ヤマネコ目線

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婚活・恋活は一番苦手なことを要求される

 書き散らし。ここ最近、親が結婚しろオーラを出して来てうざい。正直、私は自分自身にそれが出来るとも、その資格があるとも思っていない。一応マッチングアプリも始めてはみたがモチベーションは上がらず放置している。

妥協するのが苦手

 不況の中で生まれ育った人間としては、小さい頃から節約節約と言う親の背中を見て育って来た。物心ついた時には世の中が悪くなっている最中であり、成長するにつけても日本が良くなる事は無かった。そんな万年不景気の中では買い物一つするにしても、いかに妥協せず安く良いものを買うかが勝負であった。自分の小遣いからにせよ、親に買ってもらうにせよ重視するのはコストパフォーマンス。何でも徹底的に比較をする。中途半端なもので妥協するとろくな目に遭わないと教えられて来た。

 それは裏を返せば「妥協するのが物凄く苦手」に育ったという事でもある。厳しい現実に対してそれをどこまで直視できるか、それをいかに受け入れるかというある種の余裕が形成されていない。そうでない人間もいるが、堅実クソ真面目に生きて来た人間ほどそうなっているように思う。そのある種の余裕のなさが婚活、恋活では邪魔になる。単純な買い物であれば気に入らないものは買わない、それで済むが、人間同士の関係ではそうはいかない。自分も相手も都合の良い相手を求めていて、需要と供給のミスマッチングが起こり続けている。

 男が二次元に走るのも、女がジャニーズや韓流アイドルに走るのも似たようなもの。要は現実に妥協が出来ないから、そこから目を反らして理想像への夢で気を紛らわしている。逆に良くも悪くも現実に妥協できる人間や運の良い人間だけが今、充実した現実生活を送れているとも言える。

 ちなみに2019年で20代男性の年収中央値は200万円代後半らしい。ぞっとする結果ではないだろうか。逆に言えば婚活女子が求める年収500万だとか600万だとか、そんな男性はごくごく限られている。そしてそういう男性はよほど問題がある人でない限り、そもそも婚活などする必要はない。とっくに学生時代に相手を見つけている。

自分自身にも「妥協するのが苦手」

 妥協するのが苦手というのは、何も他者に対してだけではない。それは自分自身にも降り掛かって来る。特に社会的に弱い立場であればあるほど、その価値観は自分自身にも返って来る。

 婚活などにおいて相手を探すという事は、自分自身を誰かに売り込むことに等しい。そこで己の価値を分かっているのは他ならぬ自分自身。もしその自分自身が”不良品”だったらどうか。そんなの気にせず売りつける人間もいるが、良心のある人間であれば、不良品を不良品と分かっていて売りつけることに良心の呵責を感じる筈である。妥協するのが苦手という事は、相手に妥協させることへの罪悪感となって自分へと返って来る。

妥協する力をつける

 と言ってもそれなりの年齢になってから、それまで築かれた価値観をひっくり返すのは容易ではない。現実に妥協できる人間は学生時代に結婚相手を見つけている。いわゆるリア充はいわゆる非リア充の10年先を行っていると言われるのは、非リア充が厳しい現実にようやく向き合おうとするまでにそれだけ時間がかかるという事に他ならない。気づいたところでそこから価値観を修正できるかと言えばまったくそんな事はないし、出来たとしてもほんの一部の人間だろう。

 もし妥協する力をつけたいなら、改めて自分自身の価値を評価し、現実の厳しさ、いかに理想と現実が離れているかを冷静に見つめるべきである。そこで自分自身に価値がないのならどうしようもない。まあ、私自身のことなのだが。価値というのは人間が勝手に作るものだが、その中でもある程度のラインはある。誰が何にどれだけの価値を見出すかは分からないが、マッチングアプリや婚活などではそういった価値基準が徹底的に数値化される。主に身長、年収、年齢。そういった数値を見て我々は選り好みをし、妥協出来ずにいつまでも独り身でいる。

 これからの世の中、もし結婚出来たとしても数え切れないほどの妥協が待っているのだろう。妥協するのが苦手な人間はたとえ相手を見つけられたとしても、その先の道のりで数多くのストレスに晒される。結婚生活は幸福なものになるとは限らない。それが今の日本社会の現実であり、それを受け入れられる人間だけが子孫を残すことが出来る。

このまま日本は滅亡して行く

 正直、今の日本は世知辛過ぎる。私のような無価値な人間ならばともかく、そうでない人間も不安定な雇用、低賃金、長すぎる労働時間、物価高騰、増税、上がり続ける社会保険料で苦しんでいる。一昔前ならば普通に結婚し、それなりの人生を送れていたはずの人間達が、まだ価値がある人間達が今の日本では現実と向き合える余裕を持てていない。それが私のような人間からすれば悲しく憤りを感じる。このまま社会がどんどん悪くなって行けば、現実と向き合える人間はますます減っていくだろう。「最低でも3人」などとボケた事を抜かしている場合ではない。もはや人間が人間らしい人生を送れる確率そのものが下がって来ている。それはその人達が悪いのではない。そう育てた社会、そうならざるを得ない社会が悪いのだ。