ヤマネコ目線

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統一教会は合法なのか

 日曜の討論番組で太田光統一教会問題について「白黒で語れる問題ではない」と言っていた。霊感商法が問題になり、それでも政治権力に結びつきを持っていたからか生きながらえて、その後も名前を変えながら派生組織を各地で作って勧誘・洗脳を行い、そうして獲得した信者に多額の献金をさせて来た韓国発祥のカルト団体が真っ黒でなくて何なのだろうか。逆張りバカも大概にしろよ。それとも壺信者なのだろうか。

「今は合法だから問題ない」の論理

 太田氏だけでなく、ネット上では「統一教会は存在が違法でもないから問題ない」と擁護する声が一定数ある。しかしそれは私から言わせれば問題視すべき組織を政府が意図的に見逃して来ただけに過ぎない。岸信介の時代から政治権力に入り込んで来た統一教会。そうした組織を規制しようとも当然、政治家による介入・抑制があったであろうし、むしろ名称変更を許すなど味方すらして来た訳で、そうした体制の下ではびこったカルト団体について「違法とされていないから白」とするのは無理がある。無理があり過ぎる。そんな簡単なロジックすら分からないのか。

 たとえばジャンルは違うが一昔前に「脱法ドラッグ」というものが問題になった。最近はめっきり聞かなくなったが、あれだって当時は「違法ではなかった」。だったら問題なかったのかと言われればそうではない。ただ単に法規制が追いついていなかっただけである。統一教会問題も「現時点で違法ではないから問題ない」と言うがそれは違う。政府与党がそもそも規制する気が無いので違法とされていない、何ら規制されていない。それだけの話。

 そもそも反社会的勢力でも組織の存在自体が違法とはされていない。彼らは存在しているだけで刑務所に送られるか、と言われればそうではない。何かしら規制はあれどそれに抵触しなければそうした事にならない訳で、「存在自体が違法とされていないから問題ない、何の規制も必要無い」は逆説的に言えば反社会的勢力だって「問題ない」ことになる。しかし現実は反社会的勢力であればあらゆる規制を敷いて締め付けている。なぜそれがカルト団体に対しては出来ないのか。

 規制するならするでやりようはある筈。それをして来なかったししようともしない、問題が明らかになっても統一教会と手を切るつもりが明らかに無いのが今の日本政府、政治家。それを我々は「今、法的に問題ないならそれで問題ない」と許して良いのか。少なくとも私は許さない。

考えに芯が無い奴ら

 太田光はただの逆張り◯カだと思うが、そうでなくとも考えに芯の無い人間は多く見受けられる。かくいう私も自戒すべき点はあるのだが、とにかく

  • サヨクが叩いてるからその逆を行くのが正解
  • マスコミが叩いているからその逆を行くのが正解

 と言うような物の考え方は改めるべきだと考えている。ただし◯中平蔵テメーは何がなんでもダメだ。特に統一教会問題についてはどう考えてもそんな組織と関係を深く持ってしまった政治権力が良くない。我々は良くないものは良くないと言える人間でなければならない。ノイジーマイノリティを見ると「こいつらと一緒にされたくねえな」と思う気持ちは分かる。マスコミが叩いてるのを見ると叩かれている側の味方をしたくなる気持ちも分かる。しかしそうしたバイアスを加味しても、統一教会問題は叩いて潰すべき問題にほかならない。その辺りを間違えてはいけない。

気色悪い右翼界隈

 統一教会問題が明らかになって以来、Twitterではそれでも安倍元総理や自民党を擁護する右翼っぽいアカウントが目立つ。何かと言えばすぐ「朝鮮人が~韓国が~」とのたまう連中が、こと韓国発祥のカルト団体である統一教会には謎の寛容さを発揮して擁護すらしている。安倍元総理を崇め奉っているようなようにすら見受けられるし、統一教会とより一層関係が深いであろう安倍派議員(特に高市早苗氏)を熱心に総理大臣に推している。正直、本当に気色が悪い。もはや統一教会安倍分派。安倍元総理の最期は確かにいたましいものだったが、それでもそこまで擁護し続ける思考回路は理解できない。考察してみたが本当に理解できない。

 強いて言うなれば、彼らは今まで信じて来たものを今さら切り捨てることなど出来ないのかも知れない。いかにこの国が没落する一方でも、いかにこの国の経済が衰退する一方であっても、彼らは「美しい国」や「アベノミクス」を信じたいのかも知れない。ある種、宗教的なものさえ感じるほどに彼らの安倍元総理への信頼、もとい信仰は厚い。いい加減に現実見ろ。

 こういう事を書くとすぐ「創価学会は見過ごして来たのに何を今さら」だの「幸福の科学はいいのか」だのと言うバカも湧くのだが、逆に考えてみて欲しい。統一教会に味方さえするカルトにお優しい日本政府、政治家達がそうしたカルト団体を規制しようとするだろうか。むしろそうした団体を規制するとなると必然的に統一教会への規制も強めざるを得なくなる。結局、カルト依存政府だからカルトに優しかったというだけに過ぎない。第一、創価学会だの幸福の科学だのを許した覚えは少なくとも私には無い。一方で「投票に行っても何も変わらない」などと最低限の義務すら投げ出し、カルトの組織票を補助して来た有権者は切に反省すべき。

 「統一教会問題を叩けば山上容疑者=テロリストの思惑通りになるから良くない」という意見もあるが、テロに屈しないという意思だけで統一教会を見逃してやる義理も我々には無い。そんな単純な話ではないし元はと言えば安倍元総理は統一教会と手を組み、広告塔になったがゆえに目をつけられた訳で、自業自得とまでは言わないが身から出た錆に殺された感がある。

 今思えば、オウム真理教の台頭を許してしまったのも(ほかに様々な要因があったであろうにせよ)カルトにお優しい政治体制も一因だったのではないだろうか。あるいは日本人の従順な性質がカルトと相性が良いだけか・・・。リアルタイムで見ていた世代ではないので何とも言い難いが。

余談:選択

 今の政治は選択肢が無い。野党は相変わらず酷いもので特に立憲は迷走している。国民民主はぱっとしないし統一教会問題も少しは関係がある。維新は自民党とそう変わらん、共産党社民党、れいわはお花畑にいるし、参政党だのごぼうの党だのと言った怪しい政党も出て来ている。その中で自民党を選び続けるのは楽だろう。しかしこのままではいけない。どのみちこの国が滅びるにしても、そうして逃げて何も変えられないまま終わるのが良いのか。私はそうは思わない。少しずつでも政治を変えていくべき。でなければどんどんこの国は生きづらくなる。これからもっと悲惨なことになる。

 前にも書いたが「私たちの世代は上の世代より人口が絶対的に少ない、だから自分が投票に言っても何も変えられない」、という人間も気に食わない。それって言い訳をして考えること、選択することを放棄してるだけですよね?統一教会の信者はこれからも年代関係なく投票に行くだろう。特定の政治家に投票しないと地獄に堕ちると言われて。そういうカルトの組織票の影響力を弱めるために1票を投じるだけでも十分に意義があると私は思う。

 なお、白票は意味がない。投票率の計算には計上されるがそれ以外では無効票として扱われる。政治家に対する抗議の意味があると言う人間もいるが、今の政治家を見れば「そんなものを気にする政治家などいない」。

呆れ顔のジーザス