ヤマネコ目線

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ベトナム人が減れば犯罪が減る、か

 書き散らし。日本に出稼ぎに来るベトナム人が減っている。ネットではそれを喜ばしいことのように捉える声が多いが、私は違和感を感じざるを得ない。

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安くなった日本

 ベトナム人が来なくなった、来づらくなった理由は単純明快。ただでさえ低賃金悪待遇なうえに日本円の価値が落ちたからである。この記事を書いている時点で為替は1ドル140円後半。すぐにでも150円行くのではないか。これはベトナムドンに対してさえ言えることで、日本円の価値はベトナムの通貨に対してすら下がり続けている。弊社のベトナム人はこれを理由に賃上げを要求して来たりもしているほどだ。ただでさえ少ない仕送りの額が更に目減りするのだから、それは当人たちにとって面白くないだろう。

 これは何もベトナム人だけに言えることではない。諸外国から見て、東南アジアからしても今や日本は出稼ぎに来るだけの魅力がない。今この国がそんな状態にあることを「ベトナム人が減って喜ばしい」などと抜かしているは本当におめでたい頭だ。これまで日本社会を縁の下で支えて来た労働力がさらに加速度的に減っている中で、これまでその安い労働力にどれだけ支えられて来たかも知らず、ただ一側面的な部分だけを見て外国人が減ると喜ぶとは。

 外国人が減って治安も給与体系も良くなるならまだ良いが、現状はそうは思えない。日本人にはますます余裕がなくなって来ており、給与は多くが相変わらず最低賃金付近に張り付き。増えるのは税金・保険料ばかり。余裕がないゆえの犯罪や行動がどんどん増えている。あらゆる点において、精神的・経済的な余裕の無さが国民の行動に表れている。外国人が問題なら日本人はもっと問題だ。政治を根本的に変えることも出来ない、社会も変えられないなら、このままゆるやかにこの国は死んでいく。

「犯罪が減るから良い」か

 日本に出稼ぎに来た外国人が犯罪に走りやすい理由は待遇の悪さもあるが、何より「犯罪でも何でもしないと思ったようにお金を稼げないから」に尽きる。犯罪に走ることは擁護しようがないが、習得の難しい日本語を勉強して借金してでも出稼ぎに来た日本で、明らかに彼ら自身も悪いと分かっている事をしてしまうまで追い詰めてしまうこの社会、これが「美しい国」か。特に最近はその傾向が酷くなりつつあったが、ついに「日本は稼げないから韓国とかほかの国に行きたい」という声が多くなって来た。

 日本という国がここまで落ちぶれた現状。私は日本人として彼らに対して恥を感じずにはいられない。今、この国にいる技能実習生に申し訳なさを感じずにはいられない。素晴らしい国だと思って来たこの国に、彼らはどれだけ失望して帰るのだろうか。「外国人は犯罪に走る」のではない。「外国人を犯罪に走らせる」のがこの国の現状なのだ。何が「ベトナム人が減るなら犯罪が減るから良い」だ。恥知らずが。

 逆に言えば、東南アジアの人々なら犯罪に走らざるを得ないような社会で辛抱強く暮らしているのが我々、日本国民なのである。それは果たして良いことか。忍耐は美徳か。いつまで我々は”大日本帝國臣民”なのだろう。最近は政府が国葬なり統一教会人事なり好き放題やっている。物価高騰対策も為替対策も無為無策。今や日本政府の言うことで信用できることなどどれだけある?情けない。岸田政権に黄金の3年間を与えてしまったのは最悪。

愚かな国家は愚かな国民でできている

 民主主義の本質は国民自らが動くことであって、それは何も選挙で投票権を行使するだけではない。ただ、この国の国民は君主制、帝国臣民の国民性が強く残っているのでそうした習慣というか文化がない。デモをするのは一部の妙な連中で、それと同じに見られたくないがために大衆はデモを行わない。それどころか投票権すら行使しない連中が多い。最低でも投票は行くべきである。

 以前試算したが改めて書くと、投票率の高い国でも投票率は80%程度。ここでは近似して80%としよう。日本の衆議院選挙の投票率は前回で大体56%。日本の有権者数を大体1億と近似すると、もし投票率が80%であれば投票する人の人数は約8,000万人。56%なら約5,600万人。実に2,400万人ほどの票が国民の怠惰さによって政治に反映されていない。

 「よく分からないからいいや」「投票したいけど支持したい政党がない」という声はある程度理解できるが、国民が民主主義国家における最低限の義務すら果たさないならそりゃ国は悪くなるわ、と私は思う。投票率が下がれば組織票が強くなるという点もあるし。「よく分からない」と言って投票に行かない人間がいる一方でここ数十年間、統一教会信者はせっせと指示された人間に投票していたのである。

日本国憲法第12条 

この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。又、国民は、これを濫用してはならないのであつて、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ。