ヤマネコ目線

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沖縄県知事選について思うこと

 すでに沖縄県知事選が告知され、投票日は9月13日となっている。連合や立憲・共産・社会などに推薦されている玉城デニー氏と、自民・維新・参政・国民民主・公明・日本保守に推薦されている古謝玄太氏の対決の様相を呈しているように見られる。

www.pref.okinawa.lg.jp

 この選挙について東京新聞の以下の記事が話題になっていた。ソースが東京新聞なのも心もと無いが、以下の記事ではSNS分析ツール「Meltwater」を使用し5万9,000件の投稿を分析したと書かれているので一定の信用は出来るだろう。

www.tokyo-np.co.jp

(記事題:沖縄県知事選挙の関連X投稿の発信地は「東京」が最多、沖縄を上回る デマ、候補者攻撃…選挙への影響は)

上記記事より

 その中でも「極左暴力集団」というワードが含まれる投稿は沖縄以外から発信されたものが(東京+大阪+神奈川)で沖縄発信の3.5倍にのぼっている。「その他」は発信地が不明なのか何なのか分からないので含めない、調査件数のうち何件がこれに該当するのかも分からないので解釈が難しいが、高市政権、自民党によるスマホ農場での世論工作を疑われるのも無理はない。

沖縄県外の人間が不可視可しているもの

 沖縄に暮らす人々と本土人との認識の乖離について今さらながら気づかされたことがある。それは「沖縄県民の犠牲の不可視化」である。

 県外から沖縄批判、デニー批判をしている人々は、たとえば先日の辺野古沖転覆事故で無くなった高校生、活動家をトラックから守ろうとして亡くなった警備員の犠牲を材料に苛烈に沖縄県政を批判している。「警備員が犠牲になった時点で活動家を一網打尽に排除していれば辺野古の事故は防げたはずだ」などと。

 しかし、そういうことを言う人々は「米軍が墜落事故を起こして県民に死者を出したり性的暴行を働いている。米軍基地を無くすべきだ」とは言わないのである。沖縄県民がどれだけ犠牲になろうとも、私も含め本州の人間は「でも安全保障上の要衝なので米軍基地があることは仕方ない」で済まして来た。

 ところが本州の人間が1人亡くなると大騒ぎ。活動家を一掃しろと県外からネットを通じて好き放題言う。これが沖縄県民の犠牲の不可視化、沖縄県民に対する差別でなくて何なのか。あまりに不公平ではないか。そこで反基地活動を一掃しろなどと土台、無理な話。差別というのは無意識に行われるものなのだ。

「活動家を一掃しろ」という感情論

 現実問題として、トラック事故で警備員が1人亡くなったからといって「活動家を一掃」などということは難しい。個別責任の原則、結社の自由などがあるので、1人の責任をもってしてある組織全体を排除することは出来ない。

 もちろんヤクザのような例外もあるが、そもそも反基地活動家というのは反基地という主張に共感した個人の集まりであって、具体的に誰をどうすれば良いなどというまとまった組織的実体はない。たとえ既存の反基地活動を一掃したとしても、沖縄県民に犠牲が出る限りまた新たな組織が立ち上がるだろう。

 こうした「活動家を一掃しろ」に限らず、「犯罪者に人権なんかいらない」、「さっさと死刑にしろ」といった意見は単なる感情論でしかない。犯罪者にも(制限されるとはいえ)人権はあるし、どんな犯罪者でも裁判を受ける権利はある。ではなぜ人はこうした感情論に走ってしまうのか。

 私もそういうことを言ったことがあるので理解できるが、これは真面目に「人権がない」とか何だとかを真面目に考えて言っている訳ではない。その本質は「日ごろの鬱憤、フラストレーションを他罰感情に変換して発散している」だけ。

 犯罪者はやっている事がやっている事なのでどんな言葉で侮辱しようが、どんな扱いを望もうが世間一般にそれを言う側、望む側が非難されることがない。社会的に承認された状態で誰かを攻撃できる。自分の日ごろの鬱憤を誰かを攻撃することで発散している。

 加えて世の中であまりに正義がなされない、不公平だと感じているので文句を言うことで少しでもその是正に貢献した気になる。被害者に感情移入、同情するがゆえに加害者に対して敵意を持つ。これらが合わさって感情的な攻撃が生まれて来る。誰かを叩いて気持ちよくなるのは仕方ないにしても、その感情の根底を理解するべきだ。

 残念ながら、なぜかこの攻撃は正当性のある政治批判としてあまり出て来ない。同じ国民同士で殴り合うことに使われる。同じ国民同士のほうが「自分と同じ土俵なのに不正をしている」という意識を持ちやすく、なおかつ「政治なんて誰がやってもどうせ一緒」という学習性無力感が関係しているのだろう。「誰がやっても一緒」とは到底思えないが。

 選挙と反基地に話を戻せば、そのような他罰感情の発散のために沖縄県民の選択を批判するのはあまりにおこがましい。お門違いである。

 「あんな事故を起こした人間の所属する組織はまとめて排除するべき」などと感情論にまかせた乱暴なことを言うのであれば、裏金問題と壺カルトその他で自民党も、国保逃れと万博建設費未払い問題その他で日本維新の会も「一掃するべき」だろう。それを言わないのはダブルスタンダードではないか。

 なお、「政党は個別責任を超えて組織として責任を問われる」。なぜか。政党交付金という公金を受け取っている政治団体である以上、その活動の公益性や影響について社会的責任を問われるのは当然である。反基地活動家が公金を受け取っているならいざ知らず、民間組織である以上そこまでの責任は問えまい。

沖縄県民の判断の重さ

 警備員が亡くなっても、本州の女子高生が亡くなっても、沖縄県民が玉城氏を選ぶというのであればそれまでの話。彼らはこれまでにそれ以上の犠牲を払っており、そこに「人が死んでいるんだから」などと言って本州から口を出す隙など無い。

 私も本土人なのであまり口出しするのも何だが、私は沖縄県民に自民・維新・参政・国民民主・公明・日本保守が推薦する古謝氏を選んで欲しくない。

 まず第一に、アメリカに媚びを売ることに全力をささげる自民党、高市政権下で県知事まで与党系になれば、沖縄県もどこまでアメリカに売られるか分からない。米どころにイスラエルのデータセンターを誘致する、自衛隊の指揮はアメリカのAIに任せるetc、野党が中国に国を売る売国奴というなら自民党は全力でアメリカに国を売っている売国奴である。それも力があるばかり野党よりよほど質が悪い。沖縄はこれまで以上に苦しむかも知れない。私は沖縄県民を同じ国の国民同士と思いたいので、彼ら自身がそれを避ける道を選ぶことが良いと考える。

 第二に、古謝氏は「誰かのせいにしない沖縄」を演説で訴えたが、他でもないこの国を衰退させ続けて来た自民党の推薦を受けながら何を言っているのか。沖縄のこれまでの歴史は自己責任とでもいうのか。政治家が「誰かのせいにするな」と言って憚らない愚かさ、それを自覚できない人間には知事どころか誰の上に立つ資格も無い。たとえ県政をどれだけ無茶苦茶にしても「俺を選んだお前らの自己責任」で済まされる。それで済ませて良いのか?これは本土人にも無関係な話ではない。「古謝が知事になれば予算を増やす」などと予算を人質にとる日本政府のやり方も気に入らない。控えめに言って人間の屑。

news.yahoo.co.jp

余談:アメリカからのジャガイモ輸入解禁

 高市政権になってから報じられはじめたアメリカからの生鮮ジャガイモの輸入解禁論だが、実情は2020年から協議が行われている。2020年の総理大臣は9月まで安倍氏、それ以降が菅氏であった。最近になって大々的に報じられたので高市政権からいきなりそういうことを言い出したと勘違いしやすい。一時は「ナフサ不足を煽ったカルビーへの嫌がらせ」説も出たがそれは誤りだった。

 ただし、高市政権でこれが本当に解禁まで進んでしまうのではないかとの危惧も理解できる。アメリカとしては「高市政権だから押せば行ける」と踏んでいるのだろう。これからどう転ぶか、どっちに事を運ぼうとしているのか国民が監視しなければならない。

 なお、もし輸入を解禁してシストセンチュウが全国に広がってしまえば比較的高い自給率(約70%)を誇るジャガイモのみならず、同じナス科の作物が確実に被害を受ける。アメリカでは徹底した輪作管理と抵抗性品種の育成で対応しているが、それは日本より圧倒的に広い国土で手間も金もかけて行われていることであって、国土が狭く農家も減る一方の日本では確実に食料自給率が下がる。寄生虫の対応が新たに必要となれば価格も上がるだろう。

 わざわざ寄生虫付きの農作物をそのまま輸入して良い理由などない。シスト(寄生虫の卵を包む殻)は20年以上残存しかなりの耐性を持つので、下手をすれば20年以上アメリカの寄生虫に日本の国土が汚染される。

 安全保障上では食料自給率も重要なはず、その中で輸入解禁は「断る」の一択である。残念ながら、SPS協定(衛生植物検疫措置に関する協定)によって相手国が協議を求めれば応じなければいけない、輸入規制をかけられる権利と同時に科学的根拠に基づいた交渉を行うべきというルールになっているため門前払いすることは出来ないらしい。