ヤマネコ目線

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電気エネルギーへの認識

はてなブログ10周年特別お題「10年で変わったこと・変わらなかったこと

 

 ネガティブな話題で申し訳ないが、私がこの10年で変わらなかったと思うのは、日本人の電気エネルギーに対する意識である。

3.11と原発事故を経験して

 東日本大震災の後、原発事故もあって計画停電を国民は経験した。電気エネルギーは当たり前にあるものではなく、リスクを負って原発で作るか、CO2を排出しながら火力発電で作るか、不安定ながらも再生可能エネルギーで作るかを迫られることとなり、ある程度は再生可能エネルギーの普及が進んで来た。

 しかし、日本人の、一般市民としての電気エネルギーへの意識は変わっていない。計画停電なんて一時のことであって、「あの時は大変だったね」という程度のものである。

 欧州では禁止されている24時間営業は相変わらず禁止されていない。客足がどれだけ少なかろうと、夜中でもコンビニは煌々と明かりを灯している。日本全国に掃いて捨てるほどあるコンビニ、その全店舗の24時間営業を禁止するだけで、一体どれだけの電気エネルギーを節約できるだろうか。

 スーパーマーケット等の前に置いてある自販機も減っていない。自販機があるのは便利ではあるが、中でいくらでも安く飲み物が買えるスーパーマーケットの正面に置くことに意味はあるのだろうか。そういった店舗に近い位置に自販機を置くことを禁止するだけでも、一体どれだけの電気エネルギーが節約できるだろうか。

 我々は電気の無駄と言うと、家庭にその無駄の排除を求めがちである。テレビはこまめに消しなさい、蛍光灯はつけっぱなしにしてはいけません、寝る時は延長コードの電源スイッチを切りなさい、そういった細々したところは気にするくせに、社会全体にはびこる無駄を無くそうとはしない。一応は民主主義国家なのに、国民が協力して社会を変えようとはなかなかしない。こういった指摘をすれば、すぐ言い訳が返って来る。「コンビニが夜中にやってて助かることもある」「自販機でしか変えない飲み物もある」、そんな事はエネルギー問題に対して些末な事でしかないのに。

 おそらくここで挙げた電気の無駄はごく一例で、社会全体を見渡して見れば、まだまだ無駄といえるものはあるだろう。しかし、人間はそれを利便性のために無くしたくない。本当に環境問題を考えるのであれば、レジ袋有料化なんてバカげた政策ではなくそういった面での利便性の見直し、手放しが必要だろう。

EVシフトは世界を救うか

 電気エネルギーに関してついでに言えば、地球温暖化対策として今、EVシフトが熱い。移動手段に使うエネルギー源を化石燃料から電気エネルギーにすれば、温室効果ガスの発生が抑えられて地球温暖化は解決に向かう。

 果たしてそうだろうか。トヨタの社長が指摘していた通り、今の自動車がすべて電気自動車に変われば必要な電気エネルギーは必然的に多くなる。今年の冬の電力事情がもう厳しいと言われている中で、更に何かしらの発電所を増やす必要が出て来る。これまでの化石燃料による環境負荷が、発電における環境負荷に置き換わるだけではないだろうか。

 エネルギー保存の法則というのは大抵の人が知っているだろう。エネルギーはどこからか勝手に湧き出てくるものではなく、エネルギーを費やして生み出し、その分しか消費することは出来ない。必ず収支が合うようになっている。

 我々が今まで通りのあるいは今まで以上に便利な社会を望み、それに必要なエネルギーが変わらない、あるいはこれまで以上に増大する限り、そのエネルギーは必ず自然界のどこかからか、何らかの形で調達することになる。それによる環境への負荷は変わることはないし、むしろ増大する可能性が高い。電気で走る車を作ろうなどと小手先の技術でどうにかしようとした所で、エネルギーの収支が変わらないならそんなものは無意味だ。

 「電気自動車が走るエネルギー効率は発電、伝送も加味しても化石燃料より効率が良い」、そういった研究もあるそうだが、それは電気自動車の製造から廃棄にかかるエネルギーも考慮しているのだろうか。プロダクトの製造から廃棄まで込みで見なければ意味がない。そこにかかるエネルギーは勝手に消えたりしないのだから。

 そもそも、電気エネルギーはクリーンなエネルギーだと言うが果たしてそうだろうか。確かに電気エネルギーだけ見ればクリーンと言えるかも知れない。しかし電気エネルギーは発生させる過程こそが問題である。一部メディアや企業の宣伝文句に騙されてはいけない。

 結局、我々はこれまで築いた便利な社会を捨てられず、より便利な社会をめざし、なおかつ小手先だけ穴だらけの論理で環境問題を解決しようとしている。私はそれが良いとは思わない。人類の人口、消費するエネルギーの量そのものを制限する必要がある。もっともそれは大人の事情で出来ないだろうし、人類はこのまま滅びへ向かって行くのだろうが。