ヤマネコ目線

大体独り言、たまに写真その他、レビュー等

嫌いな言い回し

 書き散らし。単純に嫌いな言い回しを書いていくだけ。

「天才だ」

 テレビを見ていてふと思ったが私はすぐ「天才だ」と言う奴が嫌いだ。一種の褒め言葉で手軽なのは理解できるし、その場で良いアイデアを出した人間に対してつかう程度には何とも思わない。

 しかしアーティストを語るような場で遣われると、どうしても言われる側の努力を軽視しているように感じる。その人がどういった経緯で多くの人から認められる存在になったのか、何をどう考えていて今のパフォーマンスがあるのか、その過程が面白いのに「天才だ」の一言で片付けてしまう、その発言の主のつまらなさにイラっとする。

 なお、「天才」のもともとの意味に即している、あるいは本当に天才と言うべきレベルの相手につかう分には構わないと思う。「6歳の頃は砂場で二次方程式の解の公式の導出を独学でやってました」とか、そんな理解不能なレベルならその一言でしか言い表せないのも理解できる。

何食っても「甘い」と「柔らかい」しか言わない奴

 同じくテレビでありがちなやつ。この一言の後に具体的な感想があるのならマシなのだが、そうでないならもう、一生マシュマロでも食ってろよと思う。

 加えて何でも甘ければ良い、柔らかい方が良いみたいな価値観の創出というか押し付けが疑問に思う。苦い野菜は苦いままで良いじゃないか。硬くて噛みごたえのある肉があっても良いじゃないか。苦みを楽しめるのは人間の特権だぞ。コストコで売られている肉は硬くても美味しいぞ。

「Aが無かったらBは生まれなかったんじゃないか」

 これもテレビで最近聞いて違和感を覚えた言葉。こういう言い方はよっぽどでなければするべきでは無いというか、根拠の無いただの憶測でここまで言うことは許されない。案の定、関係者自らXで否定されていた。それなりの根拠があって言うなら良いのだが、そうでない上に外すと全方面に対して失礼。

私、頭悪いから系

 「俺(私)アホだから」、「俺(私)、高卒だから」みたいな妙な自分下げをする人間は見苦しい。私も頭が良い部類ではないがそれはそれで自分なりに工夫して生きているので、そういう奴を見ると「その場しのぎで自分を下げて許されようとしているな」と思ってイラっとする。すぐ泣く奴、すぐ自称ADHDもこの類。それでいつまでも許されるほど社会は甘くない。

学歴コンプ系

 褒め言葉として「さすが大卒」と言う、あるいは逆に「大卒のくせにそんなことも知らんのか」といった事を言う人、学歴コンプレックスが滲み出すぎていて嫌い。

 大学もいろいろなので大卒=賢い奴では決して無い。その中で大卒か、高卒かというあまりにざっくりした括りにこだわるのはその人自身のコンプレックスの裏返しであり、それを露骨に他人にぶつけるのはみっともない。

 特に大学受験で失敗した、妥協した人間に対してそういう事を言うと、知らず知らずの内に相手のコンプレックスまで刺激してしまっている可能性がある。

 また、大学は決して全知全能の人間を作る場所ではない。職業訓練校でも無い。なので「大卒だからこそ出来ること」と言うのは実はそんなに無いし、実務面のことで知らんものは知らん。そこで「大卒のくせに」と理不尽に食ってかかると、内心「どれだけ学歴にコンプレックスが強いんだ」とバカにされる。お互いにリスペクトが失われるので良くない。

 人間としてどれだけ出来ているかも学歴とは関係ない。大卒だろうが何歳だろうが妻子がいようがクソガキは何歳になってもクソガキのまま。今はほぼ関係ないパワハラ上司はそれをよく教えてくれた。あんなのが世間一般で言う「一丁前の大人」なのが未だに理解できない。あ、これ世間体コンプレックスです( )。

そろそろ~は卒業したら

 子供の頃に好きなものに関して言われて腹が立った言葉。大人になった今ではそう口にする大人の気持ちも理解出来なくは無いがこの言い方は嫌い。この言い方で「じゃあ辞めとこう」と思うことは100%無い。何なら逆にやる気が出るまである。いつ卒業するかは自分で決める。

 特に「卒業」というワードが個人的にはイラっと来る要素で、おそらく子供の頃、言われたタイミングは小中学生が多かったか。その頃に卒業しているものと言えば小学生ならば幼稚園/保育所、中学生なら小学校。つまり受け手の感覚としては「あなたがしている事はあなたの年齢にそぐわない幼稚なことですよ」、と言われているに等しい。

 別に良いじゃねえかプラモデル1つ組んだって。良いじゃねえかエアガン買ったって。18歳以上対象のエアガンなんかむしろ大人になってからしか買えんわ。

 この手の問題で手っ取り早く「卒業」させたいと思うなら、あえてその分野をとことんやらせてみることだ。本当に大したことの無い趣味ならすぐに飽きて本当に卒業する。突き詰めてやっていない事を卒業は出来ない。これが下手に邪魔をしてその趣味の行き着く先を見せなかった場合、子供心に変な理想を抱いて卒業までの道のりは長くなる。

 まあ、例外もあるのだが・・・ゲームとかゲームとかゲームとか・・・でも親に「プロゲーマーになるんだったら1日4時間は練習しろ」って言われると嫌にはなりそう。

 幼稚だとか後に何も残らないと思う趣味に対して対案を示せない大人にも非はあるとも思う。ゲーム以上に楽しいことを体験させられない側の負けなのだ。大人には大人の事情というか主に経済的な事情があるので難しいのだが。そこで上手く趣味を選んで応援できれば将来大成する可能性はある。Adoさんが好例でクリスマスプレゼントに歌い手セットなるものをもらって今がある。

素直になりなさい

 子供の頃に言われて嫌だった言い方その2。「素直」って何だよ。黙って大人の言うこと聞く従順な子供になりなさいってだけの話だろ。嫌な子ねぇ~あと単純に語感が嫌。それだったらストレートに「言うことを聞きなさい」の方がマシ。

 しかし実際、子供に言うこと聞かせるのって大変そう。無関係なので高みの見物だけど世間の親御さんや教員はよく耐えてらっしゃる。子供が好きだから出来るんだろう。

 ある程度の年齢になってくると大人が思っている以上に子供は物事を考えているので、子供なりに納得できる論理的な答えを言語化して用意できなければいよいよこれだけでゴリ押しすることは難しくなる。「お前のためを思って言っているんだ」というのも同様。

 日本人の家庭は(というか私はそれしか知らないが)子供を親の所有物と考えていることが多い。「子供は親の言うことを聞いて当たり前」、1人の人間として尊重する、対話する姿勢に欠けている。もちろん何ごとも好き放題させるべきと言いたい訳ではなく親として導くべき方向性というのはあるのだが、だからと言って無条件に言うことを聞かせる、意見を尊重しないでいると自主性が欠如した人間になってしまう。それでいて「最近の子はやる気がない」と言うのだから笑えない。なるべくしてそうなっている。

普通に~

 めちゃくちゃ嫌いと言うわけでは無いが気をつけたい表現。「普通においしい」とか「普通に上手い」と言った表現は使いがち。意味を説明するのは面倒くさいが、個人的な解釈としては「一般的にそう言われる程度には」のようなイメージ。たとえば「普通においしい」は「多くの人がおいしいと言うであろうほどにはおいしい」と解釈できる。

 しかしこれ、言われた側はあまり嬉しくない。一定のレベルに達していることは認めつつも、一方で「抜きん出ている訳ではない」とも取れるのでどう反応して良いか分からないのである。

 おそらく「おいしい」や「上手い」だけではそっけない感じがするのでこうした枕詞?をつけるのだろうが、余計な表現をつけるよりは単純な表現の方が良い。

全然+肯定型

 たまに自分も使ってしまうが違和感も感じる表現。「全然大丈夫」はまだセーフ、「全然おいしい」は無理。言葉は変化していくものであり、「全然」が単なる強調の意味で遣われるようになりつつあるのは理解できるが好意的に解釈するにも限度がある。

 「全然大丈夫」は「全然(問題ないから)大丈夫」と補完できるが「全然おいしい」は無理。「全然平気」も「全然(ケガとかしてないし)平気」と補完できるが「全然すごい」なんかは無理。

よく分からん造語

 数日前、テレビから「キダルト」という造語が聞こえて来た。「キッズ」と「アダルト」を組み合わせて「キダルト」らしい。曰く「大人になっても子供の頃の心を忘れずおもちゃを買っている大人」だそうだが、身も蓋も無い言い方をすれば「大人になり切れない大人」である。かくいう私も他人のことを言えないのだが、変な造語作るのをやめろ。

 同番組では「今の大人は小さい頃からマンガやアニメに慣れ親しんだ世代なので大人にもおもちゃの需要がある」と説明していたが、そのくらいで良い。「キダルト」という用語を言い出したのはおもちゃ業界のようだが絶妙に気持ち悪い。まずもって語感が最悪。センス無し。

 同様にすぐ変な造語作って一括りにしたがるの、良くない傾向だと思っている。「草食系男子」もそうだし「ゆとり世代」、「Z世代」なんかもそう。雑な括りで人を論じることに何の意味があるのか。理解よりも偏見を助長させるものであり例外も多い。否、例外の方が多い。

 私はゆとり世代でたまに上の世代から「円周率って3で習った?」と言われた。実際は計算問題において「3.14で計算しなさい、ただし3で計算してもいい」という問題があった程度で大半の生徒が3.14で計算していたし、習う時も3.14だった。そもそも「ゆとり世代は円周率を3と習う」は学習塾が危機感を煽るために流したデマ広告。これ1つ取っても地域差はあっただろうし、世代で十把一絡げに論じる意味はない。

 大体、円周率何桁で習ったかでマウント取るなんて情けない。社会に出てから円周率をどれだけ使った?筆算で3.14で計算したか?0.14分の誤差が問題になった事は?あとの学習過程でπに置き換わるのであまり意味はない。

 だからこそ「Z世代は」と雑な括りで論じることも避けたいと思っている。