ヤマネコ目線

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「法律で禁止されなければ何をしても良い」のか

 東京における選挙では意図的な妨害、無法地帯と化した選挙ポスター、選挙ポスター掲示枠の売買といった様々な問題が浮き彫りとなった。これまで想定されて来なかった法律の抜け穴をついた悪徳な行為が行われている。

法律の抜け穴を突くことが流行る理由

 これはもう、政治家やそれを支持し続けた我々がそういう世の中にしてしまったからとしか言いようがない。今や誰も彼も余裕が無く、自分の利益を最大化することに躍起になっている。もはや「真面目に生きること」が最善の選択肢とは言えなくなり、多少グレーなことをしてでも金を稼いだ者が勝ちという世の中。ビジネスのために政党が乱立したり、転売ヤーパパ活が大流行したり、ブラックな所で言えば安直に闇バイトに走る若者もいる。

 ではなぜそういう人間が増えたのか。格差が拡大したからである。格差が拡大すれば現状に満足できない人間が増える。その中で自分自身が底辺であると自覚する人々は何とか上へ行こうともがき、なりふりを構う余裕はない。日本政府が格差是正を放置し、むしろ格差を拡大させてきたツケはあらゆる点において社会に良くない兆候をもたらしている。ここには非正規雇用の増加のみならず、消費税やインボイス制度のような逆進課税の引き上げ、社会保険料の引き上げなど様々な要素が関わる。

 さらに法律=国が定めたものという認識の中では、法律の抜け穴を上手く突くことが不満の多い政府に対して「一矢報いる」感が強いのだろう。報いる方法が間違っていると思うが、若年層は投票に言っても高齢者の方が絶対数が多く、政治が変わらないことを理解している。ある種、そうした絶望感から来るあてつけのような側面もあるのではないか。裏金問題を見れば、なんなら政治家が法の抜け穴を突くことを推奨しているようにすら思う。

「法律に触れないからOK」か

 一部では「法律に違反してない行為は許される」と見る向きもある。しかし法律で明確に禁止されておらずとも悪辣な行為が悪辣であることに変わりは無い。「法律に違反していないからOK」と安直に考えるのは許されない。

規制が先か、悪行が先か

 この点、「法律違反ではないから許される」と考えている人々は何か勘違いをしている。最初からあらゆることを規制する法律が制定されている訳ではなく人間社会において浮かび上がってくる様々な問題に対応するために後から法律が制定される。悪行に限らず人間の習慣の変化、社会の発展、新しい道具の登場などによってそれは変わって来る。予測し得る範囲内で先んじて規制が入ることもあるが稀なケースだろう。

 たとえば歩きスマホ規制条例。スマートフォンが登場する前あるいは登場直後から歩きスマホを規制する条例はあっただろうか。否、スマホが普及して歩きながら操作をする人が増え、それが周囲にも本人にも危険であると見なされて初めて規制する条例が制定された。規制が習慣に先立つ訳ではない。

 加えて人間社会においては法律で規制されてない範囲においても、道徳や倫理に基づいた行動が求められる。たとえその時の法規制に違反していない場合であっても、社会や他者に損害を与えるような行為は非難されてしかるべきであるし正当化することは出来ない。

 それが新たな規制や規制強化の切っ掛けになることもあり、他者に損害を与える、世の中を息苦しくすることもある。エアガン規制はその好例であり、一部マニアが過剰なまでにエアガン取り扱いマナーを気にする理由はそこにある。

法律違反ではないが良くないこと

 たとえば「嘘をつくこと」は(程度にもよるが)法律で規制されいないものの、社会的にするべきではない行為の代表格だ。ちょっとした嘘ならば直ちに罪に問われる、起訴されるといった事はない。しかし周囲の信用を失うことになる。法律で禁止されていない=許される、と言うわけではなく、いちいち法理で禁止していてはキリがないからあえて書かれていないだけである。

 表裏一体のような気もするが、「約束を破ること」も(これも程度によるが)法律で禁止されている訳ではない。「待ち合わせの時間に間に合わなかった」程度のことで起訴されたりはしないが、何度も繰り返せば信用を失う。

 「ありがとう」と感謝の意を伝えない、「おはようございます」と挨拶をしないといった「意思表示をしないこと」も別に違法ではない。しかし人間社会の中で暮らす以上、コミュニケーションを円滑に取るためには意思表示は必要である。

 最近、山形県で1日1回は笑うなどと言うバカげた条例が可決されて話題だったが人間の感情や意思を法律で思うようにしようというのは間違い。法規制しないと言うよりは法規制すること自体が間違っているのでされていない、という場合もある。

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 「相手を尊重しないこと」も、法律で禁止されている訳ではないが道徳的に問題がある。文化や価値観を尊重しなくてもそれで相手から訴えられる訳ではない。しかし他者を尊重しない者は自分自身も尊重されなくなる。嘘をつくことも同じだが、道徳的に間違った行為は結果として自分に不利益として返って来る。

 変わり種で言えば「無関心であること」なんかも挙げられる。環境問題や政治に対して無関心であっても、それ自体を罪に問うことは出来ない。憲法内心の自由も保障されている。しかし人間社会の中で生きる以上、自分たちの暮らしや社会全体に関わることに無関心であるという事は決して褒められた事ではない。そうした無関心が自分自身、社会全体に不利益をもたらす事になる。

 近年の日本で言えば転売ヤーパパ活と言う名の売春も法規制が追いついていないように思う。厳密に言えばライブのチケットは転売を禁止する法律があったり*1、売春はそもそも法律で禁止されているが、法規制が現実に照らして対応し切れているとは言えない。しかし法規制が追いついていないから許されると思うのは間違い。冒頭で述べたように法規制が習慣や生活様式に先んじる訳ではない。

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 グレーゾーンで言えばいじめ、ハラスメントもこの類に入る。それらが直ちに法に触れるかと言われると残念ながら怪しい。刑事告訴に至るような事件でも無い限り、それなりの証拠を揃えて訴訟でも起こさなければ相手はお縄にならない。まず第三者を挟んでの話し合いで解決が基本。いじめで言えば子どもが死んでも対応はずさんなもの。いじめっ子が何事も無かったかのように生きているケースは多い。

法律とは何のためにあるのか

 考えの浅い人間はこの視点が欠如している。法律は端的に言えば社会の秩序を維持し、自分自身も含めて誰もが可能な限り損をしないようにするためにある。社会生活を送る上で人間が自らに課す明確なルールであり、見方を変えれば最低限これくらいは守りましょうという範囲のもの。決して「法律で禁止されていないなら何をしても良い」と言うような対偶的な口実を与えるためではない。道徳や倫理にもとづいて行動することも、自分や他者に損をさせないために重要である。

*1:特定興行入場券は主催者の同意なき転売は違法