河野太郎氏が解雇規制緩和について、労働者が解雇を受け入れる代わりに金銭を受け取る金銭解雇導入に前向きな姿勢を示している。
雇用の流動化のため、と言うが
経済界においては「雇用の流動化」が良い概念として扱われ続けている。しかし雇用の流動化を推し進めて社会が良くなったためしはあるのか。私は無いと思う。むしろ格差を拡大させ、特に少子化において事態を悪化させ続けていると考えている。
派遣法改正などによる非正規雇用の増加は、雇用が安定せず収入も低い労働者を量産した。結婚して子育てしようにもいつ職を失うか分からない、収入が低いのでそもそも結婚できないし子育て出来る自信もない、そんな大人を増やしてしまった。それが少子化の一因であることは疑いようが無い。
特に就職氷河期世代に対してろくな支援をせず、それどころか非正規雇用の拡大という最悪の流れもぶつけて*1彼らの多くから結婚、子育てという選択肢を奪い、少子化改善の機会を大きく損なったのは最悪の選択ミスである。
年収の中央値(not 平均値)については正規雇用と非正規雇用では100万円以上の格差があるとするデータが紹介されている。ただし以下のサイト、小さい字で「中央値は平均年収の82%として計算」とあるので注意されたし。平均値に82%をかけても中央値には近似しないのでは・・・。
【2023年最新】日本の年収の中央値は?年齢・雇用形態・業種別でも解説
このサイトが引用元として示している調査資料のリンクから中央値のデータを探したが私は見つけられなかった。平均データしか見当たらず統計の意義を感じない。また、平均年齢が47歳付近とおそらく高齢ゆえに非正規雇用として働いている方々も含めたデータであることには注意したい。
近年は同一労働同一賃金など、政府として社会全体が非正規雇用と正規雇用の賃金格差を是正するよう働きかけているものの、依然として正規雇用と非正規雇用では賃金に格差があることは事実。
何にせよ職が安定せず、年収も200万円台のまま今の社会で結婚・子育てしようと思えますか?無理では。そこまで極端でなくとも、子供2人を作ろうと思える年収のハードルは高い。
「昔はお金が無くても結婚してた」などと言う奴がいるが、昔は今ほど求められるものが多くなかった筈だ。小学生の子にiPhoneをねだられる事はあったか?学校で使うタブレットを買う必要は?クルマは今ほど高かったか?少しはモノを考えて言って欲しい。
3人生まれないと人口は増えないのだがそんなことが出来る訳はない。2人では人口は徐々に減る*2し、経済格差がそのまま子供に引き継がれて貧しい家系が貧しいままの現代日本、たとえ無理をして世代を1つ繋げたとしてもその先が無い。どのみち先が続かないのであれば無理して結婚、子育てをする必要は感じられない。だから結婚しない、結婚しても子育てはしない若者が増える。
解雇規制を緩和する必要性を感じない
経営者視点からして問題を感じる社員でも解雇しづらい、それゆえ追い出し部屋のような妙な部署を作ったりなど負の側面があることは否定できない。
しかし現在でもきちんとした手順さえ踏めば本当に問題のある労動者を解雇することは不可能ではないし、解雇まで行かずとも真摯に対話して退職を勧奨することは可能である。現在の解雇規制を緩和する必要性を感じない。
現状からさらに解雇に対する規制を緩和した場合、労働者の立場はさらに危うくなり正社員であっても雇用の安定性が損なわれ得る。そうなった場合に少子化への悪影響は避けられないだろう。結婚や子育てはリスクである。少なくとも私から言わせればそうだ。労働者が安心してそうしたリスクを冒せる生活基盤がなければ少子化は解消しない。解雇規制緩和はその真逆を行くものである。
また、金銭解雇が導入されれば労働者と経営者とのパワーバランスが経営者側に傾くこととなり労働者側の交渉力が低下する。金銭解雇をちらつかせて労動者側の交渉意欲を削ぐことは容易だ。企業が労動者に対して、社会に対して負う責任もこれに応じて低下する。人材を育成することを忘れ、何かにつけて「即戦力が欲しい」などと抜かす日本式経営手法をさらに悪化させるだろう。
雇用の流動化は労働生産性を改善しない
一部の人間は「雇用を流動化させて実力主義にしていけば生産性は高まる」と考えているようだが、それはあくまで理想論であって弊害を無視するべきではない。
たとえば短期間で職を失うリスクが増大することによって、労動者は企業に対する忠誠心や職に対するモチベーションが低下する。単純な話いつ解雇されるか分からないとなればその会社に尽くす意味はないし、その時点で従事している職務について突き詰めた効率化をする必要もない。
特に日本の職場ではある種の職人芸というか、長年にわたる経験で培われた技術や知識によって競争力を支えている人材がいる。いた。雇用の流動化によって会社に尽くす意味が無いとなれば、そうした人材が失われる可能性が高い。目先の利益しか見えていない日本式経営は、皮肉にも今まで長い目で見て育てられた人材によって支えられて来たのである。
それとも、いつクビにするか分からない相手にこれまでと同等、あるいはそれ以上の職人芸を求めるのだろうか。救いようのないアホだ。自由競争にすれば優秀な人材が確保できると考えているのか知らないが、それだけ企業に求められるものも多くなる。人手不足は待遇不足、足らぬ足らぬは手取りが足らぬ、金の出せない企業は潰れて当然。生き残るのは大企業ばかり。日本における中小企業の割合は?
また、簡単に解雇できるとなれば労動者に対して短期間で成果を出させようという圧力が強まることが予想される。使えそうにないと判断すればすぐ解雇される、そう怯えて仕事をすることは単純に労動者にとってストレスであり、なおかつ我が国ではそのようなプレッシャーが不正の温床と化してきた事実がある。ダイハツ、トヨタの不正などはその最たる例といえよう。行き過ぎた競争は不正を、それに伴う不利益を生むことを理解しているのか。
足元の見えていない自称強者
強者の論理として「雇用を流動化させて実力社会にすれば生産性は上がる。生産性がない、スキルの無い人間は路上で野垂れ死ねばいい」と言うのは結構だが、そのような理想論を振りかざす人間は人間らしい心理を理解していないし、世の中はどちらかと言えば「出来ない」人間が大半を占めていることを意識していない。それらを切り捨てても社会が良くならない事も理解していない。
そういう人間は目先のことしか頭に無く人間的な部分も含めた社会全体のことを考える力が無い。そのくせ自分だけは「有能でほかの大勢居る無能とは違う」と思っており、「自分のように能力の高い人間さえ良く扱われればそれで良い」と思っている自己中心的な思考を極めた社会の癌である。人間社会において人間の価値を見誤っている。
残念ながら、そうした「自分は能力がある」と勘違いしている人間もレールを踏み外して「切り捨てられる側」の人間になることがある。「自分は切り捨てる側」という前提でものごとを考えるのはやめた方が良い。特に雇われる側であれば。
「エリートだけで生きられる社会こそ至高」、ならば結構、ではそのエリートだけでエリートたちがいい暮らしを出来るよう、社会を支え続けられるだけの人間を再生産して見せてくれ。
自民党は一度何が何でも下野させるべき
河野太郎が解雇規制緩和について言及したのは、彼が経済界あるいは竹中平蔵の傀儡であることの発露であると思う。そればかりか河野太郎に限らずほかの総裁選候補者も経済政策に関して具体的なビジョンを示していない。アベノミクスはどうなるのか。これからの国内経済は。
加えて石破氏からは金融所得課税の話が出た。誰も減税のげの字も出さない。河野太郎はXで現役世代の保険料軽減を提案したが、これはあくまでSNSで提案しただけであり実行すると言い切ってはいない。
同時に資産課税が低いと読み取れるグラフを無言で示しており、これがXで「社会保険料は減らすが資産課税を強化するのでは」と推察されている。どのみち社会保険料を減らしてもどこかで減らした分を取りに来ることは明白であり、どいつもこいつも横から掠め取ることばかりで支出を減らそうと本気で取り組む姿勢が見られない。
資産課税を強化するとどうなるか。投資に資金を流すための圧力が生まれる。投資せずに貯めているものは資産課税で取り、自己責任で投資して儲けた分は金融所得課税で取る。国民の資産を投資に回せて逃げ場も無くせて一石二鳥。
小泉進次郎は進次郎で夫婦別姓に賛成との意見を表明したが、正直そんなことはどうでもいい。やれば良いとは思うが単に若者へ媚びている感じしかしない。
就職氷河期を見捨てて少子化改善の機会をみすみす逃し、あまつさえ非正規雇用の拡大をぶつけて1億総貧困化への道をつくり、格差是正の使命を放棄し、意味の無い少子化対策のために重い税と社会保険料を敷いて、間違った政策を強化し続け、失われた10年が20年に、20年が30年に、30年が40年になろうとしている。安心して結婚や子育てが出来る社会を破壊し続け、国民から「家族を持つ」という選択肢を奪い去っておいていまさら家族制度が何だと言うのだ。クソどうでも良いわそんなもん。
自称保守は夫婦別姓に反対しているようだが、夫婦同姓を強制することで生じる不利益を放置し続け、それを解消できない以上は導入しても良いと私は思う。ただでさえ婚姻数が減る中で下らないハードルは少しでも減らした方が良い。自民党を支持しながら保守を自称するのはもはや無理がある。
林官房長官は「人に優しい政治を」などと言って出馬表明したが、こんなクソの役にも立たないコメント笑うしかない。国民の皆さん?人に優しい政治?上流階級の皆さんの間違いでは。