ヤマネコ目線

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憲法改正の是非

 書き散らし。改めて思考が整理できたのでここで書いておく。

 自民党などの一部の政治家は憲法改正に躍起になっている。それに対する意見は様々あるだろうが、私は今のところ反対と言わざるを得ない。もちろん、憲法金科玉条として崇拝しているからではない。時期が来れば改正はすべき。

結論として

 大雑把に書けば

  • 今の国民に憲法改正の是非を正しく判断できるとは思えない
  • 改正草案の内容も良いとは言えない
  • 憲法改正よりもやるべきことがある(にも関わらずそれを放置するな)

という点に尽きる。何でもかんでも反対するだけでは良く無い。が、反対すべき事はきっちりと反対すべき。良くないことは良くないと言えなければならない。

国民は責任を負えるのか

 まず最初に書くが、私は日本国民の政治への関心の薄さから、今は憲法改正がどうのと言える時期ではないと考えている。統一地方選挙でも投票率は過去最低、無投票で当選する候補者も少なくない。それらが全体的な政治への関心に直結する訳ではないが、関係はある。少なくとも国民の政治への関心は高いとは言えまい。その中で憲法改正に関心を持ち、心から望む国民はどれだけ居ると言うのか。

 総合的に見て、憲法改正の是非を判断するだけの責任を今の国民が負うことは不可能である。政治に関心を持つ持たないは自由であるが、選択の結果あるいは無関心の結果どういった結果が生じても、その責任は国民に降り掛かって来る。自由には責任が伴うのである。そうした責任を、特に憲法という大きな枠組みに手をいれるだけの責任を、果たして今の日本国民が負えるのか。

 憲法最高法規でありそう簡単には変えられない。である以上、憲法改正は選挙などよりも慎重に、なおかつこの先数十年、百年先を見据えることが必要になる。それだけの賢明さが今の政治家や国民にあるだろうか。いや無い。

 責任能力の無い者に、責任を負う必要のある物事や判断を任せてはいけない。相手に責任能力が無いと理解しながら、そうした判断などを迫るようなこともあってはならない。今、政治家が国民に憲法改正の判断を迫るのはそれと同様のことであり、個人的には悪意を感じる。国民の無関心さは彼らにとってはつけ入るべきチャンスなのだ。

 政治家を信用していないのかと言われれば「その通り」。マイナンバーカード普及の方策、保険証廃止の進め方1つとっても、彼らがいかに「国民の声を聴く気が無いのか」がよく分かる。そうした連中が「憲法改正の機運が高まっている」などと、一体どこの誰の声を聴いているのか。天の声か。異次元からの声か。

憲法改正の内容に問題がある

 これまで何度か書いているが、自民党憲法改正草案には問題がある。憲法改正は「自衛隊を正式に軍隊とする」というような話だけではない。そのほか、様々な変更が加えられている。それも現行憲法からの条文削除や趣旨自体の歪曲、あるいは復古主義的な内容の追加が多い。

 そうした内容を憲法に反映させる是非を判断する力がない、責任を負えるような状態にもない国民に、憲法改正の是非を判断させようというのがまず間違っている。大人が不利な条件を知りながら子どもに小難しい契約書を渡し、サインするかしないかを迫るようなものだ。下手をすればサインしてしまうかも知れない。政治家はそのような間違いを狙っている。

 特に安全保障上の問題においては、現行憲法ではどこまで不都合が生じるのかを不透明なままにして改正の必要性を必要以上に煽っている。敵基地攻撃能力こそ憲法改正の必要性があるかも知れないが、自民党の改正草案はそうした内容以上に、むしろ関わりの無い変更箇所の方が多い。

 まさか、自民党が出している改正草案に目を通すことすらせず、「憲法改正自衛隊を正規軍として認めて憲法9条を見直す程度」という思い込みだけで改正に賛成している輩はいるまいな?

 特に緊急事態条項はサヨク的な煽り抜きで危険だろう。日本政府に許して良い内容ではない。この先数十年、100年先を見据えた時、憲法に盛り込むのは危険でしかない。

manuller416.hatenablog.com

優先順位の問題

 今が憲法改正がどうのと言っていて良い時期かどうかも問題だろう。政治家、特に自民党の議員はやるべきことを疎かにし、自分たちのやりたい事ばかりに一生懸命になっている。

 それよりも必要なのは、経済政策とその他の政策の軌道修正である。物価高の中で平気で増税社会保険料の引き上げなどと言い出すので、人々は憲法改正がどうのと議論しているどころではない。やるべきことが山積している。憲法改正はその中で本当に、何よりも真っ先に、他のあらゆる問題を差し置いて取り組むべき課題なのか。私はそうは思わない。

 特に経済政策はアベノミクス以来、具体的なビジョンが打ち出されていない。ただアベノミクスによって作られた路線の延長を延々と走っているだけである。金融緩和の出口も見えていない。

 こと株式市場偏重の政策は結果として日本の景気を良くすることは無かった。日経平均が上がることと、経済状態が改善することは同一ではなかった。アベノミクスを支持して来た人々はそれを見誤ったし、下手をすれば未だに見誤っている。日銀が市場を買い支えた結果、市場の自律性や透明性を損ね、市場原理の名の下に公的資金が投資家の利益へと変換された。結果として生まれたのは、格差拡大と「日経平均が上がっている=景気が良くなっている」という勘違い。

 アベノミクスは全く効果を上げなかったとは言えないが、同時に消費増税社会保険料の引き上げでその効果を生殺しにして来た。政府が明らかにおかしい税金の遣い方を一切見直すこと無く、こども家庭庁のような余計な省庁を作るなどして浪費を加速させ、その財源のために、子どものため防衛のためと大義を掲げて増税社会保険料の引き上げを続ける限り、経済は良くなる訳がない。アベノミクスに代わる経済政策が無い中でそうした路線を続ければ、なおさら良くなる事はありえない。政府、政治家は安易な増税社会保険料の引き上げを提言すべきでないし、国民としてもそれを許すべきではない。

 総合的にみて、日本政府は格差を是正するどころか拡大させる方向にばかり舵を切っている。その舵取りを改めさせない限り、憲法改正どころか国、経済が危うい。優先順位を間違っている。あえて間違った優先順位を設定している。

余談:東京藝大の財政難

 Twitterで東京藝大の財政難が話題であった。岸田総理の奥様は招待されたからと公費でアメリカに行くらしいが、一方で国立の東京藝大は財政難でピアノを売る事態に陥っている。何かがおかしくはないか。

 「そう批判する人間は、普段から芸術に興味をもって支えているのか。焼肉だ何だと身近な娯楽ばかりにかまけず、演劇を見に行ったりコンサートに行ったりしているか」、という批判も見かけた。が、そうした事は経済的に余裕がなければ出来ない。その経済的な余裕を国民から奪っている、格差を拡大させ続けて貧困を広げ、この国を経済的のみならず文化的にも衰退させているのは他ならぬ日本政府であろう。そこで一般市民に批判の矛先を向けるのは誤りである。

 そういえば、麻生太郎氏のナチスに見習え発言なんてあったなあ。

 「憲法は、ある日気づいたら、ワイマール憲法が変わって、ナチス憲法に変わっていたんですよ。だれも気づかないで変わった。あの手口学んだらどうかね。わーわー騒がないで。本当に、みんないい憲法と、みんな納得して、あの憲法変わっているからね。

 大勢が無関心の中、憲法を改正したい一部だけで静かに、好きなように変えてしまいたい、そういう意図だったのでは。