ヤマネコ目線

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戦車の歴史Part1

 軍事に関するアレコレを見るのは面白い。ただ単に忌避する人もいるが、高い知能を持った生物同士が文字通り命をかけて開発競争に臨み、様々なモノを世に出して来たのだから、その流れを知るだけでも得られるものはある。

 今回はその中でも、歴史的に重要な戦車ついて簡単に紹介しようと思う。なお、馬で牽くタイプの戦車については割愛する。

世界初の戦車 イギリス MK.I

 世界初の戦車は教科書でも紹介されていたと思うが、皆さんご存知(?)のイギリス、MK.I戦車である。

Wikipediaより

 第一次世界大戦では機関銃が既に普及し、下手に敵陣へ突っ込んで1日で2万人が死傷するような戦闘が行われていた。とにかく機関銃が脅威であったため、銃弾をかわすために深い溝(=塹壕)を掘って戦っていた。しかし、当然ながら戦況は膠着してしまう。下の写真を見れば分かるが、少なくとも成人男性が立っても地表から頭が出ないだけの深さがある。

塹壕の写真 Wikipediaより

 そこで「じゃあ履帯の付いたトラクターに装甲と機関銃を付けて鉄条網を踏み潰し、溝を乗り越えながら進撃できれば良くね?」、という感じでこの鉄の野獣は誕生した。溝を乗り越えるためには出来る限り履帯(キャタピラ)を長くすれば良い、なので車体の後方から前方までぐるっと履帯が回るようになっている。また、障害を乗り越えるためには出来るだけ上から履帯を引っ掛ければ良い。なので人員のスペースもあいまって、特徴的なひし形をしている。

 なお、これが世界初の戦車なので当然ながら戦車同士の戦闘は考慮されていない。なので大砲は付いているが小さめ。

 上の写真の拡大図。車体上部に屋根のような構造がある。これはおそらく布や板などを張ったりして使うための構造物で、車体の上に手榴弾などを投げられた時、自然に横へ転がり落ちるようにするための構造と思われる。資料が無いので正確なことは不明だが、同じ意図で後続のサン・シャモン突撃戦車(フランス)なども同様に車体上部を傾斜させている。あるいは物資運搬用のラックか。

 同様に拡大図。車体後方に車輪のようなものがあるがこれは補助輪的なもので、あれだけ長い車体でも塹壕にハマり込んでしまうことがあったらしい。なので塹壕を乗り越える時、車体が後方に傾いた時にこの車輪が接地し、塹壕を乗り越える補助をする。これだけ見ても創意工夫が見て取れるのが面白い。

 戦車向けの履帯技術や未発達の動力機関の問題、エンジンの排ガスが乗員のいる部屋に流れ込む等、信頼性や居住性の面では良くなかったらしい。特に信頼性は低く、投入された49両のうち稼働できたのは18両でなおかつ目的を果たすことが出来たのはわずか5両だったとされる。それでも戦場ではある程度使われ続け、バリエーションもそれなりにある。

 英語で戦車は「タンク(tank)」だが、これは水を運搬するための水槽車両という名目で開発されたため。敵国スパイによってこの車両の存在が事前に露見することを避けたのである。「ウォーターキャリア」という名前も検討されたらしいが、略称がWC(ウォーター・クローゼット)=トイレになるので「タンク」にしたとか。

 当然この戦車という概念の登場は各国に衝撃を与え、A7V(ドイツ)、FIAT2000(イタリア)、シュナイダーCA1(フランス)といった戦車の開発に繋がっていく。ぶっちゃけどれも終戦に間に合わない、あるいは戦闘に特化し切れていなかったためパっとしない。特にA7Vは不格好で見るからに不整地走破性が悪そう。

フランス ルノーFT-17

Wikipediaより

 戦車の歴史において外す事が出来ないのがフランス、ルノー社が開発したFT-17である。何が革新的だったか。履帯のついた車体の上部に全周回転の砲塔を載せたこと。360度すべての方向に攻撃が可能となった。

 先に書いたイギリス Mk.I戦車やその他の戦車では車体側面に砲がついている。なので砲が付いている面以外の方向にはそもそも攻撃ができない。Mk.IやA7Vではその弱点を、前方、左右に武装を配置する力技で解決している。が、それでも角度によっては攻撃できない場合がある。ゲームで乗ったことがあるが、敵が見えているのに砲の角度の限界からギリギリ撃てないというのはなかなかなストレス。命が掛かっていればなおの事だろう。

 それを車体上部に砲塔を搭載することで、ルノーFT-17はキレイに解決した。車体がどの方向を向いていても、砲を独立して回転させられるので攻撃できない方向がない。仰角・俯角の関係で真上なんかは無理だが、地上戦を行う上ではそこまで問題ではない。

 もっとも、兵士の立場からすれば一長一短な気もするが。Mk.IもFT-17もゲームで乗ったことがあるが、Mk.Iのような戦車で左右どちらかの砲を担当すると、自分が気にするのは車体からして左右どちらかの方向だけで良い。しかしFT-17では砲塔が1つしか無いので、砲手は360度すべての方向に気を配らなければならない。つまり1人あたりの負担は増す。

 一方、人員面で見ればやはり砲塔はあった方が良い。車体側面4方向に砲を設置すると、それを扱うために砲手は4人必要になる。これが砲塔ならば1人で済むので、4人を1台に乗せるよりも4人を4台にと戦車の数を増やすことが出来る。何より戦車が撃破された時、命を落とす人間も少なくて済む。

Wikipediaより

 内部構造はこのような感じ。操縦手が前方に、砲手がその後ろ、後部にエンジンがあり、最後部(Tail)は塹壕を乗り越える際に補助する役割がある。このレイアウトも現在とほぼ変わっていない*1

 この戦車は輸出もされ、各国に戦車設計で大きな影響を与えることとなった。基本的なスタイルは現在の戦車にも受け継がれている。ルノーFT-17を輸入してそれを参考に各国、独自の戦車を開発して来たという点では本当に戦車の始祖と言えるかも知れない。地味に日本にも輸入されている。

イギリス カーデン・ロイド豆戦車

Wikipediaより

 第一次世界大戦後、各国は次の戦争に備えて新しい戦闘車両の開発を続けていた。その中でイギリスは主力となる戦車とは別に、武装や装甲は貧弱ながらも高速で偵察、物資や兵器の運搬に特化したカーデン・ロイド豆戦車を開発した。戦車というよりは装軌運搬車に近い。

 そしてイギリスはこの豆戦車を売りまくった。戦車というよりは本当に運搬車両なので、お金になるなら売っても良いかというノリで?フランス、イタリア、ソ連ポーランド、日本などなどに売り、一種の「豆戦車ブーム」を巻き起こしている。

 こいつの何が面白いか?「豆戦車」というカテゴリがまず面白いのと、ぶっちゃけた書き方をすればクソ弱いの一言に尽きる。確かに当時としては高速で軽快な装甲車両は便利だったのだろう。が、世は大戦車時代、その中で戦車と呼んで良いのかどうかすら怪しい貧弱な装甲と武装は、実戦投入された時点で最前線では心許ないものだった。

 それでも武装が貧弱な植民地を制圧するには十分だったが、あまりに中途半端な立ち位置から現代では絶滅している。現代における戦車は主力戦車(MBT, Main Battle Tank)に統一されており、かつてのような豆戦車、軽戦車、中戦車、重戦車といったある種の階級は無い。この豆戦車が主力のまま、あるいは主力の大半を占める状態で第二次大戦に突入した国もあり、特にオランダは1940年のドイツによる侵攻を受けた際、陸軍が保有する戦闘車両が豆戦車5両だけという有様だった。オランダはわずか7日間で降伏している*2

 では、豆戦車から何が学べるか。戦車という概念が登場して以来、各国はそれなりに対戦車兵器の開発をしていた。戦車同士の戦闘も容易に予想できた。その中で前線を張るにはあまりに貧弱な兵器に防衛を頼ることは悪手としか言えなかっただろう。時代のレベルに合わせた兵器の必要性を感じさせられる。ただし、「じゃあ少数で良いからすっげー強い戦車を作れば良いじゃん」というのも失敗を招く。ナチス・ドイツティーガー戦車はかなり強力な兵器だったが、数で押し切られて撃破されていった。質と量のバランスも重要なのである。当たり前だと言えば当たり前だが、そのバランスや時代に応じたレベルを読み切れずに負けていった国も多い。他ならぬ日本も第二次大戦、戦車同士の戦闘は悲惨に尽きる。

 つづく?

*1:イスラエルメルカバ戦車は防御力を重視してエンジンが車体前方にある

*2:もともとオランダはドイツに対して友好的であり、歴史的に見てもドイツと戦争になるとは考えていなかった点は留意すべきかも知れない