ヤマネコ目線

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結婚しない覚悟

 個人的な話でしかないが、そろそろ結婚しない覚悟を決めた方が良いかも知れない。「できない」覚悟の方が正しいかも知れないが、自分から目指さないという点では「しない」覚悟だ。

欠陥人間

 まず第一の問題は私自身。小中学生時代はいじめられっ子、高校時代は下手に進学校に行ったがために(+アトピー性皮膚炎と感染症)でろくな青春どころか記憶すら無く、大学はこれまた電気電子工学科という、明らかに女子が少ない学部へ行って陰キャ街道まっしぐらに進んで来てしまった。もちろん彼女いない歴=年齢、実家暮らし、社会人になってからは会社と家の往復ばかり、休日は農業かPCゲームかたまに動物園に行くか。人としての魅力はなく、身長は高校時代にアトピーで眠れなかったのもあって低いまま。声も低く良い声ではない。年収も400万に届かない。これといった特技もない。誰かに好かれる要素がない。いじめられたせいか性格は歪み、思えばこれまで感じた感情は圧倒的にマイナスの感情ばかり。怒り、憎しみ、妬み、最近では特に虚無感が強い。私の中身は空虚だ。

 そのくせ常識や良心といったものは残っている。生きていく上では残さざるを得ないが、それにしてもまあよくもこれだけ無駄にしっかり残ったものだ。私は私自身が欠陥品であると、その良心や常識からこれ以上ないほどハッキリと認識してしまえる。確信できる。だからこそ私自身は誰かに愛される価値はないと思うし、相手を探そうとしても良心がそれを咎める。不良品だと確証を得ているものを誰かに売りつけようとするのかと。

 もちろん誰しも欠陥を抱えているものだ。コンプレックス、その人にしか分からない欠陥はある。しかしそれには程度がある。許容できる欠陥には限度があるし、許容できない欠陥を抱えたものを下手に使えば害を成す。そして私はその限度の外にいる。あくまで個人的な基準だが。

 ちなみにアトピー性皮膚炎はかなり良くなった。3週間に1度、1本2万円する注射薬を打っている。こうでもしないとまともな人間になれないとは、本当に何から何まで欠陥だらけで嫌になる。

環境的な要因

 私の実家は地元では少し有名な地主だった。農地解放でかなりの農地が強制的に他人のものとなったが、今でも農地はまあまああるし、山もそれなりの土地がある。しかし農林業など今の時代はむしろ敬遠される要素である。それも長男となればなおさら敬遠される。一体誰がこのご時世に苦労ばかり多くて金にならない農林業などやりたいと思うのか。

 農業は楽で良いなんて人がたまにいるがとんでもない。無知にも程がある。稲作は4月に準備を初めて10月に刈り取るまで、水の管理やら草刈りやらでとにかく行楽シーズンが一番忙しい。兼業ならばなおさら苦痛で、たまの土日が農作業の日になる。もちろん1日8時間なんて時間は決まっていない。稲作なんて本当に辞めたいが、辞めたら辞めたで土地の管理をしなくて良くなる訳ではない。土地が草山になればその草の種がよその田んぼへ飛ぶ。迷惑をかけて白い目で見られる事は明らかだ。農業に定時は無い。会社員のように勤怠時間や仕事を管理される事はないが、逆に言えばそれは自分自身との戦いでもあるし、近所の人との戦いでもある。

 そんな農業をしていては休日は潰れる。もし誰かとお付き合いすることになったとしても、良い時期は農業が忙しくてどこへも出掛けられない。祖母はこの点よく嘆いていた。旅行できるのなど冬の間しかない。子供、私からすれば父の弟、叔父さんが行楽シーズンにうちの近くに来る人々を見て「良いなあ、あんなふうに家族で花見とか行きたいなあ」、と言っていたのは忘れられないらしい。私も昔から、学生時代から休みとなれば何かしら手伝わされるのが嫌だった。社会人になった今ならなおさら、苦労ばかりで金にならない農林業など本当にやりたくない。結局、農業を続ける限り未来はないが、実家は、特に祖父は続けたがっている。思い切って一人暮らしして完全に実家を切り捨てるべきだろうか。それか農地と山と心中するか。もはやこれはアテツケでもある。どうせ欠陥人間で結婚できないのだ。いっそ心中してしまえば良い。

社会的な要因

 年収が400万に届かないのは個人的な要因だが、それに加えて今の日本社会を見ると、到底結婚して子育てをしようとは思わない。思えない。子供一人にどれだけお金がかかる事になるのか、ちゃんと養えるのか、きちんとした教育を受けさせてあげられるのか不安しかない。結婚すると言うことは私の中では=子供を設けることだ。むしろそれをしないなら結婚する意味はない。そんな形に囚われる必要すらない。そしてきちんと育てられない環境なのにも関わらず子供を設けることは、それ自体がもはや虐待である。

 政治はずっと悪い。私が生まれた時は既に万年不景気の感があったが、生まれてから社会人になってもずっとこの国は悪くなる一方だ。誰しも将来に不安はあるかも知れないが、この状況では更に将来が真っ暗であると思わざるを得ない。これからもずっとこの国は変わらない、変われない。どんどん生きづらくなる一方であって、その中で子育てをするのはもはや生まれてくる子供が可哀想とすら思う。自分たちにとってもリスクが大き過ぎる。社会の歪みは子供にもダイレクトに反映される。最近ではピアノを弾ける子供がクラスに1人もいないのが当然のようだが、私が子供の頃には1人は必ずいた。それだけ日本の過程環境はレベルが下がっている。いや、下がらざるを得ない状況に置かれている。パパ活なんて嫌な言葉が出てきたのも最近の話だ。要は実家からの仕送りが少ないから体を売って生活を良くしようとしている。それも10代後半の、曲がりなりにも大切に育てられてきた女子がだ。本当に吐き気がする。

 正直結婚して子育てなど、金持ちで余裕がある人か本当にそういうのが好きな人だけがやればいい。それはもはや誰しもが得られるあるいは目指す幸せの形ではない。私のような人間にはそんな資格も余裕も無いし、そこで無理をすれば必ずその無理がのちのち祟って来る。もはや日本社会全体がそんなステージには無い。最低でも3人などと抜かしたボケ政治家がいたがとんでもない。

結婚することの意義

 私の両親はこれまたお見合い結婚で、私が生まれた頃から既に仲は冷え切っていた。私は誰かを本気で好きになったことも、恋をしたこともないが、それは家庭環境の影響もあったのかも知れない。物心ついた時から不景気で、何を買うにしてもコスパコスパ、よく吟味して選べと育てられて来たので無駄に相手への理想も高い。それもあってか誰かに恋をする自信も、誰かを愛する自信も、結婚して幸せを感じられる自信もない。妥協して結婚する事にも意義を見出だせない。やはりその点、向いていないのだろう。

 結婚して後悔するか、しないで後悔するかだが、それに関しては「してもしなくてもどのみち後悔する」という名言がある。

終わりに

 たまに自殺願望があるのかと思われる事があるが、それは一応無い。私自身には確かに価値は無いが、この世界には価値があるし、この世界を生きる事には価値がある。つまらない事も多いがそこにはまだより多くの楽しみがある。