ヤマネコ目線

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特定の宗教団体とはどこか

 安倍元総理大臣の殺害事件を受け、メディアは一斉に18年前に退職している元海上自衛隊の職歴を報じた。一方で山上容疑者が主張している「特定の宗教団体に恨みがあった」との内容だが、その宗教団体がどこかはある種の配慮なのか一向に報道される気配がない。報道しろよと思う一方、山上容疑者は「宗教団体に恨みがあった」としており、宗教団体が主導した犯行でない以上は必要以上にヘイト誘導する必要もないのだろう。

統一教会でほぼ確定では

 安倍元総理が関係する・ありそうな宗教団体と言われて真っ先に思いつくのは統一教会(世界平和統一家庭連合)である。韓国発祥のキリスト教新宗教であり、これまでも度々、安倍元総理が合同結婚式に祝電を贈ったなどで関係があると噂されて来た。統一教会以外に家庭連合という名で活動している場合もあるので注意が必要である。

 キリスト教系とは言うが実際は朝鮮半島におけるキリスト教信仰を土壌とし、そこで創設者である文鮮明(1920~2012)によって誕生した実質、新興宗教と見做して良いだろう。実際、教義や教典は「文鮮明が霊的体験や独学によって与えられた啓示」による。これ以上の詳細は書いても仕方ないのでWikipediaに譲る。そもそもそんな宗教団体が日本で活動しているのは私個人としては甚だ気に食わないが、そうでなくともオウム真理教なんかが出てくるのがこの国か。

 何にせよ安倍元総理と関係のある宗教と言えばそれくらいしか出て来ない。奈良県と言えば天理教というのもあるが、安倍氏と関連した文脈で天理教を見た事は私が知るかぎりは無い。

 安倍氏統一教会と関係があると言われる根拠となるのがこれ。記事を読めば分かるが、トランプ大統領からのビデオメッセージもあったとされるのでなかなか謎な団体。

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 このビデオメッセージの件はあくまでビデオメッセージであり、トランプ元大統領まで出て来ると本物かどうか疑わしく思えてくるが、トランプ大統領は後述するサンクチュアリ協会が支持団体となっているので、メッセージくらいなら送る理由が無くはない。そう考えれば安倍元総理の支持団体にはやはり統一教会がいたのだろうか。

 UPF総裁は文鮮明の妻である韓鶴子。創設者はWikipediaで見る限り統一教会創始者である文鮮明であり、文脈から察するに統一教会の国連・国際活動向け機関と見るべきか。一部では別の宗派になっているとも聞くが真偽不明。一応、他に統一教会から分かれて発生した宗教団体がほかに無い訳ではない(世界平和統一聖殿、通称サンクチュアリ協会、鉄の杖ミニストリー)。

 サンクチュアリ協会はサンクチュアリ協会で「ヨハネの黙示録に出て来る『鉄の杖』とは銃のこと」などとAR-15(自動小銃)の所有を重視し、銃規制反対派のトランプ氏を支持する、2021年のアメリカ合衆国議会議事堂襲撃事件にも参加したとされるなどなかなかに香ばしい団体。2022年7月10日には安倍元総理銃撃事件と無関係であるとの声明を出している。

 まあ、山上容疑者は「宗教団体に恨みがあった」と供述しているので、いずれの宗教団体が山上氏に直接指示して犯行を行わせた訳が無いのは明白だが。

 犯行前日には同じく奈良にある宗教団体の施設めがけて試射をしたとも供述しているが、安倍元総理が襲撃を受けた大和西大寺駅のすぐ近くに統一教会の奈良支部がある。

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宗教二世の苦悩

 私の母親も妙な宗教にハマっていて小さい頃からそれに私自身、悩まされて来たので、山上容疑者がやった事は許されないとはいえ同情の気持ちが湧いている。幸い私の家は破産する事が無かったが、山上氏の家のように家庭がめちゃくちゃになってしまえば親と宗教を恨むのは当然だろう。

 特に日本はまだまだ子供を「親の所有物」のように捉える精神が強い。昔から1人の人間としてではなく、信教の自由を侵害され親の所有物として信仰を強要されて、家庭を顧みず多額の金を何の利益にもならない団体へ寄付して家庭を崩壊させられたであろう、山上容疑者の苦しみは察するに余りある。それが宗教と直接関係ないとは私は思えない。親が悪いと言えばそれまでだが、私の中では弱者の心の隙にツケ込み、洗脳し、金を吸い上げて今回のような悲劇を生む宗教も間違いなく悪である。

余談:私にとっての宗教

 もしこれを読んでいるあなたに子供がいて(あるいは作る予定で)、あなたが信ずる宗教あるいは信条をその子にも強制するつもりなら覚悟しておくべきだ。人は押し付けられたモノを嫌いになる。勉強しかり、宗教しかり。これだけはこの節の最初に書いておく。そうでもない人間もいるが、少なくとも私はそうだった。

 私は酷いアトピー性皮膚炎で、高校生の一番大事な時期をほぼ全て苦しみ抜いて過ごした。痒すぎて生傷とかさぶた、出血が無かった日が無いし、感染症にもかかって地獄のような苦しみを味わった。その間、親は神様がどうのと言って私を寺社仏閣に連れて行き、妙な体操をさせたり妙なローションを買ったりして、一向に皮膚科へ連れて行ってはくれなかった。それでも何とか生きて来た訳だが、人生において本当に大事な時間、受験は大失敗だった。一応、偏差値65の高校に受かった所までは良かったのだがなあ・・・。

 その苦しみの期間、私はずっと神とやらを憎み続けて来た。親がどう考えていようと、親がどれだけ救われようと、その一方で苦しみを味わう子供は神を憎む。憎んでしかるべきである。そんな実態のないもののために自分の人生が、家庭がめちゃくちゃに破壊されるのだから。そんな訳のわからん害悪でしかないモノを信じ崇めろと言われてもちゃんちゃらおかしい訳で、何なら私だって教祖を__そうと思った事すらある。今回の事件はそういった宗教、神とやらを信じる愚かな人間によって生み出されたある種の犠牲者であろう。

 宗教によって救われる人もいるが、私から言わせればそれはただ現実逃避しているに過ぎない。ただ現実が面白くないから面白そうな人間についてく。それだけの話。信じられるモノが少ないこの世界の中で、たとえ偶像であろうと何かを信じられれば気が楽なのだろうか。あるいはイスラム教のように、全体に合理的なルールを強制するための手段としてそれが必要なのか。皮肉なことに大抵の宗教では「現世」に救いは無い。

 祈りとは、何も出来ない無力な人間が「何かをした気になりたい」がために行う無意味な行為である