ヤマネコ目線

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東大寺に行って来た:Part1

 東大寺に久々(小学生ぶり)に行って見た記録。奈良県民としては寺社仏閣はウンザリするほどその辺にありふれた存在なので、法隆寺東大寺といった有名所はあまり行く事はない。他府県民も同じようなものだろうけど。

 興福寺五重塔奈良駅から東大寺の道すがらにあるので寄った。青空だったが久々のカメラで白飛びさせてしまった・・・。西暦710年建立とされ、ともに国宝で本尊は釈迦如来藤原氏の氏寺でもあるらしい。

 行った理由は会社の同僚に一緒に御朱印集めしないか?と言われたのがきっかけ。信仰心は無いが仏教そのものを否定するつもりは無いし、たまに出かける口実にはちょうど良い。

 興福寺 南円堂(なんえんどう)。四国三十三所の第九番札所らしい。

 南円堂の向かって右側にある一言観音堂、その上にあった詳細不明の幻獣(?)の絵馬。

 一言観音堂。1つだけ願いを叶えてくれるとされる。奈良県内で言えば葛城一言主神社も印象的。

 興福寺 中金堂(ちゅうこんどう)。平成30年に再建されたかなり新しい建物だが、残念ながら周囲を柵で囲われており、入ることは出来なかった。

 興福寺から東大寺に行くまでに昼食。道の途中にあった漬物バイキングのお店、月日星。これはテラス席へ向かうための通路。

 メニューはフルビーガン対応。漬物で食べるなり茶粥にして食べるなりできる。シンプルだが健康的でなかなか美味。個人的には茶粥にするのは微妙。お茶はお茶として頂いた。

 お味噌汁のもなか?が松ぼっくり状になっているのが可愛い。デザートが欲しければ普通の最中もある。

 東大寺南大門、国宝。高さ21mにも及ぶ柱が18本も立っており、それだけで圧倒される。約800年前に建てられたらしいが一体どうやってこんな建築物を建てたのだろうか。気になる。柱を立てるだけでもかなりの苦労があったのだろう。

 なお東大寺華厳宗の総本山であり、南大門には「大華厳寺」と掲げられている。大仏殿内でもらえる御朱印も「華厳」の二文字。この扁額は新調されているらしい。

 金剛力士像 吽形、阿形。これも約800年前に運慶や快慶といった仏師によって造られた像であり、素晴らしい造形がされている。驚くべきことは2体とも同時進行でわずか69日間で造られたと言うこと。超有名どころの本職による大仕事とはいえ、これが3ヶ月ちょいで出来るとはなかなか恐ろしい。

 欲を言えば金網ではなくガラス張りにして欲しいのだが、換気などの都合もあるのだろうか。

 南大門をくぐりしばらく行くと中門(重要文化財)がある。1716年に再建された門で中央は柵で塞がれており、向かって左側の小口から入る。1月1日0~8時までの間だけは中央から入ることが出来るらしい。

 大仏殿(国宝)。中門の小口から入ってすぐ左には拝観料の支払い所が設置されており、そこから回廊を先ほどの門の方向へ戻って行く。それまでに見える景色がこれで写真を撮るにはちょうどいい。大仏像をおさめるためとは言えあまりに巨大。これでも再建前の2/3の大きさ(横幅)と言うのだから驚かされる。

 これまで2度焼失しており、再建前の建物は1567年の東大寺大仏殿の戦いで焼失。大仏像の破壊を目的にキリシタンが放火したとの説がある。やはり宗教の違いは争いの種か。穀物の倉庫から出火し延焼したとか。そもそも戦場にするなよと思うが無理だったのだろうか。因みに東大寺に陣を構えたのも放火したキリシタンがいたとされるのも三好三人衆側。おのれ三好三人衆・・・。

 大仏殿正面。近づくほどに視界が巨大な大仏殿に埋まっていく。現在の建物は基本的に1709年に完成したもので近代において補修・補強がされている。再建は大仏が雨ざらしになっている事を嘆き、幕府への働きかけや勧進などを行った公慶上人によるところが大きい。これには江戸幕府の援助もあり、その援助をしたのは犬公方と悪名高い?徳川綱吉である。近年、評価が見直されつつある綱吉だがこんな所で繋がりがあったとは。

 唐破風のアップ。「唐」と付くが日本独自の建築様式なのが紛らわしい。破風は装飾の様式であり特に機能的な必要性は無い。再建前の建物の復元図を見ると少し味気ない屋根になっているが、この唐破風がある事でこの屋根の下に大仏がある事が強調されているようにも思う。

 八角燈籠(国宝)、音声菩薩(おんじょうぼさつ)の彫刻。戦火を逃れて現存している東大寺創建当初のもので、公式HPの解説通り確かに見事な造形になっている。

 Part2に続く。

 使用機材:SONY α7III + FE24-105mm F4 G OSS

 久々にα7IIIを使うと露出補正ダイヤルのロック機構が欲しくなる。7IVは付けて正解。