ヤマネコ目線

大体独り言、たまに写真その他、レビュー等

転売ヤーの是非

 最初に断っておくが、時間的要因から価値が出た不用品の売買のような正当性ある転売について非難する意図は無い。

 「せどり」は転売ヤーのキレイな表現。売春を「パパ活」と言い換えるのと一緒。

お気持ち表明するな

 まずこれを書いておきたい。転売ヤーには転売ヤーなりの言い分があるようだが、後述する通りどう足掻いても害悪には変わり無いのでやるならやるで黙ってやれと思う。お気持ち表明するな。「人として恥ずかしい事だけどどうしてもお金が欲しいんです」と人目を忍んでやるべきものであって、まかり間違っても自分に正当性があるとアピールするような行為では無い。苦しい自己弁護をしないといけないようなら辞めろ。

 一応書いておくが私は転売ヤーではない。不用品を含めて転売行為自体していない。ただ社会保険料などが引かれない収入が欲しい気持ちは痛いほど分かる。しかし、やるとしたら黙ってやる。

よくある自己弁護への反論

「転売は正当な権利」

 「自己の不用品を売買する」ことについては確かに当然の権利であり、古物営業法違反にも当たらない。しかし利益を得る目的で物品を買い占め、流通を妨げ、小売価格で購入できる機会を奪って不当に利益を得ることを「当然の権利」と言って憚らないことは悪徳である。市場における公正な競争、自由で快適な生活を妨げることを「正当な権利」とは言い難い。

 それを言うならば「正常な価格で物品が買える」ことも正当な権利と言えよう。そうした他者の権利を侵害しておきながら、自分のやっている事を棚にあげて「正当な権利なので非難される謂れは無い」は通用しない。他者の権利を尊重しない者に自己の権利を主張する資格は無い。

「やってる事は小売業と変わらない」

 じゃあ小売店と同じ価格で売ってみろよ。物品の流通は小売業から消費者の間で完結しており、その間に「流通を助ける」などと言って転売ヤーが割り込む必要性は皆無である。

 特に通信販売が一般化している現代、わざわざ他人に助けてもらわなければ買えない商品など皆無に等しい。「俺達は購入する機会を与えているんだ!」などと言うのもいるが、つくづく余計なお世話である。機会はもともと広く与えられている。それを自分の利益のために横取りするのが転売ヤー

 このご時世、誰だって本来の価格よりも高い価格でモノを買いたいなどとは思わない訳で、売店から買い占めたものに不当な利益を上乗せして販売する転売ヤーはむしろ商品の流通を妨げている。やっている事は小売業の本来の在り方とは真逆。

 近年、小売店やメーカーは転売対策をするようになった。本来そのような努力は不要な訳で、その点からも転売ヤーが他者に余計な努力を強いて、損害を与える邪魔な存在であると断言できる。

 また、小売業の存在意義は「欲しい時に欲しいものが買えるようにすること」である。ここには利益率が悪かったりたまにしか売れないものを揃えておくことも含まれる訳だが、転売ヤーはこれを避ける、あるいは積極的に扱う訳ではない。せいぜい「仕入れたけど思ったより価値が上がらず損をした」程度。小売業としての役割を果たすものとは言えない。

 小売業は社会に貢献する存在であるが、転売ヤーはそうではない。貢献していると思いこんでいるならそれは異常者。

「やってる事は古物商と変わらない」

 古物商は新製品の流通を意図的に妨げたりしない。古物商における価値は時間的要因によるもの、「市場に流通してから時間が経ち、消費者の手元にもあまり残っていない物品を市場へ再投入すること」にある。品薄や数量限定の新製品を狙って買い占め、希少性を盾に価格を吊り上げる転売ヤーとは違う。

 中古品を扱う場合では、そもそも古物商許可は取っているのだろうか。「古物商と変わらない」と言い張るなら当然取ってるよな?

 古物商許可無しに最初から転売目的でBOOK OFFなどから物品を”仕入れ”、利益を乗せて売るのは違法である。本当に欲しいから中古で買ったものを飽きたので売る、というのは許されるだろうが、利益を得る目的で多数の物品を売買している場合は明らかにアウト。

 また、古物商は適切な管理によって物品の価値を維持し、時に修繕することで経年劣化によって落ちた価値をもとに戻す。古物商における利益にはそれらにかかる対価が含まれている。しかし、転売ヤーに出来ることは新品を中古品にすることだけ。売れないものは不良在庫として腐らせる、安売りして損切りする程度。そこに新たな価値は欠片も生まれていない。

 なお、「新品」の定義は曖昧で法律的に言えばたとえ未使用でも消費者として購入した時点でその物品は中古=古物である。メルカリなどで売買されている「新品未使用」もすべて古物。しかしそれらが全て違法になる訳ではない。「自己の不用品を売買すること」は古物営業法の違反とはならないからである。なのでサイトによっては「小売店で買った新品をそのまま売っても違法では無い」と書いてある。法律上の定義と感覚的な話は違う。

 これも常識的に考えれば、「欲しいと思って買ったが要らないものだった」「不要になったので売りたい」という場合を想定しての話。転売ヤーの行為を正当化するためのものでは無い。むしろこうした良心に基づいた制度設計を悪用する者が増えれば、それに対応するために規制が強まったりするため迷惑。

 特定興行入場券の不正転売防止に関わる法律が好例で現在、転売禁止が明記されているコンサートなどのチケットについて、興行主公認のリセールサイトを通さない転売は違法である。

転売ヤーだって苦労しているからマージン乗せて当然」

 それは自分が得をするための苦労であって、その対価を他者に求めることは相手に損害を与えるに等しい。非難されて当然である。転売ヤーにならなければそのような苦労をすることも無いし、消費者は余計なマージンが乗っていない、正常な価格で物品を買えるのでWin-Win

 「苦労したから」、「苦労した分だけ」何らかの対価をもらえるほど世の中は甘くない。だったら俺も草刈りで苦労してる分、誰か金をくれ対価をもらうのであれば何らかの利益を相手に与えなければならないが、転売ヤーと非難される人種が消費者に与えられる利益など存在しない。*1

「転売価格が市場価格だから売値は妥当」

 市場を歪めておきながら市場原理を持ち出すのはもはや滑稽。転売ヤーは新製品の流通を意図して妨害し、転売でより利益を得るために需要と供給のバランスを歪めて希少性による価値を付与している。それによって吊り上げられた価格が、あたかも正常な市場原理によるものであるかのような主張は無理がある。転売ヤーの存在を市場の流れの1つであると見た場合でも、その存在は決して歓迎されるべきものでは無い。

 ポケモンカードのように世に出て間もない物品が、奇妙なレベルの高額で転売される状況は市場の歪みを如実に表している。強いて言えば既に市場価格、相場と呼ぶべきものが形成された物品について相応の価格で転売することは妥当と言えるだろうが、転売ヤーが自己正当化のために市場価格を持ち出す時は大抵その文脈から外れている。

 無料でもらった特典などは転売価格が市場価格と言って良いかも知れない。市場に流通する手段が転売しか無いのだから。

転売ヤーに供給を絞るほどの力は無い」

 転売ヤーは個人でやっているからそう思うだけで実際はある。逆にその程度の考えで品薄、数量限定、抽選販売の物品に集団で群がるので、本当に欲しい人が商品を買えないという事態に陥る。

 逆に転売ヤーがいても何ら不都合が無いのであれば、ここまで憎まれる存在になることも無かっただろう。メーカーや小売店がわざわざ転売対策をする必要も無かった。実際に起きていることから目を逸らしたい、「自分たちがやっていることは迷惑にはなっていない」と思いたいだけの希望的観測に過ぎない。実際は迷惑でしかない。

 コロナ禍においてはマスクが転売対象となったがあの時、転売による供給への悪影響が無ければアベノマスクなんか作る必要は無かったかも知れない。時に国益さえ損ねる害悪である。

「投資と変わらない」

 だから何?どういった投資と比較しているのか定かでは無いが、いかなる投資であれ競争には公正さが求められる。その点、供給を妨げて意図して市場の公正さを損ねている転売ヤーは問題視されて当然。投資と見なすにしてもやり方が汚いから敵視されているのであって、金儲けの手段として投資と並べた所で、転売ヤーの悪質さが消えてなくなる訳ではない。

例外について

 YouTuberの吉田製作所さんが自分自身のグッズについて、「製造を委託した業者から格安で仕入れてAmazonで高く売っているので転売ヤーと変わらない」と自嘲していた。

 しかしこの場合、吉田氏のグッズが市場に流通するためには吉田氏自身がAmazonマーケットプレイスで売りに出すしか無い訳で、小売による流通を妨げている訳ではない。転売ヤーではなく小売業的役割を果たしていると言える。その辺の転売ヤーと同列に語ることは出来ない。

 また、吉田氏は自身のグッズを自らデザインあるいは3Dプリンターで製造もしている。そこにかかる労力、時間に関して販売時に利益を乗せることは何ら非難されるべき事に当たらない。

 このような場合は転売ヤーと呼ぶべきでも無いし、非難されるべきでも無いだろう。そんな事を言いだしたらライブグッズとか大変なことになるわ。

 

*1:あくまで悪質な場合において