ヤマネコ目線

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「紅の豚」は共産主義者なのか

 Xで「紅の豚共産主義者」という言説があり、それについて「共産主義者と言うならその証拠を示せ!」と食って掛かる人間を見ていて何だかなあ、と。

 まず考えも調べもせずに他人にその根拠を示せと迫るような人間は、己の抱いた疑問について自分自身で解消しようという意欲や能力に欠けている。私はそういう人間が「教養に欠ける」人間だと思う。

実のところどうなのか

 結論としては、ポルコ・ロッソは共産主義者では無い。共産主義に即した行動をしている訳でもないし、その思想を作中で明らかにしている訳でも称賛している訳でもない。娯楽作品なので当たり前だが全面にそれを出してる訳でもなく、作品を見る上で特段重要な要素という訳でもない。

 確かに「アカ」は共産主義者の象徴あるいは蔑称として使用されることがあるが、「赤豚」「red pig」で調べても歴史的にそうした名称が共産主義者に対する蔑称としてつかわれたという情報は出て来ない。せいぜい紅の豚の考察系ブログに書かれているくらい。

 ではどこからこの話が来たかと言えば、宮崎駿氏のインタビューからだろう。

「僕はファシストの連中は共産主義のことをポルコ・ロッソと呼んだ事があったんじゃないかなと思ってます。そういう意味の罵倒の言葉として使われた時代が、アカの豚野郎と呼んだ時代があったと思ってます。」

   『紅の豚 劇場用パンフレット』宮崎駿監督インタビュー

 つまり共産主義者=赤豚=ポルコ・ロッソ*1、というのは宮崎監督の推測によって生まれた名称である。実際はどうか分からないが有り得そうなライン。

 ではなぜ共産主義的な行動もしていない賞金稼ぎが「赤豚(共産主義者)」なのか。

歴史的な背景

 「紅の豚」に登場する飛行艇・飛行機を見れば、それが第一次世界大戦第二次世界大戦の中間の時代設定であることが分かる。

 たとえば紅の豚のライバルとして登場するアメリカ野郎のカーチスはおそらくこのメーカーがモデル。この企業は第一次世界大戦で発展し、第二次世界大戦直後まで航空機の製造を行っていた。

 これを参考に現実の歴史的背景から考えよう。

ja.wikipedia.org

 この時代、第一次世界大戦以前から続いていた流れを汲んでロシアで革命が起きた。これは史上初の社会主義国家(ソビエト連邦)の樹立につながり、それまで理論上だけの話であった社会主義共産主義が現実に国家として実践できること示して世界に大きな影響を与えた。ソビエト連邦が持続可能であったか、理想的な共産主義が実現出来たかは甚だ疑問であるがそれはまた別の機会に。

 誤解の無いように書いておくとソビエト連邦が樹立されるのは1922年でもう少し後の話になる。より簡単に言い換えれば、ロシア革命は「共産主義にもとづいて労働者が政府をひっくり返せる」と示した事例になる。

 これを受けてイタリアでも社会主義共産主義が台頭する。「赤い二年間」である。

ja.wikipedia.org

 イタリアは第一次世界大戦では戦勝国*2であったが、思ったような結果が得られなかった。それどころか戦争の影響で急激なインフレ、失業者の増加に直面。労働者の怒りが爆発した。

 そこに共産主義思想が流入して労働者の支持を集め、労働者の直接行動による政治的転換、つまり革命を目指した運動が広がる。ストライキや農地占拠、工場占拠が多発して国内情勢がますます悪化し、これに保守派や富裕層、政府側は危機感を抱いた。

www.y-history.net

 ここで悪化する国内情勢、共産主義に対抗して登場したのがファシズムである。ムッソリーニ第一次世界大戦の退役軍人を軸にイタリア戦闘者ファッシを設立し、これがファシスト党の前身となった。

 「労働者みんなで国家をひっくり返そう」という動きに対抗して、「軍人や保守的な国民でより団結して国家を守ろう」という動きが出てくることは何ら不思議ではない。

イタリア戦闘者ファッシ - Wikipedia

ファシスト党 - Wikipedia

 ファシズムの定義については議論があるが、共産主義との違いについて重点を置いて違いを書くなら

  • 共産主義:最終的に階級や国家の枠組みを無くして平等な社会を目指す
  • ファシズム:民族や国家としての統一、一体感を重視し、国家のために個人に奉   仕を求める

 あたりか。「社会主義」と書いてもマルクス主義的な社会主義国家社会主義は目指す方向がまるで違う。何せ前者に対抗するために出てきたようなものなので当然と言えば当然。

ja.wikipedia.org

で、これが「紅の豚」にどう繋がるのか

 歴史を見ても作中の雰囲気を見ても、当時のイタリアではファシズムが優勢であることは明白である。元同僚のフェラーリから「戻って来ないか?」と声をかけられるシーンで、フェラーリが「国家や民族といったくだらないスポンサーを背負って飛ぶしかない」的なセリフを言う、ポルコが飛行艇を修理に持ち込んだことを嗅ぎつけて秘密警察が来る、などの描写からそれはうかがえる。

 ファシズムが台頭して国家への奉仕が求められる中、ポルコは退役軍人?で腕が立つにもかかわらず、戦争やそれに加担する行為は「そういう事はな、人間同士でやんな」と吐き捨ててアドリア海で賞金稼ぎをして暮らしている。

 つまり彼はファシズムを拒絶する側であって、ファシスト側からすれば実力があるのに非協力的なつまらない奴、豚野郎に見える。おまけに共産主義の象徴である赤色で彩られた飛行機に乗っていると来れば、彼は周囲からは敵(共産主義勢力)の一員にしか見えない。

 これがポルコ・ロッソが共産主義者と言われる理由で、そういう目で見ればそう見えなくもない、という程度。

実際はどうか

 作中ではポルコが共産主義勢力に与している様子も、共産主義的な思想を明らかにするシーンも存在しない。ポルコ自身が国家に協力しないのは彼自身の経験や思いからであって、イデオロギーに重きを置いてはいない。

 彼は戦争を経験して殺し合いが嫌になって好きなように暮らしている元軍人であり、彼が共産主義者かどうかの議論については無意味というか、そういう次元で生きていないとしか言えないだろう。人生、ファシスト側か共産主義側かに二分出来るほど単純ではないのである。そう見ればジーナのセリフにもう少し深みを感じられるだろう。

 彼自身が豚である理由は複雑で、戦争を経験して人殺しが嫌になったという理由があるとはいえ、自分の能力に対して周囲からの期待に応えず社会に貢献しないこと、自分だけ生き残ってしまったことへの後ろめたさがありつつ、それでも「俺はアカ豚で結構!」と開き直っているから。自己評価として彼は「アカい豚」なのである。

 「社会へ貢献しないことへの後ろめたさ」があることは否定する人もいるかも知れないが、それがあるからこそ彼は賞金稼ぎとしてならず者を成敗しているのだろう。

 そうした自己評価というのは確かに呪詛のようになかなか解けないものである。何せ自分自身が自分をそう評価しているのだから、自分でそれを覆すことが出来る/出来る状況にならなければその呪詛が解けることは無い。

 ラストシーンでフィオからキスをされて顔が戻ったかのような描写がある*3が、それは彼が自己評価として自分自身を誰かにとって大切な人間であることと認められた=豚野郎ではなくなった、という心境の変化を意味するものではないか。飛行艇はアカいまま

ジーナは共産主義者なのか

 これもXでまことしやかに語られた話だが、この作品自体において政治思想はそこまで大きな要素ではない。ポルコと同じく「そう見ようと思えばそう見える」程度の話。強いて言えば身近な人を守りたいだけの、ファシスト側についていない人間。

 スパイ説もあったがそんな描写は無い。空軍の無線を傍受するシーンからの推測だろうが根拠としてはあまりに貧弱。ポルコらを空軍から守るために取った行動でありそれ以上の意味は無い。

 「どうして無線が素人に傍受できるのか。ジーナがスパイでも無ければ傍受できる筈がない」というのは現代人の発想で、当時の技術レベルを考えれば不可能ではないだろう。飛行艇の近距離通信がストロボによるモールス信号の時代に高度な暗号化通信は無い。

宮崎駿と政治思想

 これの見方については庵野秀明氏が富野由悠季氏との対談で語った内容が面白い。以下、Xでの拾いもの。

 分からなくも無いなあ、というのが個人的な感想。自嘲しながらも実際には結構な暮らしをしながらロマンに生きている。俺は資本主義や国家になんか囚われないぞ!自由気ままに生きるんだ!と言いながら、その実は資本主義的な豊かさから脱し切れないでいる。泥臭い労働者としてではなく華々しい賞金稼ぎとして生きたい、両手に花を抱えて葉巻をふかし、赤いスポーツカーを乗り回すカッコつけた姿でありたいという欲望のパンツが脱げないのだ。何ならそこらの人間よりもご立派な欲望を持っている。

 ゆえに「紅の豚」は共産主義者、日本で言うところの左翼にとって皮肉でもある。特に宮崎駿や左派学者のような人間にとっては。

余談:左翼学者

 左翼学者は思想的に労働者の味方のつもりであっても、彼ら自身は労働者と平等な身分でありたいとは思っていない。それは彼らの生活態度や意見から「紅の豚」のように時たまひょっこり現れる。

 物質的にも文化的にも豊かな東京あたりで結構な暮らしをしながら綺麗事を並べ、「自分たちのような学があって能力的に優れた人間は泥臭い仕事なんか似合わない」、「農業なんかニート氷河期世代にでもやらせておけば良い」とある種の選民思想を隠そうともしない。

www.sankei.com

 彼らは思想的に労働者の味方であっても、本質が労働者の味方でも労働者と対等でも無い。自分たちがどれだけの恩恵の上に立ち、豊かさを享受しているかに無自覚な上で足元を支えている人間に説教をする。国から研究費をもらいながらいつまでも理想に酔い、反政府ごっこをして悠々自適に暮らしている。労働の何たるかを知らず、「農業なんかニートでも素人でも出来る」と見下し、その驕りに無自覚なまま自分自身が聖人かのような認識でいる。

 左翼学者かどうかは分からないが以前、「県庁はシンクタンク。毎日毎日、野菜を売ったり、牛の世話をしたり、モノを作ったりとかと違い、基本的に皆さんは頭脳、知性の高い方。それを磨く必要がある」と発言した川勝平太静岡県知事の言動からも、そうした意識が学者の間にあることはうかがえる。

 庵野監督が紅の豚を良いように見れないのと同じで、私も彼らを良いようには見れない。労働者がどうの以前に他者を同等の人間とみなせない、他者の労働に敬意を払えない、自分と違う思想を持つ人間を知性のない生き物、それこそ豚のように見ている人間を私は同じく人間として尊重しない。

 さて、豚野郎はどっちだろうか。豚同士仲良くするしかねぇな。

*1:イタリア語で赤い豚

*2:一応、の話でどこの国にも宣戦布告していないものすごく地味な立ち位置

*3:カーチスが顔を見せろと迫るシーンがある