ヤマネコ目線

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人間サボタージュ

今週のお題「サボりたいこと」

「サボる」の意味

 そういえば「サボる」はフランス語の「サボタージュ」から来ていたな、と思い返して調べてみれば、元はと言えばフランスで労働組合がとった争議戦術の一つ。本来の意味と日本語で定着している意味は少し違う。ここまでがあえて最初の書いた余談。なんとなく書いて発散したいのでこのお題を書いたがここから先の文章は病み気味なので読まなくていいです。

人間サボタージュ

 人間をサボりたい。最近、自分はヒトとして生きるのに向いていないと感じている。要は病んでいるのだろうが、客観的かつ冷静に考えて向いていない。なので人間として生きる道をサボろうと思っている。サボ「りたい」ではない。サボ「らざるを得ない」あるいはサボ「るしかない」。そんなレベル。最近は仕事中もふと、自分と言う存在がゲームのNPCか何かのように感じる。一応は人間らしい外装を纏ってはいるが、人間としての本質は無く、ただそれらしい外装とIDを与えられて人間のような振る舞いをしている何か。私は人ならざる者なのだろうか。

 何がどうなって人間として生きるのに向いていないと感じるかは、あえて書くまい。しかし客観的に見て私自身、世間一般でいう「普通の人間」には足りていない。あらゆる点で足りていない。それでも何とか生きる糧を見出して生きているが、時に町行くカップルを見て、イオンモールを歩く子供連れを見て、どうして私はああいう風になれなかったのだろう、ああいう人間になれたら良かったな、なれたら幸せだっただろうかと考える。そういう人間になれなかったから絶対に不幸と言う訳でもあるまいが、心の中の嫉妬や羨望は抑えられない。欠陥品で、ありとあらゆる能力が欠落している癖に、そういう心だけ残っているのがますます憎らしい。

 今となっては「引きこもり」と呼ばれる人たちの気持ちも分かる気がする。私は一応はそうならなかったし、仕事もしているので本当に全く何も持っていない人間とまでは言えないが、そんな私も一歩外を歩けば嫌でも「持っている」人間が目に入る。そして「持たざる者」である自分自身を比較してしまい、自己嫌悪に陥って強いストレスを感じる。なので彼らは外に出ない、出たがらないのだろう。あくまで私の見方ではあるが。

 来世は動物園に住むマヌルネコになりたいです