ヤマネコ目線

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「日本人の幼稚化」の本質

 いつもの偏見の掃き溜め。女性ではないのでそっちは知らん。私の上の世代では、大人の趣味と言えば「タバコ・酒・ギャンブル」+風俗という感じだった。入社した頃はよくそれらを嗜まないことに関して「何が楽しみで生きているの?」とさえ言われたものである。

 今はそれらを嗜まないことがメジャーになりつつあると感じる。ゲーム、アニメ、漫画といった娯楽を大人でも楽しむことが増え、それが上の世代からすれば「日本人が幼稚化している」と捉えられて来た。では、その本質は何なのか。

そもそも「幼稚化」なのか

 今やアニメや漫画、ゲームなどは大人でも楽しめるものが増えている。一定の限度はあると思うが一概に幼稚だと切り捨てられるものとは思わない。それはもはやだたの「偏見」で、逆に大人に需要が増えて来たのでそちら向けにも作っている側面さえある。そうしたものを全て「幼稚」だと切り捨てるのなら、そう言う彼らにとっては小説や映画、スポーツなど他のあらゆる娯楽も「幼稚」なのだろう。娯楽の一切を「幼稚」だと切り捨てなければ、自分の置かれた状況に自分を納得させられない、そういう人生であったのならばむしろ同情に値する。

 逆に考えて「酒・タバコ・ギャンブル・風俗」は”高尚”で”大人らしい”のだろうか。少なくとも高尚だとは思えない。それらが大人の趣味・嗜みであった理由は今の価値観から見れば”結婚して子どもを作るのが当然であった時代に”、あまりお金に余裕のない中で楽しめる手軽な嗜好品がそれらであっただけの話。特にギャンブル(パチンコ、競馬、競艇など)は娯楽+少ない小遣いが増えるチャンスだったのだろう。

 「昔はそれくらいしか無かった」と言うのもあるかも知れないが、その”昔”を生きて来た人々が、かつて子ども向けしかなかったコンテンツにおいて大人向けの製品、あるいはその土台となるものを作り上げて来た側面もある。

 なので「幼稚化」という言い方は適切ではなく、全体的な趣味志向の程度で言えばさほど変わらない。ただ時代や社会情勢、それに伴う価値観の変化によって志向が変わって来ただけの話であり、その変化についていけない人間が「若い世代が幼稚化している」と言っているだけである。

ライフステージが上がりづらくなった

 ではなぜ志向が変わって来たのか。まずライフステージが上がりづらくなった、あるいは上がらなくなったからだろう。日本経済がずっと下り坂を転がり続けるにつけ、貧困が広がり経済力の低い人間が増えてしまった。給与について額面だけ見て昔より多いと感じる人がいるかも知れないが、物価は上がっているし昔と今とでは「普通の人生に必要な経費」のラインが違う。特に子どもをまともに育てようとしてかかる費用。クルマも今や軽自動車で200万円を超える。70、80の政治家が「十分もらっているだろうが」と言う給与では、今や足りないのである。

 その辺りの感覚が致命的にズレた年齢層が政治権力を握っている事が、若年層に絶望感すらもたらしている。昔でいう”普通の人生”に必要な経費が膨らむ一方で給与は上がっていない。単純に若年層に経済力が無い。余裕が無い。若くして経済力があるのは恵まれた一部であって、多数派ではない。「若者の~離れ」は大抵が「お金の若者離れ」で説明できる。

 そこで全体的にライフステージが上がりづらくなるのは当然で、「結婚して子どもを作る」「男は仕事、女は家」が当たり前の時代は今や遠い過去。その価値観自体が良いか悪いかは別として、何にせよ人生で一番の花盛りの世代にお金がない。ゆえに活力がない。今まで多くの人間が乗り越えられていたハードルが相対的に高くなっている。転売だのパパ活(と言う名の売春)だのYouTuberだのが流行るのは、まともに働いてもそれではお金にならない事の裏返し。

 なので本来であれば今、恋愛・結婚・子育てをする筈の世代の人間は限られたリソースの中で出来る最大幸福の形を探っている状態にある、と私には見える。端的に言えば「金が無いから自分のことで精一杯」。それを上の世代は「幼稚化」と切り捨てて情けないと嘆いている訳だが、そういう日本社会を率先して作ってきた奴らに言われたか無ぇよ。

価値観の根本的な変化

 単純な経済力の問題もあるが、上の世代と今の世代では価値観が根本的に違う。不景気に生まれ育った世代は、生まれた時=日本の景気が(人生の中で)一番良かった時。大人になるにつれて将来への不安は増大する一方であり、その中ではあらゆる事に対して堅実にならざるを得ない。そうした中では

「少ないリソースで得られうる最大限の利益を引き出すこと」がどのような物事に対しても最優先事項

 であり、妥協は基本的に悪。

下手に妥協するくらいなら最初から一切のリソースを割くべきではない

 という判断基準がある。少なくとも今の10~30歳代はそれに近い価値観を持つ人が多いのではないだろうか。

 今やそうした世代は自分達が割けるリソースとしてお金はもちろん、時間さえもかなりシビアに天秤へかけている。最近テレビでもたびたび耳にする「タムパ」、タイムパフォーマンス、単位時間あたりどれだけの利益を得られるかという言葉はその表れ。動画の倍速視聴、ファスト映画、Short動画などがその最たる例だろう。あらゆる物事に対して「自分が割けるリソース」と「得られる利益・リスク」を過剰なまでに天秤にかけ続けて育った世代にとっては、上の世代が言う「大人の趣味」に魅力が無い。

 特に酒・タバコはこのご時世、わざわざ健康を害して将来的にかかる医療費を増大させる=ただでさえ大きい将来への不安を増大させる、という点でデメリットが大き過ぎる。何となく大人っぽいから、大人がやっているからでそれを嗜む時代ではない。嗜む若者が居ないわけでは無いが多数派ではないし、堅実な価値観を持つ人間であればまず手を出さない。むしろ酒なんかは上の世代であっても、嫌々付き合って来た面があったのではないか。

 ギャンブルについては判断が分かれているように思う。確率的に儲かる可能性が低いあるいは無い、リスクでしかないと捉えて一切手を出さない場合が多いと思うが、ゲームの影響でやり始める者、得が出来そうな場所を見つけ出して何とか小遣い稼ぎができないか試行錯誤する者もいる。また、ギャンブル離れはスマホゲームのいわゆる「ガチャ」にお株を奪われている面もあるだろう。「無料で始められる上にいつでも遊べるハードルの低い娯楽」として生活に入り込み、ガチャというシステムによって射幸心を煽ることである種のギャンブル依存にする、というのは悪い意味で上手くやっている。

 物理的な実体のない、たかだか10年くらいで使えなくなる電子データに数十万数百万と出すのは私には理解できないが、ガチャ依存症と考えれば何ら不思議ではない。一般的なギャンブルで稼ぐことは難しいが、ゲームならばガチャで出たキャラクターを使って活躍することが出来る。それによってフレンドから必要とされることにささやかな喜びを見出す者もいれば、特定のキャラクターを(データ上であれ)所有することで所有欲を満たす者、優越感を感じる者もいる。課金する人達なりのメリットがあるのだろう。

 風俗に関しても行く若者がいない訳ではないだろうが、異性との行為にそこまでの価値を見いだせない人間にとっては無用のサービスであり、価値があっても「普通に異性と交際して遊ぶよりはコスト的に少なくて済むか」程度。その辺は人によるが何にせよコスパ、タムパどちらの面からしても魅力がない。

恋愛離れ

 恋愛面に関して少し書けば、特に現代の若年層はSNSの発達などで理想が高くなりがち、恋愛面からして理想と「自分の手が届く範囲」とのギャップに絶望しがち。自分が子どもの頃に思い描いていた将来像、求める理想が大人になるにつれて手の届かないものになって行く一方、それでも妥協は悪であり、下手に妥協するくらいなら最初から一切のリソースを割くべきではないと考える。それがいわゆる所の「若者の恋愛離れ」の正体、その一端だと私は考えている。

 恋愛も結婚も子育てもある種リスクの塊であり、そこに妥協は必ず付いて回る。一方で今の若年層は育った過程でその「妥協」が致命的なまでに苦手でもある。少ないリソース=自分自身で一体どれだけの相手が得られるのか、どれだけの暮らしが出来るのか。そうした天秤にかけられるモノがあまりに軽い場合、最初からかける事すらやめてしまう。

 そこで当たり前のように妥協し、自然と恋愛ができる人間がある意味で羨ましい。おっと本音が

結局のところ

 日本人は「幼稚化」したのではない。貧しくなって余裕が無くなったのだ。それが上の世代の言う「幼稚化」の本質だと私は捉える。幸福の形は人それぞれだとか、結婚して子育てするが全てじゃないとか、いろいろ言い訳して自分を納得させなければやってられない。そうした社会になってしまった。それは「幼稚化」という言葉で片付けて良いレベルだとは思えない。実体はかなり深刻である。

 一部の人間が言う「日本人の民度」とやらに反する問題が増えて来たのも、単純に日本人から全体的に余裕が経済的、そして精神的に無くなって来たからではないか。もとよりそんな民度、どこまでのモノがあったのか怪しいものだが。

 何にせよそうした国に、社会にしてきた人間は誰か。どの世代の政治家か。国民か。それを理解せずに上から目線で「幼稚化」などと言ってのけるのは良くない。そのようにしか物事が見えない人間を私は哀れに思う。