ヤマネコ目線

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パラリンピック観戦は国民が団結してボイコットを

書き散らしその2

 全国でコロナ感染拡大がこれまでに無い勢いで広がる中、このようなニュースが流れて来て私は怒りに震えた。

news.yahoo.co.jp

<リンク切れ対策用 記事タイトル>

“学校観戦”全児童にPCR検査へ 東京パラリンピック

 この期に及んでマジでアホなんだろうか。よりによって感染拡大の真っ最中にどうして子供たちを駆り出そうとするのか甚だ理解できない。したくもない。

PCR検査は精度が悪い

 これはもう常識になって良い筈である。PCR検査は精度が良くない。確率で言えばおみくじを引くようなものだし、明らかにコロナの症状で入院した患者でもかなり重症化してからしか陽性が出なかった、そんな話がいくらでもある。未だにそんな精度の悪い検査の結果を安全の証明にしようとしている事が本当に信じられない。

 ましてやPCR検査をして陰性だったのが信用出来たとしても、パラリンピックには当然、人員の移動を伴う。この時期に行政として人流をあえて増やす意味が分からない。たとえ検査した時点で陰性だったとしても、移動しているうちに感染しない保障などどこにもない。

子供に爆弾を持って帰らせる可能性

 何より問題だと思うのはこの可能性を考えないこと。子供たちが感染しても免疫力が元気ならまだ無症状や軽症で済むかも知れない。しかし子供たちがパラリンピック観戦を終えた後にすることは?家へ帰ることである。その時にコロナウイルスを持って帰って家族に伝染してしまったらどうなるだろうか。両親のどちらか、あるいはどちらも感染して死んでしまうかも知れない。もう現時点で救急車を呼んでも入れる病床がないと言われているこの状況で、こういったリスクを考えない神経は一体どうなっているのか甚だ疑問だ。

 たとえ確率が低いにせよ、パラリンピック観戦の教育的価値とそのような不幸な子供が生まれる可能性や人命を天秤にかけた時、果たしてどちらが重くあるべきだろうか。考えるまでも無いと私は思う。ゼロリスクというのは難しいが、そもそも観戦させなければ少なくともパラリンピックによるリスクはゼロだ。

理不尽な要求は国民が団結して拒否すべき

 今この国は曲りなりにも民主主義国家である。主権者は我々国民であり、政府や学校が絶対ではない。この感染拡大の時期に子供をパラリンピック観戦へ差し出せ、コロナを拾ってくるリスクを甘んじて受け入れろというような、理不尽な要求は国民が実力行使で拒否すべきだ。学校はおそらく守ってくれないだろう。ならば親が一致団結して子供を行かせないようにするべきだし、我々国民全体がそれを後押しし、協力できる事は協力すべきだ。パラリンピック観戦をしなかったからと言って、警察に連れて行かれたり非国民と罵られる時代ではない。学校が「観戦しなかったら成績を下げる」と言うのであれば全員がボイコットして横並びになれば良い。

 民主主義とは何も選挙やデモだけがそうではない。国民が自ら行動してこその民主主義である。