ヤマネコ目線

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準宗教二世の苦しみ

 書き散らし。立件、もとい立憲民主党でも旧統一教会(家庭連合)との関係が発覚した訳だが、与野党限らずカルト団体との関係は許されない。立憲民主党のいつもの自分には甘いパターンがさっそく炸裂している訳だが、いい加減にそういう所が顰蹙を買っていると理解すべき。この際、いかなる政治家であれど統一教会と関係あった者は全員排除すべし。

 あとさも自分たちは他人事かのようなことを言い出した公明党(=創価学会)は危機意識に欠ける。この流れから無関係だと思っているのだろうか。私からすれば今まで許されて来たのが不思議。投票率が低く、組織票が強い状況を作ってきた日本国民も悪いと言えば悪い。

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それはともかく

 私自身、親が変な宗教にハマって苦労した経験がある。というか母は今も抜け出せていない。今話題の旧統一教会などを想像した方には申し訳ないが、もっとローカルかつどちらかと言えば暇な主婦がハマるスピリチュアル系の集まりといった感じ。宗教と言えば宗教・・・なのか?程度のものだが、母親がハマったのがその程度のものでも子供の私にとっては苦痛だった。

 発端は私の母が嫁いだ先、つまり私の実家の風習があまりにクソ田舎だったので、それに馴染めず精神を病んでしまったことから。そこから占い師の先生とやらに診てもらってハマったのがスピリチュアル系だった。今でも神事(かみごと)ごっこを楽しそうにやっている。

 本人がそれで救われ、それが本人だけで完結しているなら何も問題ないが某カルトよろしくそれで済まないのがスピリチュアル系。家族に妙な宗教観を押し付けようとする、子供を私物化して信教の自由を迫害し、神事とやらに参加させようとする。少額ながらもお布施もするといった具合にまあ我が家も被害にあってきた。

 私は酷いアトピー持ちだが、母が連れて行ってくれるのは皮膚科ではなく寺社仏閣か占い師の先生の家だけだった。今でもその事は恨みに思っている。許すことが出来ないかと言われれば迷うが、少なくとも神など信じないとその時期に決めた。

真面目に生きろとは

 山上容疑者のした事は許されることではない。一方でどこぞの馬の骨が言った「宗教二世でもまじめに生きている人もいる」という言葉を私は許せないでいる。「宗教二世」という大雑把なくくりで語ることの乱暴さ、何にどれだけ苦しみを感じるかなど個人で違うのに、その辺りの配慮のなさ。「みんな我慢しているのだからお前も我慢しろ、してしかるべき」という根性が心底気に入らない。我慢ならぬものは我慢ならんのだ。むしろ宗教二世は他ならぬ生みの親に真面目に生きるのを邪魔される立場にいる。その苦しみをどこまで理解しているのか。

 私自身、アトピー性皮膚炎の治療が遅れて受験に失敗して低学歴、肌はボロボロ、睡眠不足によって低身長のままなゴミみたいな大人になってしまった事は悔やんでも悔み切れない。そこは子供にとことん無関心だった父も悪いのだが、専業主婦で知識もあるはずで寺社仏閣や占い師の家に連れていく余裕はあるのに、病院には一向に連れていってくれなかった事は恨んでも仕方あるまい。大人になってからも集会に参加しろだの~を作れだの何だのと、真面目に自分の人生を生きることを邪魔しようとしてくるのには腹が立つ。最近は結婚がどうのとうるさいが、妙な宗教にハマってる親がいる低スペ恋愛弱者など誰が相手にしてくれるのか。その辺りも弁えていない。

 山上容疑者の母は実に1億円以上の献金をしたと報道されているが、それをカルト団体ではなく子供のために遣っていたらどれだけ良かったか。そういった点で私は彼に同情せざるを得ない。彼は加害者でもあるが被害者でもある。兄妹三人の子の将来を顧みずただ財産を教会に差し出し続けた母親、無力感はいかほどであっただろう。

 暗殺自体は許されないとはいえ、統一教会と手を組み、広告塔となって被害を拡大させ、団体に政治的な影響力さえ与えて来た安倍元総理の末路は自業自得と言って差し支えない。

 まあ、私の場合は実家が元からクソゴミだったのが全ての元凶なのかも知れない。ド田舎もド田舎の元地主の家系、祖母から聞かされた高祖父母のクソ過ぎる人柄・言動は数知れず、それに育てられた祖父の出来はお察し。

これからを生きる

 この先も、カルト団体による被害は減りこそすれ無くなることは無いだろう。しかし国民の意識を変えることで、その被害を少しでも減らすことは出来る筈だ。選挙の投票率を上げることで組織票の力を弱くし、カルト団体とつながりのある政治家を落選させ、あらゆる形で統一教会にかぎらずカルト団体への圧力を国民総掛かりで強めていく。それがこれからの日本に求められている。民主主義とは何も選挙だけの話ではない。国民が主体的に出来ることをしていくのが民主主義の本質である。私もこれから出来ることをしていく。