ある程度の支持を集めている石丸伸二や山本太郎、成田悠輔、一定層に人気ではあるがあまり良い感じがしない人に対する意見をなかなか言語化できないでいたが、改めてそれを言語化し、整理しておこうと思う。少しタイプは違うがひろゆきもこれに近い。
愚かな大衆の写し鏡
彼らに共通するのは「物事を単純化してシンプルかつキャッチーな解決策を示す」という点にある。山本太郎なら「消費税廃止」、成田悠輔なら「高齢者の集団自決」など、社会的課題に関してその原因を単純化し、シンプルかつ分かりやすい手法で「私な問題を解決できる」と大衆に訴える。言ってみればマーケティング的に正しいことを言い続けるのが彼らの戦略。*1
「頼りになる誰かを支持しておけば社会が良くなる」というのは楽な道であり、大衆はそのような救世主を求めているのかもしれない。その気持ちは分からなくもないが、言ってしまえば他力本願に過ぎる。
その救世主像のコスプレをして表舞台に出て来るのが彼ら、ポピュリストである。
救世主が大衆に与えてくれるのは大衆が「そうあって欲しい」と思う答えであって真理ではない。諸問題に対する素人目線で何となく正しいらしい解決案であって、本当に正しい解決方法ではない。言ってしまえば救世主は愚かな大衆の写し鏡。
愚かな大衆は自分で考えて誰を支持するかを決めているつもりであっても、実際は彼ら自身の勝手な理想に迎合して出てきた偶像を崇拝しているに過ぎないのである。そしてそれを自覚すらしない。
虚像に騙されないために
まず「素人が考えるような安直な解決策は役に立たない」と自覚することが必要だろう。能登半島地震における対応でも素人による的外れなアドバイスは数多くあった。ヘリコプターの運用経験も無ければ空中投下の実態も知らない、何なら日頃は自衛隊を目の敵にしているような連中が自分の頭の中のご都合シミュレーションだけでモノを言う。そんな連中は何の役にも立たない。
ではそんな連中が支持するような政策は役に立つだろうか。彼らの思考回路の中では役に立つのかもしれないが、実際は役に立たない可能性が高い。考慮すべきコストやデメリットを考慮していないから。
今の政治を見ていると確かに「もっと上手く出来る筈」と思うのは分からなくもない。というか私も正直そう思っている。しかしそこで素人考えが上手くいくかどうかは全く別の話であり、いきなり消費税廃止、みたいな短絡的なことを言い出す人間は信用するに値しない。
次に重要なのは、「問題を解決することができる」ということと「解決案を提示する」ことには雲泥の差があると理解すること。「批判はサルでも出来る」と同じようなもので、実現可能性度外視で簡単な解決策を示して見せるだけなら誰だって出来る。それこそ愚かな大衆が「よくぞ言ってくれた!私もそう思っていた所だ!」と言うくらい平凡な解決策など、提示するだけなら簡単なこと。提示するだけなら。
しかしそれをしない人間が多いのは、そうした平凡で安直な解決策のデメリットも承知しているからである。実際に社会的な課題を解決するためには様々な要素が複雑に関わって来るので、それらを解きほぐすように丁寧な対応が求められる。そのような場面でのシンプルな解決策は言い換えれば乱暴であり、そうした解決策は役に立たないどころか事態を悪化させる場合すらある。
定額減税はその良い例だろう。思いつきレベルで減税対象を絞って減税をしようとした結果、思わぬ不平等と制度の複雑化を招き、実務者に事務コストを強いることとなった。もう少しやりようはあったと思うのだが、そもそも定額減税という方式自体が間違いなのでどうしようもない。
次に重要なのは「考えることを止めないこと」。他者から示された単純明快な解決策に飛びつくのではなく、そもそも問題の根底は何なのかを最初から自分で考えなければならない。裏を返せばそれが出来ない人間が救世主を信じている、とも取れる。
どうしても考えることが難しいのであれば、それはそれで自覚さえ出来れば良い。私は自分自身の流されやすさを知っているので、基本的に思想強めの本は読まないようにしている。そうした本を読むと簡単に著者の思想に染まってしまいそうだから。その本に書いてあることを自分自身の意見として考えることを止めてしまいそうだから。自分自身の中に何かに対する意見の軸が出来ない内は、他者の意見に触れるのが怖い。
この点、ChatGPTと議論するのは面白い。誰かの意見を受動的に取り入れるだけでなく、自分から疑問を投げかけることで認識を広げられる。AI相手ならいつでも好きな時間に遠慮なく疑問をぶつけられるし、自分に欠けていた視点に気付かされることも多い。「今さらこんなこと訊くな」と言われそうなことでも訊ける。間違いを正してくれる人間がいない人でもAIを通じてならば、自分の認識を正すチャンスがある。
SoftBankの孫社長はよくChatGPTと議論しているらしいが、社会的地位の高い人ほどお互い遠慮のない相手としてAIと議論して欲しい。あくまで自分主体、自分が抱いた疑問を投げかけること。いつぞや国会議員がやっていた国会質問丸投げして答弁作ってもらう、なんて使い方は論外。頭が悪すぎる。課題をAIに丸投げする学生と何が違うんだ。その程度なら議員辞めるべき。
怖いのはこの先
この人物の名前を出すと陳腐になってしまうので嫌なのだが、大衆が自ら生み出した救世主を信じて自滅した最たる例はやはりヒトラーだろう。並べて語るのは失礼な気がするが、冒頭で挙げた3人のような人が時代の流れに乗って行く所まで行けばあのようになるのだと思う。
戦争に負けて厳しい状況下に立たされたドイツ国民は、自分たちが誇りある民族として再び立ち上がることを夢見たのではないか。それを先導してくれる指導者を期待したのではないか。それに呼応して登場したのが彼であり、大衆が彼を信じた結果は誰もが知る通り。
これは決して日本も他人事ではない。日本国民もまた、この国を立て直してくれる救世主の登場を望んでいる。どのような人物が支持を集めているかにそうした希望が表れている。東京都知事選挙では特に若い世代で石丸氏の支持が厚かった。これは良い傾向とは言えないのではないか。
政治への関心が薄れれば政治に対して深く考えることも少なくなる。そこで単純な答えに飛びつく、救世主らしき人物を簡単に信じてしまう人間が増えれば過ちは繰り返される。我々はそれを自覚して正さなければならない。
本当に怖いのは、こうした事を考えずに政治に無関心なまま大人になった世代が多数派になる時代。簡単な答えを簡単に信じてしまう有権者が多くを占める時代。そうなってしまった時、過ちは繰り返される。
緊急事態条項
私は憲法改正は時期が来ればすれば良いと考えているが、今は決してその時期ではない。壺に裏金に好き放題して誰も責任を取らない、こんなザマで憲法改正などお笑いにもならない。政治不信でどうして最高法規がいじれるのか。憲法改正について国民の関心など高まっていないし議論も成熟していない。国会で行われているのは議論ではなく、官僚が台本を用意しただけの茶番。自民党が好き勝手に考えた改正草案をもって「議論が成熟した」とでも言うのか。思い上がりも甚だしい。
加えて緊急事態条項は危険であると考えている。何も緊急事態条項が追加されたからと言って、今すぐ岸田総理やその次の総理大臣が暴走して独裁体制に移行すると言いたい訳ではない。問題は先に述べたような大衆にとっての救世主が本当に実権を握ってしまった時である。
愚かな大衆によって担ぎ上げられた、実際には問題解決能力に乏しい偽の救世主が実権を握った時、緊急事態条項のような制度は都合の良い使われ方をするだろう。救世主からすれば「お前たちが私をここまで押し上げたのだから私に従うのは当然」であり、それに従わない者は国家権力で押し潰して行く。
緊急事態条項は悪用される危険性を憲法の条文という形で半永久的に残してしまう。今の日本の民主主義はそうした危険性を制御し得るほど成熟しておらず、むしろ真逆で機能不全も甚だしい。それを承知で緊急事態条項を憲法に盛り込もうと言うのであれば正気を疑う。子どもに拳銃を持たせるも同然の愚行。
一部の自称保守はやたらに憲法改正にこだわるが、彼らはもはや改正のための改正をしたがっているように見える。目的と手段が逆転している。より良い憲法を制定することが目的であって、憲法を改正すること自体が目的ではならない。賛成と言っている連中のうち一体どれだけが、現行憲法と自民党の憲法改正草案を比較し精査したのか。精査した上であの内容で良いと言うのであれば救いようがない。
余談:広島原爆の日につけて
昨日は広島原爆の日だった訳だが、戦争反対とデモをする人々の中に不可解なプラカードがあったと話題。「米日の中国侵略戦争反対」とは?「お前は何を言っているんだ」としか思わん。逆にデモに対するネガキャン要員?でも誰も止めないもんな。
空母新造を含めた軍拡、南沙諸島の軍事基地建設、尖閣諸島付近の領海侵犯の状態化等、戦争の準備をして東アジアにおける緊張を高め、平和と秩序を乱しているのは他ならぬ中国である。日米が中国を侵略しようとしている、などと勘違いも甚だしい。
「戦争反対と叫ぶ人間をバカにしている連中はズルい。だったら『戦争賛成』って叫べ」、などという意見も見かけたがこれも見当違い。バカにされているのは「戦争反対という大義を掲げれば自分たちのあらゆる行動が正当化されると勘違いしている愚か者」であって、誰もが戦争なんか起きないに越した事はないと思っている。自分たちの意にそぐわない、迎合しない人間は全員敵であり大義の対極にいると考えるのは浅はか。
X(Twitter)のアカウント名やプロフィールに「戦争反対」、「反原発」、「大麻解禁」だのと主義主張を入れているのも同類。その手の人間は自分たちにとって”正しい主張”を掲げればどのように暴れても良いと考えている。だから錦の御旗を誇示して憚らない。「我は官軍」という意識がにじみ出ている。そういう人間自体がマイノリティであることを自覚せず、勝手な正義を振りかざして暴れるので大衆から嫌われる。
アカウント名で言えば「ただの主婦A」みたいな名前も絶対に思想強めのアカウント。自分の思想が世間一般から外れているとは薄々理解しつつも、「いやでもこれくらいが普通ですけど?普通であるべきですけど?」、と自己を正当化する意識がこうした名前に表れている。潜在的に自分が世間から外れていると認識できているだけマシではあるが、「ただの~」では無いことに違いは無い。
ついでに書けばアカウント名に日本国旗を入れている人間、見ていて恥ずかしい。「日本国旗が恥ずかしい」と言いたい訳ではない。日本語圏ではまだまだ外国人よりも日本人が多いので、ことさらに日本人であることをアピールする必要は無い。そこであえて日本国旗を掲げて見せるのは、自分自身に誇れるものがあまりに何も無いので大きな組織=国家=日本への所属、日本人であることに拠り所を見出しているに過ぎない。自尊心の在り方が未熟であり、何というか右翼思想に傾倒する中学生を見ているような気になる。実際に中学生ならまだ許されるが、そうでないなら色んな意味で厳しい。
あと中国出身設定キャラのアニメアイコンのくせに日本国旗入れるのやめろ。
私は神も救世主も信じません。そんな都合の良いモンは無ぇ!