ヤマネコ目線

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出産一時金の増額より

 独り言。先日、下記のニュースがTwitterで少し話題になっていた。

news.yahoo.co.jp

ズレっぱなしの少子化対策

 出産一時金の増額検討のニュースを見て、私が感じたのはただの劣等感と羨望だった。「ああ、このご時世に結婚して子供を作れる余裕がある家庭がまた優遇されるんだ」、そんな気持ちしか湧かなかった。つまらない発想だと自分でも思うが、正直な感想はそんな感じ。

 日本の少子化対策は結婚出来ること、子供が出来ることを前提として来た。しかし今の日本社会は、そんな事ではどうにもならない段階まで来ていると感じる。まずもって若年層にお金がない。余裕がない。活気がない。言ってしまえば男女が出会う段階からサポートしなければいけないレベル。そんな中で結婚をした後を前提とした少子化対策は、元から恵まれている人間をさらに恵まれた人間にする施策でしかない。シングルマザー・シングルファザーには救済策と言えるだろうが、それはそれで別で出来ない訳でもない。

 第一、そういった少子化対策はただの小手先、誤魔化しの手法であって、真の少子化対策は経済を良くする事なのだが、与野党そろってそんな事は出来そうに無い。そらくこの先、ずるずると自民党政治は続いて経済は悪くなる一方なのだろう。かと言って野党が良く出来るかと言われればそんな事も無い。お先真っ暗とはまさにこの事か。壁ドンとか言ってる場合じゃないぞマジで。

無償化の話

 出産一時金の増額に対して「無料にしろ」という意見も目立った。そう言われてみれば、高校教育は無償化されたのに出産は無償化されていないのだ。何というか手をつける順番をどう考えているのかよく分からない。出産を無償化してもそれで出生率が増えるとは思わないが、しないよりはマシだろう。それを言い出すと出産費用も出せない人間が子供を作るなという話になって来るかも知れないが。

 それにしても安易に「無償化しろ」というのも考えもので、「無償化」というのは言い方を変えれば「税金化」である。無償化された分の費用がどこに回るかと言われればそれは税金でしかない。負担が分散するので無償化を受けられる人間は楽になるだろうが、無償化の恩恵を受けられない人間にとっては純粋に負担が増す。そこには結婚したくても経済的な理由で出来ないような人間も含まれる。それは今のこの社会でどこまで許容されるだろうか。

まずは経済を良くしろよバカ野郎!

 何はともあれ、少子化対策とされる政策を聞いてもこの言葉しか出てこない。元から万年不景気なのに、コロナ禍もあって更に経済は打撃を受けている。それでも政府は一向に消費減税も免税もしようとしない。一律給付金も1度限り。デジタル庁だのスポーツ庁だの穀潰しな省庁を作って、毎年のように「過去最大」の予算編成をする。インボイス制度で個人事業主からより厳しく税金を取ろうとする。まったくもってバカバカしい。

 いくら給付金だの無償化だのといった小手先だけの少子化対策を講じても、根本的に子供が増えるような環境にない今の日本で少子化に歯止めがかかる筈がない。砂漠で多少の水や肥料を撒くようなものだ。まずお金がないので年収で結婚相手がいない、マッチングアプリでも相談所でも弾かれる。交際できても結婚式を挙げる費用を出せない、子供が作れない、きちんとした教育を受けさせる事が出来るか不安で仕方ない、先の事を見据えて考えれば考えるほど絶望してしまう。

 たとえ自分の代で運良く子孫を残せたとしても、これから悪くなるばかりの日本社会で生きていく子供のことを考えたらどうだろうか。私は最近、親子連れを見かける度に考えてしまう。彼らはきっと、この先の今より薄暗い社会を生きて行かなければならないのだと。それは幸福への道と言えるのか、不幸の再生産でしかないのではないかと。

 それでもまだこの国を捨てられない以上、いい加減に多少の事は我慢してでも政治から変えていく必要があると私は感じる。野党が良いとは言うまいが、今まで通り自民党公明党に任せていても良くなる事は絶対に無い。