ヤマネコ目線

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もう綴らない

「綴る」ことをやめる

最初に

 細かいことを言うと「既成概念」と「固定観念」は違う。「固定概念」は日本語として間違い。では何がどう違うのか。

 「既成概念」は「すでに社会において広く認識されている物事の意味や性質」。たとえば「ケーキは甘いもの」というのは既成概念である。多くの人は「ケーキの味ってどんな味?」と問われれば「甘い」と答えるだろうし、もしあなたがケーキを食べる時に「甘いだろうな」と思って口に運んでいるならば、それは「既成概念に囚われている」といえる。

 一方で「固定観念」というのは、物事や状況の変化とは関係なく固定化された思考、意識を指して言う。たとえば先の例で言えば、ケーキを作る立場で「ケーキだから甘く作らなきゃ」と思うのは固定観念に囚われているといえる。世の中には様々な味のケーキが出ているし、必ずしも甘さにこだわる必要はない。にも関わらず、ケーキを作る=甘くしないといけない、と思考が直結するのが固定観念。あくまで例としての話だが。

 イメージ的には「既成概念」は受動的、「固定観念」は能動的とでも言うべきか。なので「~しなきゃ」はどちらかと言えば”固定観念”に囚われているように思う。

 「固定概念」が間違いなのは、概念がそもそも「物事の意味」=ほとんど固定化されたもの、なので固定がほぼ二重の意味になってしまうから。

それはともかく

 最近?と言っても1年以上前だがようやく開放された「しなきゃ」は「綴りヒモで綴る」こと。「昭和かよ」って?地方の中小企業なんてそんなもんそんなもん。デジタル化、DXしようと言っても大抵はカネがかかる。可処分所得が伸びずに景気が良くならない、消費が増えない上に賃上げも要請されている中で、体力のある企業ばかりではない。私が入社した頃なんか勤怠データを紙に手書きして給与計算委託先に出していた。笑えるが笑えない。

 というように会社、前任者はかなりアナログな人だったので、請求書でも納品書でも何でも綴りヒモで綴って保管するのがデフォルトだった。そうした人から引き継ぎされたもので、何かにつけて「書類を保管」=「綴りヒモで綴らなきゃ」という固定観念にしばらく囚われていた。今思えば本当にバカバカしい。非効率。ファイリングなんか100均でジッパーファイルを買って月ごとに分けて入れるだけで出来る。

 なぜ綴りヒモで書類を綴ることが「悪」か。まずそこまで手間をかけることが非効率。紙を折って穴空け位置を決め、パンチで穴を空け、そこにヒモを通して蝶結びをする。それも後から書類が来たら同じようにして、いちいちヒモを解いて入れて結んで。不必要に手間が多い。それも穴を空けた箇所の情報は失われる。それを前提で作られているフォーマットならともかく、そうでないフォーマットの方が圧倒的に多い。綴る書類が多くなれば綴りヒモに近い位置の情報が見づらくなるし、見返したりしているうちに紙は穴から破れてくる。「~商事の請求書だけコピー取りたい」なんて言われた日には最悪。いちいち抜き出して元に戻すのに手間がかかって仕方がない。

 その点、ジッパーファイルに月ごとに放り込むようにすればそうした手間からはいっきに開放される。書類に穴を空けて情報が失われることも無いし、後から来た書類をどこに入れるも自由。順番を入れ替えることも自由。特定の書類を抜き出してから元に戻すのも難なくできる。

日本人の労働生産性が低い理由

 前にも書いた気がするがまあいいや。

 言い訳をさせてもらうならば、ぶっちゃけ「仕事の効率を上げる=お給料が上がる」という訳でもないのであまりその辺、熱を入れて来なかった。ただ単にあんまりにも面倒くさいので綴ることはやめただけ。昭和臭い非効率な仕事の方法がなかなか世の中から駆逐されないのはこの辺りがある。

 日本は労働生産性が低いと言われるが、それは単純に「労働者にとって生産性を上げるだけのメリットが無い」から。仕事を短時間で済ませてしまうと、必ずと言っていいほどそれで出来た余裕以上の仕事を投げられる。経営者目線からすれば”出来る”人間を遊ばせておく時間も理由も無いのだが、そうなると労働者はすぐに「仕事の効率を上げれば上げるほど自分の首を絞めることになる」と気づく。

 「生産性を上げるに応じて適度な忙しさが維持され、上げた分に応じて給料も上がる」ならまだしも、大抵のお仕事はそうではない。効率化すればするほど忙しさだけが増して行く。なので日本企業が変わるには新卒(=まだ「効率化すること」が自分を利する訳ではないと分かっていない人間)を入れるしかない。たとえ入れても先輩から効率化を止められる可能性すらある。

 あと私見としてはデジタル化は単純にメリットばかりではないと言うか、何でもかんでもデジタル化することが正義という訳ではない。ことアナログからデジタルへの変換が必要になる場合は特に、そこで手間や費用が発生することが多い。自動で数字や文字なんかが認識できるようなシステムを構築するにはお金がかかるし、小さい取引先相手だと伝票が手書きかつ汚い字&書き方も安定しないのでそもそもOCRなんか出来ない。それをいちいち手入力でデジタル化なんか出来ないし、1枚1枚スキャンするのも手間。デジタル化せずそのままどこかに保管するのが一番手間がかからない。

 よくバカにされているFAXも、メールでやりとりするようになったって印刷してどうこうするなら結局は一緒。解像度は確かに違うだろうが、簡素なやり取りならそれで済むのだから残っているだけの話。そういう所にまでコストをかけて物が値上がりしても、今まで通り製品やサービスを買ってくれるのかい?という。

ゆっくり仕事していってね!(意識低い系)