ヤマネコ目線

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国旗損壊罪の是非

 高市自民が勝ったことだし、そろそろ本気でこの話題について一考しておかなければならないかなと思うので書いておく。

問題の発生するレイヤーの違い

 現状、外国の国旗を損壊すると罪に問われる一方で日本国旗を損壊しても罪には問われない。これを感情的に理解し難いというか、「日本国内であるにも関わらず日本国旗が外国旗と同様に尊重されないのはおかしい」と感じるのは理解できる。

 いわゆるリベラルは無関係な顔をして批判しているが、元はと言えば彼らが挑発行為の一環としてそうした表現行動を繰り返して来たのも問題ではないか。国旗損壊罪を支持する人間の多くは「サヨクが困るだけなら問題無い」と考えている。「嫌いなヤツが嫌がることなら良いことだ」程度の話。それはそれで浅はかだがそういうレベルで嫌われている自覚をした方が良い。

 一方で外国国旗と日本国旗の扱いの差は「外交的問題に発展し得るか否か」、国内だけで完結する問題かどうかの違いがあることを忘れてはならない。諸外国の国旗を損壊すると日本政府としては相手がいる話になってしまう。一方で自国の国旗に限っては政府として許容する限り大きな問題に発展しない。

 「日本国旗だけおかしい」というお気持ちは理解するが、外交レイヤーに関わる問題かそうではないかで区別することは合理性がある。

財産権の侵害

 公共機関に掲揚されている国旗はともかく、個人が所有している国旗について損壊罪を問う場合、日本国憲法第29条第1項「財産権は、これを侵してはならない」に対してどう整合性を取るのかも考えなければならない。個人が所有している国旗(私有財産)をどう扱おうとその所有者の自由であり、この自由を拘束するだけの正当性をどこから引っ張って来るか。

 先に述べたような「日本国旗だけ守られないのはおかしい」というお気持ちだけでは理由として弱過ぎる。権利を公権力が制限して許されるのは公共の福祉に反する場合であり、国旗を損壊することが客観的に、一体どこまで公共の福祉に反すると言えるのか。ある種、思想が問われる問題になってくる。ともすればこれは婉曲的な言論統制思想統制ではないか。

 ひょっとすれば高市総理、自民党国旗損壊罪の成立にかこつけて国民の財産権を公権力が侵害できるような憲法改正を目論んでいるのではないか。私はそこまで疑わなければならないと考える。何かを山車にして不当なルールを正当化するのは政治家や官僚の常套手段だ。

 「公共の福祉」の解釈をいたずらに拡大していけば財産権に限らずいくらでも人権を制限出来る。憲法基本的人権の運用はそうあるべきでは無いのだが、日本人も日本人政治家も考えが浅いので簡単にその辺りをひっくり返しそうで怖い。それで得をするなら良いが実際はそうではない。浅はかな考えは問題を解決できずむしろ悪化させる。

 たとえば「健全な肉体を持ちながら日本の安全保障に資さないのは公共の福祉に反する」と言えば徴兵制も可能だし、同様に「健全な肉体を持ちながら結婚して子どもを作らないのは社会の発展維持に有害である」と言えば結婚や子育ても強要出来てしまう。しかし、公共の福祉による人権の制限の理念はそのような所には無い。そんな運用は論外。

 お気持ちで国旗損壊罪の制定により財産権を侵害することは、そういった場所に片足を突っ込んでいる。

表現の自由の侵害

 私はこれでも右翼(経済左派)なので「表現の自由だ」と言いながら国旗を燃やすなどして挑発する自称リベラルは嫌いだし、国旗損壊罪を制定されても私は困らない。表現の不自由展のような反日扇動活動をしておきながら政府から補助金をもらうような社会のゴミがさらに不自由になるなら賛同したいとさえ思う。

 他方、国旗を損壊する行為は政治への抗議や思想表現として行われる。憲法表現の自由を保障し、加えて検閲を禁止している以上、日本政府が表現行為としての国旗の損壊を禁止することは憲法に反するのではないかとも確かに思う。

 抗議活動としての表現の自由を制限することにいたずらに賛同すれば、そのうち日本政府に対する批判、政治家に対する批判を制限することも正当化されていくのではないか。一体何をもって国旗損壊罪を正当化し、どこからどこまでを線引きするのか。慎重に議論しなければ言論統制につながりかねない。

 特に、総理大臣が「えらい意地悪な質問やなあ」と言えば正当な問いですら炎上する世の中でこの流れは非常に怖い。一歩間違えば政治家が「えらい意地悪」と思えばその表現を規制し得る世界になってしまう。大げさかもしれないが、つい80数年前まではそういう時代だったことも頭に入れておくべきだろう。

ja.wikipedia.org

 逆に考えれば国旗損壊罪は国旗を損壊する行為に対し、「罪になり得ることを承知で行うほどの重大な表現行為」としての意味すら与えるのではないか。罪に問えるようにしても人の心は変えられない。

 憲法表現の自由が保障されている以上、たとえ気に食わない表現行為であってもいたずらにそれを規制するべきではないし、それに賛同するべきでも無い。

どこまでを許容するべきか

 損壊罪の定義についてはことさらに特定の集団への憎悪を煽ったり、あるいは外交行事の場を乱すために損壊された場合は罪に問うても良いと思うが、いずれも判断基準が曖昧になり過ぎる。一般人は何ら困らない反面、正当な抗議活動やデモに対する萎縮効果が生まれて得をすることも無いのでは。せいぜい公的機関が所有する国旗が損壊された場合の厳罰化程度しか使い道が思い当たらない。本来それは器物損壊罪で片がつく話。

 強いて例を考えるならば「既に対立する集団が一触即発で相対しており、そこで扇動行動として国旗を燃やし、乱闘に発展して死傷者が出た」といった状況に適用するくらいか。しかし今の日本でそこまでの事態は考えづらい。何をもって国旗損壊をそこまで「社会全体に実害がある」と見なすのか、そこが問題。

 今、国旗損壊罪の制定を支持している人間はそこまで想定しておらず、せいぜいお気持ちで支持しているに過ぎないのでは。彼らが考えているほど安直な内容にはならないし、してはいけないと思う。

 また、表現の自由が保障されている以上はアート作品や映画の演出として行われる国旗損壊は許容される。禁止はし得ない、できないのでは。国旗損壊罪の制定によって国旗損壊に特別な意味を持たせてしまえば、あえてアートとして、演出として国旗損壊を入れる作品は増えるかも知れない。国が作品を監視し、それすら許さないと言うのは検閲であり明確に憲法違反である。

そもそも論としてどうしてそこまで”国の尊厳”を守りたいのか

 ふとスタートラインより一歩後ろに立ち返って見ると、なぜ国旗損壊罪を制定したいのか、それは本当に今やるべき問題かが疑問に思えてくる。

 自称愛国保守、「日本人であることを誇りに思う」人たちは自尊心の拠り所が「日本人であること」くらいしかない。彼らにとっては自尊心と国家の尊厳が同一であり、それを尊重されないことが国旗損壊罪を本気で制定したいほど許せないのだろう。それが本当に自由権を侵害しても良いだけの理由になるかどうかなど度外視でお気持ちを優先している。

 しかし、私が知る限り国旗を燃やすことが社会全体にとって悪といえるほどの惨禍をもたらしたことは無いし、国旗損壊罪が制定されようがされまいが多少のお気持ち以外は何ら実害も実益も無い。

 愛国保守を自認しながらそんなことを気にしているなら、本当に日本がこれからも世界に誇れるような国であり続けられるかどうかを気にかけた方が良いのにな、と思う。そのために民主主義国家の国民として何が出来るのか、何を理解しておくべきなのか。その自覚が足りない。戦後からバブル崩壊までに積み上げられたものを食い潰して凌いでいるだけで良い気になっている。

 自分自身が日本という国の国民として恥ずかしくない存在たり得ているか?議会制民主主義国家の国民として恥ずかしくない知識と理解力を持っているか?「実るほど頭を垂れる稲穂かな」と言うが、どいつもこいつも頭が軽いことを自覚せず愛国者でござるなどと胸を張って立っていて傍から見て恥ずかしい。

 結局、国旗損壊罪の議論そのものが薄っぺらな愛国保守勢力の支持を取り付けるために、同時に他のことから目を逸らさせるために用意された客寄せパンダ的な政策なのだろう。

私のお気持ち論

 ここまで長々論じたが、残念ながら今の日本社会ではこうした理屈よりも「日本国旗だけ損壊して罪に問われないのはおかしい」というお気持ちが優先されてしまう。「何か難しい話よく分からんけど感情的に沿った単純な答えが正解っしょ」みたいな雰囲気がある。これが残念に思えてならない。

 人間が人間である以上は感情も重要なのだが、皆が皆、感情論で好き勝手なことを言い始めると収拾がつかなくなる。そこを整理するために我々は理詰めをする。法を作り法に基づいて処理をする。そうしなければどこかで誰かが損をする。

 誰もが思いつくような単純な解決法なのにそれが採用されていない場合、その単純な解決法では問題は解決できないし重大な副作用がある。

 それを理解せず、関心も持たず、ただ動物同然に自分のお気持ちだけを優先して政治家の良いようにされてしまうのは民主主義国家の国民にあるまじき醜態。

 太平洋戦争はずっと国民は被害者だったと思っていたが最近の動向を見るとどうやらそうでも無いように思う。理解したく無かったがようやく理解した。ここまで国民が盲目的に一時の総理大臣を支持し、自身が主権者であることを忘れ、後先考えない政治家の言動を支持し、後先を考える政治家をむしろ叩くようであれば、そりゃあ、後先考えず「いてもうたれ」でアメリカに喧嘩売ったりするわな。扇動したマスコミも悪かったかも知れないが、感情論で暴走することを選んだのは大衆、国民だっただろう。

 これからどのような動きが出てくるにせよ、国民がこのような有り様で憲法改正などおよそ適切ではないと思う。先日の選挙だってあまりに短い選挙期間の中、政策の周知や議論も不十分な中、「こんなこと言って無かっただろ」と言うと「いや?自民党の公式HPには書いてありましたよ?」などと言われる始末。そうか。そうか。主権者たる国民に精査するだけの十分な時間を与えなくとも「書いて」さえあって選挙に勝ちさえすれば、投票で多数決さえ取れれば何でも「国民の信を得た」ことになるんだな。

 実際、自民党に投票した人間の中で一体どれだけの人が自民党公式HPを隅々まで確認し、その政策の内容のすべてを是認したのやら。

余談:立憲民主党が嫌われる理由

 Xで見かけた記事で確かにそうかもな、と思ったので書いておく。

 いわゆるリベラルが若者から嫌われる理由は、彼らが若者から「パワハラ上司」や「カスハラクソ客」のような存在として認識されているから。立憲民主党について言えば国会答弁で威圧的に批判する姿がそうだろう。Xで元官僚が立民の岡田氏についてパワハラ野党とボヤいていたが、そういう姿勢が見透かされている。

 抑圧された社会でお行儀良く、協力や話し合いを美徳として育てられた若い世代にとってはいわゆるリベラル世代の追及や批判の姿勢が何の生産性も無い、ただ何かにつけて文句言いたいだけの乱暴者としか映らないのである。

 意見の異なるもの同士なかなか仲良しこよし、馴れ合いでも良くないと思うが、与党に程よく取り入って協力的に議論する姿勢を見せた政党が支持された、議席数を伸ばした点からもそれはうかがえる。

 残念ながら一度ついた「パワハラ野郎」、「カスハラクソ客」といった印象を覆すのは難しい。リベラル勢力はそろそろ立憲民主党自体に引導を渡し、その他の野党に活路を見出した方が建設的ではないか。政党に限らずリベラルは今までの路線を頑固に続けてもそれはそれで良いが、大衆から「こんな人たち」と見なされてしまえば話も聴いてもらえない。