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復興税の転用は許して良いのか

 政府・与党内で「復興特別所得税」を防衛費に転用する案が出ている。これに関して我々はどう反応すべきなのか。

news.yahoo.co.jp

復興税について

 復興特別所得税は、東日本大震災の復興のためという名目で所得税に上乗せされている所得税である。「基準所得税額に2.1%上乗せ」というのは、たとえば年間の所得税が10万円の場合、その所得税×2.1%なので2,100円となる。

 制度的に創設されたのは平成25年(2013年)分からなので、9年間は復興のために所得税を余分に払っている計算になる。震災から数年間は本当に復興のために必要であったとは思うし、本当に復興に生かされているのかと疑問は感じるが無駄ではないと思う(思いたい)ので多くの人はそれで納得して来ただろう。そもそも知らなかったという人も居るかも知れないが。そしてこれは現段階では令和19年(2037年)12月31日まで続く。まだまだ先は長い。

安易な転用を許すべきではない

 現時点で復興特別所得税という税金があり、東日本大震災から10年以上経過した今、その税金の意味が揺らいでいるのではないか。そこでその制度をそのまま防衛費に転用しようという話が出て来たのだろう。しかしそれはありがちな、しかしてやってはいけない考え方だと思う。

 確かに新たな増税という形では反発が大きい一方、既存の税金の使い道を変えるだけならば反発は起きづらいかも知れない。それも元から2037年まで徴収することが決まっている税金ならば、当面は「制度が終わりを迎えたのでやっぱりまた増税します」と言う必要もない。

 しかし復興特別所得税はその名称の通り、法的に決まった段階からその用途が復興目的に限定されている。根拠となる法律の名称は「東日本大震災からの復興のための施策を実施するために必要な財源の確保に関する特別措置法」であり、政府がその時その時の都合で好きに転用していい財源ではない。法的な筋道を通すのであれば一度この特別措置法を廃止し、改めて防衛費に使用するためという趣旨で新しい法案を国会に通す必要がある筈。腐っても行政・立法府の人間が、そうした筋道を無視すると言うのだろうか。特にそれを言い出した政府税調の政治家どもは完全に財務省の犬なのだろう。官僚に犬のリードのようにネクタイを引っ張られて間違った方向へと進んでいる。秋葉復興大臣はその点、まだまともな感覚を持っていると思う。

 そもそも復興のためとして所得税に上乗せされていた税金の転用を、国民が許すかというのも見通しが甘い。政府与党からすれば「新しい増税法案を通すより楽だし今も徴収されている税金なんだから構わないだろう」という感覚なのだろうが、逆に言えば増税に関してその程度の認識だという事が露呈してしまったとも言える。復興税は被災地があまりに気の毒であるから多くの国民が許容して来た訳であって、復興税を安易に転用しようという発想はそうした国民感情をも足蹴にしている。

 それに、もし転用を許せばそれは悪しき前例となる可能性がある。復興税はあくまで「特別措置」であって、例外に例外を重ねていくとロクなことにならない。ある程度の事情は汲むべきにせよ、そうした事が重なっていくと結局は好き放題にされる。仕事でも何でも善意から例外的な対応を認めてしまう事はありがちだが、そうなると後から「あの時はこれで行けたじゃない」と幾度となく相手のワガママを通す事になる。下手な譲歩は相手をツケ上がらせるだけ。

安全保障と経済

 北朝鮮のミサイルや中国の海洋進出といった脅威は確かに増している。それによって日本としても安全保障における能力強化はせざるを得ず、防衛費増額の必要性があることも理解できる。一部の人間は「日本が防衛費増額を進めれば相手に軍拡の口実を与えることになる」などと抜かすがそれは明らかに逆で、中国や北朝鮮の軍拡が日本に防衛費増額を強いている。今は明らかに中国や北朝鮮の軍事力の方が日本のそれよりも脅威であり、パワーバランスを悪化させている。

 しかし一体どれだけの国民が、今の日本政府の税金の使い方に納得しているのか。増税うんぬん以前にまず支出の見直しが先ではないのか。最近相次いでいる東京五輪を巡る汚職でも、国葬でも、クーポンがどうのでも何でも、あらゆる点で税金が本当に必要な所へ必要なだけ使われているとは言い難いのではないか。エネルギー問題でも何でも家庭には節約を要請する一方で、まったくもって切り詰め方が努力不足の日本政府が経済情勢を顧みず、ただ「足りないからお金ください」では反発を生むに決まっている。復興五輪って何だったんだ???コロナもあったとは言えど。

 何より岸田政権では、たとえアベノミクスのようなまやかしでも「経済が全体的に良くなって行きますよ」という経済政策が無い。ちまちました旅行・飲食業支援や雀の涙ほどの電気代支援等はあってもそれらはただ場当たり的なものに過ぎず、包括的な経済政策が無い中でむしろその逆を行く増税を持ち出している。そこで反発が広がるのは当然で国の内外でのパワーバランスが悪化している一方、国内において経済と安全保障のバランスも悪化しつつある。悪化させようとしている。

 安全保障と経済はいわば両輪であり、そのどちらかがバランスを欠けば国は行く方向を誤ってしまう。安全保障(というか軍事)が極端に大きくなった好例は北朝鮮なのだろう。その逆はなかなか無いと思うが、何にせよ軍事には信じられないほどの金がかかる。その金は豊かな経済からでしか賄うことが出来ない。中国が軍拡を順調に進められているのは、中国経済がこれまで成長を続けて来たからに他ならない(これからは分からないが貯金はあるだろう)。それを日本の政治家は悲しいことに理解できていない様に見受けられる。これから必要なのは目先の利益(=増税)ではなく、多少遠回りでも国内経済をより良くしていくことである。タバコ税をという話がさっそく出て来ているがあれも気に入らない。要はインボイス制度のように、反対の起きづらい所を狙い撃ちすれば増税は許容されるだろうと思っているのだろう。そういう考えが透けて見える。

 岸田総理は記者会見で「未来の世代のためにご協力を」とのたまったが、今年も少子化は過去最悪ペースで絶賛進行中だ。そうした社会を作って来た/作っている連中が「未来の世代のために」とは、呆れや怒りを通り越してもはやお笑いにすら見える。経済的な要因で結婚できない、子どもが作れない、重税や物価高で子どもが生まれても食べさせていくのがやっと、ネグレクトや虐待その他育児に関する問題は増える、そうした社会を作って来たのは誰か。もちろんそれを支持して来た国民も悪いのだが。

余談:愛国心

 一部の連中は”愛国心”について何か妙な勘違いをしているようで、それが個人的には心底気持ち悪い。「愛国心のある国民がいる国が良い国」だとか、「愛国心がない奴は日本人じゃない」とかそういう類の思想を本気で信じていて、ことさらに愛国心とやらを現在の日本国民に求める連中が気持ち悪い。

 豊かな環境で充実した人生を送れてこそ、人はその環境に感謝する。そうした感謝の念があって初めて、その環境へと自分の力を還元しようという志が生まれる。それが国という単位に向いた場合が真の「愛国心」であると私は思うが、今の日本という国はそうした志が芽生えるに足る国だろうか。「愛国心がある国民があって良い国がある」のではない。「豊かな国があってこそ国民はその国を愛する」のだ。「愛国心がない人間は日本人ではない」訳ではない。「社会に不満があり過ぎてそんなどころではない、むしろ社会の在り方を恨む人間が増えすぎている」だけだ。

 なぜ一部の連中は「愛国心」というものの捉え方が歪んでいるのか。「自分の人生は豊かで充実していたから、こんなご時世でも愛国心がある」となれば結構なことだ。ひょっとしたら(自分自身は何不自由なく育ったから)どうしてこんな良い国で文句ばっかり言う奴がいるのかと、憤っているかも知れない。しかし実際は世の中そんな人ばかりではないし、むしろそういう人は減る一方であり、現代日本においてはマイノリティであって大衆からすれば「歪んで見える」。

 あるいは自分自身に「日本人であること」くらいしか誇れる事が無いのか。「日本」というアイデンティティにしがみつき、そこに愛国心という鞍で乗ることでしか自分自身に価値を見いだせないのか。日本人の中ではまだまだそれだけでは他者との差別化がなかなか出来ない。だから何かにつけて「~じゃないなら日本人じゃない」などと言いたがるのではないか。何とも虚しい愛国心だ。