ヤマネコ目線

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スマホゲーに課金する心理

 書き散らし。yahoo!ニュースで下のような記事を見かけたのでそれについて

news.yahoo.co.jp

(リンク切れ対策に記事タイトルだけでも書いておく:課金、課金、負け...また課金 ゲーム依存、月20万円を投じた青年の今(西日本新聞)

課金までの流れ

 私自身、スマホゲーは一時期やっていたのでその心理に関する考察はある程度できる。ただ全く課金はしていなかったので、今でもただの電子データに何十万、下手すれば何百万とつぎ込んでしまう人の心理はあくまで推測の範囲でしか分からない。それは先に書いておく。

 まずコストに厳しい若者がそうしたゲームにハマる原因の1つは「入門のしやすさ」。大抵のゲームが”買い切り”ではなく”基本プレイ無料”であり、ゲーム内に課金要素があるとは言え少し遊ぶだけなら無料で出来る。それも今やほぼ誰でも持っているスマートフォンで遊べるのだから、敷居はかなり低い。PlayStationが欲しいだのSwitchが欲しいだのと親にねだらなくて済む。記事にもあったように友達が遊んでいるから自分も、ということもよくある話。まずそうしてコストに厳しい若者の生活の中にスマホゲー、ソシャゲは入りこんで行く。

 しかしスマホゲー、ソシャゲの類はバランスがうまく作られていて、基本プレイ無料に偽りは無くとも楽しく遊ぼう、活躍しようとすれば課金が必要になる。そこでゲームに娯楽としての魅力を感じさせる=”ハマる”状態を作ることが出来ていれば、そのゲームをもっと楽しむために、あるいはゲーム内で活躍するために多少の課金はしても良いと思わせることが出来る。ゲームシステムがそうデザインされている。Pay to Winという言葉があって「勝つためには金を払え」という訳である。

 ゲーム内で楽しく遊ぶ、活躍することに魅力を感じれば感じるほど、若者にかぎらず人間は金銭感覚が麻痺していく。特に「ガチャ」というシステム。絶対に強いキャラが出る訳ではないが、お金を払ってガチャガチャを回してレアなキャラクターが出ればそれでゲームが有利に進められる。それが射幸心を煽って煽って煽り倒す。その辺り、パチンコ依存症と大差ないのだろう。勝てば楽しい、それが続けたいからお金を使う。ゲーム内で強いキャラクターを持っていれば友達に自慢できるし、協力プレイ機能があれば見ず知らずのプレイヤーたちから必要とされる存在になれる。リアルではそうでない人間でも、ゲーム内では課金によってある程度のステータスを得ることが出来る。ゲーム内では自尊心を満たすことが出来る。そう錯覚する。

 サービスが終了すれば後には何も残らないのに。

誰が悪いのか

 かと言って、スマホゲーにハマる人間を頭ごなしにバカにしようとは私は思わない。悪いのはそうしたゲームにハマる人間ばかりではないからである。前述したようにゲームとして、サービスとしてそう作られているのだから当然、それを作る側も褒められたものではない。パチンコ同様、そうした娯楽を売る側にも問題がある。むしろ立地条件や年齢に制限が無い分スマホゲー、ソシャゲはパチンコ等より悪質とさえ言える。ある種の依存性、賭博性があるにも関わらず間口が広過ぎる。そうしたゲーム・サービスのデザイン、収益構造を許容して来た消費者側にも問題があると言えばそれもそうなのだが、そこにツケ込んで好き放題やっている側に問題が無いとは言わせまい。

スマホゲーに課金してしまう若者に対する誤解

 一部の人間はスマホゲーに課金する若者について「ゲームに使うだけお金に余裕がある」、「それだけ余裕があるのが羨ましい」と思っている節がある。が、それは見方を誤っている。

 記事で紹介されているダイキさん(仮名)は専門学校に通いながらアルバイトで稼いだお金をほとんど”課金”し、足りなくなって家族の財布から盗みまで働いている。そこに余裕は無い。「親が金持ちで金なんて無限にあるから」そうなった訳ではないし、社会人であっても「お金があり余って仕方ないから課金している」という話は聞いた事がない。むしろ私自身は会社で「先輩が昼飯を抜いてそのお金を課金している」という話は聞いた事がある。つまり「余裕があるからゲームに課金する」、あるいは「ゲームに使うだけの余裕がある」という見方は誤り。そこには「依存症」が確かにある。

 以前にも趣味の多様化に関して同じような事を書いたが、若年層は上の世代が思っているような(結婚や子育てをしてなお)趣味に使えるだけお金に余裕がある」訳ではない。「ライフステージが上がる(=結婚して子育てする)レベルの収入は無いが、1人で暮らせて多少は趣味にも使えるレベルのお金はある」という半端な懐事情がある。端的に言えば「結婚も子育てもしていないからこそ、その分少しは余裕がある」という程度。上の世代から「余裕がある」と言われるような結構なご身分からは程遠い。そもそも若者にお金の余裕があるなら「若者の~離れ」とやらはとっくに死語になっている。そんな言葉、生まれすらしなかっただろう。

余談:よく聞く言い訳に対して

 スマホゲーに課金することに関して、「レストランで美味いもの食べるのと何が違うの」という言い訳はたまに聞く。若年層からすれば上の世代のそういう行為とスマホゲーの課金は同じようなもの、食べれば無くなるようなものでも一時の娯楽のために多少のお金を使うくらい良いじゃないか、という言い分は確かに一理ある。

 しかしレストランで美味いものを食べることに中毒性や依存性はそこまで無い。月に何十万を外食に使う人はかなり珍しいだろうし、食事処に「ガチャ」要素は無い。300円払って高級なお寿司が出てくる確率は小数点以下をどこまで追いかけてもゼロ%である。その逆もしかりで20万円払って300円レベルの弁当が出てくる確率も(よほど悪質でない限り)同様にゼロ%。根本的に違う。

ゲームに課金する人へ

 ゲームに課金するとすれば18歳未満ならお小遣いの範囲で、18歳以上なら節度を持ってやりましょう。というかサ終*1すれば本当に後には何も残らないものにお金かけるのは勿体ないと私は思う。長い目で見るという事をすべき。ゲーム内で得たステータスが現実に反映されるとか、一生ずっとそれが付いて回るのであればお金をかける価値はあるだろう。あるいはそれこそちょっと良い食事くらいのお金で、それなりのものが得られる場合(DLC,ダウンロードコンテンツなど)か。何にせよそれより現実で楽しめる、実体のある趣味をする方が後々ためになる。私自身、高校時代からMinecraftというゲームを10年以上やっていたが、お金こそ使わなかったもののそれを後悔してもいる。確かに楽しかった。しかし後には何も残っていない。現実で使えるスキルもステータスも何1つ無い。言い訳をすればアトピー性皮膚炎の苦しみから逃れる、気を紛らわせるにはそれが良かったのだが・・・。

*1:サービス終了