ヤマネコ目線

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月500円の負担増もお断りします

 国会での岸田総理の答弁が反発を生んでいる。2028年度の負担額について、少子化対策支援金として国民1人あたり月平均500円弱の負担増が見込まれると答弁したためだ。

news.yahoo.co.jp

(リンク切れ対策|記事題:少子化対策支援金、国民1人500円弱負担…岸田首相「歳出改革と賃上げで増税にならない」)

お前は何を言っているんだ

 岸田総理はこの負担増について「歳出改革と賃上げにより、(国民に)実質的な負担は生じない。『子育て増税』との指摘はあたらない」と答弁しているがこれが私は到底納得できない。要は企業の賃上げを加味すれば月500円程度は相殺できるだろう、負担増よりも賃上げ幅の方が大きいだろうという話だと思われるが、そのロジックでいけば政府は企業に賃上げを要求しながら増税社会保険料の引き上げを延々と繰り返せることになる。

 一体何のための賃上げなのか。今の賃金水準のままでは生活が苦しいから賃上げ要求圧力が高まっているのに、そこで増税社会保険料の引き上げを繰り返して賃金の水準を上げさせず、賃上げに応えようという企業努力も減殺しようというのが許せない。平均とはいえ月500円、年換算6,000円の負担は庶民には軽く無い。国会議員ほどたんまり貰っていれば誤差の範囲で済むのかも知れないが、こと子育て世帯にとってはそれくらいも惜しい世の中である。

 そもそも「社会保険料は税ではない」、だから「増税にはあたらない」と思っているのだろうか。言葉だけ変えても国民からすれば取られるものが増えることに変わりは無い訳で、官僚的な言葉遊びが世間一般にも通用すると思っているならば大間違いだ。これでは財務省のポチの誹りは免れ無い。

 大体、今でも十二分に税も社会保険料も取っているではないか。こども家庭庁のような余計な役所まで作る余裕があるのだろう。だったら中抜きなり余計な組織なり潰して費用を捻出しろと思う。庶民はあらゆる節約術で削れる所を削って生活している。金が無くても誰かから絞り取れる訳では無い。無い袖は振れない。日本政府はその辺りを弁えていない。無いなら無いでどこかから捻り出せ。それが出来ないなら老人が考えた何の役にも立たない少子化対策など最初からやらない方が良い。むしろやるな、余計なことをやろうとして余計な負担を増やすな、経済政策に専念しろと言いたい。

 それにしても「聞く力」とは何だったのか。国民の声ではなく財務官僚の声しか聞こえていないではないか。これまで書いたような事に気づけないのは自分の眼も耳も頭も使えていないからとしか思えない。

負担増に応える意味はあるのか

 月平均500円増が本当に少子化対策につながる、その見込みがあると思えるのであれば負担増を受け入れるのも私はやぶさかではない。が、実際はそうではないしこれからも成果が上がるとは思えない。反発が大きいのはそう思っている人がそれだけ多いことの裏返しではないだろうか。

 事実、政府の行ってきた少子化対策は成果を上げてこなかった。その延長線、強化策でしかない少子化対策では少子化を止められないであろうことは容易に予測できる。これまで何度か書いてきたが、そも「結婚して子供が生まれた後」を前提として考えている時点で何ら効果が見込めない。もはやそうした対策でどうにかなる段階では無い。

 大義名分の下にいたずらに負担を増やし続ければ国民はよりコストとリスクに厳しくなり、より一層結婚や子育てを遠ざける人が増えてしまう。そればかりかそうした厳しい世の中で育つ子供は、今のZ世代より厳しい価値観を持つ大人に育っていく。それが少子化対策として正しいかは甚だ疑問。

 政治家は「将来世代のため」と言うが、今の世代の本音すら見えないし理解出来ない、理解しようともしない彼らに一体、将来世代の何を考えられると言うのか。日本の何を考えられると言うのか。いつまでも権力と金にみっともなくしがみついて考えるべきを考えず、視るべきものを視ず、やるべき事も物事の理非も分からなくなった岸田や二階、麻生その他の老人政治家をいい加減、与党の座から引きずり下ろすべきだ。

厳しい世の中と価値観

 前回の記事でも触れたが、コストやリスクに厳しい世の中で育つ人間は当然ながらそれらに厳しい価値観を持つことになる。これは恋愛、結婚、子育てにも適用される。つまり少子化において必要なのは「コストやリスクを受け入れる」前提の政策ではなく、コストやリスクを受け入れやすい社会・人間作りと言える。それが出来ないのであれば先は無いし、それは政治家だけでなく国民全体で考えなければならない問題でもある。

 政治家などアテにするのが間違いであって期待するだけムダ。主権者は国民なのだから原発問題でも何でも国民が考えない/政治家任せにするのはそもそもおかしい。

 裏を返せば今のZ世代あたりは「自己利益最大化の世代」とも言える。私もその域に片足を突っ込んでいるが、いかに自分が支払うコストは少なく、得られる利益を最大化するかが価値観において至上命題となっている。これは上の世代からすれば自分勝手なのだろうが、日本をそういう人間ばかり育つ社会にしたのは一体誰か。これを見誤ってあらぬ所に原因と解決を求めると変なことになる*1

 Z世代の中で一部が闇バイト*2に走ったりするのはそうした価値観の中で利益追求が先行し過ぎ、無知もあいまってリスクを過小評価してしまうから。SNSの普及も要素としては見逃せない。ただし、ゆとり世代も同じだったが一部が悪目立ちしているだけで、大半はやり過ぎでつまらないくらい堅実に生きている。価値観を変えるのは非常に難しいが、経済的な余裕が出てくればもう少し世の中、変わるのではないだろうか。

 ついでに書けばバイトテロはSNSの普及でバカが炙り出されただけ。Z世代どうこう言うが上の世代は知られていないだけで、一部の人間が同程度あるいはもっと酷い事を見えない所でやってきた筈だ。憶測の域を出ないがそうに違いない。

余談:二次元と少子化

 これまで、私は漫画やアニメの普及と少子化を結びつける考え方に懐疑的であった。と言っても完全に肯定するでもなく否定するでもなく、私自身の中にある理想の異性像と現実の異性を比較して、現実に幻滅してしまう感覚が否定出来ないゆえにその要素を完全に否定できないに留まっていた。

 反論を述べるならば理想(創作物)と現実の区別がついている前提ではその影響は無い、無視できるはずであるし、現実は現実ときちんと区別して考えて受け入れることも可能なはずである。創作物内での犯罪と現実の犯罪を安直に結びつけて考えるような浅はかな思考は明確に否定したい。

 一方で創作物は価値観の形成に少なからず影響するであろうし、その中で形成される恋愛への価値観や理想の異性像は現実の恋愛に影響が無いとは言えないのではないか。

 ここで先述したコストとリスクを回避する価値観が顔を出す。理想は理想であると理解して区別できるまでは良いが、そこで現実に目を向けるとどうしても理想には無いコスト*3やリスク*4が目に入ってしまうのだ。となればどうなるか。自分を満たしてくれる限りはコストやリスクの無い二次元の夢想に浸るのが心地よい、その方がずっとコストも節約できればリスクも無い、という流れになる。厳しい価値観が現実よりも理想を追い求めることを良しとしてしまう。

 もっとも、だからと言って安直に漫画やアニメを規制するのは反対だが。そんな事よりもコストやリスクを受け入れやすい社会を作ることの方が重要。欲求は押さえつけてもどこかで解消しなければならない。漫画やアニメを規制すればそれで解消されていた欲求はどこへ行くのか。正常な手段で発散されるならば良いだろうが、必ずしもそうとは限らないのがこの世の中。

 安直に性的コンテンツを規制すると欲求を発散する手段が限定され、そのはけ口があらぬ方向へ向かうことになる。もちろんそこには性暴力も含まれる。その他で見られるのは同性愛*5や人間以外の動物あるいはそれを模した人型のキャラクターを性的対象にするいわゆる”ケモナー”など。性的嗜好を否定する訳ではないが、少子化を考えるにあたっては性的嗜好が異性以外に後天的に反れることは良いことでは無い。

 いわゆるフェミニズム/ストは本質が単なるミサンドリーなので相手にしなくて良し。無視するのが最善。

 ↓MicrosoftCopilotで生成させたけどStableDiffusionDemoよりすごかった。

 

*1:精神論や家長制度の復活など

*2:強盗や特殊詐欺の受け子など

*3:相手探しや交際にかかる労力・お金・時間等

*4:分かれた場合はそれまでかけたコストがムダになる等

*5:悪と断じる意図はない