わないまでも、同様の考え方が今の子ども達に浸透していると考えると先は暗い。「果たして、自分は子どもを作るに値するだけの人間か」、「それをしても良いだけの経済力があるか」、「”ハズレ”の人間は子どもなど作るべきではない」。そこには昔のような「子どもなんか作ってしまえば何とかなる」などといった甘っちょろい考え方は存在しない。前の記事でも書いたように、不景気の中で堅実に育った価値観はそのような非合理的な考えを許さない。

余談:病み/闇の根源

 格差拡大社会において、より一層悪影響を広めていると思うのがSNS。特にInstagramTikTokFacebookなどの陽キャSNS。様々な側面はあれど、そうしたサービスはもはや「いかに自分が良い暮らしをしているか」を見せつけ合い、マウントを取り合う場になっている。いわゆる「映え」の根底にあるのは”見栄え”。誰も彼も見栄を張りたいのだ。

 スマホを持っていればそうしたサービスは手軽に利用できる。言い換えればどのような社会的弱者であっても、SNSを利用する限りは自分よりも恵まれた人生を送っている人々の暮らしが無限大に目に入って来る。それもスネ夫のように自慢話を聞かせる程度にとどまらず、写真や動画付きで、である。そこで自分の暮らしと恵まれた人々の暮らしを比較してしまい、病んでしまう人間が増えていく。

 ではどうすれば良いか。見ない利用しないのが最善策。見栄の張り合い、マウント合戦など下らない。

 

*1:彼らの中の価値観でいう基準での「普通」

*2:スーパースペシャルレア、大当たり