ヤマネコ目線

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政府の少子化対策は何がズレているのか

 書き散らし。昼間に出産一時金増額のニュース記事を目にして本当にうんざりしてしまった。前にも書いたが本当に政府の少子化対策はズレている。

 端的に言えば政府は重税で現役世代を苦しめる一方、その税金で作ったニンジンを手の届かない所にぶら下げて「ほれほれ、ここまで来たらこれをやるぞ」と抜かし、あまつさえ新しいニンジンを作るために更なる増税をしようとしている。それを”少子化対策”として。それがズレていなくて何なのか。むしろ分かって意地悪してるのか?

少子化を止めるためには何が必要なのか

 まず結論から。私が思うに最も重要なのは”まともな経済政策と人口再生産世代の負担減”。これに尽きる。後述するように周回遅れで小手先だけの少子化対策を打ち出し、そのために増税するくらいならそんなもの、やらない方がマシ。必要なのは経済政策。給与が増えること、負担が減ることであり「努力に見合わない報酬」では無い。

 子ども手当などの補助的な制度は全く不要、と言いたい訳ではないが、このご時世に当たり前のように結婚して子どもを作れているのは比較的恵まれた人間と言える。出産一時金の増額や子ども手当のような制度は、いわば恵まれている人間をさらに恵まれた状況にする制度でしかない。それも恵まれない人間への負担増とセットで。財源を安易に増税に頼る政府にも問題があるが結局、一部の恵まれた人間以外への負担が増すだけ。恋愛も結婚もますます遠のく。恵まれない人間への負担増がセットである限り、そうした小手先だけの少子化対策はやらない方がマシ。

 恋愛・結婚・子育てがどうしたって出来ない人間もいるが、それを例に出して自己責任論を持ち出して来るのはお門違いである。そうした人間が多数派ならばまず人間はここまで増えていない。単純に日本人が大好きな自己責任論の範疇では収まらない範囲で、経済力の低下による少子化が進んでいる。若者は好きでそういう道を歩んでいる訳ではない。そういう風に社会が仕向けて来たのである。

 経済政策は正直、専門家ではないのであまり大きな事は言えないが、少なくともこの情勢でインボイス制度なんかで実質的な消費増税をするのはバカでしかない。消費税は逆進課税である。相対的に富裕層ほど負担が軽く、貧困層ほど負担が大きい。そのような税制をこの時期に推し進めるあたり、まともな経済政策など取れていない。最低限の論理すら持ち合わせていない。

私が感じる違和感

 一時期話題になった「保育園落ちた日本死ね」、あれからその記事を書いた人の地域は状況がマシになったらしいが、そもそも少子化が叫ばれて久しい中でなぜ少ない筈の子どもをまともに公営あるいは認可保育園に入れられないのか。保育士さんの給与もいつまでも低いまま。他人の、それも人間の命を預かる仕事であるのにその責任を軽んじられている。

 また、教員の労働環境も悪いまま。特に小中学校の教員は多感な時期の子どもと接するために教員自体が子どもに及ぼす影響も大きく、基礎的な教育という点でも重要な立ち位置であるはず。にも関わらず教員の労働環境は外野の私が見る限りでも改善されたと言う話は一向に聞こえてこないし、待遇面も改善されたと言うような話は無い。部活顧問の負担軽減のために地域が一丸となって取り組んでいるとかそういう話くらい。

 今は円安、物価高騰で給食にも問題が発生している。油が高くなったので揚げ物が少なくなった、消えたという話も聞く。

news.yahoo.co.jp

 なぜこれらの問題が解決される方向へ直接的に税金が生かされず、子ども家庭庁だの出産クーポンだの出産一時金の増額だのと言った話ばかり出てくるのか。挙げ句にその財源のためにまた増税違和感を通り越してもはや怒りを感じている。予備費10兆円だっっけか?何に使い込んだんだ?もし自分が親になろうとする立場であれば、今のこのザマで子どもが欲しいと思えるのだろうか。地方交付税の増額は発表されたがもはやそんな事は当たり前で、むしろ今まで地方創生大臣なんかいたが一体、何をしていたんだ。

 どんな状況でも欲しいと思うヤツは子どもを作るのだろうが、冷静に考えてみて「生んでも保育園に入れられるか分からない」、「過酷な労働環境の中で疲弊し切った先生方に子どもの教育を任せて良いのかどうか」、「給食ですらまともな食事が出て来なくなりつつある」、そういう状況で誰が子どもを作りたいと思うのか。屁のつっぱりにもならないようなカルト臭い子ども家庭庁とかいう穀潰し庁なんざさっさと潰して現場に少しでも予算を回せバカ野郎!

 という怒りがこみ上げて来る。少し大げさに思うかも知れないが、今の世代は先への不安感が強い。堅実な人間であればあるほど未来的なリスクを考慮する。ただでさえ給与は上がっていない、むしろ非正規雇用が増えて年収中央値は下がっている中、先のリスクを考えない人間は珍しい。

 二馬力でようやく子ども1人育てられるかな、と思って結婚したのに子どもが生まれた後、入れられる保育園が見つからずにどちらかが退職を迫られる。認可外の保育施設にしか預けられない。もしそこで何らかの事故が起きて子どもが死んでしまったら?最近、問題になった車内置き去り事件のように。*1

 教員はどんどん新しい世代へと交代しつつあるにも関わらず、労働環境は改善されていない、ゆえに教員自体に余裕がない。そんな自分自身にすら余裕がない人間に、これからの未来を担う世代の教育が任せられるのか。そう考えた時、もっとそうした現場へと予算を割いて待遇改善なり人員増なりするべきだと思うのだが、そうした事はされる気配が無い。何なら女性教員がたびたび売春や風俗店勤務で逮捕、懲戒免職される始末。親は何と子どもに説明したら良いんだ。余計なお世話だけど。

 いじめ問題がメディアで取り沙汰されるようになって久しいが、私が知るかぎり昔から学校側の対応は不誠実なものだった。そうした問題もまずもって対応する学校の教員にそれだけの余裕が無いのではないか。それにしても不誠実が過ぎるように思うが、人間が誠実でいられるのは余裕がある内だけだと私は思う。むしろ自分たちの待遇に日頃から不満を抱いているような人々に、誠実さを求めて良いのか私は分からない。責任とお金はセットでなければならない。断っておくが、だからと言って不誠実な対応やいじめが許されるとも思っていない。

 部活顧問の話も考えてみれば変な話である。地域が一丸となって支援することで教員の負担が軽減された、それは確かに素晴らしい事だとは思う。しかしそれは日本全国どの地域でも、どの校区でも出来うることとは思えない。本来であればそこは市民が自助で何とかする部分ではなくて、きちんと学校運営の範囲内で人員と予算が割かれていくべきではないのか。それが出来ないなら何のための政府なの?何のための行政なの?ただ税金取るだけか?

 給食に関してはある地域と無い地域があるが、家庭にとっては今やあるに越した事はない。毎日弁当を持たせるよりは楽だし、最低毎日1食は子どもに栄養面がきちんと考えられた食事が与えられるのだから。むしろ家庭環境が悪い場合、下手すれば給食が命綱という子もいるのではないか。何せこども食堂が大流行りする時代、多数派でなくとも一定数いるだろう。なぜクーポンだ新しい役所だという話の傍ら、給食が円安とそれに伴う物価高で危機的状況などというニュースを我々は目にしているのか。そんな問題が出てくる時点で税金の使い方おかしいだろうが。

 税金の使い方がおかしい、というと「(埋蔵金があると言って政権取ってズタボロだった)民主党政権みたい」と言う人もいるが、では今の政府の税金の使い方、正しいと言えるのだろうか。また出産一時金増額だ子ども政策予算倍増だと言って、その度に増税が来るだろうがそれが正しい道なのだろうか。最近では退職所得への課税方式を見直すという話が出て来たが、このまま使われるべき所に税金が回らず取られるものばかり増えるのが良いのか。

一番大事なこと

 皆さん、最低でも選挙は行きましょう。どうせ何も変わらない、上の世代の方が人口が多いというのはバカでも分かる。しかし民主主義国家の国民として、声は上げ続けなければならない。特に旧統一教会問題が発覚した今年からが勝負の時代ではないか。このままでは本当に国が滅ぶ。プラトンは「理想の国家は理想の国民で出来ている」と書いた。今、この国はその真逆であろう。我々国民が賢くなり、行動しなければこの国はさらに落ちぶれていく。

 しかし良いよなあ、政治家は。死んだ後で葬儀に12.5億円つかってもらえるんだもんな。庶民が10円20円気にして暮らしてる中で2.5億円から10億円増えても”誤差の範囲”だもんな。アベノミクスって成功したんだっけ?この現状を見て成功と呼ぶのは”忖度”だな。

余談:選挙制度の欠点

 よく「1票の格差」と言って集団訴訟があるが、あれは地域による人口差での話でしかない。我々の世代はそこに加えて「世代別人口による」1票の格差を主張するべきなのかも知れない。

*1:車内センサー設置への補助金が出るようになったのは良かったと思うが、結局はこれまでも似たような事故が起きているにも関わらず、誰かが死んだ今の今までそういう話は無かった